三億円事件犯人に至る道

三億円事件について考察いたします。

保谷市の上下水道(5)

2016-12-11 19:45:52 | 日記
ということで、第二水源の建設である。
三億円事件の翌年、1969年から、工事が始まっている。
翌年、1970年3月23日、栄町配水場の完成をもって、完成する。ひょっとすると、水源地を伴っていないかもしれないが。
場所は、西武池袋線北側、今の、栄町浄水場のことだろうか。
とりあえず、これで、市南側は、平松配水所、市北側は、栄町配水場が、受け持つこととなる。
水道管も、市内に、張り巡らされ、完成したと思えるのだが。
残念ながら、それでも、宅地化には追いつかない。
(2013年9月記)

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保谷市の上下水道(4)

2016-12-11 06:01:46 | 日記
1962年、建設の始まった第一水源、翌年、1963年10月1日、平松配水所の完成をもって、完成する。
今の、東京都水道局保谷町浄水場のことだろうか。
ただ、これで、全市の水需要を賄えるはずもない。
三億円事件の前年、1967年2月には、市内の井戸が枯渇、給水車が出動している。
資源が確保されたとしても、浄水場、および、水道管を、整備しなければならず、宅地化に、追いつかなかったのだろう。
(2013年9月記)

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保谷市の上下水道(3)

2016-12-11 06:00:33 | 日記
ただ、それ以前の水源が、どのような、経緯なのかは、わからない。
ひょっとすると、戦前から、すでに、整備されたものである可能性もあるからだ。
戦前というと、陸軍基地、および、軍関係施設。さらに言えば、軍関係の工場等である。
そのような大規模な施設の場合、深井戸、水源地を擁していなければ、とても、維持できないからだ。
そして、もし、水源地が、残っていれば、それを、利用しない手はない。
(2013年9月記)

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