大塚利恵オフィシャルブログ 彩彩日記

シンガーソングライター、作詞作曲家、ピアニスト、パーソナリティ、セラピストとして活躍中の大塚利恵の自由奔放な日記。

北茨城・復興祭〜水戸・偕楽園へ♪

2012-03-27 15:02:23 | 地震
25日の日曜日、北茨城・復興祭に行ってきました。
沢山の人で賑わう、会場の五浦観光ホテル。特産品無料配布には、ものすごい行列ができていました!


会場では、第4版となった「きたいばらき震災記」の販売も。

同じテーブルでは、私もサポーターをさせてもらっている「茨城はらんべプロジェクト」のブレスレット販売も。

なんと、はらんべーストラップもお目見えしているではありませんか!

カバンなどにつけても可愛いこのストラップ、ひとつひとつ手作りなんです☆ 震災記編集委員としてもはらんべープロジェクトでも大活躍の及川さん(恥ずかしがり屋さん)の愛のこもった手作り!


平潟港のお祭りでライブをさせて頂いた時も、いつもPAをしてくださった荒川さん(右)、この日もイベントのPAで大忙し!地元では知らない人のいない、印刷屋さんです。震災記でも大活躍。
いつもお忙しいから疲れで顔がむくんでるのかと思ったら、前日飲み過ぎだったそう。ま、でも、疲れと両方ですよね。顔を隠して記念写真☆


震災以来、はじめてお会いする方も多くて、ほんとに行ってよかったです。
北茨城の明るくタフなパワーを改めて感じた一日でした。

翌日は、水戸に寄って偕楽園へ。見頃の梅を鑑賞してきました。昨年、行くつもりだったのだけど、震災で行けなかったので…。
最初、偕楽園隣の常磐神社へお参りに行くと、太郎次郎一門のお猿さん、アポロくんが営業してました。月曜なのに、すごい人出だった!


予報は晴れだったのに、どんより曇り空で、肌寒い空気。
でも梅はとても美しく咲いていました。色々な種類の梅。白〜濃いピンクまで、見事な色のバリエーション。

梅の木の間を、ずっとずっと歩いてゆきます。いい匂い!!!

きれい。お気に入りの枝を見つけて、しばし佇んでみたり…。


よく、春っぽい歌詞で「桜」に飽きたからって「梅」を使ってみようとする生徒がいるんだけど、その意義が感じられないことがほとんどだったりします。
ちゃんと梅を観たり、嗅いだり、感じたことがないのかも知れないな、と思いました。

桜はふわっと幸福そうに咲き、梅はぎゅっと上品なものが詰まったような、‘和’な咲き方をするように感じる。
なんか、秩序がある。見つめていると背筋がぴんと伸びちゃうような、美しさ。
特に、きちんといくつかの花が並んでいるような枝を見ると、なんとも言えない。
桜は‘咲き乱れる’けど、梅は決して咲き乱れない。軟質と硬質。陽と陰。

ついに、雨がぱらついて来ました。晴れてたらよかったのになあ。。

と、思いながら、好文亭へ。
好文亭は、震災の被害が大きく、2月に復旧工事を終えて公開再開されたばかり。

窓から偕楽園の梅を一望できます!三階からの眺めは最高◎

見学しているうちに、晴れてきました。帰り際になって、ぽかぽかしてきた!


そしてそしてなんと、帰りのバスに揺られている間、今度は雪が降ってきました。。この日の水戸滞在中、天気は曇り→雨→晴れ→雪、の、全部入り!!
昔、ワンマンライブの日に大嵐で、リハーサルに辿り着くまでに全身ずぶぬれ、赤信号で立って待っていられない状態で、中止かと思っていたら夕方ぱっと止み、虹が出たことがありました。ライブは決行され、お客様もキャンセルせずにみんな来てくださって、嬉しかった。
私はちょっと、変な天気に振り回される運を持っているようです。ドラマティック天気運。

水戸の梅は、今、ほぼ満開!桜もいいけど、梅をじっくり観るのもとてもいいですよ!
水戸・梅祭りは3月31日まで。
梅祭り期間中だけ、水戸駅の手前の「偕楽園駅」でスーパーひたちが停車するんですよ。新型車輛のスーパーひたち、とっても快適です☆ 上野から一時間。
とてもいい春に出逢えます。
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ちょこっと帰省してきました。

2012-03-22 16:05:39 | 地震
先日、日立のラジオの帰りに久しぶりに帰省してきました。
両親とお隣いわき市勿来(なこそ)の海の前のレストラン「ジョイ」で夕食。
ドリアやハンバーグやピラフなど、結構食べた後に、今年還暦を迎える両親、まさかのパフェ。

食欲があるって素晴らしい。頼もしい。

実家は、いまだ改装中。朝から工事の音が鳴り響いています。
お風呂も壁紙も何もかもリニューアルされているので、私の知る実家とは別物になりつつあります!
祖父母の代から増築を重ねに重ねて来た実家。今は祖父母も私たち兄弟3人も実家を出て別々に暮らしているので、色々整理されるにつれ、がらーんと空いた部屋が増えて、何かに使わないともったいないなーと思ってしまうくらい。
埃アレルギーの私は、滞在中に鼻がぐしゅぐしゅ。
せっかく大掛かりな工事をしているので、もう大きな地震、津波が来ないことを祈るばかりです。

茨城は東北に比べると補償が少なくて、みなさん大変そう。。
福島の県境を越えるか越えないかで大きな違いが…。
世界中の愛が詰まった義援金、支援金。
管理する側の都合だけでなく、愛を持って、線引きしないで、最大限活かしてほしいですね。

お隣の民宿相模屋さんで、震災後に飼い始めたチャメちゃんにも会いに行きました。かわいい。。いっぱい遊んでもらいました。

相模屋の女将、恭子さんも、震災記に寄稿されています。ネコが大大大好きなご夫妻なのですが、民宿さんなので、ずっと飼うのを我慢していたそうです。
でも、震災があって、「好きなことをしよう!」と考えが変わったそうです。震災記にも「守るべきものが増えました。」と、書かれています。
チャメちゃんは、すでにご近所やお客様のアイドル☆ 母も、窓辺に佇む姿に癒されているそう。

25日の復興祭、私も行く予定です!寄稿させていただいた「きたいばらき震災記」が販売されます。
露天風呂無料解放!特産品無料配布!など、出血大サービス、超盛りだくさんです。みなさま、この機会にぜひ、北茨城へ☆

【北茨城 復興祭】〜100年先への第一歩〜
●日時 3/25(日)9:00〜17:00
●場所 五浦観光ホテル別館大観荘

詳細は、北茨城市商工会HPをご覧下さい。
こちらのHPで、『ぼくのゆめ わたしのゆめ〜こどもたちからのメッセージ〜』(動画)もご覧頂けます。
北茨城の子供達からのとってもピュアで心に響くメッセージです。ぜひ見てみてくださいね!


〜おいしいオマケ〜
最近は、油みそにはまっています。生姜多めが好き。やっぱり味噌って素晴らしい。
作り置きして、ごはんに乗せれば何杯でも食べられちゃうし、うどんに生玉子を絡めて、これを和えて食べるのも美味しい。酒の肴にも。万能!
質素なのに、ものすごく満たされます。栄養のバランスが良いものって、そうなんだと思う。
この日の食卓は他に、新たまねぎサラダ、しめじと春菊と人参のマヨポン炒め、春菊のみそ汁など。あ、あとビールね。
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『きたいばらき震災記』第4版700冊増刷決定☆『北茨城 復興祭』開催!

