雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

パソコンやデジカメで Instagram を

2018-02-21 07:06:01 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

 

★ 今回の平昌オリンピックの幕開けは、北朝鮮の話題ばかりで『スポーツの祭典』と言うすがすがしさがなかったのだが、この500メートル女子の金銀の二人はホントによかったなと思っている。

 そんな小平奈緒は、日本選手団の主将を務め、『主将は金は取れない』と言う変なジンクスもあったようだが、それを吹き飛ばす快挙であったと同時に、レース直後のこの行動は観る人たちに感動を与えたし、地元韓国の各紙も大きく好意的に報道したようである。

 

     

 

 こども時代を韓国、今のソウルで育った私は、韓国には特別の感情を持っているのだが、日韓関係がもう一つの昨今、これは特筆すべき出来事だと思って、長くその写真が残るInstagram に下のようなコメントを付してアップしたのである。

 

 rfuruya2  私は小学生時代を朝鮮、今のソウルで育った。韓国は半ば故郷のような感じを持っている。日韓関係がもう一つのいま、今回のオリンピックで一番印象に残っている写真である。

 

 それに対して沢山の『いいね』と、私と同じように感じておられる沢山のコメントを頂いて、大いに気を良くしているのである。

 

   

 

   

 

★ところで、 Instagram は、昨年4月から始めたばかりなのだが、私は電話機能のあるスマホは持っていないし、Instagram は元来がスマホから投じられるのが一般的で、私のようにパソコンで観ていたり、デジカメやこの写真のように新聞からの写真をInstagram に投じるのはなかなかムツカシイと言うか、殆どの方は『できない』のではないかと思っているのである。

 

 ネットで検索してみても、『通常ではPCから利用できません』と出てくるし、

   

  スマホではなくて、デジカメからの写真を利用する方法も間違いなくあるのだが、そんな高度なことはとても私には無理なのである。

 

   

 ★私は、技術的なことは全く苦手で、ネット関連のことも自分では何もできないのだが、周囲にいる指南役の先生に教えて貰ってそれを反復して利用しているので、 『動画の編集』や『記事や写真の切り取り』などもできているだけなのである。

    

どんなものがあるかと言うと 私がネット関連で使っているのは『こんなアイコン』のものが主で それを反復利用 しているだけなのである。

 

  

Instagram に デジカメなどの写真を使うには、この中の 『iCloud フォト』をクリックしてスタートするのだが、これを作ってくれたのは娘の方の孫の長男・門野力也で、彼はびっくりするほどネット関連詳しいのである。

 彼が全部造ってくれて、私はその通りにやっているだけなのである。忘れてはいけないので、そのやり方はこんな箇条書きで残して貰っているのである。

 

 まずは『パソコン側の操作』だが、こんな順序にやれば、私の電話機能のない旧いスマホに写真が取り込めるのである。

 

パソコンの操作

1.デジカメで撮った写真をパソコンに保存する

2.デスクトップにあるiCloudフォトを開く

3.共有をクリック

4.もう一度共有をクリック

5.上のお気に入りバーみたいなところにある「写真またはビデオを追加」をクリック

6.「写真またはビデオを選択」をクリック

7.iPhoneに共有したい写真を選択

8.終了を押す

 

  上記の3番目にはこんなサイトが現れるので、あとは順番にやれば、iPhone 側に写真が入っていくのである。

 

  

 

iPhone 側の操作は、旧い電話機能はナイ のだがその他の機能はちゃんと使えるし、幾ら使っても『無料』だからホントに便利である。Line もできるので、普通の通話はできないが、アメリカとのLine での通話は大丈夫なのである。

その順番は以下の通りなのである。

 

iPhoneの操作

1.「写真」を開く

2.下の3つの真ん中にある「共有」を推す

3.インスタグラムにあげたい写真を選択

4.下の一番下にあるボタンを押す

5.メッセージのところを横にスライドしてインスタを押す

6.シェアを押す

 

 冒頭のInstagram 上に投稿した写真は、こんな箇条書き通りにやっただけの話で、こんな記録なければとても自分ではできないのである。

 この箇条書きは私のパソコン内にはあるのだが、『消えてしまっては大変』なのでこんなブログに残しておけば、半永久的に『gooのブログ』がちゃんと保管してくれているのである。

 昨今のこのようなサイトはホントに膨大なデーターをいとも簡単に保管してくれるのだが、

 例えば、私がブログにアップした写真は、『雑感日記 画像一覧』として http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/images/?p=1

 Gooのサイトの中に最初の1枚から順番に、このように保管してくれているのである。

 

   

 

  1枚に18枚が収められているので、12000枚を超す写真全てが見ることができるのである。

 ネットの世界はホントに素晴らしい。 『自分のやりたいこと』だけを覚えたらいいので、余分なことは不要だと思っている。

 

  

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世界一・スゴイ出来事が続いた

2018-02-20 06:08:58 | 発想$感想

★オリンピックの金メダルは、解り切ったことだが『世界一』ということなのである。

 どう考えても『世界一』はスゴイ。

 そんな出来事が、続いて実現した。

 

   

 

  昨年11月に怪我をした羽生結弦選手だが、金メダルの期待を裏切らず、当然のように『金メダル』を取り切った感じの演技だった。

 素人が観てもなかなか点数の仕組みが解り難いフィギユアスケートの世界だが、『これは一番だ』と感じさせたような迫力の演技だったように思う。 世界一は素晴らしいし、2番目も日本人の宇野昌磨選手が続いたのがさらに素晴らしかった。

 

そんな興奮が冷めやらぬ中で、今回のオリンピックの選手団の主将を務めた小平奈緒選手がこれも期待通りの『金メダル』世界一となった。

     

 

 インタビューで見せたその語り口にも小平奈緒の人柄が感じられたし、

 

    

 

 レース終了後、真っ先に李相花に近づき、韓国語で「チャレッソ(頑張ったね)」と声をかけた と言う自然な仕草にも、世界一のスポーツ選手に相応しいものが感じられたのである。

 試合中も、試合後も、1日おいたインタビューでも『世界一に相応しい 小平奈緒選手』を見ることが出来た。

 

 

★ そういう意味で感動の2日間が続いたのだが、こちらの藤井聡太五段が羽生竜王を破ったニュースもびっくりしたが、

 

  

 

 

  翌日はこのトーナメントに史上最年少優勝を果たしてめでたく『六段昇格』を果たしたというニュースが飛び込んできた。

 

    

 

  昨年来、将棋界の話題を独り占めしている藤井聡太さんだが、オリンピック流に言えば『金メダル』に匹敵する快挙である。

 囲碁と違って、将棋の日本一は間違いなく『世界一』なのである。

 未だ中学生の藤井聡太さんだが、こちらもオリンピックの『金メダル』に匹敵する快挙であることは間違いない。

 

 そんな『スゴイ出来事が続いた』 3日間だった。

 

 

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Facebook はいいな

2018-02-19 07:53:40 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★最近は毎日の半分をパソコンの前で過ごしているのだが、中でもFacebook は繋がってるトモダチたちが、どんな風に暮らしてるかがよく解っていい。

