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JPop?

2012-01-25 | アルバム・レビュー(2011年)
■いつもと全然方向が違う話です。

 ふと気になったのだが、そういえば日本で「CDが売れない時代」と言われてどのくらいたつんだろうか??
 んんー、わからん。あまりにJ-Popの新譜をチェックしていなかった(多分10年くらい前で時計は止まっている)ため、昔とどう状況が変わっているか正直わからない。10年前の感覚って、オリコンチャート上位にランクインするようなレコードは当然のように数十万枚売れているってかんじだし、ミリオン・ヒットですらそれほど驚きはしなかった気がする(いいすぎか)。対してここ数年は、チャート上位に入る曲でも二桁万枚売れれば御の字で、売れるアーティストも固定されつつあるらしい。

 まてよ、CDが売れない?この現象は日本に限ったことじゃない。インターネットが普及した世界で、CDという商品形態が縮小されるのは自然な成り行きにも思える。聴きたいものがあればダウンロードすればいい。実際に米国では、単価が安く手軽なダウンロード販売がCD販売にとってかわり、音楽産業の売上げの半分以上が、ネットを通じたコンテンツ・ビジネスになりつつある。

 むしろ、ここ日本は、CDが売れなくなったといわれる現在でも、その売り上げが音楽産業全体の売り上げの大部分を占めているという。なんで?ネットが当たり前になった日本で、あえてそちらを購入する消費者の動機はなんなのだろう?―――たとえば、そのアーティストのファン。コレクションしたい。買おうと思わせる付加価値がついているから。ネット環境になく、ほかにその音楽を聴く術がない。データは音質が気になる。データは消える可能性がある。そんなところかな。それぞれに理由はあるのだろうが、個人的にはよくわかる。手に触れられず購入した気があまりしない音楽データより、手元に残り、カバーやカード、レーベルデザインまで吟味できて、物欲を満たせるCDの方が自分もいい。仮にダウンロードで音源を入手したとしても、出来の良かった作品はCDで買い直すくらいだし。手軽さや価格では量れない価値を感じているんだろう。

 ここまで書いておきながらなんだが、結局のところ、CDかダウンロードかという入手形態のイカンはそんな大したことじゃない。むしろ気になるのは、おおげさにいえば音楽産業全体の規模縮小と弱化。規模縮小に関しては、ネット普及による弊害(不正なアップ&ダウンロード)を原因として、数年前にCCCD(コピーコントロールCD)なんてのもあったが、売る側からしたらどうであれ、聴く側からすれば別に大したことじゃない。オンラインストレージも丁度ここ数日でやばいことになっているが、それをなくしたところで本当に売上の大勢に影響が出るのかどうか。弱化に関して言えば、10曲少々で3000円のアルバム、シングルにいたっては1,2曲で1200円する日本のレコードに、「それでも買いたい」と思わせるような価値を多くの人が見出せていないとしたらまずい。じゃあ売れた時代の音楽が今の音楽よりレベルが高いかといわれたらぶっちゃけわからんが、多くの人が価値を見出していたから多く買われた、これは一つの事実だと思う。ただし、2000年周辺以上に世の中の楽しみが多様化した現代、価値観そのものが変わりつつあるというのも事実。音楽以外にも娯楽はたくさんあり、嗜好の個性化も進んでいる。まぁもしJ-Popの音楽性に関していう人がいるとしたら、J-Popの根底には日本語の抒情性が横たわっている!として、歌詞の素晴らしさすら最近は感性もない言葉の羅列になってきた!とか、いやいやそれはいいとしても、結局洋楽の後追いで、しかもビートに乗り切れない中途半端なポップスだ!とかだろう。いわれることは今も昔も大して変わってない。


 さて、そんなかんじで珍しくJ-Popのことについて書いたのだが、これを考え始めたきっかけは、AKB48の存在があったからなのだ。


 AKB48は、5月の"Everyday、カチューシャ"8月の"フライングゲット"、10月の"風は吹いている"、そして12月の"上からマリコ"で、音楽的不況といわれるなか、発売して数日のうちにミリオン・ヒットを記録した。2011年を語る上で欠かせないグループになったわけだが、しかし、これはあくまでマーケティングの成功であって、芸術性の成功ではない、とする意見も多くみられる。