2012-03-17 01:16:01 | 地震
おかげさまで、沢山の方にお求めいただき、嬉しい気持ちでいっぱいです。
ご家族や大切な周りの方々と、末永く、シェアし続けていただければ幸いです。

増刷が終了となっていた震災記ですが、編集委員である母から今日連絡があり、700冊の増刷が決定したとのこと!
北茨城復興祭で販売されるそうです。

【北茨城 復興祭】〜100年先への第一歩〜
●日時 3/25(日)9:00〜17:00
●場所 五浦観光ホテル別館大観荘

詳細は、北茨城市商工会HPをご覧下さい。
こちらのHPで、『ぼくのゆめ わたしのゆめ〜こどもたちからのメッセージ〜』(動画)もご覧頂けます。
北茨城の子供達からのとってもピュアで心に響くメッセージです。ぜひ見てみてくださいね!

復興祭は、露天風呂無料解放!特産品無料配布!など、出血大サービス、超盛りだくさんです。
ぜひ、この機会に、北茨城へ遊びに来て下さいね☆
上野から、かの有名な常磐線・スーパーひたちで2時間半くらい。
高速バスだと、ちょっと時間はかかるけど格安です。東京駅から日立駅まで高速バスでたったの2000円程度。→日立駅か高萩駅で降りてJR常磐線に乗りかえ、北茨城(雨情生家は磯原、平潟町や五浦は大津港)まで、とか。

北茨城の観光スポットについて☆ 遠方から訪れる人も多い、とても立派な美術館、県立天心記念五浦美術館。一日居ても心地よいと思います。岡倉天心は亡くなるまで五浦に住んでいたそうです。五浦=いずら(いつうら)と読みます。
そして、北茨城といえば童謡詩人の野口雨情。野口雨情生家・資料館が磯原にあります。生家には雨情のお孫さん・不二子さんがいらっしゃって、お話を伺えるかも知れませんよ。
大震災から1ヶ月〜北茨城「野口雨情生家」/野口不二子氏インタビュー
昨年4月のインタビュー。震災の時、生家も1.5mの津波が来たそうです。大切な雨情の資料をぎりぎりまで時間を使って2階に上げたとのこと。それでも水に浸かってしまった沢山の資料、何日も陰干ししたそうです。
数年前、国民文化祭が茨城で開催された時、雨情記念作詞コンテストの審査・作曲・披露コンサートを担当させて頂き、その頃不二子さんと会場で何度かお話する機会がありました。とても知的で愛に溢れる、素敵な方です。

北茨城では、各民宿で入る温泉も、格別です。私の出身地の平潟町にも沢山の素晴らしい民宿・旅館があります。
北茨城に遊びに行くことを決めたあなた!色々オススメを知りたい方は、コメントかtwitterでメッセージ下さいね。レア情報もお伝えしますよ♪
北茨城市HP
北茨城市観光協会

お隣のいわき市のスパ・リゾート・ハワイアンズ、日本有数の素晴らしい水族館であるアクアマリンフクシマと合わせて観光するのもオススメ☆ 北茨城といわき、両方観光しても、がんばれば1泊でもかなり満喫できると思います。
何でもご相談下さい(笑)。故郷を訪れてもらえるのは、本当に嬉しいので。




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3月11日

2012-03-15 07:30:00 | 地震
とても気持ちよく晴れた日曜日。
14:46、窓を開けて、庭から入る光と風を感じながら、祈りを捧げました。
冷静なつもりだったけれど、自分でもびっくりするくらい涙が溢れて来ました。
静かな住宅街を、廃品回収の車のアナウンスが通り過ぎて行きました。
一台去ったと思ったら、また一台。いつもの日曜のように。
この時間だけは車を端に寄せて、祈らないのかしら?
黙祷している人達のことを考えて、止めたりしないのかしら?
そんなことが頭を過りましたが、
あの震災があったからこそ、「誰も責めないことから始まる希望がある。」と、自分で決めたんじゃないか、と自分に言い聞かせました。
今日が仕事の人は仕事をする権利があるし、今日が誕生日の人は思い切り祝う資格がある。
私は祈りたいから祈る。

震災以来、テレビで観た様々な遺族の方の痛みや、家をなくした方、故郷に戻りたくても戻れない方の想いを、
何度も自分の胸の真ん中にぶつけてみたけれど、
とてもじゃないけど「お気持ちわかります」なんて軽々しく言えるものじゃないのだと、思い知るだけでした。
悲しみは数じゃない。痛みは規模じゃない。
命はみんなたったひとつなのだから。

震災の犠牲となった方々に、改めて哀悼の意を表します。


夜は、渋谷のアップリンクという映画館に、『立入禁止区域・双葉 〜されど我が故郷〜』を観に行って来ました。

「この映画は、3月12日に、気が付いたらカメラを持って、いわき(実家所在地)に向かったところから始まりました。その後、同級生を探し出し、当時のいきさつをやり取りするうち、「現場」を一番知らないのが双葉の人たちであることが判明しました。4月16日には「現場」に入り、そこからこのドキュメントは始まります。そして、最初に避難した双葉の人たちが“原発のその後”を知らないことに気づいたのです。科学的、医学的なことは僕には知識がありませんが、それよりも、その後の日常が最も大事と考え映像に取り組みました。」―佐藤武光監督


双葉出身の方も沢山、いらしていたようです。双葉も浪江も、あのあたりは私も馴染みのある地名。
今でも、昔一緒にバレーボールの試合をした子達や高速バスで仲良くなった双葉の子の故郷がそんなことになっているなんて、どこか信じられない気持ちです。
トークイベントでは、佐藤監督と、双葉のご自宅の線量をずっと計り続けている天野さん(決して他より高い線量が出ているワケじゃなかったりするそうです)のお話を聞くことができました。
盗難などの犯罪防止の為に立ち入り禁止とする…管理はしやすいだろうけれど、「ここまではOK。ここからはダメ。」と線引きされても住人の気持ちに線が引ける訳がない。
震災の直後、助けに入っていれば助かったかも知れない、助かったに違いない、という後悔。
もう二度と戻れないと言うのなら、せめて人のお役に立てるように…故郷への中間貯蔵施設の設置に賛成しているんです、という天野さんのお話。
茶碗などの生活用品を取りに帰ることも許されなかった、と話して涙する女性。愛着を持っていた日常の品の数々…。

誰もいない食料品店で食べ物を漁る沢山の豚。
野生化した牛たち。犬も、ネコも。彼らはどうなるの?
餌をやりに行ったり保護したりしているボランティアの方々も、断腸の思いでしょう。

線引き。
それは、管理する側だけのことを考えたやり方。
こんな大変な震災、原発事故だったからこそ、線引きはやっぱりだめだよ。そう思います。

この映画は、テレビで観る震災番組のように、観やすい映像や納得しやすいインタビューでまとめられたものではありませんでした。
もちろん、監督が体を張って撮って来た膨大な映像の中から、時間をかけて編集されたものだけれど、(映像を観るだけで一ヶ月、編集に一ヶ月…とおっしゃっていました。)
割り切れない想いを、割り切れないまま、剥き出しのまま、作品にされています。
そこを故郷とする方々の、目線です。


故郷・北茨城の母からは夜メールが来ました。
「今日は防災訓練に参加して、平潟小(両親、私の母校)に避難。
午後は東(平潟町の東地区。津波で沢山の家が流されました)の光枝さん(津波で亡くなりました)の冥福を祈って自宅跡地にお花とお線香とお水を備え、2時46分に防災無線のサイレンに合わせて黙祷してきました。
娘さん夫妻が来ていて一緒にお線香出来ました。
震災記の編集仲間も二人で来てくれました。
複雑な思いの一日でした。」
北茨城では、あちこちで防災訓練が行われたそうです。
まだまだ余震の多い地域。心配は絶えません。
そして、東京にいるわたしたちだって、全然他人事じゃないのだと、つくづく思います。


