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【歴史バトル】「巨大な墳墓、年号が入った中国鏡は畿内でしか見つかっていない」 ネット介し「邪馬台国」論争、吉野ケ里と奈良つなぎ

2016-10-17 08:04:38 | Weblog
元スレ

1: ニカワ ★


邪馬台国九州説を主張する高島忠平さんら3人のパネリスト。「歴史バトル」と題し、奈良県の会場とインターネットでつないで討論した=吉野ヶ里町の吉野ケ里公園管理センター

http://www.saga-s.co.jp/images/article/2016/10/16/SAG2016101699000056_id1_20161016094537.jpg

 邪馬台国の九州説と畿内説を討論するフォーラム(吉野ケ里公園管理センターなど主催)が9日、吉野ケ里町の同センターで開かれた。奈良県の万葉文化館とインターネットでつなぎ、研究者6人が交わす激論を両会場の歴史ファン計550人が見守った。

 九州説では、佐賀女子短期大学名誉教授の高島忠平さんら3人が、吉野ケ里遺跡から居所、宮室、楼観、城柵が出土し、中国の歴史書「魏志倭人伝」の記述と一致する点を強調した。「中国の城を思わせる環壕(かんごう)の飛び出し部、女性王の埋葬例が北部九州の遺跡から数多く見つかる」と指摘した。

 香芝市二上山博物館名誉館長の石野博信さんら3人が畿内説を主張。他地域との交流の証しとなる外来系土器が多く発掘され、大型建造物を備える纏向(まきむく)遺跡(奈良県)を重要候補地に挙げ「前方後円墳の祖となる巨大な墳墓、年号が入った中国鏡は畿内でしか見つかっていない」と語った。

 魏の皇帝墓に埋葬された金銀をあしらった鉄鏡が昭和期に大分県で見つかった鉄鏡と似ており、双方の議論が白熱する場面もあった。

http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/366529



2: 名無しさん@1周年



沖縄



3: 名無しさん@1周年



名前:日本@名無史さん [sage] :2016/03/28(月) 23:34:32.77

卑弥呼の墓が前方後円墳ということはない。絶対にない。
まず、その墓は径100余歩とされており、円墳と考えられること、
次に、倭国の墓は棺はあっても、槨はないとされていること。
郭のない前方後円墳はあるだろうか。卑弥呼の墓は粗末なものなのである。
張政は卑弥呼の死後までおり、その後に書かれた魏志倭人伝には卑弥呼の墓の記述もあるが、
倭の墓には槨がないと述べており、卑弥呼の墓だけ特別とは考えられない。

>朱丹塗其身體如中國用粉也
顔に赤い粉を塗っていること。文脈から、これは男女を問わない。
顔が赤い者は畿内では猿扱い、すなわち非人とされているが(埴輪)、宮崎県、鹿児島県では違った。

徳島県の犬山天神古墳からは、顔の赤い女酋長が見つかっている。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国の東の海の向こう、すなわち四国には倭種がいた。
同じような種族であり、それはやはり顔が赤く、墓には槨がなかった。

なお、犬山天神山古墳も、油津、串間市西方同様、海に突き出る土地だったことも見逃せない。
(埋め立て前の地図による)

隼人の墓は、目ぼしい円墳、特に台与がいた油津周辺の円墳が暴かれたため、邪馬台国の有力者たち
が止むを得ず掘ったものなのである。
その時代においても、顔に朱を塗る習慣は残っていた。

地下式横穴墓が多く出る地域に★を振った。
(西都原は無視して結構。油津と串間市は台与、卑弥呼の居処として★を振った。)

http://i.imgur.com/XXMRo4Q.jpg
また、東西南北は夏至の日の出を基準としているという有力な説があるとのことで、
この地図は、それに合わせてやや傾けてある。

地下式横穴墓が、邪馬台国の軍団のいた地域であり、明らかに都城付近を中心に、熊本を攻め、
油津から串間の海岸を守る配置になっている。



4: 名無しさん@1周年



銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 2010/12/27
臼田 篤伸 (著)

巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの
労働力とされた
巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった
古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