 まず、なぜそんなに売れるのか。これに対しては、パッケージ商品の利点をいかした「特典」(DVD、握手会チケットや生写真など)を利用し、同じ人に何枚も買わせるいわゆる「AKB商法」やプロデューサーの戦略が必ず話題に出る。自社によるマネーロンダリングといったハナシもあるらしいが、ここでそれに関して語るのは意味がない。(わかってどうこうなるもんじゃないから)。個人的には、AKB商法に賛成も反対もないが、そのビジネスモデルは、欲しいひとが欲しいものを欲しい数だけ買っているだけ、資本主義の自然のようには思える。握手権や投票権を手に入れるがため一人で何枚も同じCDを買うことが批難されるなら、行きつけのバーで綺麗なバーテンダーと長く話をするためマティーニを繰り返し注文するのも批難されることになる。(もちろん、特典を抜きとられた後山積みにされたCDをみたときの微妙な気持ちは別話。)


 せっかくなので、もうすこし立ち入って考えてみよう。このグループは、それまで決して手が届かないところにいた、その言葉通り偶像的な存在だった「アイドル」という概念を変えた。「会いに行ける」というコンセプトの元、近距離で楽しめる劇場公演、実際に触れられる握手会を運営の中心に置く。そして、成功以上に挫折や失敗にスポットライトを当て、AKB48というドキュメンタリーをつくりだす。その過程をみせることによって、ファンにあたかも少女たちの成長を目の当たりにしたような感覚を与え、アイドルという存在をそれまで考えられなかったくらい身近な距離に引き寄せた。(最近のぐぐたすもそうだが、それまでのアイドルにはなかった日常性が売り。)

 次に、上にも書いたように、インターネットの発達、嗜好の個性化、という、ここ最近 音楽産業に限らず世に影響を与える二つの社会的性格を、他のどこよりも正確にとらえたグループでもある。
 これはAKB48が、というよりプロデューサーが、ということになりそうだが、老若男女だれもが自由に情報や感情を発信できるネット世界が広がるにつれ、テレビが唯一の娯楽だった時代のような一方的な発信はいつか行き詰まる、ということ。そのうえで、客の声がグループを育てる、という双方向のやり取りを形成。ファンの声がより強く反映され、これまたファンがグループと個人の成長に大きく関与しているような感覚を与える仕組みを考えだした。それがもっともよくわかるのが、アイドルの人気を可視化し、個人的に推すメンバーを直接的に応援できる(本来アイドルのタブーであるはずだった)選挙システムなのだ。
 AKBのシステムの面白いところは、どこまで「広く」アピールできるかといったこれまでのアイドルのメディア戦略とちょっと違い、どこまで「深く」好きになってもらえるかも重要な戦略であること。要は、レコードを購入する層が局地的であるならば、その局地を完全に制覇してしまう、といった考え方。確固たる人気の土台を作ること。今でこそAKB48に対しマスコミが使う呼称は「国民的アイドル」(※)だが、ブレイク以前は「オタク系アイドル」、「アキバ系アイドル」という呼称だった。つまり、その言葉が示すように、本来は限定的かつ熱狂的な人気こそAKB48の本質なのだ。今はそれが拡大したに過ぎない。だから、もしこのブームが仮に去ったとしても、「その時はまた劇場から始めればいい」となる。
 (※それにしても、「国民的アイドル」なんて昔くさい概念が2012年にも通用するのだろうか。それとも、今の時代こそそういった共通概念が有効なのだろうか。グループ全体としてはともかく、彼女たちは単体として国民的といえるほど知名度があるわけではないし、だれもが理想や希望を重ね合わせる存在でもない。このグループ(や商法)を好かない人たちも相当数いるのだろう。まぁいずれにせよ、メディアが使う「国民的」って言葉はうさんくさいけれど、このグループへの批判は、たとえばK-Popと同じように、それら自体が嫌いな人以上に、公共の電波でごり押し、それこそ流行が国民的だと錯覚させようとするメディア手法への嫌気も多くの部分を占めている気もする。まぁそんなことは今に始まったことじゃないから、結局情報なんて自分で吟味して、自分が楽しめそうなものは楽しめばいいだけの話なのだが。)

