6月1日、
午前1時55分、
リーナ(キャバリア)が14歳8ヶ月の生涯を終えました際に
皆様から、温かいお言葉をいただきまして誠にありがとうございました。
家族一同よりお礼申し上げます。
翌2日、無事葬儀を終え、小さくなったリーナと一緒に
大好きなお家に帰ってきました。
私の大事な・大事なリーナのはずなのに息を引き取った時も
火葬の時も、涙が出ず、悲しみの気持ちも湧いてこない私は何なんでしょう?
やはり情がないのでしょうか?
覚悟もしていたので頭ではわかっているのですが、
たぶん・・・(リーナの死) という現実から逃避しているんだと思います。
昏睡状態の中、
首を持ち上げ右に左にもう見えない目でまるで何かを探しているように見えました
夫が「ママを探しているんだよ」
ほんとうに探しているようにみえました。
頭を撫でて「ママここだよ」
もう見えない、聞こえない・・・でも私の手の感触はわかったはずです。
リーナが見えないであろう目で右に左に首を振った姿を想いだすと
胸が苦しくなって息が出来なくなってきます。。
寂しがりやのリーナが一人で逝っちゃった。。どうしよう。。
↑↑~~だから私はリーナの死を封印しようと思っているのかもしれません。
もうしばらく、リーナが私の傍にいると思ってもいいですか?
今はリビングのクッション(リーナの定位置)の上の方にいます。
らんぽぅさん、こんなステキなリーナにしてくれてありがとうございます。
Sさんへ勿論、うさちゃんを抱っこして逝きましたよ。