 別に、特にコメントをしなくても、「いいね」を押さなくても何が起っているのかは、見てているだけで解るのである。

 私の周りで言えば、アメリカの娘一家のことが一番よく解って、すぐ隣に住んでいるような感じである。

 確か、2月の中頃には孫の長男が久しぶりにアメリカに戻るとか言ってたので、もうそろそろかなと思っていたら、昨日のFacebook に娘がこんな 写真をアップしていた。

 

  

    こんなコメント付きである。

      『長男が1年ぶりに日本から戻ってきた。
      ランチは日本では高くてあまり食べれないというピザ。
      私の断食の成果がことごとく崩れ去っていく~~(笑)』

 

黙々と食ってる感じだが、いま慶応大学4回生の孫は、何かもう1年自分のやりたいことをやるとか言って、わざわざ1年休学して今年の春の卒業を1年延ばして、学生をもう1年やるらしい。

 授業料以外の『日本での生活費』を全て自分で頑張ってるので、日ごろは粗食に耐えているらしい孫だが、年末・年始は三木に遊びに来てたその時は、おばあちゃんがまさに『孫可愛がり』で歓待していたが、1年振りのアメリカ帰国となると、娘も特別待遇での扱いになっているようなのである。

3人の孫の中で、娘は特に『俺には厳しくて、末弟には優しい』と長男は常にぶつぶつ言っていたのだが、この厚遇ぶりを見るとそうでもないので、これには感謝すべきだろう。

母親にとってみると『こどもはいつまで経ってもこども』なのである。

それは家内の息子に対する扱いを観ていても、息子が戻ってくるとなると、買い物の質が上がって特別になるのが、いつものことである。

幾ら長男には厳しいと言う娘でも、1年振りに戻るとなるとこうなるのだろう。

 

  

 

  これは、今日の娘婿がアップしたFacebook の写真である。

 『長男が帰ってきている。晩御飯の後、こんな手作りロールケーキが出てくる。

  何か解せないけど、ご相伴にあずかれるので良しとしよう。』

  と言うコメントが載っている。

 

それにしても結構な量である。今、娘家族は長男と末弟だけの4人家族にしては、多過ぎると思うのだが、彼は酒も飲まぬのだが、『甘いモノ』だけには目がないのである。 『晩飯の後』との断りがあるが、多分これも7割ぐらいは独りで食ったのではなかろうか?

ごく最近まで娘夫婦は『断食』をしていたらしいが、孫は兎も角『娘婿』はご相伴で『断食の効果』が薄れないようにと祈るものである。

  

   

  ★孫のアメリカ帰国も、多分10日ほどでまた日本に戻ってくるのだろう。

 日本に戻ったら、また納豆ぐらいしか食えない食生活が待っている孫なのである。今春卒業しておけばそんな生活にもおさらば出てたはずなのに、自ら選んだ道だから、もう1年間粗食に耐えて頑張って欲しい。

今回の帰国では、末弟にいろいろと『家庭教師役』を娘に頼まれているらしいから、その駄賃代わりに、アメリカにいる間だけでも、いいモノをいっぱい食って帰るがいい。

あと何日の滞在なのかは定かには解っていないのだが、そのうちにまた Facebook でいろいろと情報が解るかも知れないから、楽しみである。

  

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絵になる大谷翔平

2018-02-18 06:32:28 | スポーツ

★連日大リーグの 大谷翔平のニュースが流れる。

 何か別格である。

 スターだけが持っている何かがある。

 一言で言えば『絵になる大谷翔平』とでも言うべきか。

 そんな大谷の写真がいっぱいあったので、その中の幾つかを並べてみる。

 文字は要らない。 そんな感じである。

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    

 

    今年の秋、サンタアナ で 『本物の大谷翔平を見れたらいいな』 と思っている。

 

  

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私の定年後の生活 71歳 2004年

2018-02-17 06:44:42 | 自分史

★2004年、71歳。

 この年の出来事を見てもよく覚えていない。ある意味平穏な年だったのだろう。

 

  

★この年、私の周辺であった大きな変化は、神戸の西神と言う三木のすぐ近くに住んでいた娘一家が、アメリカに移住したことである。

 娘婿がノーリツのアメリカ市場進出に伴いアメリカ勤務になったからである。男の子ばかり3人の孫たちが未だ小学生の頃で孫たちと遊んでやるのが、結構な私の仕事であった。

特に真ん中の真也は未だ小学2年生の頃で、川での魚取りや、森でのカブトムシ採りなどに引っ張りまわされていたのだが、8月からは一切それがなくなってしまったのである。

そんなことから、私の生活のパターンがちょっと変わっていったのだと思う。当時は既にパソコンも既にあったのだが、ネット関係もパンダ碁を打つぐらいだったのだと思うが、この年の年末に初めてデジカメを買っているのである。

 私はそれまで、カメラなるものを持ったことがなかった。写真を撮るのに手間がかかり過ぎるのがどうしても自分で写真を撮ろうと思わなかった理由である。カメラを買う、写真を撮るのはいいのだが、そのためにはフィルムを買う・現像する・それを選んで写真にする・一緒に撮ってあげた人にあげる・アルバムに貼る・・こんな一連の作業が面倒で、どうしても自分で写真を撮る気にはならなかったのである。

 現役時代には結構世界を回ったし、日本でもいいところいっぱい行っているのだが、『自分の目で確り見る』ほうがいいなどと変な理屈をこねて、現役時代は他人様から頂いた写真以外はないので、今から思うと勿体ないことをしたとは思うのだが・・・

デジカメを買おうと思ったのは、そんな手間が一切なくなったことと、多分もう一つは『孫の世話の手間』の時間が無くなったから、『何か新しいこと』をしようかと思ったのだと思う。

  

           

 

  これがこの翌年、アメリカから遊びに戻ってきた孫を撮った写真なのである。

最近は毎日のように撮っている写真も、スタートしたのは2005年のことなのである。

それにしても孫たちのアメリカ生活も14年も経つのである。

英語がペラペラで、アメリカ人のような発想になるのも当然なのかも知れない。 そんな転機の年だったとも言えるのである。

 

★この年の初めごろのことだが、初めてアメリカに進出する『ノーリツ』だったので、その担当となった娘婿にKMC『いろいろ教えてやって欲しい』とお願いしたのだが、娘婿から『KMCの太田さんと言う方にお世話になっている』とのメールが届いたと日記にあるのだが、ひょっとすると今カワサキの二輪事業のTOPの 太田さんではないかな? と思ったりしているのである。

私は面識はないのだが、確かKMCに出向されていた時期があるはずなのである。

ちなみに『ノーリツ』の創始者の太田敏郎 さんは、カワサキの副社長もされた髙橋鐵郎さんの海兵時代の同期で、その弟の太田武郎さんは私の大学の野球部の2年先輩でもあったので、元々カワサキとノーリツはいろいろ関係もあったのである。この件もすぐ髙橋鐵郎さんの耳に入って、直接電話など頂いたりしたのである。

