梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

返事の書けない手紙

2016-10-03 14:47:16 | 日記
   昨年末に、とある卒業生から手紙をもらいました。同窓生から私のアドレスを教わり、私の住所を教えてほしいという問い合わせに答えてしばらくしてから届いたものです。その子は一年生の時、一年間だけ担任しただけの女の子でした。その後二年間は特に言葉を交わすでもなく、接点もないまま卒業していき、学校は同時に閉校になっていましたので、遠い記憶のかなたに行ってしまった子ではありました。

   昨年、私は自分の体調がすぐれないことを理由に、一人の男子に声をかけて、都合がつき、集まる気のある者だけ集まって、昼食会を開いてもらいました。取りまとめを依頼した男子以外は見事に女子ばかりでしたが、まだ6か月の乳飲み子を抱えて出席してくれた子もいれば、子供を3人連れてきて、その子たちを相手にするだけで手いっぱいの子もいました。彼女もまた、2人の幼児を連れて来ていました。

   暮れになり、彼女から手紙が届きました。この手紙のために、私はもう10か月も心に引っかかり続けている事があります。実は、返事は少しだけ待っていて欲しいとメールを打ったきり、いまだに返事を書いていないのです。いや、正確には、返事が書けていないのです。

   便箋5枚にびっしりと書かれたその手紙は、美しい字で誤字や書き損じもなく、また、何のためらいもなく思うままに一気に書き終えたものであることは明らかでした。中学3年生の時に父親が亡くなったこと、母親が私と同い年であること、私が父を感じさせるところがあったことなどが最後に書き添えられていました。私信の内容を詳らかにすることはできませんが、これは今まで私がもらった手紙の中で、字も内容も、最も美しいものでした。私が担任していた時期にも、彼女は邪念というものを全く持たない、美しい心の持ち主ではありましたが、卒業後12年という歳月を経ても、彼女はその美しい心を全く失ってはおらず、さらには赤みを帯びた頬の色が抜けて、洗練された美しさが加わっていました。

    彼女の手紙は、あまりにも完結しており、非の打ち所がありません。誰からの手紙でも必ずある突っ込みどころが皆無なのです。一読して私は頭を抱えてしまいました。こんなにも誠実な手紙をもらったのに、返事の書きようがないではないかと思ったのです。もちろん月並みな、相槌を打つような返事なら今すぐにでも書けるのですが、それはしたくないのです。

    私は時折指が勝手に動いて、長い文章をさらさらと、楽々と、書きあげてしまう時があります。彼女の手紙に対しても、そんな日が来ることを信じて待つこと10か月。彼女の手紙の誠実さに匹敵するだけの返事を書かねば決意してから10か月。未だに一文字も書けてはいません。

    二年越しになったらいけないと思いつつ、今年も残すところあと2か月を切ってしまいました。どうしたものやら、少しづつ頭が痛くなる思いがして来ます。