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【歴史】「巨大な墳墓、年号が入った中国鏡は畿内でしか見つかっていない」 ネット介し「邪馬台国」論争、吉野ケ里と奈良つなぎ★2

2016-10-18 08:29:22 | Weblog
元スレ

1: ニカワ ★


邪馬台国九州説を主張する高島忠平さんら3人のパネリスト。「歴史バトル」と題し、奈良県の会場とインターネットでつないで討論した=吉野ヶ里町の吉野ケ里公園管理センター

http://www.saga-s.co.jp/images/article/2016/10/16/SAG2016101699000056_id1_20161016094537.jpg

 邪馬台国の九州説と畿内説を討論するフォーラム(吉野ケ里公園管理センターなど主催)が9日、吉野ケ里町の同センターで開かれた。奈良県の万葉文化館とインターネットでつなぎ、研究者6人が交わす激論を両会場の歴史ファン計550人が見守った。

 九州説では、佐賀女子短期大学名誉教授の高島忠平さんら3人が、吉野ケ里遺跡から居所、宮室、楼観、城柵が出土し、中国の歴史書「魏志倭人伝」の記述と一致する点を強調した。「中国の城を思わせる環壕(かんごう)の飛び出し部、女性王の埋葬例が北部九州の遺跡から数多く見つかる」と指摘した。

 香芝市二上山博物館名誉館長の石野博信さんら3人が畿内説を主張。他地域との交流の証しとなる外来系土器が多く発掘され、大型建造物を備える纏向(まきむく)遺跡(奈良県)を重要候補地に挙げ「前方後円墳の祖となる巨大な墳墓、年号が入った中国鏡は畿内でしか見つかっていない」と語った。

 魏の皇帝墓に埋葬された金銀をあしらった鉄鏡が昭和期に大分県で見つかった鉄鏡と似ており、双方の議論が白熱する場面もあった。

http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/366529
★1:2016/10/16(日) 17:18:22.36
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1476605902/



2: 名無しさん@1周年



誰も書き込まないので2ゲト



3: 名無しさん@1周年



邪馬台国=ヤマト王権=近畿でFAでいいだろもう
ついでいうと当時はヤマト王権を中心とした連合国家だったってことで



4: 名無しさん@1周年



最後には殴り合いのケンカに



5: 名無しさん@1周年



九州説の人達の
ボクの邪馬台国の発表の場と成ります



6: 名無しさん@1周年



実質★9か?



7: 名無しさん@1周年



>>1
新井白石が1400年も前の耶馬臺国を当時の中国人に発音させて
ヤマタイコクと間違った読み方が定着したのが根本的間違いの始まり。



8: 名無しさん@1周年



待て。邪馬台国を普通に読めばヤマト国だが、もしかしたらナガト国かもしれない!



9: 名無しさん@1周年



もう2いったのかw 知っていても私は言わないからねwww

ショパンの休日 C major Chopin's Holiday (最後の音のミスは内緒だよw)
https://soundcloud.com/djangelest/c-major-chopins-holiday

わたしからは以上だな ブッタ(悟ったもの)より。



10: 名無しさん@1周年



タイムマシン開発してさっさと調べてこい
いつまでも平行線



11: 名無しさん@1周年



九州説で煽ってたのは全員逃げたのね



12: 名無しさん@1周年



古代の中国語で「水」とは、河水(黄河)、江水(長江、すなわち揚子江)、淮水(淮河)
のように、もっぱら河川を指すものであり、海は、「海」なのです。
 従って、水行は、河川航行との主張は合理的と考えます。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/691129/578086/79470453

水行
http://www.gcbcn.org/news/article.php?articleid=6299
http://jiejiaoxian.booksrc.net/491.html


魏志倭人伝は、海岸水行と渡海と水行を厳密に区別していたんだね



13: 名無しさん@1周年



 「水行」とは、水面上を移動することであって、潜在的可能性としては川でも海でも湖でも良い。
ただし時代によっては慣習的制限がなかったとは言えない。

 古代中国文明は黄河中流域に発祥し、西晋時代までその中心は海から離れていた。海のことは長
く中国人の親しむところではなかった。かつては川を呼ぶのに河水・漢水・淮水などと「水」を
接尾したように、地形について「水」と言えばまずは川を指した。だから普通に「水行」とだけ
言えばそれは川を下るか上るかすることを示したはずだ。海について「水行」を使った陳寿の頃
までの例としては、《魏志・東夷伝》の

從郡至倭,循海岸水行,歷韓國
 と、裴松之が引用した《魏略》の、

澤散王屬大秦,其治在海中央,北至驢分,水行半歲,風疾時一月到

 というのがあるが、どちらも海であることが明らかに分かる文脈に置いている。読者が「水行」
から川を想起することを避けようと注意したことが窺われる。単に「水行」とあれば川のことだと
思うのが普通だったとすれば、邪馬台国までの「水行」は川船に乗ったことを言っている蓋然性
が十分に高い。末廬国から邪馬台国までは地続きだということになる。

http://kodakana.hatenablog.jp/entry/2015/10/22/001623



14: 名無しさん@1周年



117 名前:日本@名無史さん [sage] :2016/02/02(火) 10:23:33.08
不弥国からの水行が川だと、すべて合理的に説明がつくんだよな。

・行程上、なぜ末盧国で船を降りて陸行し、不弥国でまた船を使っているのか?
→不弥国で乗る船は川船で、末盧国まで海を渡ってきた船は使えないから

・不弥国から水行の方角は南で間違いないのか?
→間違いない。博多から川で南に遡上できる。



15: 名無しさん@1周年



古代の中国語で「水」とは、河水(黄河)、江水(長江、すなわち揚子江)、淮水(淮河)
のように、もっぱら河川を指すものであり、海は、「海」なのです。
 従って、水行は、河川航行との主張は合理的と考えます
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/691129/578086/79470453

水行
http://www.gcbcn.org/news/article.php?articleid=6299
http://jiejiaoxian.booksrc.net/491.html


魏志倭人伝は、海岸水行と渡海と水行を厳密に区別していたんだね。



16: 名無しさん@1周年



今でも畿内説が有力なの?
九州説が盛り返してるの?