そのほかこの年で特筆することを上げるなら、今も続いているゴルフコンペ『Z1会』にこの年9月に入会している。この入会を誘ってくれたのは、大槻さんや稲村さんと言うこの会のトップではなくて、カワサキの6時間耐久ロードレースを最初に走った当時のテストライダーの飯原武志くんが声を掛けてくれたのである。この会に入会したお蔭で、その後の私のゴルフライフが続いているのである。

定年後ずっと続いているストレッチの効果がやっと出始めたのか、日記に『足腰の調子がいい』などとの記述がある。ストレッチを始めて3年目にしてやっと効果が出てきたのかも知れない。最近は腰は重くなったりすることはあるのだが、基本的に全く問題はない状態が保てているし、柔軟性は毎年少しづつだがよくなっているのである。

 

私の70代のスタートは静かに始まったのだが、何となく『新しいことを始める』環境が整ったそんな年だったのかも知れない。

 

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スノーボード・モトクロス

2018-02-16 06:50:34 | スポーツ

★平昌オリンピックを観ているが、競技の判定がタイムなどだけではなくて、審判の点数が加算される競技が多いので、サッカーや水泳の競泳などに比べるとどうも素人が見ているだけでは結果が解らないのはもう一つ迫力がない。

スケートのタイム競技なども確かにタイムで競うのだが、組み合わせやアウトとインなどホントにどうなのかがよく解らない。

そんな中で、日本選手は出場していなかったが、スノーボード・モトクロスはオモシロかった。

バイクのモトクロスのスノーボード版で、6人の同時スタートで行われていた。

 ジャンプも、カーブも、転倒もあって迫力満点だが、何よりも誰が勝ったかが目で見ていて解るのがいい。

 

   

 

 6人の同時スタートで、

 

   

 

  同じコースを滑る。

 

   

 

   豪快なジャンプも一緒に飛ぶので迫力満点である。

 

 

 それにしても、観客は観戦が大変だなと思う。 寒いだろうし、ゴール以外は、映像では見れるのだろうが、レースの殆どは現地でも実際には見ることができない。

 

  

  

  それなのにこんなに大勢の人が詰めかけるのは、やはり現場でだけ感じられる何かがあるのだろう。

  

 

  そういう意味では、ゴルフ観戦も同じような意味がある。

  やはり、現場でしか感じられない『何か』があるのだろう。

 

 ★スキーに比べて、確かに『スノーボード』のスポーツ性は高いが、オリンピックの種目になったのは2006年のトリノかららしい。

 まだ新しいスポーツで、解説の方も言っていたが、日本では練習をする環境などが、まだまだ不足のようである。

 確かに、平昌オリンピックの スキー会場の広大さはスゴイなと思う。

 雪のスポーツは、シーズン性もあるので、普及するのはなかなか大変な面もあるのだろう。

 

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カワサキの昔の仲間たち

2018-02-14 06:06:22 | 自分史

★ご縁があって川崎航空機工業に入社し、3社合併があって川崎重工業で現役生活を終わったのだが、それから20年も経とうとしている今も、お付き合いが続いている人たちが何人かはおられる。

 そんな中で、この1年一番多くお会いして一緒の時間を過ごしたのが、大槻幸雄さん、稲村暁一さん、田崎雅元さんの3人だろう。

 みんな 川崎航空機工業入社で、大槻さんが昭和30年私が昭和32年稲村さんと田崎さんが昭和33年入社なのである。

 カワサキワールドのZフェアで、KAWASAKI Z1 FANCLUB のこんな仲間たちと一緒にこの4人が顔を揃えたのである。

 

  

 

 その後 カワサキワールドの一室で、こんな雰囲気での昔話に花が咲いたのである。

 

    

    

私は『想い出を共有する人たちを仲間』と称しているのだが、お互い『想い出を共有する・そんな昔話』が出来る仲間なのである。

 

★ 稲村暁一さん (昭和33年 1958 入社)

私は現役当時の稲村さんはよく知ってはいたが、一緒に仕事をしたことは殆どないと言っていい。

彼は名車カワサキZのエンジン開発担当者として有名で、カワサキの『4サイクルは稲村』と言われていたのだが、カワサキが初めて4サイクルエンジンを開発したのはZからなので、それまではどうしてたんだろう?と言うのが私の疑問だったのである。

稲村さんに『なぜ稲村さんは4サイクルのエンジニアと言われるのか?』と聞いたことがあるのだが、その答えは『入社当時川崎航空機が手掛けていた4輪車の開発でその4サイクルエンジン開発を担当していた』と言うのである。

この4輪車は陽の目を見なかったが、後、二輪のアメリカ市場を担当された浜脇洋二さんなども関わっておられたプロジェクトで、そんなことで稲村さんは入社以来4サイクルエンジンに関係していたと言うのである。

現役当時、仕事らしいことで稲村さんと話したのはそれくらいしかないのだが、最近は年4回開催されているZ1会のゴルフコンペでお会いしているし、KAWASAKI Z1 FAN CLUB の会合にも顔を出してくれたりもするので、現役時代より密接なお付き合いなのである。

いまゴルフコンペのZ1会の副会長を務める稲村さんに『ゴルフを教えた』のは、実は私なのである。

なかなか信じがたいと思われるだろうが、1990年代後半の単車事業本部の理事室は、当時の3研と言われていた綜合事務所にあって、立派なゴルフネットが張られていて、いつでも打ち放しができる環境だったのである。こんな部屋を作ったのは当時企画にいた佐伯武彦さんで、アメリカのリンカーン工場帰りの彼でなければ作れなかった代物だったのである。

その理事室で稲村さんとは机を並べていたので、彼に『ゴルフをやること』を勧めて、コーチしたのは私なのである。あの時私がゴルフを勧めていなかったら、稲村さんのZ1会副会長もなかったのである。

現役時代は、稲村さんとは会議などではしょっちゅうご一緒しているのだが『共有している想い出』と言えばそれくらいのことで、引退してからの方が、間違いなく会話の機会も多いのである。

 

大槻幸雄さん (昭和30年 1955 入社)

 カワサキの技術屋さんの中で一番長くお付き合いし、一番長くお話をしているのは『大槻幸雄さん』であることは間違いない。

大槻さんは『結構こわい』イメージも強くて、『とっつきにくい』印象もあるのだが、私はそんな大槻さんに何でもざっくばらんにお話しできる仲なのである。

そんな大槻さんとの初めての出会いは、昭和40年6月(1965)『鈴鹿6時間アマチュア耐久レース』の時だった。私は当時レース運営やライダー契約など担当していたのだが、その時カワサキのレースチームに初めて正規の監督が出来て監督が大槻幸雄さん、助監督が田崎雅元さんだったのである。それまではカワサキコンバットの三橋実が監督を務めていたのである。

当時大槻さんはGP125のマシン開発なども担当されていたのだが、この年の7月に大槻さんは1年間の『ドイツ留学』が決まったのだが、翌年マン島で開催されたTTレースの公式練習中にカワサキのマシンに乗った藤井敏雄さんが転倒事故死される事故があって、そのご遺体をマン島から送り出して頂いたのが、たまたまマン島の現地に行かれていた大槻さんで、羽田で受け継いだのが私だったのである。

