■いつもと全然方向が違う話です。
ふと気になったのだが、そういえば日本で「CDが売れない時代」と言われてどのくらいたつんだろうか??
んんー、わからん。あまりにJ-Popの新譜をチェックしていなかった(多分10年くらい前で時計は止まっている)ため、昔とどう状況が変わっているか正直わからない。10年前の感覚って、オリコンチャート上位にランクインするようなレコードは当然のように数十万枚売れているってかんじだし、ミリオン・ヒットですらそれほど驚きはしなかった気がする(いいすぎか)。対してここ数年は、チャート上位に入る曲でも二桁万枚売れれば御の字で、売れるアーティストも固定されつつあるらしい。
まてよ、CDが売れない?この現象は日本に限ったことじゃない。インターネットが普及した世界で、CDという商品形態が縮小されるのは自然な成り行きにも思える。聴きたいものがあればダウンロードすればいい。実際に米国では、単価が安く手軽なダウンロード販売がCD販売にとってかわり、音楽産業の売上げの半分以上が、ネットを通じたコンテンツ・ビジネスになりつつある。
むしろ、ここ日本は、CDが売れなくなったといわれる現在でも、その売り上げが音楽産業全体の売り上げの大部分を占めているという。なんで?ネットが当たり前になった日本で、あえてそちらを購入する消費者の動機はなんなのだろう?―――たとえば、そのアーティストのファン。コレクションしたい。買おうと思わせる付加価値がついているから。ネット環境になく、ほかにその音楽を聴く術がない。データは音質が気になる。データは消える可能性がある。そんなところかな。それぞれに理由はあるのだろうが、個人的にはよくわかる。手に触れられず購入した気があまりしない音楽データより、手元に残り、カバーやカード、レーベルデザインまで吟味できて、物欲を満たせるCDの方が自分もいい。仮にダウンロードで音源を入手したとしても、出来の良かった作品はCDで買い直すくらいだし。手軽さや価格では量れない価値を感じているんだろう。
ここまで書いておきながらなんだが、結局のところ、CDかダウンロードかという入手形態のイカンはそんな大したことじゃない。むしろ気になるのは、おおげさにいえば音楽産業全体の規模縮小と弱化。規模縮小に関しては、ネット普及による弊害(不正なアップ&ダウンロード)を原因として、数年前にCCCD(コピーコントロールCD)なんてのもあったが、売る側からしたらどうであれ、聴く側からすれば別に大したことじゃない。オンラインストレージも丁度ここ数日でやばいことになっているが、それをなくしたところで本当に売上の大勢に影響が出るのかどうか。弱化に関して言えば、10曲少々で3000円のアルバム、シングルにいたっては1,2曲で1200円する日本のレコードに、「それでも買いたい」と思わせるような価値を多くの人が見出せていないとしたらまずい。じゃあ売れた時代の音楽が今の音楽よりレベルが高いかといわれたらぶっちゃけわからんが、多くの人が価値を見出していたから多く買われた、これは一つの事実だと思う。ただし、2000年周辺以上に世の中の楽しみが多様化した現代、価値観そのものが変わりつつあるというのも事実。音楽以外にも娯楽はたくさんあり、嗜好の個性化も進んでいる。まぁもしJ-Popの音楽性に関していう人がいるとしたら、J-Popの根底には日本語の抒情性が横たわっている!として、歌詞の素晴らしさすら最近は感性もない言葉の羅列になってきた!とか、いやいやそれはいいとしても、結局洋楽の後追いで、しかもビートに乗り切れない中途半端なポップスだ!とかだろう。いわれることは今も昔も大して変わってない。
さて、そんなかんじで珍しくJ-Popのことについて書いたのだが、これを考え始めたきっかけは、AKB48の存在があったからなのだ。

AKB48は、5月の"Everyday、カチューシャ"8月の"フライングゲット"、10月の"風は吹いている"、そして12月の"上からマリコ"で、音楽的不況といわれるなか、発売して数日のうちにミリオン・ヒットを記録した。2011年を語る上で欠かせないグループになったわけだが、しかし、これはあくまでマーケティングの成功であって、芸術性の成功ではない、とする意見も多くみられる。
