リーメンシュナイダーを歩く 

中世ドイツの彫刻家、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

65. ドイツのおへそに向かって

2017年04月29日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅  No.29

  

         

     ヴァルトブルク城遠景と夕暮れの町 アイゼナハ


▼アイゼナハ 10月29~10月31日(2泊)
  ◆10月29日(土) ここにも歪みが… 5007歩  

  今日は二人旅で一番長距離の移動です。ザルツブルクからドイツのおへそに位置するアイゼナハまで行くのですから。そのため座席予約を取りたかったのですが、フライブルクで唯一予約が取れなかったので心配でした。何とか早めに出て乗り継いでいくしかありません。
 6時20分に準備ができたので階段を下りていたらパジャマ姿の宿の主人が出てきて鍵を開けてくれました。6時頃になったらもう宿の人も起きているだろうと思っていたのですけれど、申し訳ないことをしました。
 駅には7時前でも開いている店があり、待合室に席を確保してサンドイッチと珈琲を買ってきて朝食。前の席に座っていた女性が立ち上がった拍子に、彼女のトランクの柄が私たちの珈琲にぶつかってほとんどこぼれてしまいました。一生懸命謝る彼女に「大丈夫ですよ」と言いながらも、心の中では「もったいなかったなぁ…」と思ってしまいました。

 7時頃5番線に上がるとメリディアンというローカル列車が始発で入ってきました。ここからミュンヘンまではまず快適に行けそうです。空いていたのでトランクもちゃんと置くことができ、ゆっくり座れました。
 9時過ぎに順調にミュンヘンに着きましたが、問題はここからです。ライゼ・ツェントルムに行き、ローカル列車でアイゼナハまで行くのにどう行ったら良いかと尋ねました。(インターネットでは長距離移動でのローカル列車までは検索できないのです。)快くインフォメーションをプリントアウトしてくれたので三津夫とゆっくり眺めてみました。しかしこれでは途中の乗り換えが数分しかなく、ドイツ鉄道では危険だと判断して超特急に乗ってみることにしました。予約しようとしても空席はないといわれていた列車です。ホームに行くと清掃中でしたが、すぐにドアが開いたので念のため三津夫と2カ所に分かれてボックス席に座りながら様子を見てみました。どこも予約先が書かれず「空席」となったままで判断のしようがないのです。普通は「この席はどこまで予約が入っている」という表示が出るので、この席なら○○駅までは座っていけるという判断ができるのですが、空席のはずがないのに全席が空席と表示されているのですから。案の定、三津夫が座った席は「ここは私たちの席です」という人が来て座り、三津夫は私の方に移ってきました。「こちらも予約していますという人が来たらしょうがないね」と言いながら座っていると、結局ここは無事でした。列車はミュンヘン→インゴールシュタット→ニュルンベルク→ヴュルツブルク→フルダと回って走って行きます。その都度誰か予約者が来るかと落ち着きません。ヴュルツブルクでは多くの若者が乗ってきてうるさいほどでした。立っている人が何人もいて列車は徐々に遅れ始めましたが、フルダまでとうとう「予約しています」という人は現れずに座っていくことができました。やれやれ。
 フルダ駅で1時間ほど待ち時間があったのでその間に駅でケバブを食べました。でも店員がぎすぎすした表情で、やはり美味しさもいま一つ。「ブライザッハのケバブは美味しかったね」と思い出話が弾みます。14時14分の列車も10分ほど遅れて来て満席だったので、ここは1時間ほど立って外の景色を眺めて過ごしました。ドイツの景色はどこか潤っていて美しく、大好きなのですが、アイゼナハの近くになるにつれて森も景色もどことなく荒れてくるのです。旧東ドイツと未だにこうした差があるのは悲しいことです。

  アイゼナハ駅の前は工事中で通りにくくなっていましたが、新しいトランクはよく働いてくれました。エルケさんにはシュタインベルガーホテルに着いてから連絡すると約束してあったので、チェックインしてから早速電話を入れました。彼女の電話の声が何だかかすれていたのが気になりましたが、会ったときの笑顔でホッとしました。マリアンヌとホルストと同じように、エルケさんのお連れ合いのウヴェさんもこの年の初め頃に脳梗塞で倒れ、エルケさんも看病疲れで一時入院という厳しい日々を送ってきていたのです。ウヴェさんの病状がようやく落ちついた頃に大家さんから「息子一家が戻ってくるので新しい住居に移ってください」と言い渡され、それはしんどい思いをしていたのでした。本当は10月30日までに引っ越さなければならなかったのに新しい住まいはまだ見つからず、一番苦しい時期に会うことになったのでした。それでも「緑たちが来たら必ず訪ねて欲しい」と言われていたのでアイゼナハに2泊することにしたのです。
 車に乗って開口一番、「まだ新しい住まいは見つからないの。」と彼女は言いました。「これならと思うような手頃な値段の住まいは全部避難民用住居に回されてしまって、私たちの手の届くようなところはないのよ。ウヴェの病気があって高い階には住めないし、できればヴァルトブルクが見えるところでと願って探し回っているんだけど…。」と。いつもにこやかだったエルケさんのこんなに悲しそうな顔を見るのは初めてです。お宅に着いたとき、ウヴェさんは以前と同じようにお話されていましたが、一時は言葉も出にくかったと聞きました。ただ、疲れやすいようで、しばらくお話しした後、私たちは散歩に出かけました。エルケさんの配慮だったのでしょう。車で小高い丘の上に行き、谷向こうのヴァルトブルク城を眺めながらおしゃべりをしました。彼女が44年間働いた職場でもあり、人生でもある場所です。ここから離れたくないという思いはわかる気がしました。彼女はここによく散歩に来るそうです。以前はウヴェさんと、今は一人で…。ウヴェさんは滅多に外に出なくなったそうです。

 次第に日が暮れて家々に灯りが点る頃、家に戻って食事の支度。暖房費も節約しているようで「お客さまを通すのは初めてで恥ずかしいけれど」と言いながらキッチンの方が暖かいからと案内されました。ここで「卵焼きをしたいけど日本ではどうするのか教えて欲しい」と言われて、三津夫が中心となって卵焼きを作りました。といっても具の少なめのオムレツになりましたが。ウヴェさんは毎日1本ビールを飲むようにお医者様から言われているとのことで以前はワインだったのをビールにしているようです。顔色はとてもいいのですが、夕方来たときよりもずっとお疲れの様子で心苦しく思いました。ウヴェさんは、「テレビでイタリア地震の様子が報道され、今日も9人が亡くなった。貧しい人はもっと貧しい人に分け与えるが、金持ちはそうしない。私は5歳の時に母親の腕に抱かれてポーランドから逃げてきたんですよ」などと、しきりに話していました。避難民と自分の人生とを重ね合わせていたようです。

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