それまで、日本の有名大学の古代史専門家による縄文→弥生→古墳時代への“平和的、友好的、自然的”
発展変化という‘上品で理想的’な皇室尊重的な伝統史学を徹ッ底的に破壊、否定、駁論する内容である。
まぁハッキリ言ってよく言ったと思う。自分も伝応神・仁徳天皇陵を何度か訪れたが、アレをブルドーザーや
トラックもない古代に、粗末な鍬や鋤だけで作れと言うのだから、命令する人はどれ程の「仁」と「徳」が
備わっているか推して知るべしである。しかも、前方後円墳だけで大中小合わせれば日本全国に5000基
(円墳含めると20万)あるといわれるので、古代の大和朝廷なるものがどれ程「博愛的」であったかは、
著者ならずとも推して知るべきである。エジプトのピラミッドもそうだが、あんなものを単なる失業対策で
‘嬉々として’積み上げるバカが何処にいると言うのか?最近流行の人道主義的歴史学者は、一度、自分で
その石を背中に積んで頂上まで登ってみろと言いたい。



5: 名無しさん@1周年



最近の三角縁神獣鏡研究が明らかにした新事実
平成27年(2015)11月1日
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-16/2015_11_03.htm
三次元計測を応用した最近の三角縁神獣鏡研究
奈良県立橿原考古学研究所(以下、橿考研)の公開講演会
「三角縁神獣鏡研究の最前線」と題する講演会で、「精密計測から浮かび上がる制作地」のサブタイトル

■ そこで、研究者の便をはかるために、橿考研は、平成9年(1997)から翌年にかけて黒塚古墳から三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面を発掘したのを契機に、レーザー走査式三次元計測による銅鏡の精密な計測システムを導入した。

■ これらの計測機によって、測定対象に触れることなくその表面寸法を測定し、400万点前後の点群を取得でき、対象物の形状の三次元データの作成が可能になった。

三次元計測を応用した最近の三角縁神獣鏡研究

■ 同一文様の鏡を量産する方法としては、「同笵技法」と「同型技法」がある。
同笵技法とは、一つの鋳型(笵)で鋳造を複数回行い、同一の鋳物を製作する技法をいう。
一つの鋳型から複数面鋳造する場合、鋳造ごとに鋳型に傷が増えて行く傾向にある。

■ 一方、同型技法では、青銅鏡で初めに制作した一面を原鏡とし、これを真土(まつち)とよぶ粘土で文様を写し取り鋳型を複数作り、この2次鋳型から同一文様の子鏡を制作する方法である。

■ 永野敏典研究員は、---.鏡に残る鋳型の傷などを分析された。

永野氏は、銅鏡に残された鋳型の傷から舶載鏡一面と彷製鏡3面が同じ鋳型で作られていることを突き止められた。類例は他にもあるという。

■ 永野氏の研究成果が意味するところは大きい。
従来は文様の出来・不出来で「舶載鏡」と「彷製鏡」を分類してきたが、そうした分類はもはや意味をなさないことになる。
そのため、制作地は「すべてが中国製か日本製となる可能性がある」ことを指摘された。

■ 清水康二・主任研究員も、---.同じ鋳型を再利用したと考えられる例があることを指摘された。
--.
「舶載鏡から彷製鏡まで同じような工人が作っていた可能性が高い」とされた。
最後に講演された菅谷文則所長も、中国では出土しておらず、日本で約560面見つかっている以上、三角縁神獣鏡は国産とみる考えを披露された。



6: 名無しさん@1周年



堂本は百済王氏族の末裔。



7: 名無しさん@1周年



邪馬台国別スレ?



8: 名無しさん@1周年



何か話題を変えて継続してね?



9: 名無しさん@1周年



まだ決定的な証拠がないのに、煽り立てて誰が得するの?



10: パナマ



魏志倭人伝当時(3世紀)の邪馬台国は奈良
金印当時(57年)頃北部九州の部族集団が東征した



11: 名無しさん@1周年



畿内説には説明できない弱点が多いのですが、
その中でも以下の3点は決定的です。

・邪馬台国のライバル国である南の狗奴国の説明
・東の海を渡った所にさらに倭種の国
・邪馬台国に属する国は30ヶ国

畿内説邪馬台国は畿内から九州までを含む全域を支配しているのに、
そのような大国に対抗できるライバル国が存在するのでしょうか。
また、東の海を渡るとはどこの海を指しているのでしょうか。
さらに、伊都国、奴国、不弥国と現代の市町村レベルサイズで
既に5-6ヶ国の記載があるのに、西日本全体で30ヶ国を想定するのは無理です。

