糸川リンダのテレビ批評帳

テレビの前で独り言「誉めてけなしてそれでも見るかい?」

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「真田丸」終わってしまった…。

2016年12月24日 | 日記

「真田丸」が終わってしまった…。初めて、三谷幸喜って面白い!と思った作品。とにかくよく書けていた。演劇的でお茶目な展開やせりふ回しに、舞台出身の真骨頂を感じた。何が良いかって、それぞれの登場人物、脇役でも決して手抜きをしていない。きちんと存在の必然性があり、生き様があり、丁寧!おかげでどの人物とっても生き生きとしている。あのにくったらしい、大野治長の弟だって、兄へのコンプレックスが全面に出ていた。本当にそれぞれがよく書けている。最後、徳川に通じる台所番にもしっかり見せ場があり…こういうドラマ作りは役者さんにとって、きっとやり甲斐があるでしょうねえ。

とにかく、良かったのは脚本のおかげだけれど、ドラマの素晴らしさはおいといて、なぜ、今、幸村だったのだろう、と考えると、ドラマを見ながら思ったのは、この人、自分で決めているようで、根本は自分で決めてない、というか、決められないポジションにあった。与えられた仕事は、その仕事の枠内で最善の策をとるが、それより上のカテゴリーになると、お任せとなる。秀吉、ねねにも好きなようにされてるし、父や兄の方が大きなところではしっかり決めていく。つまり、しっかり次男の立場をわきまえている、でしゃばらない、人物だった。

そもそも、軍人、この場合武将かな、というのはそういうものなんだろう。政治で戦争となったら、戦をするし、しないとなったらしない。するしないは自分の範疇の外。これって、ある意味、楽といえば楽かな。大きなことは考えなくていいんだから。とここまで思うと、なんだ、それって結構、現代人が好むスタイルなのかなとも思ったりする。大きなことは決めてもらって、決められた中で職分を全うする。その「大きなこと」が全体、おかしなことだったとしても、そこは関係ない。口を出す立場にないから。

口を出す立場に身をおかないのは楽だ。口を出したら「責任」をとらなくてはならないから。もしか「大きなもの」がややこしかったりしたら、余計にそうだよね。口を出すには勇気がいる。ある意味、その口の出さないところ、立周りの良さや器用さが、今回のドラマの幸村にはあった。ここが今を生きる私たちに、妙にリンクしたのでは、というのはちょっと言い過ぎかな?

最終回、家康が幸村に攻められて、臆病な性格のままに逃げるところは良かった。ようは、勇ましくない、恐がりの方が、「平和」を求める。うーん、素直に恐がりの方がいい、勇ましくない方が平和に近い。だって、「平和」になったら武士は仕事がなくなる。そんな時代に幸村はとても生きられないだろう。それを家康の言葉が語っていた。なので幸村は死ぬしかない。死ぬしかないが…その言葉が「愛するもののため。」は、???ここに来て途端に甘くなってしまった。このセリフはいただけない。でも、これ以外に幸村に言わせるセリフがあるかといえば…とても難しい…。脚本家、三谷さんも1番悩まれたのではないかと思う。この「愛するもののため」でない、しっくりくるセリフはなんだろう。そんなことばかり考えつつ、日曜日の夜の楽しみもなくなり、大変寂しい主婦でございました。

 

 

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