 とまぁごいろいろごちゃごちゃ言ったが、なぜ売れるか、という最初の問いに立ち戻ると、実は、日本のアイドル・ポップというのは、アニメやマンガと同じくこの国独自の発展を遂げたものの一つで、実際AKB48のビジネスモデルは日本発のオリジナルとなり、要は新しく刺激的だった。たくさんの女の子がいる。そこには一人くらいなんとなく気にいる子がいる。その子を目で追う。追ううちにファンになる。ファンになった後存分にその子を見る。見ているうちに、周りにも意外とかわいい子がいることに気づく。その子も目が追うようになる。これが繰り返されると、メンバーを一通り覚えることになってしまう。そして、好印象の子が歌う曲に対しても好印象を持ちだす。それが深くなると、楽曲を聴いただけでその子の顔やそのシチュエーションが思い浮かび、あるフレーズを聴くだけでPVのヒトコマがクロスするようになってしまう。ここまでいくと、残念ながら末期症状。なんとも巧妙な構成だ。

 そして何より、AKBの強みは、その商法と同じかそれ以上に、なんと楽曲にある。
 グループの代表曲となった爆発的な"ヘビーローテーション"を筆頭に、'11年最高のサマーチューン"Everyday、カチューシャ"、直情に突き動かされる"大声ダイヤモンド"など、シングル曲はどれも名曲揃い。策士家、いや作詞家としても優秀な秋元康の絶妙な歌詞と、いくつもの候補曲から選りすぐったメロディ、女の子たちの無限の力、これらが全て調和すると、"言い訳Maybe"のようなアイドル・ポップの王道が出来上がる。

 良いのはシングルだけではない。むしろカップリングがタイトル曲以上の人気を誇ることは少なくなく、ここ最近でも"抱きしめちゃいけない"という素晴らしい曲が"フライングゲット"の横に添えられている。
 活動期間の割に意外なほど楽曲が多く(グループ全体で何百曲!?)、その中にはもちろん退屈な、というかファンしか楽しめなさそうな曲も多くあるが、たとえば唯一のオリジナル・アルバム《ここにいたこと》に収録されたアルバム・カット"少女たちよ"はきら星のごとく輝くし、アイドルという道を選んだ少女たちの現実逃避がテーマの"人魚のバカンス"は、ボサノバ調のアレンジとそよ風のようなメロディが心地よく通り過ぎる。よくわからないほど枝分かれしたユニット曲も、MINTの"君について"、YJの"Choose Me!"などは記憶に残る素晴らしい曲だ。"ダンス映えする激しい"Beginner"、寄り添うメッセージソング"夕陽を見ているか?"、デトロイト・ポップを模した"涙のシーソーゲーム"なども含めてみていくと、単なるキャバクラ風アイドル・グループ、とはいえない音楽的な深みと幅広さがあるはずだ。ということで、もし偏見を持ってこのグループの楽曲に手をつけない人がいたら、ちょっともったいない気はする。ちょっと前にとあるサイトで、「AKBの楽曲が10年後に歌われているか?流れたとしてもその時代のレビューとして懐古されるだけだ。それはなぜか?結論を言えば低レベルだから。」という論を見たことがあるけれど、個人的には賛同できない。なぜならアイドルポップには賞味期限があり、これも今こそ楽しんでおきたい類の音楽だと思うから。そもそも、11年の音楽で10年後にも歌われる歌とは何かな?嵐?まるまるもりもり?生の歌が下手すぎるというのは同意(笑)まぁ長くなってきたので最後にまとめておくと、「会いたかった」に始まり「あなたがいてくれたから」に終わるこのグループ、まずビジネスのコンセプトとして成功、かつアーティストと名乗る以上基盤となる楽曲もよく出来ているということで、今となっては売れるのも至極当然だなと思った次第。・・・それにしても、なんでこういう話になったんだっけ??久々の更新というのにいつも以上に中身がねー(笑)

短評

2011-12-03 | アルバム・レビュー(2011年)


■Rihanna/Talk that talk(DefJam)

 バルバドス出身の健康的な娘(《Music of the Sun》、《A Girl Like Me》)、サイバーポップアンドロイド(《Good Girl Gone Bad》)、キレたメタパンク女(《Rated R》)とめまぐるしくキャラを変えてきたRihanna。前作《Loud》で"S&M"をヒットさせてからはセックス・アピールが中心になり、今作ではオーラル・セックスの請求ともとれるフレーズをリフレインする("Cockiness (Love It)")。
 もはやR&Bと言えない脅迫的なレイブ・プロダクションと金属質のRihannaのボーカルの相性は悪くないものの、Jay-Zとの"Talk That Talk"は"Umbrella"の縮小生産だし、大げさなエモ・バラード"We All Want Love"や"Farewel"あたりには食傷気味。
 12曲40分と短くまとめるのであれば、Rihannaのルーツをにおわせるレゲエ・フィルインで始まり、陽性のシンセと軽快なスネアが巧妙に組み合わされる過去と未来の結着点"Watch N Learn"のような工夫された曲がもう少しあってもいいだろう。


