リチャード・パワーズ、『舞踏会へ向かう三人の農夫』

 みっちりとぎっしりと濃密に、何だか色々なものが詰まっていたなぁ…というのが、実は素直な読後感だったりする。 二十世紀という壮大なテーマの元、深く根を張り何処までも押し広がっていくような思索についていくのは大変だったけれど、最後には胸がいっぱいになる、重厚な読み応えであった。 

 私自身この表紙に使われている写真は、時折見かける度に何故か意識に引っかかっていたのだった。 実際にこの写真が撮られた背景について何も知らなくっても(そも、彼らはいったい何者なのか?)、投げかけるような三人の眼差しがひどく印象的だ。 そしてまたタイトルの中の、“舞踏会”と“農夫”というちぐはぐな組み合わせも気になっていた。
『舞踏会へ向かう三人の農夫』、リチャード・パワーズを読みました。


 ぬかるんだ畦道を行く、正装姿の三人の男。 うち、先を歩く二人は若者と呼んで差支えないようだ。 しかし、少し遅れて後ろを歩く一人は年齢不詳である。 前者の二人の様子はちょっと気取っているようにも見えるが、後者はもっさりした感じ。 
 そんな一枚の写真の中、可逆性を持たない時間がそこだけ掬いあげられ、そしてその結果、レンズの向う側で足を止めた彼らの目に見えていたはずのもの全てが失われた今でさえ、その眼差しだけが永遠の一瞬の中に刺し止められている…。

 ある日偶然目にした一枚の写真の、そこに捉えられた何かが気になって気になって仕方がない…。 まるで、とり憑かれてしまったように。
 語り手である“私”のそんな不可解な感覚に、何故かしら身に覚えがあるような気がしてふと共感を覚えた時点で、この物語の内側へと足を踏み入れることが出来たようにも思うのだった。
 …とは言え、全く趣を異にした三つの物語が並行して語られていくこの作品は、決して読みやすくはなかった。 各々の物語の重なり合い繋がる部分が、そんなに易々とは見えてこないのも理由の一つであるかも知れない。 ただそれが、物語そのものを楽しむことの妨げになるのかと言えば、決してそんなことはないのだが。

 三つの物語の共通点は、1914年にあるドイツの写真家(この人は実在した人物らしい)によって撮られた写真の存在を核心に据えていること。 件の写真にとり憑かれた“私”の、周辺の外堀を埋めていくようで実はどんどん拡がっていく探求と思索。 真相に近付く為の鍵を握っていた、思いがけない人物との交流を描く物語。 作者によって名を与えられ肉付けされた上で、戦場と言う名の“舞踏会”へと向かわされていく三人の男たちの物語。 そして、1984年のボストンでコンピュータ業界誌記者の仕事に携わるピーター・メイズが、パレードで見かけた謎の赤毛の女を追い求めることから思いがけない方向へと話が転がっていく物語。

 最初はたった一枚でしかなかったはずの写真が、幾重にも重なり、たったの一枚ではなくなっていく過程には思わず息を呑んだ。 そしてその流れが様々な事柄を押し包みながら濁流となり、二十世紀の俯瞰へと繋がっていく。 
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