昨年の3月11日14:46は、私は大好きなACO先生のヨガのクラスに出ていて、バタフライのポーズで前屈をしていました。
ACO先生は、その後動物ボランティアとして活動されたり、最近、いわきでWSも!!心から尊敬する方です。
ACO先生のブログ
9日の金曜、先生のクラスに行きました。
「あともう一呼吸したかった」と思いながら旅立った魂の、その呼吸、その想いを引き継ぐように、呼吸して…
という言葉に、大きく頷かずにいられませんでした。
毎日、そういう気持ちを忘れずに生きようと思います。


冬の間殺風景だったうちの庭に、春がやって来ました!よく見ないとわからないような影のほうに。

種蒔きが遅れたせいか、冬に入りずっと成長が止まっていたプランターのレタスは、これからぐんぐん大きくなるのかな。
少なくとも、枯れなかったことが単純にすごいと思ってしまう。


バタフライ。。
蝶たちも、庭に訪れる季節。カラフルな訪問者。とても楽しみです。
希望を持って、沢山感謝をして、この春を過ごそうと思います。











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『きたいばらき震災記』第三版で増刷終了。『るるらら空空』売上を寄付させて頂きました。

2012-03-09 11:21:38 | 地震
きたいばらき震災記、沢山の方にご購入いただいているようで、本当に感謝です。
現在、残りわずかとなっている第三版を持って、増刷終了となるそうです。
今のところそれ以降の増刷予定はないとのことなので、ご購入希望の方はぜひ、お早めに!!
諸経費を差し引いた収益は震災復興支援として北茨城市に寄付されます。
現在販売中なのは、北茨城市大津町のヤマサン(書店)さん、大津港駅前の喫茶店茶夢さん、磯原町はまや書店さん、大津町と磯原町の三國屋(みくにや)さんだそうです。

震災記について、詳しくはこちらの記事をご覧下さい。
毎日jp
茨城新聞

周りで購入いただいた方によく言われるのが、「ゆっくり、ゆっくり読んでいます。」という言葉です。
私自身そうなのですが、一人一人の体験が重くて、ゆっくりしか読めないですね。
あの時のことを忘れないで欲しい、忘れたくない、という想い。噛み締めながらこれからも読んで行きたいと思っています。

それから、遅くなってしまいましたが、昨年3月16日にリリースした私の配信限定アルバム『るるらら空空』。
売上を全額北茨城市の支援金として寄付させて頂きましたので、ご報告させて頂きます。
引き続き、このアルバムの売上は、市が寄付金を募っている限りは北茨城市へ、その後も県や他の市町村などに震災の義援金、支援金として寄付してゆきます。
お買い上げ頂いたみなさま、本当にありがとうございました!
そして、今後もどうぞ宜しくお願い致します。
るるらら空空

間もなく、あれから一年ですね。
みなさん11日は、どのように過ごされるのでしょうか?
北茨城市では、避難訓練が行われるそうです。
私は、震災、原発関連の映画を観に行ったり、震災の時と同じ玄米とみそ汁のシンプルなごはんを食べたり、瞑想したり…自分の中で風化させないように、そんな過ごし方をするつもりです。
この日が、沢山の尊い命の命日であること、数え切れない方の人生が突然大きく変わった日であること、決して人ごとではないということ、改めて胸に刻み込みたいと思います。
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こころのケア

2012-02-09 08:00:00 | 地震
茨城の冬といえば、私の地元北茨城市では何と言っても‘あんこう鍋’ですが、こちらは超おすすめな冬の茨城名物のひとつ、干し芋!

見かけはアレですが、めちゃくちゃ美味しいです。この冬は、FMひたちのリスナーさんからも東海村の親戚からもいただいて、ほくほくです☆
スライスしていない‘丸干し’と言われる干し芋は、しっとりしていてスウィートポテトのよう!自然な甘みがたまりません。食物繊維もたっぷり、からだに優しいおやつです。(私は主食にしてるけど笑)
茨城の干し芋は本当に絶品☆ 友人にお裾分けすると、美味しくてびっくりされます。干し芋に対するイメージが変わるみたい。食べたことのない方はぜひ、試してみて下さいね!

『きたいばらき震災記』、茨城放送さんでも紹介されたようですね。そして今週中に地デジNHKでも紹介されるとか。
知って頂く機会が増えるのは、本当に嬉しいことです。引き続き、みなさまどうぞ宜しくお願いします!

TVを観ていたら、被災した東北の子供達の心のケアについて、海外の専門家の公演の様子を放送していました。一年経っても、そう簡単に傷は癒えない。やはり、子供達が話をする機会を大人が上手に作ってあげること…と言っていました。
本当にそうだなと思います。
「話す」=「出す」こと。
人生はすべて呼吸に例えられるかも知れません。吸って、吐く。吐いて、吸う。つまり、入れて、出す。出して、入れる。
おぎゃーっと吐いて生まれるワケだから、出すほうが先ですね。

7歳くらいまでに受けたショックは、脳の中枢に刻み込まれると聞いたことがあります。(本当なのか分かりませんが、本当な気がします。)
それは、無くそうと思っても無くならない。でも薄めることはできる。
その方法は、やはり「出す」こと。信頼できる人に、沢山お話すること。心のデトックスですね。
身体も心も、代謝を上げるようにして、溜め込まないことが大事。子供達にはリラックスして自然に「出せる」環境が必要ですね…。

大震災で被災した子供達に比べたら微々たるものですが、私も小さい頃のショックな出来事って、いまだに夢に出て来て苦しくなることがあります。調子が悪い時は、日中もずっとそのことが頭に浮かんで来てしまったり。
でも、積極的に話を聞いてもらうようにすると、不思議と楽になり、なーんだ、全然大丈夫だって思えます。

いっぱい、心にも呼吸させないと。
めいっぱい呼吸できるように、余計な力を抜いて、身体も心もゆるゆる緩めておかないと。

子供達の傷が癒えてゆきますように…。
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『きたいばらき震災記』ぜひ読んで下さい!

2012-02-07 19:33:06 | 地震
昨年から母も編集委員として奔走していた、故郷北茨城の震災記。おととい完成品を受け取り、少しずつ、じっくり読んでいます。

茨城新聞ニュース
「震災の記憶、風化させない」北茨城市民が記録集
東日本大震災の記憶を風化させないために-。大地震や津波、福島第1原発事故による被害を受けた北茨城市の有志5人が、市内の被災者の声や支援活動の様子をまとめた「きたいばらき震災記」(A5判、194ページ)を発行した。約半年をかけて、震災直後の状況や思いをつづった手記やインタビュー記事を収録。編集メンバーは「市内各地で何が起こり、どう乗り越えていったかを振り返り、今を頑張って生きる一助になればいい」と願う。

震災記を編集したのは、内藤洋子さん(60)と大塚淳子さん(59)、畠山その枝さん(58)、荒川慎吾さん(42)、及川仁美さん(37)の5人。震災で変わり果てた街の様子や人々の生活、復旧への動きを見聞きする一方、時間とともに記憶が薄れていく不安を実感。「震災の様子を記録すべきでは」との内藤さんの言葉をきっかけに、昨年夏、仲間たちが集まり編集委員会を立ち上げた。

地域や年齢が偏らないよう幅広く、114人の市民に原稿を依頼。漁師、商店主、教師、市職員、主婦、小中学生などから寄せられた手記や詩をまとめた。市長へのインタビューや救助・復旧に奔走した消防分団長らの座談会記事も盛り込み、震災直後の様子や恐怖、避難所で励まし合ったこと、全国から寄せられた支援やボランティアへの感謝、原発事故に対する憤りなど、一人一人の貴重な体験と思いを凝縮した1冊に仕上げた。

県内外の団体や個人による賛助会員の協力を得て、1500部を発行。1冊500円で、6日から市内で開かれる「北茨城ひな灯(あか)り」会場で販売する。
郵送での購入も可能(郵送料別途80円)。諸経費を差し引いた収益は、震災復興支援として北茨城市に寄付される。

問い合わせは、ぎゃらりーさらま・ぽTEL0293(46)0417。

読売新聞
週刊茨城朝日

手記の中には沢山の知っているお名前があって、震災時東京にいた私には、「あの人はこうだったのか!」と、今までのどんな報道よりもリアルにあの時の故郷の様子が伝わって来ました。
それぞれの震災時の状況や、その後の苦労…114人の体験や想い、考えが、読み進むうちにひとつに繋がってゆきます。
北茨城の記録というだけでなく、脚色のない本当にリアルな、体験者による『東日本大震災の貴重な記録』だと思います。市民だからこそ作ることができた記録集。
私も、離れた場所から故郷を思っていた一人として、寄稿させて頂きました。
郵送で購入できるとのこと、沢山の方に読んで頂けることを願っています!


