良い加減で行こう!スピリチュアルの道

生まれつきサイキックな能力を持つハルと
霊感ゼロの鈍感すばるのスピリチュアル奮闘記

過渡期は波乱含み

2013年03月12日 | すばる
前回、次のステージの扉が開きそうだ、と書きましたが
これがネクスト・ステージへの過渡なら激しすぎると思います(涙

まず年末に父方の伯母が亡くなりました。
この伯母とは過去に色々あったので、私の家では名前すらタブーだったのですが
子供なく亡くなったので、父が相続人の一人となり。

そして私は正月開けからトルコへ旅行するも、
ツアー最終日の前日、父死去の知らせが。
切り上げるより日程をこなしたほうが早いということで
1/14 に帰国するも、その日は例の首都圏大雪の日。
千葉の自宅に帰る電車はなく、逆に北上する新幹線は動いているという
まさに「まっすぐ実家に帰れ」状態(笑)←私の実家は北海道です。
結局、スーツケースを引きずって新幹線に乗り込みました。
トルコは厳寒だったので、その装備は北海道ピタリで良かったのですが。

そして、他人の人生や死に敬意を払う感性が欠落している実母と
寂しい葬儀に参列し、数日、実家に泊まってトルコから続いていた
長い旅を終えて、千葉のアパートに帰宅したのが1/18 でした。

そして、父が相続する伯母の遺産はスライドで母と私へ。
ところが母が「あんたの分、よこしなさいよ」と意味不明な要求。


そして、3/2 、ハルが消えました。
詳しく書けなくて残念ですが、文字通りです。
(いつか書ける日がくると思いますが、今は無理)
死んだわけではありません。
別れたわけでもありません。
でも、私が好きになって4年半つきあってきたハルはもういない。


母とのこと。
ハルのこと。
お金のこと。
この先のこと。


この大波が引けた砂浜には、どんな海からの贈り物が残されているのでしょうか。
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決意が次ステージの扉を開く

2012年12月14日 | すばる
ご無沙汰しております<(_ _)>

更新のなかった8ヶ月をざっくり振り返るならば
5月から相方ハルとの再びの同居生活が始まり、
6月には四国周遊の旅に、
9月下旬から40日間ほどは断食道場に籠っておりました。
そして12月からは千葉県へ転居。

この間、スピリチュアルとは余り縁のない生活をしておりまして
どうもご報告するようなことがないな、と更新していませんでした。
相方のガイドは、ライラさんとザラキエルさんのまま。
人生の終盤でザドキエルさんとご縁が待っていることが判明したくらいで
私にもたらされたハル関係の情報はそんなところです。
まあ、私があまり興味を持たないので言ってこないだけだと思いますが(笑)。
あ、そうそう、古今東西の隠者の生活に同行しているようです>夢の世界で。

そんな中、久しぶりにスピネタをゲットしたのでご報告せねば。

ええと、のんびり貯金食いつぶし生活も3年目となれば
マジで「なんか暇でやることなくて沈む……」という気にもなります。
貯金も確実に減っているし、このままだと来年半ばには底を尽くし(笑)。
ただ、働くとなると、このデブ加減じゃパートの制服も入らねぇ……(遠い目)
ということで、働く云々の前に痩せることにしました。
162センチで72キロ、この2年で25キロ太り、とにかく醜い私です。

方法は色々あったのですが、手っ取り早く「金」で痩せることに。
秩父の山奥にある断食道場、1泊1万円、30日コースです。
(結果的に40日かかりましたけど、これは契約?で延長料無し)

ま、道場の詳細は省くとして、ざっくり説明するなら
東洋医学系の理屈で、小食(→断食)と柔軟体操メイン、ノンケミカル徹底という感じ。
当然のことながら、かなりスピリチュアルな香りのする場所でしたね。
ま、食べ物や食べ方を吟味し、自分の身体と向き合えば
自然とスピ風味になるのは仕方ないことかも知れませんが。