■Betty Wright & The Roots/Betty Wright: The Movie(Ms. B/S-Curve)

 芸歴45年、マイアミのベテラン・ソウルママの新作は、ヒップホップ・バンドThe Rootsとの共同作業。'08年の傑作Al Green《Lay It Down》に似た舞台装置に期待がかかる。
 およそ10年ぶりとなるソロ・アルバムは、まずそのバックバンドのタイトな演奏が光る。始まりの"Old songs"は、ベースが歩き回り、カッティング・ギターが躍動。レトロだが決して古臭くはない、見事なプロダクションで魅せる。
 Wright自身'00年代に入って幅広く客演しており、ところどころ出現するラッパー勢(Snoop Dogg,Lil Wayneら)との絡みも手慣れた物だし、"Surrender"のような優雅な70'sクワイエットストームのリバイブも素晴らしい。
 ただし、このシンガーは繊細な表現よりグルーブに乗る方が性に合っている。実際、Wrightを有名にし、ヒップホップの歴史上もっとも多くサンプリングされた曲の一つ"Clean up Woman"のように、ファンキーなパルスと反応し、荒削りな声が力強く響く"In The Middle Of The Game (Don't Change The Play)""Look Around (Be A Man)"のようなディスコ・ファンクこそこのシンガーの本領だろう。

Drake

2011-12-02 | アルバム・レビュー(2011年)

Drakeの新作《Take Care》(Young Money/Cash Money/Universal)について。静かで、つめたく、ときにふさぎこみもするアルバムは、ヒップホップで取り立たされない繊細な部分そのもの。全体的なコンセプトはKanye West《808s & Heartbreak》を思い出させるが、この作品はよりR&Bサイドに傾いたなめらかな仕上がり。
 アルバムの大半を手掛けるのはDrakeと同じカナダ出身のNoah "40" ShebibとT-Minus。ミニマリズム・エレクトロとクワイエットストーム・ソウルが融解、しずみこむパーカッションとアンビエントなシンセサイザーが寒色のグラデーションを創出するプロダクションに、大言壮語と内省を行き来するDrakeの語り口が沈澱する。21世紀に生きる25歳の若者による"What's Goin'On"ラップ・バージョン、なんて大げさすぎるが、「エモ・ヒップホップ」なる評価も納得の、メランコリックかつリアルな世界観が描き出されていく。

いろいろ

2011-11-28 | アルバム・レビュー(2011年)

■Goapele/Break of Dawn(Decon)
 オークランドの女性シンガーによる6年ぶりの新作は、めまいがするくらい官能的な"Play"で幕を開け、このまま夜明けなど来なくてもいいと思わせる。一人の女性の人生観そのものに光を当てたパーソナルなアルバムは、9曲35分弱の時間ながら濃密で、後半ちょっとテンションは下がるものの、前半5曲は'11年の作品の中でとびぬけて美しい。

■Brian Mcknight/ just me (E1)
 Brian Mcknightの新作は、ボーカリストとして、ソングライターとして、マルチインストゥルメンタリストとして、42歳の等身大を集大成としてまとめあげる。新曲9曲とカバー1曲の計10曲を収めたオリジナル・アルバムと、ロサンゼルスでのライブ・アルバムからなる2枚組は、05年の《Gemini》からイメージしていたR&Bとジャズの2本立ての実現でもある。