17: 名無しさん@1周年



明石海峡、関門海峡は難所というけれど
上げ潮、下げ潮で自分の進みたい方向に潮流がゆっくり流れてる
時間帯だったら恐れるものではない。



18: 名無しさん@1周年



帯方郡
↓海岸水行七千里 ○海
狗邪韓国
↓海渡千里 ○海
津島国
↓海渡千里 ○海
一支国
↓海渡千里 ○海
末盧国
↓陸行五百里 ◾︎徒歩
伊都国
↓(東南)百里 ◾︎徒歩
奴国
↓(東)百里 ◾︎徒歩
不弥国
↓(南)水行20日 ●川
投馬国
↓(南)水行10日・陸行1月 ●川◾︎徒歩
邪馬台国

女王國東、海渡千余里 ○海
また國あり皆倭種 ←四国



19: 名無しさん@1周年



脳内の妄想を合理的とは言わない



20: 名無しさん@1周年



サガではなああ しょぼすぎる



21: 名無しさん@1周年



913 名前:名無しさん@1周年 :2016/09/13(火) 17:14:48.71 ID:p8Y24gNY0
御笠川を遡上して、博多から久留米まで行けることがわかっている。
江戸時代まで、実際に舟運が利用されてた。

御笠川ってこの川ね。
http://blog.livedoor.jp/offroadcountry/archives/27705097.html

こんな川?と思うかもしれないけど、明治まで舟運が盛んだった(当然、舟運のための整備がされ続けた)
川越や栃木のうずま川がこの程度。
川越
http://www.tabi2ikitai.com/japan/j1123a/a01060.html
うずま川
http://sayama64.blog.so-net.ne.jp/2015-07-28

遡上するときは、川岸の人夫が綱で舟を曳いたという。
鏡などの重い荷物があった魏使も、そうやって20日かけて久留米に辿り着いたのだろう。
久留米は古く妻郡と言われた。魏志倭人伝に出てくる投馬は久留米、すなわち妻郡だ。



22: 名無しさん@1周年



九州人がただただ暴れてる印象



23: 名無しさん@1周年



中国語では常識の至と到の違いすら理解してない畿内説w



24: 名無しさん@1周年



銅鐸民族の悲劇: 戦慄の古墳時代を読む 単行本 ? 2010/12/27
臼田 篤伸 (著)

巨大古墳の出現と時を合わせて銅鐸文化は消滅した。天孫族の九州から大和への侵出は“神武東征”に
象徴された“民族戦争”であり、敗者である銅鐸民族は奴隷として強制労働に駆り立てられ、巨大古墳作りの
労働力とされた
巨大古墳群は被征服民族・銅鐸民族の奴隷労働の結果であり、そこは同時に古代日本版「収容所群島」だった
古墳時代“消耗システム論”を立証した異色の書。

それまで、日本の有名大学の古代史専門家による縄文→弥生→古墳時代への“平和的、友好的、自然的”
発展変化という‘上品で理想的’な皇室尊重的な伝統史学を徹ッ底的に破壊、否定、駁論する内容である。
まぁハッキリ言ってよく言ったと思う。自分も伝応神・仁徳天皇陵を何度か訪れたが、アレをブルドーザーや
トラックもない古代に、粗末な鍬や鋤だけで作れと言うのだから、命令する人はどれ程の「仁」と「徳」が
備わっているか推して知るべしである。しかも、前方後円墳だけで大中小合わせれば日本全国に5000基
(円墳含めると20万)あるといわれるので、古代の大和朝廷なるものがどれ程「博愛的」であったかは、
著者ならずとも推して知るべきである。エジプトのピラミッドもそうだが、あんなものを単なる失業対策で
‘嬉々として’積み上げるバカが何処にいると言うのか?最近流行の人道主義的歴史学者は、一度、自分で
その石を背中に積んで頂上まで登ってみろと言いたい。



25: 名無しさん@1周年



さっきのエセ関西弁の人また来るかな。
あれはアフィリエイトサイトの人で、無理やり盛り上げようとしてた、とかなら理解出来るんだけどな。



26: 名無しさん@1周年



畿内説の人は、レッテル張りと
中傷がひどいな



27: 名無しさん@1周年



>>11
お?イデオロギーはん居るやん
スレの最後の方で聞いたんだけど狗奴国はどこになるん?

畿内説だと



28: パナマ



57年の金印
3世紀の魏志
57年以前から貿易はある 其処は北部九州
この時熊襲征伐
その後奈良へ東征
魏志の時は奈良が邪馬台国



29: 名無しさん@1周年



>>27
九州説の人は何処が邪馬台国って考えてるの?



30: 名無しさん@1周年




http://stat.news.ameba.jp/news_images/20130831/12/88/3e/j/o03200320index.iapp.jpg





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