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“茨城はらんべプロジェクト”へ賛同しています。

2011-05-04 17:25:35 | 地震
地元茨城の方々が立ち上げた、東日本大震災による茨城県の復興支援の共同プロジェクト
「茨城はらんべプロジェクト」
茨城県民も、茨城を応援してくださるみなさまも、このプロジェクトを通して心をひとつに、復興への道を歩んで行きましょう!
リストバンドの収益金全額が「茨城県災害復旧対策・復興事業義援金」として茨城県災害対策本部に寄付されます。
ぜひこちらのHPをご覧になってください。
私も賛同者として名前を載せて頂きました。
http://chiikisouzou.sakura.ne.jp/harambee/

また、北茨城市及び近隣のアマチュアミュージシャンの方々が集い、このプロジェクトのPRソングを作成されました。
茨城を元気付けるために、子どもも大人も一所懸命に歌ってくれたそうです。
地元愛がたっぷり詰まった、熱意と優しさに溢れる一曲です。
ぜひ聴いてみてくださいね。
http://www.youtube.com/watch?v=OlGqhUnB-uw

賛同いただける方、ご参加をどうぞ宜しくお願い致します。
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震災後初の帰省

2011-04-29 14:19:51 | 地震
4/17〜4日間ほど北茨城の実家に帰省してきました。
なかなか書けなくて、だいぶ時間が経ってしまいました。待っていてくれた方がもしいらっしゃったらごめんなさい!

17日の昼に高速バス(いわき号)で勿来(なこそ)まで行って、両親と車で小名浜(おなはま)の知り合いの所を回って来ました。
うちはいわき市まで徒歩数分の所で、家族での買い物や外食の定番は昔から小名浜でした。私は生まれた病院がいわきだったし、幼稚園もピアノの先生もいわき。
震災直後、小名浜の方が撮った港と街の映像をネットで見た時は、涙が止まらなかった。親戚、友達や行きつけのお店の人たち、みんなの無事を祈りました。

いわきは茨城に比べてまだ道路が不安定だったので、気を付けて走りながら、海沿いの壊滅的な地区も通りました。
その頃また近いうち大きな地震や津波が来るという不確かな噂が広まっていて、みんな「ただ騒ぐだけじゃなくて、何日の何時に来るのかちゃんと教えてほしいよね!」と、冗談気味に、でもやっぱり不安そうに話していました。
母は久しぶりに会う人たちと、やや強い風の中、立ち話に花が咲いていました。

小名浜港のすぐそばに食堂を開いている両親のお友達の女性は、従業員の方と片付け中でした。津波被害で大変な状況だけど、明るく元気な声。とてもおしゃれな方なので、大きなピアスに赤い口紅、で、エプロン&長靴で泥の掃除。その頼もしい姿に私は勇気をもらってしまいました。
業務用冷蔵庫も泥が入っちゃって、修理してもだめよね〜?と電気屋の父に聞きます。店のシャッターは壊れて開け閉めできない状態。シャッターの専門業者に切ってもらうしかないとのこと。
「あっちのトンネルまで水(津波)がきたのよ。」と言われて食堂の先のトンネルを見るけど、本当にこんな所まで?!とどうしても信じがたい。もちろんTVやネットで映像は沢山見ていたけど、実際その場に立って、波がここを越えて行ったのか、と想像すると言葉がありませんでした。

住宅地にある、小さい頃から大好きだったレストラン『グラフィティ』さんの前も通りました。3月末で閉店と聞いていたので、必ず最後に食べに行くつもりだったのだけど、この状況だからどうにもならなくて、ほんとに残念だった。。お店の看板が外されて、「40年間ありがとうございました」との手書きの張り紙がしてありました。
「絶対日本一のカレーだから!」と東京からも沢山のお友達を連れて行って、みんな感動していました。グラフィティのカレーはいつまでも私の中でNO.1です。今まで本当にお世話になりました。
でも、ほんとのことを言うと、もう一回だけでいいから味わいたいなあ。最後に、想い出も含めて噛み締めたいのです。


両親と三人で、勿来の海の真ん前のレストラン・ジョイで食事しました。いわきの老舗デートスポット。日曜だったのもあって、とても賑わっていました。
窓から勿来の海が一望できます。

4月に入って営業再開できたと思った矢先に、11日、12日の大きな余震で再び断水。やっとまた再開できた所とのことでした。
震災の日もお店で働いていたというウェイトレスさんに話を聞いたところ、地震の後すぐにみんなで勿来の関(高台)に避難したそうです。一階は駐車場で、そこは津波が通ったけれど、2階のお店は無事だったのですね。

福島や茨城は南からの波が大きかったそうです。
海がどちら向きかによっても、津波の被害にかなり差があったのですね。

実家は勿来から県境を越えてすぐ。
母と平潟町内を歩きました。
実家のまわりと、すぐ裏の本町地区。特に本町は4/11、12の震度6の余震で大きな被害を受けました。
震源がこの辺だったので、沢山の家が被害を受け、住めなくなった家は順次取り壊されるそうです。

国道と平潟港を結んでいる本町の通りに、車通りが多くてびっくりしました。
地元の人は、みんな一目見ればどこの誰の車かだいたいわかるのですが、「最近はよそから来た車が多い」と言っていました。
週末は特に多いとのこと。家族や親戚を尋ねて来る人もいらっしゃると思いますが、どうやら観光のように被災地を見に来る方が多いようでした。理由があって来ている方や、自分の目で被災地を見ることでこれから何ができるか考えたいという方もいるでしょうから、一概に悪いとは言いたくないのですが、渋滞や治安への不安などもあり、特に用事のない知らない車が増えるのはちょっとみんな迷惑に感じているようです。このGWなどに被災地を“見に”だけ行こうとしている方は、どうぞご一考ください。


平潟港。ここに瓦礫が集められました。
北茨城市ではまだ電気が復旧する前の早い段階でゴミの収集が始められ、とてもありがたかったそうです。いわきではなかなか回収がされず、北茨城に持ち込む人も多かったようです。私が行ったときもいわき市内の道ばたにはまだ沢山の瓦礫が積み上げられていました。

平潟港の前の狭い道を歩き、津波被害が大きかった東地区へ。
軒並み一階部分が壊された家々と瓦礫、流されてしまった親戚の家の跡。
こんな言い方をするとおかしいかも知れないけど、映画のセットの中でも歩いているようで、実感がないままでした。
車の中で亡くなった食堂のおじちゃん、脚が悪くて逃げ切れなかった遠い親戚のおばあさん、犠牲になった方々に手を合わせました。

ご冥福を心からお祈りします。


そして、母の実家がある仲東地区。両親は幼なじみで、母の実家も歩いてすぐなんです。
取り壊しが決まった家の裏に、昨年亡くなった祖母が大好きだったボケの花がとても綺麗に咲いていました。
特に白っぽい色のボケは珍しいそうで、祖母のお気に入りでした。
ここに母が家庭菜園で色々な野菜を作っていて、大きなホウレンソウが青青となっていましたが、ご存知の通り北茨城では出荷停止中で食べられません。とても残念。



この日FMひたちの生放送だったので、両親は私を日立へ送りながら、東海村の親戚の所へ届け物。
いわき〜日立、どこを通っても満開の桜!あまりに咲き乱れていたので、今年はもう車の中からの花見で十分だね、と話しました。