そこでイイ感じに痩せ始めた頃、問題が勃発しました。
私が神奈川県で住んでいるアパートの大家が、留守番ハルに詰め寄ったというのです。
要約すれば「契約者(すばる)以外が住んでいる!又貸し?おまえ出て行け!」ということ。
確かに単身者用アパートですし、大家の言う事はもっともなのです。
が、それでハルが出て行く先もないので、私が道場から電話をしました。
「すみません、私、今、身体を壊して施設に入っているので
 その間の留守番として親戚に滞在してもらっているのですが。
 私への差し入れや植物の世話などお願いしているのです」
嘘八百とは言いませんが、嘘八十くらいで言い訳してみたのです(^_^;
ところが大家さんは全く聞く耳を持ちません。
電話では何とでも言える、と。
そこで「施設に入所証明書を書いてもらって提出します」
と言ってみたのですが「そんな物はいくらでも偽造できる」とな。
うーん……どうも、単純に契約者以外の者が住んでいるなんて(怒)!
というだけじゃない感じ。
ピンと来て「そもそも年末までには出ようと思っていたのですが」
と言ってみたら、手のひらを返したように軟化した大家。
それも「出て行って欲しくない」方向ではなく「さっさと出て行け」方向に(笑)。
なーるほど、そういうことか。
ある事情があって、ある店子をたてて、他を切らざるを得ないことを察し、
こうして私は、唐突に引っ越さなければならなくなった訳です。

それを道場のスタッフさんに愚痴っていたところ。
彼が面白いことを言いました。

「次のステージの扉が開いたね」

どういうことか?と尋ねると教えてくれました。
彼はこの仕事が長いスピリチュアリストなのだけれど
割と真剣に取り組んでいる人には、ここに居る最中に某かの大きな出来事が降り掛かり、
予定を切り上げて帰る人さえいる、と。
本人は慌てふためいているけれど、僕には何となく扉が開いたのが分かるんだよ、と。

何故なら、病気以外で太った人というのは、怠惰な習慣の積み重ね。
「痩せよう」と決意してここで行動に移した人というのは、
その習慣を断ち切ろうと努力していることに他ならない。
つまりこれまでの自分を変えて前に進もうとしているわけで、
それってスピ世界では、法則が実感を伴って動き出す呪文と同じこと。

すばるさんも、ここでの柔軟体操、気に入っただけじゃなく
家でも続けたいけれど1ルームじゃスペースがない、って嘆いてたじゃない?
引越上等!じゃないの(笑)?


……なるほど。
決意が次ステージの扉を開く、ってか。
ダイエットも、本気度合いによってはスイッチなんだ。


ちなみに道場から帰ってから、もう1つ4年越しの大きな問題もさっくり解決し
驚くやら何やら「スイッチ入るってスゲー!」って感じです。
新居捜しも、何かに導かれるようにナイスな所が決まったし、
今度の大家さんはメチャいい人だし、間取りも街もジャストだし。

ま、そんなこんなで年明けには何かに導かれるようにトルコ旅行です☆

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闇とは何ぞや?

2012年04月23日 | 見えない存在
カテゴリーに「高次の存在」というのがありましたが、
「見えない存在」に変更しました……この記事を入れるために。


「闇の勢力」とか「イルミナティ」「グレイ」とか聞きますね。
それに対抗するために活動しているというブロガーさんも少なくないし、
信頼しているワーカーさんにも居たりします。
そういう「闇の存在」に洗脳されたり憑依されたりすると、
その人は獣化して、犯罪を犯したり戦争を指導したりするのだとか。
そして悪の親玉と言われるルシファーは堕天使と呼ばれて評判悪いですが
こういうメッセージを読むと、結局「悪い」とかじゃないんだ、と感じます。


私がスピを勉強し始めて、最初に感銘を受けた知恵が、
「善悪を判断しないこと」
だったので、この「闇」という考え方をどう受け止めればいいのか
戸惑っていた時期がありました。
「闇」=「悪」=「なくしていくべき存在」→「戦おう」
そんな図式で発言、行動しているライトワーカーさんが
意外に多い事に気付いたからです……私は「戦士系」と呼んでいますが(笑)