その直後大槻さんは日本に戻られて、FISICO で開催された日本GPの監督として、私はそのマネージャーとして再会するのだが、その時カワサキが契約したデグナーが練習中に転倒して生死の境を彷徨う入院などの出来事があったのだが、この時の病院での対応なども、当時ドイツ留学から戻られた直後で『ドイツ語が解る』大槻さんがいろいろと対応されたことなども印象に残っているのである。いずれにしてもこの年は、お互い大変だったのである。

大槻さんも私もこのレースを最後にレースチームを離れ、大槻さんは単車の市販車開発に戻られ、私は東北6県担当の営業に異動するのだが、その最初の東北6県のデーラー会議に技術説明者として来て頂いたのが大槻さんで一週間ほどご一緒したのである。その時言っておられたのが『世界一のバイクを創る』これが多分大槻さんのアタマにあったZだったのだと思うのである。

大槻さんとのお付き合いはそんな『レースが中心』だったのだが、その後私が開発途上国市場を担当した時に『GTO』という110ccのバイクの開発を当時技術部長をされていた大槻さんにお願いに上がったことがあるのだが、ただ一言『そんな開発はしない』と仰るのである。当時は大槻さんのアタマには『大型車エンジン』しかなかったのだろうと思うが、私が粘り強く喋ってたら『2サイクルの松本』と言われた松本博さんが『私がやりましょう』と助け船を出してくれて『GTO』が開発されたのである。

このGTOは、CKDの部品輸出なので台数記録がカワサキには残っていないのだが、東南アジア市場各地で『GTOで溢れた』と言われるカワサキのダントツのヒット商品となったのである。これが私が直接関与した唯一の商品企画で、それ以外は一切商品企画には直接的には関係していないのである。

そんな大槻さんは『世界の名車カワサキZ』の開発責任者として知られている。そのZ発売40周年の記念イベントが5年前アメリカで行われたのだが、Z1会のゴルフコンペの親睦会の席上で突然『古谷も来い』と仰るのである。私はZは売りはしたが開発にも、当時のアメリカにも全く関係がなかったので、固辞したのだが『どうしても』と仰るので、Zについて何かしないといけないと思って、登山道夫さんと相談して立ち上げたのが KAWASAKI Z1 FAN CLUB なのである。

                         

 

そして その会員カードをアメリカで開催された『Z40周年記念イベント』に持ち込んで、その出席者たちに会員になって貰ったので、KAWASAKI Z1 FAN CLUB のカードの No.1は浜脇洋二さん、No.2がアラン・マセック No.3が大槻幸雄さん とまさに『カワサキZの真打ち』さんたちが最初の番号に続いている世界で唯一のFAN CLUB なのである。

 そんな最初の経緯もあって、大槻さんには KAWASAKI Z1 FAN CLUB の正規会員としていろいろ手伝って頂いているのである。

 

   

 

大槻さんは、Zの開発責任者として有名だが、実際にご自身で開発に従事され、それを川崎重工の事業に育て上げられたのは、二輪よりもむしろ『ガスタービン』の分野なのかも知れない。こんな立派な本も出版されていて、今や川崎重工の大きな部門となっているのだが、若い頃ドイツ留学されたのもこのガスタービン関係だったのである。

こんな大槻さんの本が私の手元にあるのは、三木で開催されたKAWASAKI Z1 FAN CLUB のイベントで、大槻さんが提供されたものでその時私も購入したのである。読んでもとても理解はできないのだが、大槻さんの本だから持っているのである。

こんな旧い想い出を共有している『大槻幸雄』さんなのである。

 

 ★田崎雅元さん   昭和33年 1958 入社

 川崎航空機入社は私の一期あとだが、稲村暁一さんとは同期、川崎重工業社長・会長を歴任されているのだが、何時まで経っても私の田崎さんとの仲は、『創成期のレース仲間』のままの関係が延々と続いているのである。

 

    

 

 田崎さんとのお付き合いはホントに長いのだが、ひょっとすると『二人だけの写真』は、これが初めてかも知れない。この週初めのKAWASAKI Z1 FAN CLUB のイベントに突如『行きたい』と電話が掛かってきて、ご一緒したのである。

 現役時代、『一緒に一番長く、一番密接に仕事をした仲間』は、間違いなく田崎雅元さんである。

 初めて会ったのは、未だジェットエンジン時代の労組の常任監事時代の田崎さんで私は発動機部門の常任幹事をしていたころだから、昭和35年(1960)以来もう60年近くになるのだが、関係がなかったのは、私が退職し田崎さんが川重社長の何年間だけで、会長時代はよく川重の会長室を訪ねたし、今はカワサキワールドで年中行事として定着している『ミニ・トレインイベント』も発案者は私、当時会長をしていた田崎さんが神戸市に一緒に行ってくれて、メリケンパークでの開催が実現したのである。

 

   

 

 若い頃から一緒にやった仕事や、お互い連携したことを思い返して見るといっぱいあり過ぎて、なかなか書ききれないのだが、カワサキの単車事業展開の結構真ん中の部分にいて、特に70年後半のハーレー・ダンピング対策やそれに続くアメリカ市場でのHY戦争の影響で、カワサキの単車事業は『最大の危機の時代』を迎えるのだが、そのハーレ・ダンピングの対策担当者が田崎さんだったし、その対策としての国内市場の構造改革を担当したのが私だったのである。

そのあとすぐ髙橋・田崎さんはその渦中のアメリカ市場のKMCに出向されるのだが、その販売会社の構造対策の具体案がムツカシクて、急遽私は当時川重の山田専務や本社財務のメンバーで構成されていた『単車事業対策委員会』の要請により単車企画室に戻って、当時のKMC社長の田崎さんとのコンビでKMCの販社構造対策を主として行うことになるのである。

84年のKMCの新社屋プロジェクトなども、KMCと本社財務を結んだ企画室の合作の成果で、当時の川重の大西副社長などが直接、建築会社をご紹介頂いたりしたのである。

当時のカワサキ単車事業本部は大庭浩本部長・髙橋鐵郎副本部長・私が企画室長田崎雅元KMC社長、佐伯武彦リンカーン社長と言う布陣で、考えてみると私を除いて、その後の川崎重工業の社長がお二人、副社長がお二人の錚々たるメンバーだったのである。

その中でKMC対策が中心課題で、当期の経営改善もさることながら、当時100億に近かったKMCの累損消去が企画室長としての『私の最大の目標』だったし、その目標は、田崎・百合草のKMC 社長時代に達成できる成果を残したのである。そしてその実現には、国内のカワサキオートバイ販売からKMCに逆出向していた『富永・日野両君』が果たした役割も大きかったなと思っているのである。

 

★田崎さんはまさしく技術屋さんなのだが、図面を書いたこともナイ技術屋さんで、技術屋さんらしからぬ範疇の仕事が多かったし、KMC時代は大変な営業外対策が必要な時期だったので、田崎さんにバランスシートを教えた先生は私なのである。

ただ誠に優秀な教え子で、田崎さんは その後資金対策などに格別の興味を持たれたし自ら勉強もして、私などよりはよほど詳しくなったし、川崎重工業社長時代も無配が続く非常に難しい時代を引き受けられたのだが、その期間に川崎重工業のバランスシートの内容は画期的に改善されたし、そのムツカシイ旗を自ら振られているのである。