実家ではいつも私は3階の部屋に寝るのだけど、今回は余震を警戒して2階の両親の寝室の隣のリビングで寝ました。
夜中に何度も余震がありました。東京の余震よりずっと怖い感覚の揺れ。地鳴りがしてがたがたっと来たり、直下型で突然突き上げられる感じだったり。
震度3では全く起きてこない両親が、震度4だとぱっと起きて来てTVで情報を確認していました。これを慣れというのでしょうね。
みんなずっとこんな不安な夜を過ごしていたのかと思うと、身体も心の面も心配になりました。


実家は倒壊はしていないものの、ひびが入ったり崩れたりした壁など、修理しなければならない所がいっぱい。
屋根のてっぺんの“ぐし”の部分も、瓦も落ちて来ています。
また、隣の家が崩れて実家に寄りかかってきていて、かなり危険な状態。父がたまたまそこに塗装用に足場を組んでいたため、その足場がなんとかストッパーになっています。その家が取り壊されるのを待っている状態です。


実家3階にあるグランドピアノ。もうすぐお別れなので、寂しいです。
私の音楽の基盤を作ってくれた、とても弾きやすくて気持ちよい響き。

自分が残していた物の片付けだけでもまだまだ終わらなかったので、また近いうち帰って片付けるつもりです。


毎年平潟港の“主水祭(もんどまつり)”に出演させて頂いていますが、地元の同級生や近所の方に会えたり、活気溢れる港で過ごすひと時は格別。
夕暮れの港でのライブはとても気持ちが良くて、毎年楽しみにしています。
また必ず開催されると信じています。
その時また呼んで頂けるように、わたしもコツコツとやれることからやっていこうと思います。
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地震12 大きな余震が続いた北茨城市

2011-04-15 00:50:34 | 地震
北茨城の母と今日電話で話しました。
北茨城市は、4月11日震度6、12日震度6、13日震度5、14日震度4が2回。
ここのところ震源が北茨城に集中していて、さすがに「もう、逃げ出したいくらいよ。」と苦笑い。
みんながんばってるところに余震の追い打ち。
さすがにがっかりしちゃうよね。
市役所勤務の友人も、大きなお腹を抱えて大変な日々を送っている。
社会的責任と子供を守りたい気持ちの狭間。。
原発も、変わらず心配。
漁業は、どうなってゆくのか。
11日に採取したコウナゴからも、暫定基準値を超える放射性ヨウ素が検出された。
さらにほかの魚介類への風評被害。。
平潟は港町だから、沢山の旅館や民宿さんが地元の新鮮な魚介類を食事に出すのが売りなので、そちらも影響を受けることになる。
温泉はまだ提供できず、水道水を沸かしてお風呂に使えるようにしてある民宿は営業できているとのこと。
大きい民宿は、東電の下請け会社の従業員の方やいわき方面で活動している方々などが泊まっていて、福島の広野町とかいわきとかまで会社のバスで毎日移動して働いているそうだ。いわき以北は道が悪いので、朝5時半に宿を出て、夜は11時くらいに戻る場合もある。食事を用意するおかみさん達も、寝られなくて大変ですね。
小さい民宿だと会社ごとには人数が入り切らないからお客さんが少なくて、それもまた大変。
これがいったいいつまで続くのか。。


母によると、11日より12日の余震の方が突然な感じで怖かったそうです。
ここのところ震源がいわきとか北茨城になっているから、急に「ドン」って来る。
11日は雷雨だったので、とても気味が悪かったそう。津波の心配があったので、両親は高台の小学校に一時避難していた。

この余震で、近所ではまたガラスが割れたり、家が傾いたりひびが入ってしまったり、道が陥没したり、地盤が悪い家などはあと一回大きな余震がきたらもう住めないかな、という所も。平潟は特に本町地区の被害が大きかったそう。実家のすぐ裏の地区です。
実家はまた瓦が落ちたり壁が崩れたり家具が倒れたりグラスが割れたり。埃っぽいのも辛い。でも片付けても片付けても、余震が止まってくれないとね。
屋根を早く直したいところだけど、3階建てで屋根が高いので足場を組まなくてはならず、また余震で崩れることを考えると応急処置の為に足場を組むのはもったいないので、どうせならスレートかなんかにするかな、とのこと。屋根のぐし(棟(むね)、屋根の一番高いところ)もだいぶ落ちて来てしまったそうです。
今後の余震がまた、本当に怖い。

17日には上野から高萩(北茨城の南の市)まで特急が走る予定。
GWにはどこかに息抜きに行こうかなと思ったんだけど、状況は変わらないだろうからねーと言うので、いつでも「もう限界!」って思ったら休憩しちゃいなよ、と答えた。
17日はFMひたちの生放送でまた日立に行くので、その前後でやっと私も平潟へ行けそう。
行ったらまたここで色々ご報告します。




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4月3日FMひたち 震災後はじめての生放送してきました!

2011-04-04 17:30:50 | 地震
震災後はじめての地元茨城入りで、なんだかどきどきして前日あまり眠れなかった。
今は電車が動いてないので、高速バスで東京から日立駅へ。
天気が良く、犬の散歩してる人や混み合うレストランなどを車窓から眺めながら。
マスクしてた人は半分くらいかな。花粉対策か原発対策かはわからない。
普通の日曜日の風景。
それさえも、東京にずっといた私にとっては実際行ってみるまで「どうなんだろ??」という感じで、
実際いろんなことって自分が行ってみないとわからないよね、と改めて思った。
今週実家まで行こうと思ってるけど、そしたらもっとそう思うんだろう。
目で耳で匂いで肌で、実際の波動を感じるっていうのは、頭でわかるのとは全然違う。

きっと「わかる」っていうことはいつでも、「そこに自分の身を置く」ってことなんだ。

さて、日立駅。閉まってるのは知っていたけど、実際見るとなんとも言えない不思議な感じがする。
常磐線は4/9(→7日に変更されました!)に高萩まで復旧予定。早い!ものすごく早いと思う!!びっくりです。すごいなあ。
高萩〜いわきは4月下旬予定。(→11日に変更!すっげえ!)
いわき〜亘理は津波や原発の影響で被害の調査が出来ない状況。


張り紙の間から駅を覗くと、工事中。もともと駅周辺の整備事業がすすんでいた。

閉まっている駅の向かって右側に、新しい自由通路や橋上の駅舎が見える。


駅前のコンビニはペットボトル類がほぼなかったのだけど、駅から離れたコンビニには沢山ありました。
ここ数日でミネラルウォーターが入るようになったとのこと。牛乳なども、普通にあった。


さくら祭りが中止。とても残念。。


駅前の広場。映画『ヘヴンズストーリー』にも登場してましたね。クリスマスのシーンで。


シビックセンターは休館中。


亀裂などで危険な所はこのように、入れなくなってます。


駅前のイトーヨーカドー日立店。営業しているフロアは賑わっていました。


ヨーカドー2階のFMひたちサテライトスタジオ。私はいつもここで放送してますが、今は整備中の為、本社に場所を移して放送。


サテライト前のドーナツ屋さん。開いてました。とっても素朴で美味しいの。


商店街をずっと歩いてみました。
洋品店や花屋さんが特に沢山、元気に営業されてるのが目につきました。
ある洋品店のショーウインドーに、真っ赤なシャツが3つ並んでいたのが印象的だった。
元気だそう!って感じで。
美容院の窓にも、「がんばろう日立」の文字が。

ぎんざもーる商店街の「よって家fm」に立寄り、日立名物の「べータマあさひカレー」と「しらすビーフカレー」、手作りカップケーキなどをゲット。


店のおねえさんとおしゃべりして、FMひたち本社へ。久しぶりにパーソナリティのジェームズさんに会った!
そしてディレクターOさんに、日立市内の震災後の写真を見せてもらいました。久慈浜、河原子など海沿いはやはり大きな被害。。
Oさんご自宅でほぼ壊滅状態の楽器、PCの写真も。。あまり保険もおりないようで、気の毒でなりません。。

