梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

父と私

2016-10-15 20:37:31 | 日記
   Kさん、暖かい励ましのコメントありがとうございます。

   父は今で言う第一三共製薬の現場で、平社員として生涯を終えました。学問も無く、社交性も無く、仕事から疲れ切って帰れば、夕食を食べたらさっさと布団に入り、ナイターがあればそれを見るだけの生活をしていました。長男の力添えでようやく所沢の畑の真ん中の建売住宅、それも初日からガラス戸がひし形にひしゃげてしまうような安普請の家ですが、とにかく建売を購入し、やれやれ盆栽の面倒でも見て余生を送るかと安心した途端、慢性白血病が発生してしまいました。

   その時には私は既に結婚して葛飾区に居を構えておりましたが、母から、父が命に関わる病にも関わらず入院を拒否しているから、説得に来て欲しいという電話がありました。葛飾から所沢はかなり距離があります。もっと近場に長男と三男が住んでいるのになぜだ!と思いましたが、とにかく仕事帰りにそのまま直行し、父と話をしました。

   聞く耳を持たぬ父でしたので、私がいくら口を酸っぱくしてすすめても、このままでは間違いなく間もなく死んでしまうんだと繰り返しても、入院はしないの一点張りでした。社交性に乏しい、いや、社交性などこれッぽっちも無かった父は、見知らぬ人たちと一緒になる病院で暮らすことが死ぬほど嫌だったのだと思います。私はもう見捨てて帰るつもりで、「じゃあ、家でそのまま死んじゃいな!」と言い捨てて、席を立とうとしたその瞬間、父は言いました。「入院するよ。」

   父は上の三人の兄に対しては、あまり愛情を表に出しませんでした。しかし、末っ子の私は、会社の慰安会に何度か連れて行ってくれり、ボリショイサーカスに連れて行ってくれたり、割と素直に愛情を表してくれたようなな気がします。母の目からは、私が一番父から愛されているように見えたのだと思います。一番可愛い息子の言う事なら、きっと聞くに違いないと、賭けに出たのでしょう。

   父の闘病生活は11年に及びますが、症状が重かった初期の頃は、私が仕事帰りに泊りがけで付き添い、その足でまた出勤するということが続きました。私の勤め先から父の入院先までは歩いても40分で行ける距離だったのです。薬物療法の副作用でやせ細った父、体力回復のために食欲増進剤を打たれているとも知らずに、寿司を買って来てくれ等、私に依頼していた父。

   4人兄弟の中で、父の看病をしたのは私一人、父の死を見取ったのも私一人でした。意識は無いが親族の呼びかけにだけは反応するからという主治医の言葉に従い、私は意識の無い父に、何度も話しかけました。父は私が声をかけている事だけはわかっていたようで、おお、おお、と、言葉にならない返事を繰り返すうちに、死を目前にした人間が必ずする、下顎呼吸を始めました。

   下あごを上下に動かしながら、呼吸にならないほどの浅い呼吸をしばらく繰り返していましたが、ヒュウっという音を立てて最後の一息を吸い込むと、そのまま帰らぬ人となりました。私は自分の額をまだぬくもりの残る父の額に押し当てて、最後の別れをしました。

   私の見てくれは、一番父に似ています。この年になって、こうでしか有り得なくなった髪型も、父親そっくりなのです。社交性が足りない性格もそっくりです。そんな私ですから、父親の最後と自分の最後を、どうしても重ねてしまいます。父親と同じ寿命なら、余すところ後6年しかありません。これは日本人男性の平均健康寿命を下回ります。

   父の死には、ちょっぴり笑えて、かつちょっぴり泣ける後日談があります。父は春から秋にかけて自宅療養、秋から春にかけては入院と言う生活を繰り返していたのですが、ある時を境に、あれほど入院を嫌っていた父が、いそいそと入院するようになったのです。実はとても気立ての良い看護婦さんがいて、その方が社交べたの父にとても良くしてくださったので、すっかり気に入ってしまい、入院を嫌がらなくなったのです。父はよく、息子の私が既婚者でなかったら、嫁になって欲しかったと言っていたということでした。

   実はその看護婦さんに看護を受けていた短い期間というものが、父の人生で唯一ロマンチックな、幸福なひと時だったようです。兄嫁などは「老いらくの恋」と笑っていましたが・・・・。 ところが、父の幸せは長くは続きませんでした。彼女が故郷の福島県に帰って、結婚することになったのです。当然、寿退社ということになります。そして彼女が去った後、寂しい、だだの一人の老人患者に戻ってしまった父は、ほどなく亡くなってしまいました。

   心優しいこの看護婦さんは、父が亡くなったということを知ると、わざわざ福島から線香を上げに来て下さったそうです。もしもそのこ頃まで私が独身で、この看護婦さんと結婚していたら、父はもう少し長生きどころか、病気から立ち直ってしまったのではないかと思うと、早くに結婚してしまったことを申し訳なく思う時もあります。

   そんなこんなで、私は自分と父をどうしても重ねてしまいます。男は大体においてそういう傾向があるそうですが、私の場合は更にその傾向が強いように思います。第三者の目から見れば、意味の無いことに見えるのかもしれませんが。

   

 

   

   
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