そんなことで非常に親しくして頂いていて、昨年はメールのやり取りも頻繁だったし、何回もお会いしたし、今年も多分昔同様の仲間としてのお付き合いが続くだろうと思っている。

 

 こんな昔の仲間たちは、ホントにいいなと思っている昨今なのである。

 

  

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明石  昔の景観  雑感

2018-02-14 05:39:50 | 発想$感想

★ 来年は明石城築城400周年を迎えるそうである。

 明石は本籍だし、明石公園のすぐヨコで生まれたので、明石城も明石公園も懐かしい沢山の想い出のある地なのである。

 

昨日は明石駅のホームから明石城を眺めた時、その眺望を妨げていたケーブルが除去されて、綺麗な写真が撮れるようになったというニュースが流れた。

 自然を保ち、景観を維持することは大事なことだと思う。

 邪魔なケーブルがなくなってよかった。

 

 

 

 明石城の方から駅の方向を逆に眺めるとこんな眺望になる。

 これは私が撮った写真だが、ビルの向うに見えるのは淡路島である。

 昭和25年の天皇陛下行幸の時は、昭和天皇はここから前の芝生に集まった市民に手を振られた。

 

   

 

   これは昭和29年当時の眺めだが、駅前にビルなど建っていないから、淡路島も望める眺望になっている。

   昭和天皇がご覧になった明石の景観もこんな感じだったのだろう。 

   

 

 これも私の写真だが東の方を見ると海も淡路・明石大橋も見える。

 

   

 

こんな広大な明石公園なのだが、戦時中の空襲の際には明石市民がこの公園に逃げ込んだのに、そこに爆弾・焼夷弾が落ちて多くの市民が命を失ったのである。

 

 私が子供の頃の明石公園は高い松がいっぱいだったのだが、みんな空襲で焼けてしまったのである。

 それから70年、松以外の広葉樹はいき返って今の明石公園の姿になっているのである。

 戦前の明石公園と検索すると、こんな背の高い松がいっぱいの明石公園が現れた。

 

  

 

  現在と全く違う景観だが、こんな私の小学生時代の『明石公園』が懐かしい。

 

   

 

 明石城は『錦江城』と呼ばれている。

 

明石の景観は、須磨と並んで『白砂青松の明石・須磨』と称されていたのだが、海岸にも背の高い松林があったからだが、これも全部消失してしまったのである。

 戦前は伯父がその名も『錦江ホテル』と言うこんなホテルのオーナーで、外人客などもよく来ていた観光地だったのである。

 

   

 

   

  こんな大きい背の高い松林だった。この左手はまさに白砂の砂浜が続いていたのである。

  今はなぜかみんな埋め立てられて、この海のあたりが『明石市役所』になっているし、この松林あたりに海岸線の道路が走っている。

 

   

 

こんな昔の明石を語れる人も少なくなってしまった。

 

ちなみに、この『錦江ホテル』は太平洋戦争が始まって川崎航空機工業で飛行機の生産が盛んになった時、軍の宿舎として接収されてしまったのである。

その時の川崎航空機の総務部長が後、川崎重工の社長をされた砂野仁さんで、そんなご縁で私はカワサキにお世話になったし、川崎航空機が明石にあったので、明石は大規模な空襲に会い、明石公園の松も、中崎公園の松林も消え失せてしまったのである。

 

 明石に限らず、日本にはいい自然がいっぱいである。

 ぜひ、その景観を守っていける世の中であって欲しいし、大事にする行政であって欲しい。

   

 

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カワサキZフェア at カワサキワールド

2018-02-13 07:41:30 | NPO The Good Times

★ 今年は Z1発売45周年に当たる。

 NPO The Good Times の団体会員の一つである KAWASAKI Z1 FAN CLUB は会員さんの要望に応えて、今年は幾つかのイベントを計画中だが、昨日はその幕開けとして、神戸カワサキワールドで開催中の 『Zフェアに集まろう』とFacebook のイベント欄に登山道夫さんがちょっとアップされたら、それを見て自然にこんなメンバーが集まったのである。

 

   

 

毎年は最終日に行っていたのだが、今年は遙かアメリカニューヨーク州から、カワサキのデーラーをしているZファンの Joseph Hebelerご夫妻が三木の KAWASAKI Z1 FAN CLUB を訪ねたいというお申し出があったので、日時をそれに合わせて2月12日に行うことになったのである。

その告示を見てまず、Zの開発責任者であった大槻幸雄さんから『ぜひ参加したい』とのお申し出があり、エンジン設計をした稲村暁一さんも大槻さんから誘って頂いたのである。そして極く最近、Facebook に登録だけはされている元川崎重工業社長田崎雅元さんが、そんな関連記事を見て、ご自身の意志で参加されたのである。

その他集まった人たちは、みんながカワサキファン、Zファンで、海外の方が来られるといつも通訳で援けて頂けるハイミーさんが遠く和歌山からご夫妻で参加されたりもしたのである。

こんな自然の集まりが非常にいい。

 

 

★どんな雰囲気だったのか? こんな動画を纏めたのでご覧にあればよくお解り頂けると思う。  

 http://www.nicovideo.jp/watch/sm32727011

 

まずはカワサキワールド開場前にすぐ近くのホテルにお泊りのJoseph Hebelerご夫妻 をお迎えするところから始まっているのである。       

 カワサキワールドオープン前にその時集まっていたメンバーでこんな記念写真を撮って

   

  

 カワサキワールドが未だオープンしないうちに熱心なファンと共に並んで待っていたのである。

  

 

 会場には一番乗りだったので未だお客は少ない。技術オンチの私は、かってのZと今回の水冷のZとの違いなどを、稲村さんに解説してもらっているところである。

 

  

 

    そのあとJoseph ご夫妻を入れてのこんな記念写真を・・・

   

 

 このあと写真にはないのだが、株・忍者の伊藤さんが突然現れて、結構長い時間いろんな話になったのである。久しぶりに伊藤さんに会えて良かった。伊藤さんも74歳だそうである。初めてお会いしたのはZが出る前、もう50年近くになる。当時の伊藤さんの仲間・野崎輪業さんに出入りされていた『ハッピーエンドプロジェクトの森田さん』にもお会いできた。

 

ネットでちょっと広報しただけで、こんなメンバーがあちこちから自然に集まってくる。 

ひょとしたら姫路の陸井薫さんも来られたのではないかと思うのだが、私はカワサキ本館の方に行ってしまったので、お会いできなかった。若し来られていたのなら、ホントに失礼いたしました。 いま一番気になっている事柄なのである。

 

 そのあと、カワサキ本館へ移動・・

 

 

  

 

 11時頃、突然元川重社長の田崎雅元さんが現れた

田崎さんが来るよ』とカワサキワールドの方に言っておいたのだが、どこからどのように来られるのかと、係の方は気にしておられたが、ホントに突然現れたのである。

 田崎さんに聞いてみたら、表で600円の入場券を買って、一般の方と同じように入ってこられたようである。

われわれのところに現れる田崎さんは、『ずっと昔の仲間』としてのお付き合いで、元川重社長の肩書はどこかに行ってしまうのである。

 たまたま近くにいた仲間との記念写真である。

 