まず、なぜそんなに売れるのか。これに対しては、パッケージ商品の利点をいかした「特典」(DVD、握手会チケットや生写真など)を利用し、同じ人に何枚も買わせるいわゆる「AKB商法」やプロデューサーの戦略が必ず話題に出る。自社によるマネーロンダリングといったハナシもあるらしいが、ここでそれに関して語るのは意味がない。(わかってどうこうなるもんじゃないから)。個人的には、AKB商法に賛成も反対もないが、そのビジネスモデルは、欲しいひとが欲しいものを欲しい数だけ買っているだけ、資本主義の自然のようには思える。握手権や投票権を手に入れるがため一人で何枚も同じCDを買うことが批難されるなら、行きつけのバーで綺麗なバーテンダーと長く話をするためマティーニを繰り返し注文するのも批難されることになる。(もちろん、特典を抜きとられた後山積みにされたCDをみたときの微妙な気持ちは別話。)
せっかくなので、もうすこし立ち入って考えてみよう。このグループは、それまで決して手が届かないところにいた、その言葉通り偶像的な存在だった「アイドル」という概念を変えた。「会いに行ける」というコンセプトの元、近距離で楽しめる劇場公演、実際に触れられる握手会を運営の中心に置く。そして、成功以上に挫折や失敗にスポットライトを当て、AKB48というドキュメンタリーをつくりだす。その過程をみせることによって、ファンにあたかも少女たちの成長を目の当たりにしたような感覚を与え、アイドルという存在をそれまで考えられなかったくらい身近な距離に引き寄せた。(最近のぐぐたすもそうだが、それまでのアイドルにはなかった日常性が売り。)
次に、上にも書いたように、インターネットの発達、嗜好の個性化、という、ここ最近 音楽産業に限らず世に影響を与える二つの社会的性格を、他のどこよりも正確にとらえたグループでもある。
これはAKB48が、というよりプロデューサーが、ということになりそうだが、老若男女だれもが自由に情報や感情を発信できるネット世界が広がるにつれ、テレビが唯一の娯楽だった時代のような一方的な発信はいつか行き詰まる、ということ。そのうえで、客の声がグループを育てる、という双方向のやり取りを形成。ファンの声がより強く反映され、これまたファンがグループと個人の成長に大きく関与しているような感覚を与える仕組みを考えだした。それがもっともよくわかるのが、アイドルの人気を可視化し、個人的に推すメンバーを直接的に応援できる(本来アイドルのタブーであるはずだった)選挙システムなのだ。
AKBのシステムの面白いところは、どこまで「広く」アピールできるかといったこれまでのアイドルのメディア戦略とちょっと違い、どこまで「深く」好きになってもらえるかも重要な戦略であること。要は、レコードを購入する層が局地的であるならば、その局地を完全に制覇してしまう、といった考え方。確固たる人気の土台を作ること。今でこそAKB48に対しマスコミが使う呼称は「国民的アイドル」(※)だが、ブレイク以前は「オタク系アイドル」、「アキバ系アイドル」という呼称だった。つまり、その言葉が示すように、本来は限定的かつ熱狂的な人気こそAKB48の本質なのだ。今はそれが拡大したに過ぎない。だから、もしこのブームが仮に去ったとしても、「その時はまた劇場から始めればいい」となる。
(※それにしても、「国民的アイドル」なんて昔くさい概念が2012年にも通用するのだろうか。それとも、今の時代こそそういった共通概念が有効なのだろうか。グループ全体としてはともかく、彼女たちは単体として国民的といえるほど知名度があるわけではないし、だれもが理想や希望を重ね合わせる存在でもない。このグループ(や商法)を好かない人たちも相当数いるのだろう。まぁいずれにせよ、メディアが使う「国民的」って言葉はうさんくさいけれど、このグループへの批判は、たとえばK-Popと同じように、それら自体が嫌いな人以上に、公共の電波でごり押し、それこそ流行が国民的だと錯覚させようとするメディア手法への嫌気も多くの部分を占めている気もする。まぁそんなことは今に始まったことじゃないから、結局情報なんて自分で吟味して、自分が楽しめそうなものは楽しめばいいだけの話なのだが。)