それが九州説であれば、狗奴国は熊本の事、
東の海を渡るとは当然、豊後水道でさらに倭種の国は四国、中国。
邪馬台国が福岡県サイズとすれば、30ヶ国の数は適正。(現代の自治体数)
全てが違和感なくすっきり説明できます。

何より、当時の中国人・日本人が東も南も分からない愚か者の集まり
とするならば、そのような質の低い当時の日本人が、すでに3世紀に
西日本全域を支配している国家を形成していたと信じる方が支離滅裂なことだと思います。



12: 名無しさん@1周年



基礎研究者が大学を納めた人



13: 名無しさん@1周年



景初4年の三角縁神獣鏡が出てきちゃう畿内の中国鏡には笑っちゃうよね



14: 名無しさん@1周年



近畿の盗賊が九州から奪ったんじゃねーの?



15: 名無しさん@1周年



天皇には新羅王子の血が流れている

アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)は、『古事 記』、『日本書紀』に見える新羅の王子。『播 磨国風土記』には神として登場する。

古事記においてアメノヒボコと阿加流比売神の 子孫・曾孫が、菓子の祖神とされる多遅摩毛理 (たぢまもり・田道間守{日本書紀})であ り、
次の代の多遅摩比多詞の娘が息長帯比売命(神 功皇后 )の母、葛城高額比売命であるとされて いる。
しかし日本書紀において結婚したのはアメノヒ ボコでなく意富加羅国王の子の都怒我阿羅斯等 (つぬがあらしと)とされている点で異なる。
また古事記ではアメノヒボコの話は応神天皇の 段にあり、応神天皇の治政を述べるくだりで出 現する。
日本書紀では応神天皇は神功皇后の子であり、 神功皇后の母はアメノヒボコの末裔の葛城高顙 媛(かずらきのたかぬかひめ)であるため、
古事記と日本書紀では系譜(アメノヒボコが出 てくる話の時系列)が逆転している。

http://i.imgur.com/E3linwh.jpg

長崎県の壱岐の島で応神天皇を産んだ神功皇后。

壱岐の島の歴史は元寇で分断されている。



16: 名無しさん@1周年



>>11
◆FAQ 23
Q:卑弥呼の冢は円墳なのだから箸墓ではありえない

A:方形のものの大きさを「径」で表現することはないので、「径百余歩」と形容された卑弥呼の冢は方墳ではありえない
しかし「径」は円形以外のものにも用いられる表現であるので、円墳と特定する根拠はない
また、築造過程で箸墓は円丘と基壇部のみの前方部から成っていた時期がある
基壇部は水平方向から見ると隆起していない
よって、基壇部の築造企画が当初より前方後円型である事実は、方丘後付説を否定できる材料ではない

箸墓の築造過程は
1)地山周囲を馬蹄形に掘り込み基壇部と周濠、渡り堤等を削り出しで整形構築
2)基壇後円部上に円形に堤状の土塁構築
3)その内側を埋めて円丘の段築を一段完成、2)から繰り返し円丘を完成させる
  この時点で、基壇前方部から円丘頂上に向けてスロープがある
4)主体部を構築しスロープより棺を搬入
5)前方部基壇上に盛土と方丘を構築して完成
と推定できる
葬送儀礼の最も重要な局面で方丘が存在していない可能性があるといえる

 1)は基壇部や周濠の渡り堤が一体に地山から削り出されていることから
 2)3)は椿井大塚山の事例から
スロープについてはアジア航測によるレーザー計測で存在が確認された
箸墓では第4段テラスに接合して実用性が認められるのに対し、時代が降るとともに形骸化している
方丘築造が後出であるという判断は 箸墓の後円部と段築が接合しないこと
 箸墓の円丘から降りてくるスロープが墳丘くびれ部から前方部寄りの位置で
 前方部盛土に遮られる形で消失していること
 椿井や中山大塚の構造や、河内大塚や見瀬丸山など築造中に中断放棄されたと考えられる古墳で
 前方部に盛土がないこと等による