  

 

 折角だからと、近くにいた方とアメリカからのお客さんと、大槻さん・稲村さんも入れての記念撮影。 

 

  

 

 そのあとポスターへのサイン会。大槻さん・稲村さん・田崎さん・ライダーの多田さん、などが主役で。

いろんな機会ごとに毎回実施するので、KAWASKI Z1 FAN CLUB には世界の二輪の著名人のサインがいっぱいなのである。

今日も又1枚、貴重なポスターが生まれた。

 

   

 

       遠くアメリカから来られたJoseph さんにも、記念に1枚差し上げたのである。

 

        

 

     

  

  そんなサイン会が終わって、こんな感じの雑談、ひとしきり。

 

 

    7

          

          かってのレース仲間に戻っての昔話を・・

         

 

    

 

 かってのカワサキ二輪事業の創生期、カワサキが初めて鈴鹿にロードレーサーを走らせたそのマシンは当時製造部にいた田崎さんが都合してくれて山本隆が出場、ホンダに次いで3位に入ってカワサキのロードレース熱は一気に燃え上がったのである。

その1か月後鈴鹿の6時間耐久レースに3台のマシンを出場させるのだが、その監督を務めたのが大槻さん助監督が田崎さん、そして神戸木の実の歳森康師相棒ライダーとして連れてきたのがあの金谷秀夫で、このレースが金谷のメーカーのマシンに乗った最初のレースなのである。

その頃、レースマネージメントをしていたのが私で、田崎さんと稲村さんは私の一期下なので、こんなメンバーが集まると50年前の昔の仲間に完全に戻ってしまうのである。

 

★カワサキワールドから、三木に場所を移して歓談は続いた。

 

   

 

  Good Times Plaza で、 Joseph さんも KWASAKI Z1 FAN CLUB のメンバーになられたようである。ちなみに、大槻さんも、稲村さんも、田崎さんもメンバーだし、みんな横一線の仲間としてのお付き合いなのである。

   

 

 さらにそのあとJosephさんご夫妻は、川重の明石工場を訪問されたようである。Joseph さんご夫妻の要望に応えて、こんなご案内をされたのは和歌山の通称ハイミーさんご夫妻だろう。

   

 

 大企業の組織を駆使しても、なかなかできないようなこんな1日の行動がホントに『自然体』で出来てしまうのが、こんなKAWASAKI Z1 FAN CLUB のメンバーたちのいいところだと思っている。

 

 今年の秋、9月22日には、兵庫県のセントラルサーキットで『Zの45周年記念行事』をNPO The Good Times のWorld Good Riders Association 主催で開催することだけは既に決まっている。

このイベントの内容の検討は今からだが、このイベントにも、大槻さん・稲村さんのZ1開発責任者に加えて、田崎雅元さんにも参加頂けるようなことになるのではと思っている

当日は、同じセントラルサーキットでKAZE のイベントも開催されるとか聞いている。

 Kawasaki . Let the Good Times roll !

のカワサキの基本コンセプトを受け継いで、二輪業界だけでなく『異種・異質・異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』と言うNPO The Good Times の活動なのである。

 

このブログに使わせて頂いた写真の多くは、川重OBの積山 喜規 さんが撮られたもので、ご本人は写真に現れてはいないのだが、彼はゴルフのZ1会のメンバーでもある。 まさに異種・異質のメンバーたちが繋がってるので、こんな活動も自然に出来るのである。

来るべき秋のイベントには東京の『二輪文化を伝える会』や豊岡の『LIME GREEN Fan Club』などとも一緒にやれる内容になればいいなと思っているのである。

 

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平昌五輪、関心ある?

2018-02-12 06:38:31 | 発想$感想

★『平昌五輪、関心ある?』

 と言うYahooの意識調査の結果を見て、少々ビックリした。

 

    

 

 『まったく関心がない』 と 『あまり関心がない』で 70%の人たちが『関心が薄い』のである。

 冬季オリンピックだから関心が薄いのか?

 韓国がで行われるオリンピックだから関心が薄いのか?

 そのあたりはよく解らぬが、兎に角『関心が薄い』のである。

   

 

 私自身は『大いに関心がある』のだが、それは『子供の頃、育った韓国だから』と言うのが最大の理由で、確かに言われてみるとこの前の冬季オリンピックなど、殆ど覚えてもいないし、夏のオリンピックでも、そんなに『関心があった』わけではなかったようにも思ったりする。

 

   

 

  『札幌』の時のことは何となく記憶にあるのだが、『長野』の時のことは殆ど覚えていないし、『ソチ』や『バンクーバー』などのことは全く覚えていないから、若し開催地が『韓国』でなかったら、『あまり関心がない』と言う程度なのかも知れないのである。

 

 そういう意味では、それがどこであれ、『子供の頃育った想い出』は簡単には消すことはできないのかも知れない。

 私たちの年代は、戦前だが外地で育った人も結構多かったのである。

 同年代で満州(今の中國)で育った田崎雅元さんが、オリンピックの試合などで、中國とどこかの国が試合をしてると『どうしても中國を応援してしまう』と言っていたが、そんな気持ちはよく解る。

 今の韓国の文大統領の行き方など全く支持はできないのだが、ショート・トラックで韓国の選手が金メダルを取ったときは、自然に韓国選手を応援していたのである。

 そんなこともあって、今回の冬季オリンピックはいつになくよく見ている。

 いろいろ見ていると自然に関心も湧いてくるのである。

 多分間違いなく、今回のオリンピックのことは、自分の記憶にもちゃんと残るオリンピックになるのだろうと思っている。

 

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終日テレビを観ていたが・・・・

2018-02-11 07:27:59 | 発想$感想

★最近は、テレビを見ているよりもパソコンに向かっている時間が圧倒的に長いのだが、平昌オリンピックが始まって第1日の昨日は殆ど終日テレビを観ていた。

お隣の国の韓国でのオリンピックなので『時差がない』と言うのがいい。

まずは 『スノーボードの予選』が始まった。あまり見たことがない競技なので、どんなことで高得点になるのか最初はよく解らなかったのだが、観ているうちにその『ルール』みたいなのも解ってきて、午後日本選手が出場するころには、大体のルールも解ってきたのだが、残念ながら日本選手は予選敗退に終わってしまったのである。

 

   

 

 それにしても、人間は鍛えたらとんでもないことができるようになるものである。

この『スノーボード』など空中にアレだけ高く舞い上がってクルクル回転しそれも連続して行えるなど、考えられないことなのでビックリしてしまう。

 

★そのあとは、オリンピックではないが、サッカーの 富士ゼロックスス-パー杯 を観ていたが、セレッソ大阪が3-2でフロンターレ川崎を破って優勝した。

 これはなかなかの好試合で、『スノーボード』と時々チャンネルを変えながら、じっと見ていたのである。

 

   

 

 ★そして4時半からは、再びオリンピックの女子のアイスホッケーの一次予選を観ていたが、残念ながらスウェーデンに善戦はしたが2-1と惜敗した。

 