まあ、いくら善悪を判断しないように努力したところで
絶句するようなことをする人というのはいるもので。

ハルの学びが始まってラファエルさんが常駐していた時、
彼は「ここ数日、残虐シーンばっかり見させられて凹んでいる」
とぼやいていたことがありました。
人間を知るテーマのもと、古今東西残虐の旅(笑)
その話を聞いた日にはポルポトのジェノサイドを見てきたとか。
後日、私もドキュメント等で見ましたが……理解不能 Σ(゜д゜;) ナンスカ、コレ!?
色々と調べましたが、ポルポトの真意が分からず尋ねました。
「で、ヤツは結局、何で1/3も殺したの?自国民なのに?そこ教えてもらった?」
「カンボジアは貧し過ぎ、農業しかなかった。
 そこで、愛する国土を肥えさせる肥料に人肉を使っただけ」
確かに犠牲者は、穴に放り込まれるでもなく地面に放置されていたらしく。
「…………つまり彼は、究極の愛国者だと?」
「少なくとも、彼自身はそう信じていた。
 確かにどういう視点から見ても、いいところは全くないように見えるけど
 でも、これがポルポトという人生の学びだったというだけだよ」

宗教でもスピでも、神という概念を採用する人に対して、
「神が人を創造したのではなく、人が神を創造したのだ」
と反論して、宇宙の起源はビッグバンだと譲らない人がいます。
というか、多くの現代人はそう思っているようです。
そういう無神論者はよく、こうも言います。
「神がいるのなら、何故、戦争が? 何故、飢餓が?」と。
それに対する模範解答は恐らくこうです。
「戦争がなければ殺し合うことの無意味さ、空しさ、悲劇性が分からないし
 いつも簡単に食べ物が手に入れば、食べ物のありがたみが分からないから。
 世の中のネガティブな事象は全て、対象となるポジティブのありがたみを
 教えるために存在しているのです」と。

こういう考え方に納得していた私は、人の行為については
善悪で判断しないような姿勢を身につけることができましたが、
見えない世界の「悪しき存在」と呼ばれるモノについては実は解釈しかねていたのです。
憑依して犯罪を促す悪霊?だとか、いわゆる低級霊と呼ばれる存在。
三次元と言う二元の世界において、ネガティブ面から学びをする存在は理解できても、
三次元を離れてなお、ってどういうことなんでしょう?

そのへんを考えていた時に、ハルが「面白い人と会ったよ」
と教えてくれました……その人がヤコブさん。
ラファエルさんに学びの一環として引き合わされたようです。
いつのどこのヤコブさんか不明だったので話を聞いてから調べてみたのですが、
恐らく15世紀中頃、エチオピア帝国皇帝であったザラ・ヤコブではないかと。
(余談ですが、エチオピアって1975年まで帝政だったんですね!)


ヤコブさんは、普通ならとっくに転生している時期なのに
ヤコブと呼ばれていた人生を終えた後の後悔が強くて、
そしてまた繰り返したらどうしよう?という恐怖で
生まれ変われずに、ずっとここに(どこに?w)いるそうです。
天使などからは「もう、いんじゃね? そろそろ行っとけば?」
と転生を促されたりもするらしいのですが、そんな気にはなれないそう。
どうも、ヤコブであった時、かなりの独裁者だったようで
信仰なども含めて、とにかくたくさんの人を殺したそうです。
自らを振り返って
「イッちゃってたよ、俺、どうしたの?
 自分で自分がわかんねーよ、そこまでのつもり、なかったのに」
と、正直、自分にビビっちゃったというか。
割に意気込んで生まれてみたけど、やらかして帰ってきたヤコブさんw
ちなみにはすっぱな口調は私の超訳にすぎず、
ご本人は至って真面目で物静かな印象だったようですので誤解なきよう(笑)

