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エジプト旅行記 - 仕方噺 7日目 ホルス神殿 その1

2008年11月11日 エドフのホルス神殿

エジプトも7日目になり、今日はアスワンに向かう。モーニングコールは5:00、朝食、荷物回収5:30、6:30ロビー集合。やはり5時起きというのは少々きつい。
アスワンへはコンボイを組まなくてはいけないので、ホテルから30分ほどの集合場所へ向かう。すでに大型バス以外にも、小型のバス、ワゴンタイプなど、かなりの数が集まっていた。細い道に何台もの車が詰まっているので、車窓からではどれくらいの台数がいるのか解らない。
アスワンへ行く途中、エドフのホルス神殿、コム・オンボ、フィラエ島のイシス神殿を観光する予定だが、イシス神殿観光は明日に変更になった。

ぎゅうぎゅう詰めの集合場所
朝早く、開店の準備をしている商店。この店は規模が大きく品揃えもたくさんあった。
「WELCOM TO ASWAN」の文字で飾られた丘。
アスワンの入り口での検問。外の空気を吸いにしばらく車を降りることができた。でも、余りバスから離れると注意される。
線路の向こうの丘の上に岩が張り出していた。ちょっと見、砂の上に岩が乗っているように見える。真下には家があるが、どんな気持ちで毎日暮らしているのだろう。
道路の脇には畑が広がっていた。ちょうどおじさんが、種まきか肥料まき(灰のようなものを蒔いていた)をしているところだった。
朝靄の中、ナイル川にはクルーズ船がいっぱい停泊している。このコンボイ以外にも、かなりの観光客がホルス神殿に向かっていそうだ。
エドフのホルス神殿に到着。ルクソールからエドフまでは約112km、1時間30分ほど。
エドフの町は、グレコ・ローマン時代(紀元前140年頃~紀元後300年頃:アレクサンドロス大王の征服からローマ帝国の支配の終末まで )に上エジプトの州都として栄えていた。
ホルス神殿(Temple of Edfu)の建設は、紀元前237年、プトレマイオス3世(在位:紀元前246年~222年)が着工し、プトレマイオス12世(在位:紀元前80年~58年、55年~21年)が塔門を仕上げるまで、9代の王が手を加えている。プトレマイオス12世はクレオパトラの父でもあるが、庶民からも馬鹿にされるほどダメダメな王で、女装が趣味だったらしい。
まず、塔門の大きさに圧倒される。19世紀の中頃までほぼ完全に砂に埋まっていたというだけあって、エジプト遺跡の中でも保存状態はトップクラスでとても美しい。これから先、ホルス神のオンパレードが続くのを誇示するかのように、入り口の両脇に2体のホルス神が出迎えている。

塔門は、高さ36m、幅79mとかなり大きく、遠くからでないとカメラに全景が収まらない。左右対称に描かれているのは、ホルス神とハトホル神、そしてこの塔門を作ったプトレマイオス12世。
第一村人ならぬ第一ホルス発見といったところか。このホルスは王冠をかぶっていない。
塔門をしたから見上げると、やっぱり高い。羽の壁画がいくつも描かれている。
中庭内部の壁は柱で囲まれており、上部のレリーフは様々な形をしている。壁と柱一面に、レリーフが掘られている。
中庭から第一列柱室への入り口には、鳥よけのため網が張ってあり、こちらにも両脇にホルス神が立っている。左のホルス神は王冠を戴き、高さは2mほどある。右側は残念ながら壊れてしまっている。頭部には王冠を差し込むために穴が開けられ、当時の技術の高さがうかがえる。
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