     

 

 
 五輪初勝利をかけた試合で、世界5位のスウェーデンと対戦。第1ピリオドに先制点を奪われた日本は、第2ピリオド終盤に混戦から押し込んで同点とし、第3ピリオドを迎えたのだが、1点を追加されて残念だった。

そのあと夜はスケートやスキージャンプなど夜遅くまでオリンピック番組が続いてずっと観ていたのだが、残念ながら初日はメダル獲得はなかった。

メダル獲得』と簡単に言うが世界で3位までに入らないといけないのでそれは簡単ではナイのは当然のことである。

2日目以降に期待したい。

 

★子供の頃育った韓国でのオリンピックなので、懐かしい子供の頃を思い出す。

 零下10度の極寒のソウルだったが、私は小学校時代冬でも『靴下をはかなかった』ことで学校で有名だった。靴下をはくのは毎日公園の池でやってたスケートの時だけだった。今でもそうだが、『寒い寒い』と口では言うが今年の冬もそんなに寒いとは思わない。寒さには強いのかも知れない。

そんな韓国の冬の状況も、『オリンピックそのものも』手に取るようにテレビで観ることができる時代になった。

当たり前のこと』なのだが、子供の頃は世の中にはテレビなど存在しなかったし、電話がある家も日本(内地)では少なかったし、ラジオもそんなに聞かなかった。

 あの時代から70年、長い人間の歴史の中では『一瞬の70年』なのに世の中の進歩はすさまじい。

 子供の頃は一つだった朝鮮は二つに分割され、『核の脅威』にさらされている。

 科学の世界も、人間の体力も間違いなく進歩しているのだが、『人の生き方』は素朴な昔の方がよかったのかも知れない。

 今日は2月11日、『紀元節』である。 日本国は淡路島から始まったと神話を信じていた。

雲に聳ゆる 高千穂の 高根おろしに草も木も なびきふしけん 大御世を 仰ぐ今日こそ たのしけれ   海原なせるはにやすの・・・』と言う紀元節の歌詞をこの辺りまでは今でも覚えている。

 それにしても、70年で変わるものである。

 あと50年経つと、どんな世の中になっているのだろうか?

 

 

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平昌オリンピック の 開会式

2018-02-10 06:23:30 | 発想$感想

★★平昌オリンピックが始まった。

その開会式を最初から最後までテレビで見ていた。

オリンピックの開会式を全部見たのは初めてのことである。時差もないし7時半からの3時間『素晴らしかった』

NHKの画面に映る場面をデジカメで撮り続けた。
こんなことをするのは、世の中で私ぐらいかも知れない。...

なぜ? 朝テレビに出てきた韓国の開会式の演出者の語り口が『自信満々』だったからだと思う。
撮りだしたが、結構タイミングも、画面の明るさなどもムツカシイ。
300枚ぐらいにもなったが何とか撮れてる、その中のまともなものを最初の方から並べてみる。

 

  こんなステージから始まった。

 

   

   

   

   

   

 

   韓国の民族衣装が素晴らしい。

 

    

 

    

 

    

    

    

 

  韓国国旗の掲揚の後、選手入場が延々と続いた。

  日本は62番目だった。

 

   

   

   

   

   

   

   

 

  ショーの主演を務めた5人のこどもたちがよかった。

 

   

   

 

 開会宣言の前のご挨拶

 

   

 

   

   

 

 そのあとこんな熱唱があって、オリンピックにはつきものの鳩が映像で飛び出した。

  

  

  

  

  

 

  そしてオリンピックの掲揚 熱唱 選手・審判団などによる宣誓と続いた。

 

  

  

  

 

  聖火リレーも、長い年月をかけて韓国全土を駆け巡ってやってきた。

  

   

   

  

   

   

   そして最後に受け取って長い階段を上ったのは、韓国と北朝鮮のアイスホッケーチームのフォワードの二人。

 

   

   

  

   この二人による点火かなと思ったら、頂上はスケートリンクになっていて、キムヨナが待っていた。

   

    

    

 

   そしてキムヨナによる聖火の点火

   

    

    

    

 

  素晴らしい開会式だったと思う。

  これから始まるオリンピックの内容も、開会式を裏切らない素晴らしいものであって欲しい。

 

   

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カワサキモーターサイクル Zフェア 2018

2018-02-09 12:17:03 | 発想$感想

★『カワサキモーターサイクル Zフェア 2018』は 神戸のカワサキワールドでいま開催中です。

 

   

 

  今年は カワサキZ1の発売45周年に当たりますので、

  NPO The Good Times の団体会員でもある KAWASAKI  Z1 FAN CLUB  としても幾つかのイベントを計画中ですが、

 

  

         

  

その第1弾として 2月12日(月)に、KAWASAKI Z1 FAN CLUB 会員による『見学会』を開催することし、すでに Facebook 上にこんなご案内を出しています。

 

       

 

この『カワサキZ1ファンクラブ正規会員情報交換グループのイベント』には、カワサキZ1開発責任者の大槻幸雄さん、そのエンジン開発を担当した稲村暁一さんも、参加される予定です。

大槻さんも、稲村さんも、お二人とも KAWASAKI Z1 FAN CLUB正規会員でもあるのです。

当日10時ごろからお昼ごろまで、現地にいます。

当日、直接現地集合で結構です。会員の方でこのフェアに行かれる方は、ぜひ2月12日、10時にされることを希望します。当日はニューヨークからわざわざZファンが来られたりします。

 

今年はこの他にも、『Z1関係のイベント』を計画中ですが、9月22日(土)には、World Good Riders Associations 主催で、

 

   

 

 兵庫県のセントラルサーキットで、『カワサキZ145周年記念イベント』を開催することがほぼ決まっています。

  KAWASAKI Z1 FAN CLUB を中心に『二輪文化を伝える会』『LIME GREEN Fan Club 』『KSSR』との合同企画としてやりたいなと計画中です。このイベントにも大槻幸雄さんの出席がほぼ決まっていますし、こちらは未だ時間もいっぱいありますから、みなさんのご希望を入れて、内容の検討など進めたいと思っています。

   

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私の定年後の生活 70歳 2003年

2018-02-09 05:44:12 | 自分史

★ 2003年に70歳になった。『70歳を古希』と呼ぶらしい。

私自身はそう言う仕来りみたいなものには、トンと無関心なのだがこの年の誕生日には、息子一家が和歌山の『クエ』を持って『古希の祝い』だなどとやってきた。

 あとにも先にも『クエ』など食ったのはこの時だけだが、残念ながらその味はよく覚えていないのである。

古希の祝い』は長寿の祝いだというのだが、お蔭様で今年は85歳を迎え、15年前の70歳をこんな想いでの年として『自分史』に綴ったりしているのである。

 

 日本の世の中は平穏無事、大したことはなかったようである。

   

 

朝青龍が68代横綱昇進』とあるのだがこの年の1月20日に今話題の『貴乃花が引退』。

3月20日にはアメリカのフセイン当時のイラク攻撃が始まっている。

無配が続いていた田崎社長の川重が復配。単車から7人の役員が出ている。

阪神が18年振り優勝

これらはみんな私の日記からだが、日記もなかなか役に立つ。

 