で、ラファエルさんは言ったそうです。
「この者は、上にも上がらず転生もせず、ずっとここにいる。
 そういう者も少なからずいるのだ。
 彼は光の存在とは言えない。強いて言うなら闇の存在だろう。
 しかしながら……闇の存在は、悪かね? 彼は悪だろうか?
 思い悩み動けずにいる者が悪かね?」


なるほど、確かにヤコブさんは低級霊の部類のようです。
でも、もしヤコブさんが誰かに憑依したとしても
ヤコブさんの思いどおりに行動させられた人は、
なんだか悪行より善行しそうな印象ですね……?
でも、ライトワーカーさんの中には、
除霊や浄霊など、良くない霊を扱った仕事をしている人もいるわけで
やはりヤコブさんのように感じのいい低級霊ばかりではないような。

ヤコブさんのことを書くために、自分の中を整理していた時、
やはり上記の点が納得できないまま残っていたので、
ヤコブ話から数ヶ月が経った先日、改めてハルに見解を訊いてみました。

「これは天使から教えてもらったことではなく、
 自分の解釈・見解なのだけどね。
 守護霊さんとかも居るのだから、本当にヤバい存在に
 そうそう明け渡すか?と思うんだよね。
 確かに未来は不確定で決まっている訳ではないけれど
 でも霊に憑依されるなんてことが偶発事項とは思えないんだ。
 ということは、織り込み済みの予定と思えばどうかな?
 犯罪者の学びの予定が、思わぬ素直な良い人に育っちゃって
 そんな時には憑依で対処、とか決めてきてるのかも。
 もちろん憑依してもらうには、悪い役割をお願いするわけ。
 ある段階で除霊してもらうのも予定内のこと。
 そういう一連の過程を、人間目線で解釈すると
 あの人は波動が下がって低級霊を招き入れてしまった!
 でも霊能者さんのおかげで除霊できて良かったね!となる。
 でも実は全部、レコードに沿って守護霊さんが手配しただけw
 どう、こんな感じの解釈(笑)?」


私は、けっこう「なるほど!」と納得したのですが
どんなもんでしょうかね(^_^;
どんなに悪そうでも、それは持ちつ持たれつ、
楽屋(霊界)に戻れば、役を離れてみなニュートラル。



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春が来た……かも

2012年04月20日 | すばる
精神世界というジャンルを知って、ちょうど1年ほどが経ちました。
ちょうど無職という時期も重なって、むさぼるように知識を詰め込む日々。
新しい世界が広がったようで、とても楽しかったですね。

「いいな」と思うことを、それなりに実践した時期もありました。
愛を発信する、あらゆるモノに感謝する、ポジティブで居続ける……等々。
でもいずれ、どれも行き着くところは同じということに気付きます。
頭(知識、思考)で「いいな」と思ったことというのは
体感(実感、感受)したわけではないので、いつか偽善になる、と。
「~するべき」「~する自分であるべき」というエゴに過ぎない、と。
肉を食べる時、感謝を忘れて食べ始めてしまうことがありました。
途中で気付いて「おっとっと……」ってね。
これは私が「動物の犠牲は尊い、有り難い」と頭で思っているだけだから。
もし私が愛犬家で、犬を食す国に暮らす事になり、犬肉を避けられない環境だったとしたら、
どんな時でも、犬肉を前にして、その罪悪感を忘れることがあるでしょうか?
「犬を食したくない、犬を食べるなんて野蛮だ、犠牲にしてごめんね」
そういう気持ちを体感し、本音本心から出た想いを失念するなんてありえません。
つまり私は、牛や豚の犠牲に対して感謝するべきとは知っていても
実感として身に染みているわけではないということなのです。
当時の私は、スピリチュアルに傾倒するあまり、
その教えで「よい」とされていることを手当たり次第に実行しつつ、
実は全て偽善だったと言えます。
真似事でも続けていれば、いつかは本当になるだろう……
という考え方もあるでしょう。
でもそれは、私好みじゃなかった(笑)