東京で感じる余震は“グラグラ”だけど、茨城はまず地鳴りがゴゴゴーってくるそうです。
「東京のは普通にグラグラって感じなんだよ」と言ったら、へー!ってびっくりされました。
放送の直前にもちょっと大きい余震がありましたが、夜中だったら、余計に怖いよねえ。


いつもより短い、一時間の特別番組。
今回の選曲です♪
●「Listen」TSUNTA÷川上真樹
※新潟出身のお二人が、中越大震災、中越沖地震の義援金として売上の一部を寄付したアルバム『Listen』より。
お二人は今回茨城のこともとても気にかけてくれて、励ましてくれています。

●「見上げてごらん夜の星を」Jake Shimabukuro
※Jakeさんからのメッセージ。
http://www.jklub.jp/news/index.php?FORM[nid]=971e4e8d926e3bc35fd93e77b89f3fa3&FORM[view_oft]=0&FORM[attribute]=1
そしてホノルルでのチャリティライブの模様。
http://www.jklub.jp/news/index.php?FORM[nid]=60339a9a9b480aaf94a6ded6f0dd550c&FORM[view_oft]=0&FORM[attribute]=1

●「星が咲いたよ」畠山美由紀
※気仙沼出身の美由紀さん。ご家族の無事が確認できるまで、約一週間でしたね。。
美由紀さんが故郷へ向けたポエムも、朗読させて頂きました。
http://miyukihatakeyama.jugem.jp/

●「True Colors」Cyndi Lauper
※日本への飛行中に震災が起き、7時間遅れで横田基地に緊急着陸。日本ツアー決行。日の丸を纏って熱唱。募金活動やライブの生中継を行い、
「こんなときに日本に来ることができて、私の人生の中でも名誉なことでした。ありがとう。」と湯川れいこさんへのメールに書かれていたという。
今までのシンディの在り方の延長線上に、今回のシンディの勇姿があった。ファンなら誰しも納得の彼女の行動。
http://www.youtube.com/watch?v=lY3eUCsRBSI
この曲は、私が中学生の時とても励まされた曲。ずっと大好きな曲。
もっともっと大切な曲になった。

●「東京」「見えない返事」大塚利恵
春と言えば、桜と言えば、私の曲の中ではやっぱり東京だからね。
そして、 「見えない返事」はものすごくピュアな気持ちで、15歳の私が書いた曲。
などなどでした。

今回の震災で、自分にこんなに郷土愛があったのか!と気付いたという方が多いみたいだけど、
本当に故郷って、自分を育んでくれた、自分の一部なんだよね。
切っても切り離せないもの。
自分そのもの。


次回の放送はサテライトでできるかなあ。
FMひたちスタッフも、本当に身を粉にしてがんばっていらっしゃいます。少ない人数で、、、。
一時は山の上の中継地点まで30分も徒歩で登って、放送していたそうです。
すごい。すごいとしか言えない。
どれだけ地元のみなさん勇気づけられたことでしょう。
ありがとう。
私が言うのも変かもしれないけど。

日立のリスナーのみなさん、聞いてくださってありがとう!また再来週、お耳にかかりましょう!


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寄付ヨガ @kifuyoga

2011-03-24 23:27:55 | 地震
先ほど、東京・湯島から福島県いわき市へ、沢山の物資と愛を載せたトラックが出発。
微力ながら、物資集めなどをお手伝いして来ました。
大好きなヨガの先生のひとり、masa先生たちが立ち上げた、愛に溢れたプロジェクト。
確実に必要な所に届いています。

http://purna-flow.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/323-b3db.html

ヨガで繋がった沢山の方が、物資を運び、仕分けし、積み込みして、、、


みんなからのメッセージも。
県境で生まれ育った私にとって、いわきはもうひとつの故郷。みなさんのいわきを想う気持ちがとても嬉しい。
そして、少しでもいわきの力になれたなら嬉しい。本当にありがとう。どうかいわきのみなさんが勇気付けられますように。


トラックが無事に到着するよう祈っています☆
どうぞお気を付けて!
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地震11 今、被災地にいない私たちにできる小さな事

2011-03-22 10:54:53 | 地震
こういうときだからこそ、普段のその人の在り方が極端に出るよね、って周りの人とよく話しています。
その人の本質がはっきり見えちゃう感じ。

普段から自分のことしか考えられない人はやはりそういう行動に出ちゃう。
普段から繋がろうとしてる人はもっと繋がろうとしてる。
普段から気持ちが突っ走りがちな人はもっとそうなってる。
普段からすぐ他人を責める人はすぐ強く責める口調になる。
普段から情報に振り回されてる人はもっと振り回されてる。
普段から音楽に癒されてる人はもっと音楽に癒されてる。
普段から笑顔の人はやっぱり笑顔の力を感じてる。

仮面をかぶってた人も、仮面がはがれちゃう。
いい人ぶってた人は、ついぼろが出ちゃうかも。
照れて愛情を表現してなかったクールな人も、
愛する人に「愛してる」と言って抱き締めるかもしれない。
私は、うちのお母さんから「あなた達(3人の姉弟)はお父さんお母さんの誇りです」
なんて言葉が聞ける日が来るとは思っていなかった(笑)


いろんな自分の本質に「はっ」と気付いて、
‘普段の日常’ってのはこういうときの為の練習でもあるんだなあ、と、自分でも色々反省したりもして。

すごい、学びの時。

買い占めしてる人を見たとき、
「最低!自分のことしか考えないで!」って捉えるのか、それとも
「きっとものすごく不安なんだろうな」あるいは
「被災地に送ってくれるのかも」とその人を信じるのか。
実際どうなのかはもちろんわからないけど、
周りの人の捉え方でその人の今後が変わることもあると思う。

決して誰も責めないことから始まる希望もある。
理想論かも知れないけど、わたしはそう思っています。

トイレによく「いつもきれいに使って頂きありがとうございます」って書いてあるけど、
「買いだめしないで頂いてありがとうございます」って貼るのはどうかな。


さて、被災地の方はもちろん、東京にいる私たちの中にも心身のバランスを崩す人がこれから沢山出てくるでしょう。
できることから、やっていきたいと思っています。
我が家では、昨夜こんなプチイベントを開催しました。急だったにもかかわらず、2人の一人暮らしの友人が来てくれました。

☆第一回リフレッシュごはん会☆
大変な時だからこそ、集まって、ごはんを食べながらお話しませんか?疲れを溜めないためのヨガとセルフケアもご一緒に。

●teateセラピーの簡単なセルフケアをお伝えします。ご自分のケアとともに、周りの方や被災地のお知り合いにもぜひ広めて頂きたい内容です。
●オススメのヨガのポーズをいくつか。
●ごはん:私はトマトパスタを作ります。もし何か1品お持ち頂ければ嬉しいですが、お仕事など忙しい方は手ぶらで結構です。
◎人数:4〜5人くらいまで
◎参加費:無料

スペースに限りある我が家ですが、一人暮らしの女性や不安、ストレスを抱えているお友達など、よかったらお誘いください。
継続的にやっていこうと思っています。

こんなメールで何人かの友人たちに呼びかけました。
次回参加したいと言ってくれた人もいました。

今、傷付いていない人なんて何処にもいないと思う。
みんなで集まって話すことでセラピーになるし、節電にもなる。
セルフケアやヨガのポーズを周りの人にも伝えてもらうことで、自分をいたわる気持ちが広がってゆけば、と思っています。

