雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

kiyoさん 清原明彦君

2009-09-09 04:28:43 | M/Cレース
ついこの間から、thiraiさん、平井稔男さんが新しくブログを始めた。

Team Greenを愛する馬鹿な男の夢』 と題して、NO.をふって、今NO.20である

スタート1ヶ月で、20だがどんどん続きそうな勢いである。
流石、自称『カワサキの真打』というだけのことはある。

そのNO.19 が『キヨさん』である

カワサキファンの方、是非お見逃しないように。



こんな写真と共に、キヨさんのことに触れている。
この写真もなかなかいいのだが、平井さんいい写真をいっぱいお持ちである。
ブログの中の旧い写真、当然だが、懐かしくていい。
若いタッチャンを発見してビックリした。この頃のタッチャンは知らないのである。
タッチャン、今はNPO The Good Timesの副理事長で援けてくれている
平井さんも、山本隆君も、福井昇君もそのメンバーである。


さて、キヨさんだが、
私もカワサキのレースの創生期昭和38年から4年間、(1962~1966)レースチームに直接関係をした。
その頃の、キヨさんはよく知っている。
星野もまだ20歳にならない頃だから、キヨさんもまだ10代でであったと思う。
三橋、安良岡、山本、歳森、梅津、岡部のモトクロスライダーたちに、星野が契約ライダーとして加わり、ロードライダーとして金谷が加わった時期である。

キヨさんは、まだレースライダーではなくて、テストライダー時代であった。
当時のカワサキのレースの主力はモトクロスで、ロードに正式に参加したのは65年5月3日の6時間耐久レースである。
歳森の紹介で、彼とのコンビで金谷秀夫が無契約で、初めてカワサキに乗ったレースである。
カワサキの初めてのレース青野ヶ原のモトクロスにも出場した、清原の先輩の飯原、加藤さんたちのテストライダーたちもその6時間耐久に出場したのだが、キヨさんはまだレースには出ていなかった。

キヨさんはロードのライダーで知られているのだが、
実は私は彼のぱりぱりのロードの現役時代は知らないのである。
ファクトリーのロードマシンに乗ったキヨさんを見たことがないのである。
ちょうどその時期は、内外の販売網整備で掛かりきりだった時期である。

若い頃の、その前のモトクロスに乗っていた時代のキヨさんをよく知っている。
彼をモトクロスのレースに乗せたのは、ひょっとすると私かも知れない。
確か、テストライダーとの二股だったと思う。
モトクロスでも、ずっとトップを走っていた。

その実績を見て、ロードに引っ張ったのだと、これはチームグリーンの監督など、長くカワサキのレース一筋の野村君に聞いた話である。
だから、最初はアップハンドルの縞のシャツスタイルだったのかも知れない。

星野を最初のレースに走らしたのは、間違いなく私なのだが、
その頃の、カワサキのレースチーム、星野一義、清原明彦、従野孝司といった後の有名人たちがぺいぺいの時代で、金子豊も、西も木村も若手はいっぱいいた。
従野も片山義美さんのお母さんに頼まれて、カワサキのレースチームで面倒を見ていた頃で、みんなキヨさんと同期ぐらいである。
それぞれ4輪やロードで名を成したが、3人ともモトクロスを走っていた。


そのあと、キヨさんと接触したのは、もうずっと後の、彼が販売店を出したいといってきたときである。その頃は販社にいたので、直接担当だったしよく覚えている。
『事業計画でも作って来い』 といったら、めちゃめちゃきれいな字の計画を持ってきたので、『誰に書いてもろた?』 と聞いたら『私が書きました』と言うので
ビックリしたのを覚えている。

そのあと、宗和が現役の頃、チームグリーンのことでも世話になったし、
大分のSPA直入のオープンに金谷と一緒に来てくれてここでもお世話になった。


何故、こんな昔話をしているのかというと、
来週に三木セブンハンドレッドであるZ1会のゴルフの私のパートナーは、
『飯原武志、金谷秀夫、清原明彦』なのである。

(三木セブン、ブログを始めた。NPOの仲間でもある。支配人の橋本さんは元カワサキにも乗っていた。実は今日、橋本さんと二人でハーフを回る約束である。)

大勢いるのでなかなかこんな組み合わせにはならないのだが。
『いいさん』が事務局にわざわざ、申し入れて実現したようである。
私をZ1会に誘ってくれたのも、『いいさん』である。
金谷を誘ったのは私である。
みんながサインを欲しがるような有名ライダーたちのなかに、名指しで入れて頂いて光栄である。

この4人、ゴルフをさしたら昨年までなら、
間違いなくキヨさんが一番へたくそなはずだが、最近は練習熱心になって、ウデをあげているようだ。
先日、マイスターのオープンのときに会ったらそんなこと言っていた。

ちなみに、キヨさんはギッチョである。ゴルフは左打ちである
右利きは左カーブが左利きは右カーブが得意だそうである。
但し、得意カーブのほうが転倒が多い。
『無理するんやな』
前回のZ1会でキヨさんがこんなこと言っていた。何でもレースの話になってしまうのである。

今度は4人でどんな話が聞けるだろうか?

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