とは言え、せっかく知る事が出来た叡智?の数々を
知らなかったように生きて行くのもまた、抵抗がありました。
実際に根付いたモノもたくさんありましたしね。

そして、ここ数ヶ月、私の課題は「これからどうするか?」に集約されました。
のんびり無職生活を続けて来た私も、いつか動き出す日がやってきます。
この1年で、モノの見方、捉え方、価値観もずいぶん変わりました。
でもそれは社会生活から隔絶された環境で温めたものであり、
いわば、洞窟の仙人の修行に近い、他者の存在がない場所で成立しているだけ。
いつかは、人との係わり合いの仲で磨いていかなければならず。
氾濫するスピ知識の中で、私が拠り所とするものの取捨選択に迫られました。

そして、私が心から納得し、なにものにも左右されない例外なき規範として
「これでしょ!」と思った教え?が2つありました。

・三次元の特色である喜怒哀楽を噛み締め、あらゆる体験を惜しみなくせよ。
・凪いだ心で中庸(バランス)を保て。

ところが、私の狭い認識では、この2つは相反すると感じました。
喜怒哀楽をしょっちゅう爆発させていたら、心が凪ぐ暇がないじゃん??
泥臭く必死に生きつつ、心は常に凪いでいるとか……必死と凪の併用って神?w
でも、どちらにも深く納得していた私は、どちらかだけを捨てられず、
かと言って、融合も出来ず、しばし悩み続けることになりました。


そして、ついさっき。
相方に相談したところ、あっさり答えをくれました(笑)
簡単すぎて笑えます……でもきっと、自分では辿り着けなかっただろうなぁ。
視点を変えればいいだけなのだけれど、独力では無理だったね。

「すばるの悩む2つのテーマは、独立した別々の教えではないんだよ。
 原因と結果、表と裏のような、それぞれを互いに含むテーマだということに気付いて。
 つまり、たくさんの体験をすれば心が凪ぐようになる、ということ。
 なんでも初体験は気持ちが振れて当然、でも2度目ならそうでもないし、
 数回目なら、心は凪いでいられるだろう?」


わーお、目からウロコ……確かに、確かに☆
考えてみれば、悟っちゃったような面持ちの巷の好々爺、
長く生きて来た中で体験を積み重ね、動じなくなり、
現在24時間365日、凪いでます(^-^)v ってことなのか。


うーん、つまり。
とどのつまり。

やっぱりスピ知識なんて必要なくね(笑)?
そこそこまっとうな人なら誰でも、
「一生懸命、前向きに生きてきて、今は穏やかに過ごしてます」
くらいにはなれそうだものね。

うん、そうなんだよね。
やっぱり世の中、うまく出来てるんだよね。
前を向いて歩いているだけで幸せになれるとは。
さすがは神。

そして、スピ知識がいつまでもアングラでオカルトであることにも納得。
生きるのに絶対必要ならば、とっくに一般知識になってるはずだもんね。


……あ、あれ?
もしかして「あるがままに、なるままに」って
このことなのかな?
よく聞きますよね……「あるがままでいいのです」
あれれ? もしかして繋がったのかな、コレ(笑)?




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そして「見る」ということ

2012年04月14日 | すばる
「悟り系で行こう」「クリシュナムルティ」「超訳 般若心経」
と書いてきましたが、続きます。


さて、1月にザラキエルさんから言われたことを踏まえつつ、
私がそれでも精神世界に関わってきた過程をご紹介したのですが、
何か気付かれましたでしょうか?
これでもか、これでもかとチラつくキーワードを?

そう、「見る」「視る」「見つめる」ってやつですよ。

ザラちゃんは、ハルに「黙して見つめよ」と言う。
那智さんも「見つめてたら悟った」と言う。
クリちゃんも「キチンと見ること」(※)と言う。
お経までもが「とにかく視よ」と言う。

なんか、見るって凄く大事みたいです。
出典は忘れましたが、有名な思想家か哲学者も言っていますね。
「人は生まれてから死ぬまで、ずっと眠っている」と。
これはつまり、目覚めていない=見てない、ですもんね。


そして、私は始めてみました……意識して「見る」ことを。
まあね~、一見、アホですよね、そんな私w
でも、ひたすら、暇があれば、窓から外を見てましたよ。
薄汚れて散らかった部屋を、ずっと見ていました←片付けろw
手を見、空を見、テーブルの上のポットを見ていました。






















気付き has come !