★ 私自身の周りでは、

●娘の方の孫の次男が小学校入学、この年の暮れに娘婿はアメリカ勤務が決まり翌年娘一家はアメリカ移住となるのである。

●パソコン関係では、『パンダ碁』に入会している。

 今現在18111局になっているから、1年に約1200局、1ヶ月に100局、1日3局を打ち続けていることになる。頭の体操にもなるし、時間つぶしには『もってこい』なのである。

 

      

 

●『ネット株』にも、これはそのシステムが知りたくてこの年年末に始めているが、『ライブドア』などの事件が起きて結構な損をして止めてしまったが、それは翌年までの半年間のことだった。

 

 

★そんな1年だったようだが、この年の私にとっての一番の出来事は、

5月2日に『廣野ゴルフ倶楽部の乾理事長あてに親展の手紙』を出したことだと思う。

後ブログをやり出してから、こんなブログをアップしている。  http://rfuruya2.exblog.jp/8447988/

その文面の大要である。

 

廣野ゴルフ倶楽部、日本一のゴルフ場としてその評価は高い。その景観が美しいのは当然のことである。
70年以上の歴史をもつこの名門コースは、その長い年月を経てその木々も非常に大きく立派である。

廣野の特徴は、その外周が数キロに亘って一般道路に面していることである。少し前までは、その道路に面した部分はずっと自然のままになっていた。当然下草も生長するのである。それは、とても綺麗といえる状況ではなかったのである。

その道を通って毎朝、何十年会社に通っていた。正直何とかならぬものかと、何十年思い続けた。でも、現役の頃はどうしても言い出せなかったのである。

70歳になった春に思い切って、廣野の理事長さん宛てに親展で封書をお送りした。
ゴルフ場の外周、道路との接点は社会との接点です。企業の社会的責任が問われる今、社会的地位の高い方がメンバーに多い廣野は、それに見合う対策をーーー。」というようなことを率直に申し上げたと思う。

私の70年の人生ではじめての投書めいた外部への意見陳述であった。
非常に丁重なご返事を頂いたのを覚えている。・・・・・・

この廣野の「ひとこと」は、私の70才以降の「生き方」を変える一事であった。
それ故に、廣野がその後毎年整備を重ねて、昨年辺りからは一部綺麗なフェアウエイが見えるまでになった時ははホントに嬉しかった。
・・・・・今朝ヨコを通って整備が始まっているのを見かけた。
家にもう一度戻って写真を撮って、Yahooに纏めた。

廣野から私への、この上もない新春のお年玉を頂いた心境である。と書いているが、今3月その整備もようやく終わって、廣野は見違えるほど綺麗に東側の外周は整備された。
私が昔、毎朝通勤をした道からは、美しいゴルフ場の景観がが見通せるまでになっている。

 

  

  

  

 

★いまは毎日、こんなブログで社会一般の方たちに『自分の雑感』を披露しているのだが、70歳になるまでは投書もしたことはないし、世の方たちに自分の意見など言ったことは一度もなかったのである。

 毎朝廣野の横を通って通勤していて毎朝『廣野の外周は汚すぎる』と何十年思って通勤していたのだが、それを言うことはどうしても出来なかったのである。 70歳になったから『いいか』と思い切って手紙を出したら、丁寧なご返事を頂いた上に『具体的な対応』がなされたのである。あれから15年『廣野の外周=社会との接点』は綺麗に維持されているのである。

そんな 廣野ゴルフ倶楽部の対応が、その後の『私の人生』を大きく変えたと言っていい。

 

 70歳、そんな1年だったのである。

 

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人の名前が出ないのは認知症か?

2018-02-08 08:14:37 | 発想$感想

 ★ 最近、人の名前が思い出せないことが多い。

 ちゃんと頭の中に顔は浮ぶのだが、『名前が出てこない』のである。 つい先ほど聞いた、覚えた単語が出てこない。

 私は日記を書いているので、日記を書くときに『その名前』が思い出せなくて『空欄』にしておくことがよくあるのだが、何故かひょんなことで思い出すのである。

 そんな傾向がだんだんひどくなるような気がする。

 『人の名前が出ないのは認知症か?』 と検索すると、こんなページが現れた。

 https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=L7F6WuSNGIW_0ASdt5vAAg&q=%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%89%8D%E3%81%8C%E5%87%BA%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AF%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%8B&oq=%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%90%8D%E5%89%8D%E3%81%8C%E5%87%BA%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%AF%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%81%8B&gs_l=psy-ab.12...2512.25984.0.28894.55.49.5.0.0.0.219.4888.23j23j1.49.0....0...1.1j4.64.psy-ab..5.29.2849.0..0j0i4k1j0i131k1j0i4i37k1j0i4i10i37k1j0i23k1j0i4i30i23k1j0i4i30k1.71.I2XKowg5kNc

 

     

 

その中に、こんな文章も見つけてちょっと安心した。

  

 「ほら、あいつあいつ、ちょっと小太りで、経理部のほら、なんて言ったっけ、あー、顔は浮かんでいるんだが……」「もしかして田中のこと?」「そうそう、田中、田中、あいつがさあ……」

 最近、こんなシーンが増えてきた。会話をしている最中、人の名前が出てこない。その人の顔は浮かんでいるのに。若いころ、こんなことはなかった。これは老化なのか。

仕方がないことで、特に心配する必要はないという。人間の脳のうち、人の顔のような映像情報は、後頭葉がつかさどっているという。脳のこの部分はあまり萎縮しない。顔という映像情報の記憶が残るのは、このためだ。

一方、人の名前は言葉であり、文字情報だ。こちらをつかさどるのは前頭葉だという。この機能は生物の進化とともに発達したもので、脳の進化の歴史の中でも比較的新しい。その分、衰えは早く、年とともに萎縮する。名前という文字情報の記憶が、映像情報の記憶より早く衰えるのはやむを得ない。

 

  3軒隣の人の名前は思い出せないが、愛犬だった犬の名前は、今でもちゃんと覚えているから、『認知症』ではないと思う。

 

  

 

これは、なかなかムツカシイ。 ヒントをいろいろ言って貰っても、顔を思い出すことはできるのだが、名前がなかなか出てこないのである。 これは昨日の飲み会で実際にあって、なかなか思い出せなかったのだが、最後には大丈夫だった。

 

 

   

 

  これは大丈夫のようである。 リモコンの操作を全部できるわけではないが、必要だと自分が思っていることは大丈夫である。

  リモコンに限らず、パソコンでも、繰り返し同じことを毎日やることは、特に問題ない。

 

    

 

★ いろいろ試してみたが、このように具体的に示して貰えると、自信に繋がるのである。

日本も 今まで人類が経験したことのない『高齢化社会』になっていくので、今からは大変だと思うが、いろんな判断ができる具体的な事柄でチェックしていくことが必要だろう。

 ちょっと自信が出来てよかった。私ももうすぐ85歳になる。

 自分でも思いもしなかった高齢者の領域なのである。

 

 

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