これは昨日来てくれた友人、ぐうさん作のサンドイッチ。日の丸も手作り!元気もらった◎


もし都内近郊で参加したい私の知り合いの方がいらっしゃったら、ぜひ連絡ください。
希望日時なども融通きくので言って下さいね。
自宅なので直接の知り合いに限定させてもらってますが、ごめんなさい。

ブログでも近々わかりやすくまとめたセルフケアなどをお伝えしていこうと思っています。

被災地にいない私たちが元気を保つことも、復興への大事な一歩、と思います。
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地震10; 18日 北茨城市へ物資を運びました。

2011-03-21 03:37:32 | 地震
16日深夜 ネットと地元からの様々な情報を検討。
とにかくすぐに北茨城へ物資を届けることを決めました。
それが正しかったかそうじゃなかったかは、わからない。
でも感触としては、大正解だった。

私は運転ができないし、色々な方に協力をお願いして連絡を取る係が必要だったので、都内の自宅で司令塔。
実際行ってくれたのは、2つ年下の妹(すでに東海村の親戚のところまでは物資を運んでいましたが、ガソリンの都合で北までは行けていませんでした)と、私のパートナー。彼は茨城に何度か行ったことがあり茨城をとても心配していたし、阪神大震災の時震源地で被災しており、とても親身になってくれています。

まず、某筋にお願いして、寄付金を集めました。
彼の地元のお友達も寄付を集めてくれて、合計55万円!

都内はすでに物資とガソリンが不足していたので、思い切って名古屋に行くことにしました。
名古屋まで行けば、もろもろなんとかなることが分かったからです。
名古屋で物資調達に協力してくれることになったのは、有名DJ、Nさん。
忙しい中、自ら一緒に動いてくれると言ってくれました。

次に、車の問題。
なるべく大きくて、普通免許で運転できる車を借りなければならない。
都内レンタカーに問い合わせたところ、地震の影響で貸してもらえませんでした。
名古屋の駅前のレンタカーで、1台しか残っていなかった1tのバンをなんとか予約。しかし今は乗り捨ては不可(ガソリンの問題でしょうか)ということで、名古屋まで戻さなくてはならないことにはなりました。でもまあ、仕方ない。

17日昼頃、寄付金を手に彼が新幹線で名古屋へ到着。
すぐにレンタカーを借り、協力者と合流。
大型店などを周り、物資を調達。
すでに名古屋でも、「1種類3つまで」など制限があるなか、また、買い占めか?と白い目で見られる事もある中、事情を説明しながら、がんばって集めてくれました。
大型店にないものがコンビニの方があったり、なんてこともあったようです。
名古屋の市場の方々が、家から物資を持って来て下さったり。
高速のSAの職員の方々も色々協力して下さいました。賞味期限の長いパンなどもSAでゲット。


その間東京の自宅の私は、「ガソリン携行缶」(ガソリンを持ち運ぶための、法律で決められた入れ物)を手配。
もともと需要が少ないうえにこの事態で、名古屋の店に電話で問い合わせてもどこも売り切れ。
名古屋の人脈を使って、沢山の方の協力でやっと、5リットル缶を2つ確保できました。
これでなんとか大丈夫。

同時に、炊飯器フル稼動で大量のおにぎり作り。
北茨城から母が先日送ってくれたばかりの沢山のお米で。。
お友達が手伝ってくれました。近所の友人は、自宅に帰ってごはん炊いて、作って来てくれたりもして。
何百個かのおにぎりができました。
固いごはんが食べられないお年寄りの為に、もち米でゆるい醤油おにぎりも用意しました。
また、家にある食料、服、クッション、湯たんぽ、マスク、薬、マッサージ用にまとめ買いしてあった使い捨てパンツとスリッパ、、etcをかき集め、
友人たちもタオルやレトルト食品、パンなど、沢山の物資を持って来てくれました。
それらを種類別に袋に詰め、「女性用上着」「やわらかいおにぎり」など、マジックで1袋ずつ書きました。
車のフロントに貼る、これも用意しました。物資運搬車両として行ったので。


詳しい道路の様子、写真などは妹がブログに載せてくれています。
http://ameblo.jp/amiotk/


《名古屋で買い出しした主な物資》
※ツイッターなどで情報を収集。見つからなかったもの、時間的に買えなかったものもありました(★印)。


粉ミルク、離乳食など赤ちゃん系食べ物
食べ物(パン、米、チョコレートや飴などのお菓子類、カップ麺等)
生理用品(特にナプキン。ケガの手当にも使えるということで。夜用の大きめサイズ中心に)
下着などの着替え(ユニクロで10万円分)
トイレットペーパー
ティッシュ
おむつ(大人・赤ちゃん)
おしりふき(赤ちゃん)
消毒液(手ぴかジェル系)
★水のいらないシャンプー
医薬品(頭痛薬、風邪薬等)
★乾電池(特に単一、二)→これは売ってなかったので、自宅にあったものだけ
★ビニール袋
サランラップ
ホッカイロ
★ガスコンロ
フェイスタオル
マスク
★雨合羽
ウエットティッシュ
からだをふく汗ふきシート
★懐中電灯(単三で動くLED)
★携帯充電器

17日深夜 名古屋からの車が都内の自宅へ到着。
車の中は、ガソリン節約の為暖房を付けなかったので、温かい格好で。
膝掛け、軍手も用意しました。
ちょっと寒いくらいが眠くならなくてよかったようです。
一応、栄養ドリンクも用意。
それと、車で充電できる充電器は、名古屋で買ったものがなぜか使えなかったらしく、ちょっと苦労しました。
いったん東京の自宅で充電。
その間におにぎりなど、東京で集めた物資を積み込み。

ブルーシートで荷物を覆い、ひとまず車は埼玉県三郷市の妹宅へ。
そこで一休み。特に水戸以北は道が危ないため、明るくなるのを待ちました。

18日朝 妹が集めた物資も積み込み、三郷で給油して出発。

北茨城市平潟町の実家へ直行。
地元のネットワークで、各避難所のリーダーさんたちや消防団の方、避難所になっている学校の先生たちが集まってくれて、ボランティアさんにより仕分けされた物資を、必要な所へ必要なだけ持って行ってくれました。
足りていたものは、持って帰って来てくれたそうです。
やはりその区のリーダーに託すのが一番、必要な人に届くとのこと。
両親も、近所の一人暮らしの方などに配って歩いてくれました。
手に渡った物資を、お隣さんたちに分配してくれた方もいました。

特に喜ばれたと聞いたのは、赤ちゃんのおむつやミルク、おにぎり、パン、風邪薬など。
赤ちゃんのものやティッシュは、不足しているようでした。
花粉症の季節でもありますし、地震で山の花粉が一気に飛んだ、という話も。
瓦礫のほこりが舞っているから、埃アレルギーの人も辛いでしょうね。

そのときは母が電話で、高萩、中郷、大津小避難所などで食べ物が不足と言っていた。今はどうなんでしょうか。
大津小は昨日の生中継で炊き出しをがんばっている様子が映っていましたね。
平潟港などでも配給が行われ、広報車がお知らせに来る。
役所や避難所には物資が届いていて、スーパーも並べば多少買える。
物資は比較的良い状態。
刻々と状況が変わるので、行かれる予定の方は最新の情報をチェックするほうが良いと思います。

友人と私が握りまくったおにぎりは、各避難所や北茨城市役所職員の方々に届けられたそう。避難所でもある役所では炊出しが行われているので、ごはんを手に入れにくい立場の職員の方々へ。なるほど。。役所の皆さん激務でしょうけど、少しでも元気になってもらえたなら嬉しい。

17時頃、平潟町内の親類親子(翌日群馬へ。しばらくそこに避難)と実家にいた猫(神奈川の友人宅へ預かってもらう事に)を載せ、車は夜、我が家へ到着。
彼の友人が名古屋まで運転してくれることになり、うちで合流して深夜、名古屋へ。