 オリジナル・アルバムの方は、誘惑の炎が揺らぎ、Marvin Gayeかと聴きまごう"Temptation"から始まり先行きを期待させる。ここ最近のアルバムの中では珍しいくらいメロディアスに貫かれる作品は、先行シングル"Fall 5.0"、ブルージーにスウィングする"One More Time"、ファルセットが軽快に舞う"Gimme Yo Love"と美しい曲が揃い、洗練、優雅、ロマンスというMcknightの美点が活きるよう風通しのいい構成になっているのが好ましい。ディストーション・ギターとシンセサイザーが感情とともに歪む"Husband 2.1"もアルバムにいい起伏をもたらしている。Mcknightの音楽的中枢であるオールドスクールR&Bのバース/ブリッジ/コーラスの形式をひねり、ジャズの即興のようにボーカルを広げ感情を吐露する表題曲"Just Me"は、音楽に対する心底からの告白だ。
 自身の楽曲とカバー曲を織り交ぜたライブ盤の方は、ピアノを伴ったアコースティック・セット。バックがシンプルなだけに、切実なテナー、ビロードのようなファルセット、それがたがいに切り替わる美しさが、これ以上なくはっきりと浮き上がる。録音状況がよく、流れを大切にするためかピアノ・ソロや観客とのリラックスした談笑まで収められているため、まるで自身がその音場にいあわせたかのような気分になる。"6,8,12"の一節を息子とデュオする"Do You Ever Think About Me"、Stevie WonderやMichael Jacksonのカバー、Mcknight自身のフェイバリットでもある最終曲の"Shoulda Woulda Coulda"まで、片時も耳を話したくはない。

いろいろ

2011-11-06 | アルバム・レビュー(2011年)

■これまたいまさら去年末の作品、Nicki Minajのデビュー作《Pink Friday》(CashMoney/Universal Motown)について。デビュー作といっても「公式的には」の意味で、ミックステープや客演で前評判を集めた上で、ヒップホップ界の若殿(=Lil Wayne)の推薦状も折り込み済み。ヒップホップ界でも口コミが重要な時代らしい。
 ミックステープや客演で認められる、というのはヒップホップM.Cのステータスに等しい。個性とスキルがなければ認められないからだ。このMinajも、これまでKanye West"Monster"の客演で垣間見せたライマーぶり、Missy Elliottばりの多彩なボーカリングと才能を垣間見せてきた。しかし地下世界における評価基準とポップ市場における評価基準は違う。結局、スキルでフックアップされても、スキルだけで売れはしないのだから、ドープなライムに焦点を当てるより、出来あいのアイデアとコマーシャルなR&Bソングを入れざるを得ない、という流れが必然的になる。それならそれで割り切ったポップ・アルバムになっていればいいのだが、そうでもない。最近のヒップホップ作品に感じる中途半端さそのものであるアルバムは、M.Cともシンガーともつかせぬ個性的なMinajのキャラクターを活かせず、売上に反し実に凡庸なポップ作品といえる。



■なぜ一年前のアルバムをあえて今取り上げたかというと、J Coleのアルバム《Cole World: The Sideline Story》(RocNation)をレビューしようとしたから。ミックステープ・アルバムで既に評価を得て、Jay-Zのサポートによってメジャー・デビュー、セールスも好調(Lil Wayne《Tha Carter IV》)を抜きBillboardのアルバム・チャート首位を獲得)という背景がNicki MinajとColeはかなり共通しているので、思い出しただけなのだ(笑) ちなみに、出来のほうはなかなかいい感じ。
 最近のM.Cの中で突出した技量の持ち主であるColeは、メタファーを多用し、正確に韻を踏み、時にたたみかけ、背景の音と巧みにシンクロナイズするという点で、支持者であるJay-Zのライム・スタイルを彷彿とさせる有能な東海岸流のラッパーであって、また自らサンプリング・ビートを手掛ける点において、Lord Finesseのようなヒップホップ・リテラシーの高さを感じさせる。このアルバムの美点は、そんなColeの個性をしっかりベースにおくことで、オールドスクールチックなサンプリング・ビートが単なるお飾り物になっていないこと、それでいてJayを呼んだ"Mr Nice Watch"のようなクラブ・トラックとの共存や、Trey Songzらを迎えたR&Bクルーンの迎合が、Coleの若さのおかげで違和感なくなされていること、だと思う。音楽的に目新しい点は何もないが、整っている。


