自分が医学生の時に習った「分裂病」や「痴呆症」という立派な病名は、ここ20年前くらいに「差別用語」なので「統合失調症」「認知症」に変えられた。でも当時、言葉をかえればどうにかなるのかなと、これこそ違和感を覚えた。
今では確かに分裂病とか痴呆症とかの病名をきくと古臭いなと感じるようになったが、これは使用頻度や慣れによるものだろう。
でも言葉いくら変えたって「統合失調症」「認知症」の用語を、市民が差別する時に使うようになれば、これもあと数十年すれば「立派な」差別用語になっていくんじゃないかと思う。そうなるとまたその時代のだれか偉い人が「差別用語なので替えましょう」ということになり、表現上の言葉だけがかえられるだけなんだと思う。
言葉なんて結局はなんでもいいんだけど、それを使う人がどのような意図で使うのか、そしてその意図での使われ方がmajorityになれば「けしからん、じゃあまた用語を変えよう」ということになる。この世の中から差別がなくなるなんてことはないだろう。
体面上は差別だめといっても人の心の中では差別や区別はしているんだし、この資本主義の世の中、みんな平等なんてことはありえない。
今では確かに分裂病とか痴呆症とかの病名をきくと古臭いなと感じるようになったが、これは使用頻度や慣れによるものだろう。
でも言葉いくら変えたって「統合失調症」「認知症」の用語を、市民が差別する時に使うようになれば、これもあと数十年すれば「立派な」差別用語になっていくんじゃないかと思う。そうなるとまたその時代のだれか偉い人が「差別用語なので替えましょう」ということになり、表現上の言葉だけがかえられるだけなんだと思う。
言葉なんて結局はなんでもいいんだけど、それを使う人がどのような意図で使うのか、そしてその意図での使われ方がmajorityになれば「けしからん、じゃあまた用語を変えよう」ということになる。この世の中から差別がなくなるなんてことはないだろう。
体面上は差別だめといっても人の心の中では差別や区別はしているんだし、この資本主義の世の中、みんな平等なんてことはありえない。