とまぁごいろいろごちゃごちゃ言ったが、なぜ売れるか、という最初の問いに立ち戻ると、実は、日本のアイドル・ポップというのは、アニメやマンガと同じくこの国独自の発展を遂げたものの一つで、実際AKB48のビジネスモデルは日本発のオリジナルとなり、要は新しく刺激的だった。たくさんの女の子がいる。そこには一人くらいなんとなく気にいる子がいる。その子を目で追う。追ううちにファンになる。ファンになった後存分にその子を見る。見ているうちに、周りにも意外とかわいい子がいることに気づく。その子も目が追うようになる。これが繰り返されると、メンバーを一通り覚えることになってしまう。そして、好印象の子が歌う曲に対しても好印象を持ちだす。それが深くなると、楽曲を聴いただけでその子の顔やそのシチュエーションが思い浮かび、あるフレーズを聴くだけでPVのヒトコマがクロスするようになってしまう。ここまでいくと、残念ながら末期症状。なんとも巧妙な構成だ。
そして何より、AKBの強みは、その商法と同じかそれ以上に、なんと楽曲にある。
グループの代表曲となった爆発的な"ヘビーローテーション"を筆頭に、'11年最高のサマーチューン"Everyday、カチューシャ"、直情に突き動かされる"大声ダイヤモンド"など、シングル曲はどれも名曲揃い。策士家、いや作詞家としても優秀な秋元康の絶妙な歌詞と、いくつもの候補曲から選りすぐったメロディ、女の子たちの無限の力、これらが全て調和すると、"言い訳Maybe"のようなアイドル・ポップの王道が出来上がる。
良いのはシングルだけではない。むしろカップリングがタイトル曲以上の人気を誇ることは少なくなく、ここ最近でも"抱きしめちゃいけない"という素晴らしい曲が"フライングゲット"の横に添えられている。
活動期間の割に意外なほど楽曲が多く(グループ全体で何百曲!?)、その中にはもちろん退屈な、というかファンしか楽しめなさそうな曲も多くあるが、たとえば唯一のオリジナル・アルバム《ここにいたこと》に収録されたアルバム・カット"少女たちよ"はきら星のごとく輝くし、アイドルという道を選んだ少女たちの現実逃避がテーマの"人魚のバカンス"は、ボサノバ調のアレンジとそよ風のようなメロディが心地よく通り過ぎる。よくわからないほど枝分かれしたユニット曲も、MINTの"君について"、YJの"Choose Me!"などは記憶に残る素晴らしい曲だ。"ダンス映えする激しい"Beginner"、寄り添うメッセージソング"夕陽を見ているか?"、デトロイト・ポップを模した"涙のシーソーゲーム"なども含めてみていくと、単なるキャバクラ風アイドル・グループ、とはいえない音楽的な深みと幅広さがあるはずだ。ということで、もし偏見を持ってこのグループの楽曲に手をつけない人がいたら、ちょっともったいない気はする。ちょっと前にとあるサイトで、「AKBの楽曲が10年後に歌われているか?流れたとしてもその時代のレビューとして懐古されるだけだ。それはなぜか?結論を言えば低レベルだから。」という論を見たことがあるけれど、個人的には賛同できない。なぜならアイドルポップには賞味期限があり、これも今こそ楽しんでおきたい類の音楽だと思うから。そもそも、11年の音楽で10年後にも歌われる歌とは何かな?嵐?まるまるもりもり?生の歌が下手すぎるというのは同意(笑)まぁ長くなってきたので最後にまとめておくと、「会いたかった」に始まり「あなたがいてくれたから」に終わるこのグループ、まずビジネスのコンセプトとして成功、かつアーティストと名乗る以上基盤となる楽曲もよく出来ているということで、今となっては売れるのも至極当然だなと思った次第。・・・それにしても、なんでこういう話になったんだっけ??久々の更新というのにいつも以上に中身がねー(笑)
ふと気になったのだが、そういえば日本で「CDが売れない時代」と言われてどのくらいたつんだろうか??