■最近Goapele/Break of Dawn(Decon)ばかり聴いてる。9曲35分弱のアルバムだが、よくまとまったいいアルバムだと思う。

いろいろ

2011-10-21 | アルバム・レビュー(2011年)
■Brian Mcknightの新作《Just Me》(E1Music)を期待せずに聞いてみたら、意外なほど綺麗にまとまっていてビックリ。メロディアスに流れる風通しよき楽曲に、抑制の利いたボーカルが心地いい。2011年の拾いものかな。■Jay-ZとKanye Westが組んだ《Watch the Throne》(DefJam)。NeptunesのPharrellのようにファッション界への進出にもあざといWestのアイデアか、ハンカチーフみたいなジャケットはGIVENCHYのディレクターRICCARDO TISCIを迎えて。その中に包まれた音楽は、Westの《My Beautiful Dark Twisted Fantasy》のアウトテイクに聞こえる曲もあれば、宝石のような曲もある。古びたサンプルを生地に作り出したオールド・スクールヒップホップが、現代のファッショナブルな感覚で縫製しなおされた、という印象を受けるサウンドは、基本豪華でハイクラスであって、ところどころ退屈で悪趣味であって、総じると刺激的。■以前ここでも取り上げたストーナーラップの旗手Curren$yの2作目《Pilot Talk2》(DD172/Def Jam)を今更ながら。1曲目の"Airborne Aquarium"から6曲目の"A Gee" に至る流れはカンペキに近い。このジャンルのエッセンスを凝縮している。対して、今年でた作品は、少し聞いただけだがなんか微妙だな〜…と思ったら、相性抜群のSki Beatzがプロデュースしていなかった。■E

いろいろ

2011-10-01 | アルバム・レビュー(2011年)
あっという間に10月。Van Hunt、Syreena Johnsonほか新譜が出てますので、聴くのが楽しみです。

いろいろ

2011-08-22 | アルバム・レビュー(2011年)


■配給問題でワーナーともめてインディーに戻ったTalb Kweliの新作、《Gutter Rainbows》(Javotti Media)。07年の傑作≪Eardrum≫のような多彩かつ強力なビートは添わないが、愛、宗教、狂気といったトピックにて広げるライムとリリックの巧みさはもはや芸術の域。ガソリンでできた虹の先に詩人が見る希望の光。■Rahsaan Pattersonの新作《Bleuphoria》(Artistry Music)は、Keith Crouch、Van Huntら安心のパートナーが脇を固めるも、ほぼすべてのソングライティング/プロダクションをPatterson自らが手がけている。分かりやすい変化は打ち込まれたエレクトリック・サウンド。しかしこのシンガーの根源は、70年代ソウルのような感情の起伏となまなましさにあり、このシンガー最大の美点は、それを両性具有的なシンギングで完璧に表現するところにある。愛憎でうねるボーカルとプリセットサウンドの組み合わせは、時々80年代のプリンスをバックに、Chaka Khanが歌っているような錯覚ももたらす。それはなんだか聴けば聴くほど妙なのだが、それでいて簡潔さをきわめている(ように聴こえる)のがすごい。欝なまで暗い感情と、おさえきれない昂揚感が交差し、時に宗教的な崇高さまで舞い上がるアルバムのハイライトは"Mountain Top"。BlissとEuphoriaを組み合わせたアルバム・タイトルを体現する素晴らしい曲だ。■この夏一番聴いた曲は多分AKB48の"Everyday,カチューシャ"。イントロを聞いただけで、もうたまらない。弾けるリフとリズム、衝動的なメロディが胸を高鳴らせる。あえて粗く録ったような録音はまるで暑い夏の空気をそのまま焼き付けたようで、太陽の下はしゃぐ女の子たちの姿を思い描かせる。それが計算だとしても・・・好きな女の子に「ずっと変わらないで」と願う、女の子より純粋な男の子の気持ちを、近くにいたらきっと好きなってしまう可愛い女の子に歌わせる、というやり方に抗う術はない。色々言ったが、とにかく楽曲として素晴らしい。っていうか高橋みなみ大好き

Jason Moran / Ten (Blue Note ,2010) ほか

2011-07-20 | アルバム・レビュー(2010年)
Jason Moran / Ten (Blue Note ,2010)

Jason Moran。そもそもはGreg Osbyに見出され、Osbyが提唱する「M-Base」の一派として頭角をあらわした。そのカテゴリの代名詞としてはSteve ColemanやGeri Allenの名がよく挙がるが、もしM-Baseの定義が、従来のジャズの概念を飛び越え、新しいジャズを探求する過程そのものとその産物を呼称するものだとしたら、それは既にMoranによって9年前に一度完成をみている。というのは、Osbyをプロデューサーに据え、名手Sam Rivers、ベースのTarus Mateen、ドラムのNasheet Waitsで作り上げた'01年の《Black stars》こそ、全ての黒人音楽の内包に挑んだ野心的な作品であり、M-Baseの到達点だったからだ。Moranはその作品で、ジャズという音楽が多様化し拡散していく中にあって、逆にジャズの即興性と柔軟性をもってすればあらゆる音楽を集約できる、と証明した。以降、寄り道をしながらジャズの新しいサウンドを追求しつづけ、去年にはPaul Motian(Lost In dreams)、Charles Lloyd(Mirror)らジャズを再考するメンター達と取り組んできた。



