Ribbon cafeブログ

中味はコテコテの喫茶店でござります。

私がカフェ(喫茶店)をはじめた訳・・名古屋喫茶店天国最終章

2009-04-30 20:20:15 | いろいろ

話戻って、名古屋喫茶店天国のこと。

ラジオでモーニングの発祥の地は愛知県一宮市だとの情報。
機屋(はたや)さんが商談をするとき、音がうるさいので喫茶店で商談をしたのが最初だという。

「まあまあ、それではパンでも食べながら。」という感じかな?
今も300円払うと、パン、サラダ、茶わん蒸し、そうめん!!などがついてくる店があるとのこと。儲けはなく、もうやめられないからやっているのかも。

定休日以外、毎日きているというおばちゃんがインタビューを受けていた。
インタビューアーはパンチ佐藤。その時点で昭和の香りぷんぷん。


わたしがRibbon cafeなんてこじゃれた名前を名乗りながらも、

昭和の匂いのするものに惹かれるのは、学生時代の名古屋の体験が大きいのだと思う。当時の名古屋も昭和の良き時代、「大盛り命の店」なんかもあった。


十日町でもいつかはこんなモーニングを出してみたい。

でもなぜ茶わん蒸しなんだろう。そうめんとコーヒーは合うのだろうか?


次回は、本当に「私がカフェをはじめた訳」。


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突然話変わって映画「おくりびと」のこと

2009-04-27 18:38:55 | おしらせ

名古屋喫茶店天国の話はちょっと置いといて、今回は「おくりびと」の話。

今週、十日町市の公民館で「おくりびと」が上映されるので、急きょ内容を変更。

28日、29日、5月2日に上映とのこと、できるだけ多くの方に見てほしい。

わたしは先週、長岡で見てきたばかり。とてもよかった。

友人はずっと鼻をすすって泣いていた。

わたしも気がつくと涙で顔がぐしょぐしょ。

映画の内容はまだ見ていない方のために、あまり書かないが、一番印象に残った
のは主人公の所作の美しさ。納棺の儀式は日本の形式美を感じさせる。

できることなら、この人に(本木雅弘)納棺してほしいと、強く思った。

無理なら山崎勉・・・(もっと無理)

日本人の死生観や、悲しみを内に入れ込む感情についても感じることが多かった。


最近、人はなかなか家で死ねない。

病院で、いろんな機械に囲まれ、家族は部屋の外に待機させられ、最後の時を迎える。

母の実父は私の家で息を引き取った。そのころ私は小学生だった。

山あいの集落で犬と暮らしていた頑固じいさん。

いよいよ最後は娘家族に見守られ臨終の時を待った。

呼吸が止まり、おばさん(長女)がうちの家族に「本当にお世話になりました。」と
泣きながら、挨拶をはじめた。

すると、じい様がまた「あー」と呼吸をはじめた。みんなまた神妙な顔で
じい様のまわりに集まり、「とおちゃん・・・」と声をかける。

「・・・あ・・・」と最後の呼吸、またおばが挨拶をはじめた。するとまた息を吹き返す。

そんなことを数回繰り返しているうちに、なんだかおかしくなってきて

笑いそうになった。もう1回繰り返したらきっと笑いだしたに違いない。


悲しいけど可笑しい。
そんな「死に際」を見れたのも、家でじい様をみとることができたおかげ。

わたしも何回も息を吹き返して、みんなに「いいかげんにして!」と怒られて死んで
みたいものだ。


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私がカフェ(喫茶店)をはじめた訳…その2

2009-04-26 13:40:48 | いろいろ

名古屋はおいしいものがたくさんあった。

みそカツに天むす、手羽先などは有名。味噌汁は赤だしが基本で

しじみ汁などは本当においしかった。

私のバイト先では、焼うどんや、ピラフの上にカレーをかけたその名もズバリ「カレーピラフ」がよく出ていた。焼うどんにライスをつけたものも人気。

炭水化物に炭水化物のおかず、栄養士さんが眉をひそめるものが実はとてもおいしいのだ。

私が好きだったのは、チキンカツの上に赤みそベースのたれがかけてあるもので、自動車の教習所に行く前によく食べていた。

名古屋人は日曜の朝に家族で喫茶店のモーニングを食べる家庭が多く、

「みかんの木」も日曜は大賑わい。

むしゃむしゃモーニングを食べ、昼にはランチを食べ、夕方には友達とお茶を飲む・・・なんていうのが特別ではない、日常だった。

十日町でお茶をするというと、双方の家で日本茶に漬物というのが定番だが、

あちらでは外でお茶をするのが一般的のようだった。

コーヒーを頼むとほぼすべての喫茶店でおまけがついてくる。豆だったり、お菓子だったり。

ついてこないとケチな店と思われる。

だから東京で喫茶店に入ったらびっくり。おしぼりはでないし、(名古屋は布おしぼりが基本)、

豆はついてこないし、値段は高いし。

今はどうか知らないが当時の名古屋は喫茶店天国だった。

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私がカフェ(喫茶店)をはじめた訳

2009-04-25 17:37:30 | いろいろ

本日、4月25日は偶然にも私の誕生日。

何回目かは本人も思い出せない。

今日からお店のあれこれや、日頃感じていることなどをブログに書こうと思う。

来年の誕生日はどんなことを書いているやら・・・

学生時代、社会人の約8年間、名古屋で暮らした。

名古屋といえば当時、喫茶店とパチンコ店が人口比で日本一多い町だったと思う。

高校まで十日町で暮らした田舎娘にとってそれはそれは刺激的な町だった。

東京に行く友人が多い中、名古屋には全く知り合いがなく、

しばらくは寂しい毎日だったが、町のあちこちに喫茶店がわさわさとあり、すぐに楽しい毎日になった。

さすがに親の仕送りで遊ぶのが後ろめたくバイトをせっせとしたが、

「まかない付き」の言葉にひかれて飲食店や喫茶店のバイトをしていた。

最初の中華料理店は、店長はじめスタッフがオールバックでそりこみが多く、

みんなやけに矢沢永吉のことが好きそうだなと思っていたら、

その筋のお店だったことがわかり、静かに辞めた。

その後は明るく健全な家族経営の喫茶店でバイトをした。

とても楽しく「いつかはこんな風に自分のお店が持てたらいいな」と漠然と思っていた。

それにしても名古屋の喫茶店文化はすごかった。

当時のコーヒーは200円ぐらい(年がばれるというもの)で、

モーニングがついても同じ値段。

わたしのいたお店はポテトサラダが入ったホットサンドだったが

美味しくて今でもその味を思い出す。

そのお店の前には大きなみかんの木があり、

店名もずばり「みかんの木」。

Ribbon cafeのお店の前にはけやきの木。

店名に「けやきの木」も候補にあげたが

冬になると、けやきは幹だけとなり、寒々しくなり

悲しい感じのお店、「けやきの木」になるので

候補からはあえなく落選となった。

次回も名古屋の楽しい喫茶店ライフのお話。

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