17: 名無しさん@1周年



>>3
Q:黥面文身は九州の習俗で畿内には無いだろう

A:黥面文身を九州説の根拠とすることは不可能である
黥面土器の分布から見て、弥生時代にこの習俗が特に盛行した
のは岡山県及び愛知県であり、九州ではない
両地域と深い交流のあった纒向に黥面の人々がいたことは確実であろう
古墳時代の畿内にも、この習俗が濃厚に存在したことは埴輪から明らかである

このように、倭人伝の黥面文身記事は九州説にとって不利な記述である



18: 名無しさん@1周年



邪馬台国ではないにしろ、奈良辺りに東西を結ぶ中継地点を想定すれば、のちのヤマト王権や纒向の繁栄は説明できそうだとは思うがね。
日本列島を縦におけば、中継貿易で繁栄する機内を狗奴国にあてがってもいいような。



19: 名無しさん@1周年



>>13
笑うのは誰にでもできることだけど
どのような経緯で景初四年の鏡が存在し、それが邪馬台国近畿説の否定・肯定に
つながるのをかをきちんと説明することは普通の人にはできないね



20: 名無しさん@1周年



大和朝廷は韓国起源だから



21: 名無しさん@1周年



まだ九州説とか残ってたのか。



22: 名無しさん@1周年



いつまでやってんだよ



23: 名無しさん@1周年



近畿は銅矛無いから。
明らかに邪馬台国ではない。
安心して眠るが良い。



24: 名無しさん@1周年



>>23
>>10
Q:古墳時代にあっても前方後円墳の企画が一律に展開しているわけではない
  ヤマトに統一政権があったなど幻想ではないのか

A:日本列島における国家形成は弥生終末から急速に進展し、庄内期のうちにヤマトの王権を頂点とする萌芽期国家の紐帯が醸成されたとみられる
しかし、領邦国家の誕生は未だ遥か先である
統一政権という語彙に、律令時代をも凌駕する近代的な地域的政治集団をイメージするのは、明らかに間違いである

遠隔地同士の盟主的首長が、兄弟或いは親子的結縁で主に通商ルートに沿ってネットワークを構築し、網の目が列島の過半を覆った時点でも、それら点と線の合間には各個の盟主的首長には各地各個の敵対者もいるであろうし、中立的に距離を保つ者もいるのは当然である

さらには、このネットワークの構成要素たる個別的関係が、世代を超えない当代首長単独相対の不安定な関係であったと考えられる
なぜなら、被葬者の遺伝的形質から推定される当時の親族構造から言って、血縁的相続関係が各地首長権の安定的継承を保証し得ていないからである
ゆえにこそ、首長権の継承を決定づける古墳の墳頂祭祀において、そのステージの造作や儀式の所作で、首長権の継承を保証する従属者の奉事根元声明とともに、上位者や盟友に関する外交関係の継続も宣言されたのであったと考えられる

古墳の定型化はこういった政治的諸関係の公示を含む組織化・規格化にほかなるまい



25: 名無しさん@1周年



一スレに必ず2-3単発で学会では畿内が出てくるわなw



26: 名無しさん@1周年



>>19
こじつけだけに終始する畿内説には辟易、
有り得ないものが存在することが畿内説の全て。



27: 名無しさん@1周年



>>20
韓国って国いつ出来たん?



28: 名無しさん@1周年



別にどっちでもいい

いま社会で問題視されているのは卑弥呼の話よりも、フルベッキが明治天皇になったことだ



29: 名無しさん@1周年



>>25
やっぱり学会の動向話されると辛いの?
ならこのスレでは止めとくよ



30: 名無しさん@1周年



>>26
Q:九州には平原1号墓や祇園山古墳などに殉葬の例があるが、畿内の古墳には無い
  卑弥呼の墓があるのは九州だ

A:平原1号墓、祇園山古墳ともに調査報告書は殉葬墓の存在を認めていない
また、殉葬の奴婢たちが卑弥呼冢域に埋葬されているとする文献的根拠は無い

参考事例であるが、始皇帝陵の陪葬坑はその多数が冢どころか陵園外にある
日本の古墳においても墓域の認識は要検討であり、ましてや垂仁紀のように殉死者の遺体が遺棄されるのであれば痕跡も発見困難である

以上のとおり、墳丘本体に殉葬痕があるか否か卑弥呼冢の判定基準にしようという考えには合理性が無い





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