んんー、わからん。あまりにJ-Popの新譜をチェックしていなかった(多分10年くらい前で時計は止まっている)ため、昔とどう状況が変わっているか正直わからない。10年前の感覚って、オリコンチャート上位にランクインするようなレコードは当然のように数十万枚売れているってかんじだし、ミリオン・ヒットですらそれほど驚きはしなかった気がする(いいすぎか)。対してここ数年は、チャート上位に入る曲でも二桁万枚売れれば御の字で、売れるアーティストも固定されつつあるらしい。
まてよ、CDが売れない?この現象は日本に限ったことじゃない。インターネットが普及した世界で、CDという商品形態が縮小されるのは自然な成り行きにも思える。聴きたいものがあればダウンロードすればいい。実際に米国では、単価が安く手軽なダウンロード販売がCD販売にとってかわり、音楽産業の売上げの半分以上が、ネットを通じたコンテンツ・ビジネスになりつつある。
むしろ、ここ日本は、CDが売れなくなったといわれる現在でも、その売り上げが音楽産業全体の売り上げの大部分を占めているという。なんで?ネットが当たり前になった日本で、あえてそちらを購入する消費者の動機はなんなのだろう?―――たとえば、そのアーティストのファン。コレクションしたい。買おうと思わせる付加価値がついているから。ネット環境になく、ほかにその音楽を聴く術がない。データは音質が気になる。データは消える可能性がある。そんなところかな。それぞれに理由はあるのだろうが、個人的にはよくわかる。手に触れられず購入した気があまりしない音楽データより、手元に残り、カバーやカード、レーベルデザインまで吟味できて、物欲を満たせるCDの方が自分もいい。仮にダウンロードで音源を入手したとしても、出来の良かった作品はCDで買い直すくらいだし。手軽さや価格では量れない価値を感じているんだろう。
ここまで書いておきながらなんだが、結局のところ、CDかダウンロードかという入手形態のイカンはそんな大したことじゃない。むしろ気になるのは、おおげさにいえば音楽産業全体の規模縮小と弱化。規模縮小に関しては、ネット普及による弊害(不正なアップ&ダウンロード)を原因として、数年前にCCCD(コピーコントロールCD)なんてのもあったが、売る側からしたらどうであれ、聴く側からすれば別に大したことじゃない。オンラインストレージも丁度ここ数日でやばいことになっているが、それをなくしたところで本当に売上の大勢に影響が出るのかどうか。弱化に関して言えば、10曲少々で3000円のアルバム、シングルにいたっては1,2曲で1200円する日本のレコードに、「それでも買いたい」と思わせるような価値を多くの人が見出せていないとしたらまずい。じゃあ売れた時代の音楽が今の音楽よりレベルが高いかといわれたらぶっちゃけわからんが、多くの人が価値を見出していたから多く買われた、これは一つの事実だと思う。ただし、2000年周辺以上に世の中の楽しみが多様化した現代、価値観そのものが変わりつつあるというのも事実。音楽以外にも娯楽はたくさんあり、嗜好の個性化も進んでいる。まぁもしJ-Popの音楽性に関していう人がいるとしたら、J-Popの根底には日本語の抒情性が横たわっている!として、歌詞の素晴らしさすら最近は感性もない言葉の羅列になってきた!とか、いやいやそれはいいとしても、結局洋楽の後追いで、しかもビートに乗り切れない中途半端なポップスだ!とかだろう。いわれることは今も昔も大して変わってない。
さて、そんなかんじで珍しくJ-Popのことについて書いたのだが、これを考え始めたきっかけは、AKB48の存在があったからなのだ。

AKB48は、5月の"Everyday、カチューシャ"8月の"フライングゲット"、10月の"風は吹いている"、そして12月の"上からマリコ"で、音楽的不況といわれるなか、発売して数日のうちにミリオン・ヒットを記録した。2011年を語る上で欠かせないグループになったわけだが、しかし、これはあくまでマーケティングの成功であって、芸術性の成功ではない、とする意見も多くみられる。