ざっと、こんな流れでした。
どなたかの参考になれば嬉しいです。


今回の被災地はかなり広範囲で、確実な情報が得にくいです。私と同様地元が被災地で、今他の落ち着いた地域にいる方、そして現地の家族などと連絡が取れる方。ローカルな情報を吸い上げてそれを賢明に使えば、素人でもかなりのことができると思います。現地に居る人と直接繋がっているのが何よりの強みです。
田舎の人たちは横の繋がりが凄いから、うちの地元に関して言えば感動するくらい連携が取れてる◎ どうやったら必要な物資が必要な人に届けられるのか、皆協力してやってくれてる。まとめ役がいない地区にはボランティアの方が。それをまとめるリーダーがちゃんといる。

本当はお隣の高萩、日立も帰りに寄りたかったけど、ガソリンと時間の都合で断念。期待させちゃってたとしたらごめんなさい。
でも、北茨城でも東海村でも、物資に余裕がでたらより大変な所へ流したい、と言ってくれてるし、それに実際こうやって動いたり声をあげていくことで、大分状況が良くなって来ているとは思う。

心配なのはとにかく原発。
原発で今後何か非常事態があった場合を考えて、なるべく避難できる人は避難しておくように、当然最初から色々考えました。
しかし、避難勧告が出ていない現状で移動してと言っても、すぐに移動できる人は少ない。
心理的、社会的なその理由もすごくわかる。
だから、まずは家族親類でよく話し合いをしました。
人数も多いしいろんな考えの人がいて大変だったけど、とりあえず納得いく形で合意。
みんな非常事態のときぱっと逃げられるよう、準備だけはしてもらっています。両親も。
もちろんそれでも心配だけど、外の人が「今すぐ逃げて」と言っても、特に今一生懸命復興活動している人たちは、ほぼ無理だと思います。
お年寄りなどは、移動する方が体力も気持ち的にも危険な場合も。
そのへんの話はまた改めて書きたいと思います。

ところで、ツイッターで『「がんばっぺー」はすでに‘一緒にがんばろう’というニュアンスが入っている。いい言葉だなあ。そう思わないげ?』とつぶやいたら、県内外の方から沢山の反響があってびっくりした。
みんな求めていた合い言葉だった。
そうそう、いっしょにがんばっぺー!










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地震9

2011-03-21 01:35:50 | 地震
なかなかブログ書けなくてごめんなさい。
地震以来、いっぱいいっぱいな一週間だったので、ちょっとリセットしてました。
昨夜はセラピストの友人りーさんにたっぷり施術してもらいました☆
私は未だかつてない、すさまじい状態の体だったみたい!自覚もあったけど。

「今、左足が自分を取り戻した!」「今、卵巣の緊張がとけた!」そんな実感がありまくりで、
最終的に、頭を施術してもらってるうち爆睡。
「生き返る」ってこういうことを言うのか、と思った。
東京の私でこうですから、被災地のみなさんの体と心の状態を思うと。。。
ここのところラジオやTVで、体を動かすような呼びかけをよく耳にするので、少しほっとしていますが。

東京にいると、沢山の情報が入り、自分に何ができるだろう、どうにかしたい、と自分に問い続け、頭ばかり使ってしまう。
もどかしくて、心も痛い。もちろん東京も余震があるし、不安が拭えない。
早く自覚してこまめにケアしておくことで、長期戦になる復興活動の中で、きっといいタイミングで力を発揮できると思います。
「これも間接的な支援。」と言って施術してくれたりーさん、ありがとう!がんばります。
まず元気になれる人がなること、大事。その元気で隣人を助けられるから。

彼女の施術を受けたい方はこちらをご覧下さい。他の施術者のみなさんもとっても素晴らしいです。
辛い方はぜひ、相談してみてください。今の体と心の状態に合わせて、施術してくれると思います。
◎代々木のサロン http://www.re-treat.jp/
◎吉祥寺のサロン http://www.yutory.jp/


さて、これは茨城空港の近くに住んでいる同い年の従姉妹から、18日夜にもらったメール。
「心配ありがとう。パソコンのアドレスだったためひらいてなくて。
T家は瓦がバラバラ、家の中がバラバラですが、生きてます。
あたしんちは、新築三ヶ月で雷で家電がかなりやられ、一年で地震でひびだらけ。
でもうちは水も電気も回復したよ。実家(ひたちなか市勝田)と兄(大洗)のとこは、水がまだまだダメかな。
ガソリンが手に入らず皆うごけません。お風呂に入れてあげたくてもガソリンないから皆これません。
スーパーも取引先の皆さんもガソリンないから品がはいってきません。
しかもいろんな道がボロボロ、余震は頻繁。
でも宮城よりはまし。東海原発も助かったからまし。頑張るよ。」

茨城各地色んなところがまだまだ大変。
こないだ東海村役場の同級生と電話で話したのですが、東海村はJCOの臨界事故の時の教訓で、結構備蓄の食料があったらしく、どうにかなっているとのこと。
しかし、何とかなってると言っても普段の生活に比べれば全く大変な訳で(トイレ、掘ったりしたそうです)
みんな普段よりなにか不便であれば「たいへん」と言う訳ですから、どの地域がどのくらい大変なのか、きちんと把握する必要がありますね。
東海の物資が落ち着いたら、もっと大変な北へ北へと流したい、と言ってくれました。
東海村では福島からの避難の受け入れもしているそう。
また、ボランティアさん達が高齢者のお宅の片付けを手伝っている、ということも聞きました。

臨界事故の時も役所で働いていた彼女の話だと、原発の問題に関しては、今のところ
「それぞれが納得できる所に行ってもらうしかない」。
私もそう思います。
東京からも遠くへ避難している人もいれば、原発のもっと近くにいてマスクもしてないで平気って言ってる人も居る。
納得する場所にいれば、少なくともストレスは少ない。
子供がいる東京の友人からも相談されたけど、本当に今はわからない状態だから、それぞれが答えを出すしかない。
一方福島では、逃げたくてもガソリンがなくて屋内退避している人も多いと聞きます。
彼らが早く移動できることを切に願います。

今日、ロンブー淳さんが北茨城まで電池、ホッカイロなどの物資を届けてくれて、Webで生中継してました。
これで茨城北部の現状がかなりの人に伝わったと思う。ありがたいです。
そして地元のみなさんの嬉しそうな笑顔。。有名人にしかできないことだから、素晴らしいと思う。
http://twitcasting.tv/atsushilonboo/movie/1236881
生中継の中で、いわき市から一週間ぶりに北茨城へ戻って来たという方が「いわきの物資(いわき市平あたりと言ってました)足りてない、いわきもお願いします」と言っていました。北茨城市の北が福島県いわき市です。物資自体は集まって来ているとも聞きますが、ガソリンがないのでなかなか行き渡らないのでしょうか。
この辺は、地震、津波、原発、風評被害、、。ご存知の通り、難しい地域。
いわきでは北部が原発の避難区域。市外へ避難している方も多く、小名浜の団地では廃墟のように誰もいないところもあると聞きました。
また、いわき市では安定ヨウ素剤が配布されています。(ただし、万が一高い濃度の放射能物質にさらされた場合に備えたもので、「市から指示があった時以外は絶対に服用しない」など適切な対応を呼びかけています。)
一方すぐ南の北茨城市では配られていないようです。避難している人ももちろんいますが、少数でしょう。
いずれにしても、不安な中みんな復興活動をがんばっている。
原発が何よりも心配。早く収束して欲しい。

そして、とにもかくにもガソリン!
水戸以北では3時間待ってほんのちょっとしか入れられないらしい。
もともと車がないと動きにくい地域だし、地震の被害で電車も走っていない。
早くなんとかなって欲しいが、ガソリン安定まであと一週間という風にも聞くし、もっとかも知れない。
とにかく早く。。強く願っています。

みんなでいっしょにがんばっぺー!

※ご連絡;コメント頂いたなおこさん、コメント公開させて頂いても大丈夫ですか?



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