その瞬間、うおぉー!と思いました。
一瞬にして「私、いま、いいこと気付いたよね!」と分かりました(笑)

話は単純です。
私の部屋は狭いので、普段、ベッドがソファ代わりなのですが、
横の窓を開けると、お隣の戸建て一家の裏庭が見えます。
季節のお漬け物作業や洗濯物などを見ていると、
しっかりしたご夫婦が穏やかなで堅実な生活を楽しんでるように見えます。
その手入れされた庭に、桜が咲きました。
一足早い開花に、私はうっとりと見とれていましたが、
ふと奥のほうには、これまた見事な紅梅が咲いているのです。
「春だなぁ……」としみじみ眺めていたところ、
ふと、気付いたのです。

桜や紅梅の、どちらかに視点を固定して眺めていると
「きれいだな」「春だな」「そういえば昔見た桜は~」
などと、様々な思いが頭をよぎります。
しかし、両方の美しさを同時に楽しみたいと思い、
双方を視界に入れるべく、庭全体を見ていると……、
何故か、頭が空白になるのです。
そして穏やかな気持ちと言うか、満ちた心というか
プラスではあるけれど、言葉にならない思いが胸に満ち、
そこには、ただ庭を見る私がいました。

……そうか!
一点集中(選択後)の「見る」では思考モードに
俯瞰の「見る」では感じるモードになるんだ!
今の私は、今ここを生きていた。
思考が自然に止まり、感じることで今ここを生きた。
嗚呼、「考えるな、感じろ」とはこのことか!

「考えるな、感じろ」とか「今ここ」とか、
私の中では、別々なところから学んだ、別々の教えでした。
でも、それが繋がった。
知識にすぎなかった学びを、今、体感した。
色んな教えはこうして繋がっているのか!
頭でっかちだった私が、本当の意味で体感もしくは認識という
本当の学びをした最初の瞬間でした。


ハルに電話して、興奮しながら報告しました。
ハルは一言、
「Welcome to our Spiritual World !」




(※)
クリシュナムルティの教えについては、前回記事で触れました。
そのような世界の見方を提示した上で、彼が実践を進めたのが「見る」です。
彼は本当に見る、本当に聞くことが、最も難しいこととしたうえで
このように言っています。
あなたは試したことがありますか? 1本の木のような対象物を見る時、
どんな連想もなしに、あなたがそれについて獲得してきたどんな知識もなしに、
どんな先入見、どんな判断、あなたとその木の間にスクリーンを作り出し
あるがままの実際の姿でそれを見るのを妨げるどんな言葉もなしに、
自分がその物を見ているかを。
その木をあなたの全存在で、あなたのエネルギーすべてを傾けて観察する時
なにが起こるか試してみなさい。
その強烈さの中では観察者はまったく存在しないということに、
あるのは注意だけだということに、あなたは気付くでしょう。
観察者と観察される物が存在するのは、不注意な時だけです。
あなたが何か完全な注意と共に見る時、そこに観念や決まった方式、
記憶が入り込む余地がありません。(中略)
あなたが普段見ているものは、イメージです、記憶です。
私があなたを知っているという時、それは昨日のあなたのイメージです。
これらのイメージが、あなたとあなたの見る物の間に空間を造り出し、
その空間に、あなたの葛藤・対立が生じるのです。
あなたが対象物を愛したいのなら、その空間を生じないように見るべきです。
イメージではなく、あるがままの「今」の対象物を。

彼が、観察者の存在が消えるほど集中して見ろ、ということは
つまり「今ここ」という状態を造り出すことを示唆しています。
「今ここ」「ありのまま」を体感する術の1つが、彼の言う「見る」なのだ、
と私は感じています。





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