まず、なぜそんなに売れるのか。これに対しては、パッケージ商品の利点をいかした「特典」(DVD、握手会チケットや生写真など)を利用し、同じ人に何枚も買わせるいわゆる「AKB商法」やプロデューサーの戦略が必ず話題に出る。自社によるマネーロンダリングといったハナシもあるらしいが、ここでそれに関して語るのは意味がない。(わかってどうこうなるもんじゃないから)。個人的には、AKB商法に賛成も反対もないが、そのビジネスモデルは、欲しいひとが欲しいものを欲しい数だけ買っているだけ、資本主義の自然のようには思える。握手権や投票権を手に入れるがため一人で何枚も同じCDを買うことが批難されるなら、行きつけのバーで綺麗なバーテンダーと長く話をするためマティーニを繰り返し注文するのも批難されることになる。(もちろん、特典を抜きとられた後山積みにされたCDをみたときの微妙な気持ちは別話。)
せっかくなので、もうすこし立ち入って考えてみよう。このグループは、それまで決して手が届かないところにいた、その言葉通り偶像的な存在だった「アイドル」という概念を変えた。「会いに行ける」というコンセプトの元、近距離で楽しめる劇場公演、実際に触れられる握手会を運営の中心に置く。そして、成功以上に挫折や失敗にスポットライトを当て、AKB48というドキュメンタリーをつくりだす。その過程をみせることによって、ファンにあたかも少女たちの成長を目の当たりにしたような感覚を与え、アイドルという存在をそれまで考えられなかったくらい身近な距離に引き寄せた。(最近のぐぐたすもそうだが、それまでのアイドルにはなかった日常性が売り。)
次に、上にも書いたように、インターネットの発達、嗜好の個性化、という、ここ最近 音楽産業に限らず世に影響を与える二つの社会的性格を、他のどこよりも正確にとらえたグループでもある。
これはAKB48が、というよりプロデューサーが、ということになりそうだが、老若男女だれもが自由に情報や感情を発信できるネット世界が広がるにつれ、テレビが唯一の娯楽だった時代のような一方的な発信はいつか行き詰まる、ということ。そのうえで、客の声がグループを育てる、という双方向のやり取りを形成。ファンの声がより強く反映され、これまたファンがグループと個人の成長に大きく関与しているような感覚を与える仕組みを考えだした。それがもっともよくわかるのが、アイドルの人気を可視化し、個人的に推すメンバーを直接的に応援できる(本来アイドルのタブーであるはずだった)選挙システムなのだ。
AKBのシステムの面白いところは、どこまで「広く」アピールできるかといったこれまでのアイドルのメディア戦略とちょっと違い、どこまで「深く」好きになってもらえるかも重要な戦略であること。要は、レコードを購入する層が局地的であるならば、その局地を完全に制覇してしまう、といった考え方。確固たる人気の土台を作ること。今でこそAKB48に対しマスコミが使う呼称は「国民的アイドル」(※)だが、ブレイク以前は「オタク系アイドル」、「アキバ系アイドル」という呼称だった。つまり、その言葉が示すように、本来は限定的かつ熱狂的な人気こそAKB48の本質なのだ。今はそれが拡大したに過ぎない。だから、もしこのブームが仮に去ったとしても、「その時はまた劇場から始めればいい」となる。
(※それにしても、「国民的アイドル」なんて昔くさい概念が2012年にも通用するのだろうか。それとも、今の時代こそそういった共通概念が有効なのだろうか。グループ全体としてはともかく、彼女たちは単体として国民的といえるほど知名度があるわけではないし、だれもが理想や希望を重ね合わせる存在でもない。このグループ(や商法)を好かない人たちも相当数いるのだろう。まぁいずれにせよ、メディアが使う「国民的」って言葉はうさんくさいけれど、このグループへの批判は、たとえばK-Popと同じように、それら自体が嫌いな人以上に、公共の電波でごり押し、それこそ流行が国民的だと錯覚させようとするメディア手法への嫌気も多くの部分を占めている気もする。まぁそんなことは今に始まったことじゃないから、結局情報なんて自分で吟味して、自分が楽しめそうなものは楽しめばいいだけの話なのだが。)