 さて、ベースのTarus Mateen、ドラムのNasheet Waitsからなるトリオ=BandWagon結成10年という意味合いの通算8作目。サイドマンではなく自身がリーダーなだけに自由に振舞えるし、このリズム・セクションは件の名作《Black Stars》の時と一緒だ。だが《The Bandwagon: Live at the Village Vanguard》とも一緒だ。つまり、方向性を間違えるとまずくなる。
 実際ここには10年来のキャリアから来るリラックス加減が良い方にも悪い方にも作用し、とてつもなく面白い瞬間と、とんでもなく退屈な瞬間の両方が収められている。退屈なのは、アイデアと遊び心はわかるが生焼けな"Feedback Pt. 2"や、舞台音楽として書かれた"Pas De Deux - Lines Ballet"などだ。
 逆にアルバムの幕を開ける"Blue Blocks"、Leonard Bernsteinの"Big Stuff"、Jaki ByardとThelonius Monkという二人のアイドルに捧げた2曲("To Bob Vatel of Paris"、"Crepuscule with Nellie ")などは素晴らしい。トリオは筋肉と関節のような密な連動ぶりだ。そして倍速で楽音を詰め込み、詰め込んだ空白にさらにフレーズを積み重ねうねりをもたらす手法や、ヒップホップ、ファンク、ソウルなどの鋭いリズム感覚をジャズの文脈に何の違和感もなく取り込み、加速と減速を繰り返し、ハーモニーやディゾナントを自在に切り替え、メロディや展開を構成しなおすMoranのキュビスム的な感覚が見事に披露される。



■□
'11年の新譜でよく聴いたのは
R&BではMarsha Ambrosius/Late Nights And Early Mornings(J)
ヒップホップではJoel Ortiz/Free Agent(E1)
シングルではAKB48/Everyday、カチューシャ(You, Be Cool!/KING RECORDS)。

ちょっとしたらRahsaan PattersonやKidred The Family Soulもアルバムが出るので期待。

レビュー×2

2011-07-03 | アルバム・レビュー(2010年)
Curren$y/Pilot Talk(DD172/DefJam,2010)



 去年流行った『ストーナー・ラップ』から一枚選ぶならコレ。ストーナー・ラップってなあに?―マリファナやそれにまつわるエトセトラを種にしたリリック。レイドバックしたトラック。その二つを掛け合わせて、きわめてダウナーな感覚を形成するのがストーナーラップの特徴であり魅力。

 それにしても低空を飛行するこのアルバムは、Jay-Zの名作≪Reasonable Doubt≫を手掛けたSki Beatzのビートと、ニューオーリーンズの気鋭Curren$yの気だるく引きずる南部訛りが見事に反応しあって、白日夢じみたサウンドが生まれている。"Audio Dope II"のようなじっとり汗ばんだスロー・ファンクに、アブストラクトな吹聴が煙のように漂う。あー、これからの季節にぴったり。面白いのは、このジャンルが西海岸のギャングスタ、東海岸のオールド・スクール、Bobby Rayのようなポップ・ラップに満足できない層が求める新しくクールなラップ・ミュージックであるにもかかわらず、今あげた三つをバランスよく取り込んでいるところ。カリフォルニアっぽいヨコノリ感、ニューヨークらしい厳格さ、南部の豊かな音楽性、そのどれもを含んでいるように思える。計算してかしないでか、東はMos Def、西はSnoop Dog、南はDevin The Dudeというふうに、各方角からモニュメントを連れてきてもいる。いずれにせよこの甘美なアルバム、巷の評判通り、ジャンルの個性がよく出たファッショナブルでかっこいいアルバムだと思った。


Charlie Wilson/Just Charlie (Jive,2010)



紳士的な女性の賛美歌"My Girl Is A Dime"で始まるアルバムは、全体的に楽曲の質がいい。Wilsonが歌うから聴けてしまう、というのもあるかもしれない。Gap Band風のファンク("Never Got Enough")、Zappのカバー("I Wanna Be Your Man ")は往年のファンも満足させる。ベスト・トラックは"You Are"。劇的なメロディ、あとはWilsonのボーカル。それだけでいいや。