とまぁごいろいろごちゃごちゃ言ったが、なぜ売れるか、という最初の問いに立ち戻ると、実は、日本のアイドル・ポップというのは、アニメやマンガと同じくこの国独自の発展を遂げたものの一つで、実際AKB48のビジネスモデルは日本発のオリジナルとなり、要は新しく刺激的だった。たくさんの女の子がいる。そこには一人くらいなんとなく気にいる子がいる。その子を目で追う。追ううちにファンになる。ファンになった後存分にその子を見る。見ているうちに、周りにも意外とかわいい子がいることに気づく。その子も目が追うようになる。これが繰り返されると、メンバーを一通り覚えることになってしまう。そして、好印象の子が歌う曲に対しても好印象を持ちだす。それが深くなると、楽曲を聴いただけでその子の顔やそのシチュエーションが思い浮かび、あるフレーズを聴くだけでPVのヒトコマがクロスするようになってしまう。ここまでいくと、残念ながら末期症状。なんとも巧妙な構成だ。
そして何より、AKBの強みは、その商法と同じかそれ以上に、なんと楽曲にある。
グループの代表曲となった爆発的な"ヘビーローテーション"を筆頭に、'11年最高のサマーチューン"Everyday、カチューシャ"、直情に突き動かされる"大声ダイヤモンド"など、シングル曲はどれも名曲揃い。策士家、いや作詞家としても優秀な秋元康の絶妙な歌詞と、いくつもの候補曲から選りすぐったメロディ、女の子たちの無限の力、これらが全て調和すると、"言い訳Maybe"のようなアイドル・ポップの王道が出来上がる。
良いのはシングルだけではない。むしろカップリングがタイトル曲以上の人気を誇ることは少なくなく、ここ最近でも"抱きしめちゃいけない"という素晴らしい曲が"フライングゲット"の横に添えられている。
活動期間の割に意外なほど楽曲が多く(グループ全体で何百曲!?)、その中にはもちろん退屈な、というかファンしか楽しめなさそうな曲も多くあるが、たとえば唯一のオリジナル・アルバム《ここにいたこと》に収録されたアルバム・カット"少女たちよ"はきら星のごとく輝くし、アイドルという道を選んだ少女たちの現実逃避がテーマの"人魚のバカンス"は、ボサノバ調のアレンジとそよ風のようなメロディが心地よく通り過ぎる。よくわからないほど枝分かれしたユニット曲も、MINTの"君について"、YJの"Choose Me!"などは記憶に残る素晴らしい曲だ。"ダンス映えする激しい"Beginner"、寄り添うメッセージソング"夕陽を見ているか?"、デトロイト・ポップを模した"涙のシーソーゲーム"なども含めてみていくと、単なるキャバクラ風アイドル・グループ、とはいえない音楽的な深みと幅広さがあるはずだ。ということで、もし偏見を持ってこのグループの楽曲に手をつけない人がいたら、ちょっともったいない気はする。ちょっと前にとあるサイトで、「AKBの楽曲が10年後に歌われているか?流れたとしてもその時代のレビューとして懐古されるだけだ。それはなぜか?結論を言えば低レベルだから。」という論を見たことがあるけれど、個人的には賛同できない。なぜならアイドルポップには賞味期限があり、これも今こそ楽しんでおきたい類の音楽だと思うから。そもそも、11年の音楽で10年後にも歌われる歌とは何かな?嵐?まるまるもりもり?生の歌が下手すぎるというのは同意(笑)まぁ長くなってきたので最後にまとめておくと、「会いたかった」に始まり「あなたがいてくれたから」に終わるこのグループ、まずビジネスのコンセプトとして成功、かつアーティストと名乗る以上基盤となる楽曲もよく出来ているということで、今となっては売れるのも至極当然だなと思った次第。・・・それにしても、なんでこういう話になったんだっけ??久々の更新というのにいつも以上に中身がねー(笑)

















