復活日本 ~その日まで~

日本復活のその日まで、玉石混交の色んな情報を拡散します。

大和心への回帰ブログから・・・・・内記正時様コメント抜粋

2017年07月27日 | 日記
190.一度死んだ安倍総理は必ず反転攻勢に出る‼。


内記正時

(外に振り回されている方が多いようです)
安倍総理も余命爺様も、(無意識のうちに)天意を受けて動かれているとは言え、本質は肉体を持つ人間です。神のように形而上から形而下までの全てのことを把握して、何もかも筋書き通りにシナリオを進めているのではないのです。神ならぬ人間にそんなことが出来る訳がありません。時としてミスもあれば油断もあります。

安倍総理は日本再生のため、寝る間を惜しみ、血を吐く思いで、どれだけの心血を注いでおられるでしょうか?余命ブログもまた、度重なる反日在日勢力からの火のような攻撃に耐え、初代カズ様が発した御遺志を今に繋いでいます。巨大な天意を受けた人間ほど、地上世界においては苦しい戦いをしなければならない定めのようです。

>この神の申すことよく肚に入れて、もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、愈々どうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ、神には何もかもよくわかりて帳面に書き留めてあるから、何処までも、死んでも頑張りて下されよ、そこまで見届けねば、この方の役目果たせんのぞ、可哀そうなれど神の臣民殿、堪え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ。マコトの生神がその時こそ表に出て、日本に手柄さして、神の臣民に手柄立てさして、神から篤く御礼申して善き世に致すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締めてくれよ。重ねて神が臣民殿に頼むぞよ、守護神殿に頼むぞよ。 (第八巻「磐戸の巻」第十九帖)

上記神示はこれまで何度も取り上げているものです。いわゆる「因縁の身魂」の生き様を示すものですが、神が「もうかなわんと申すところ堪(こら)えて、またかなわんと申すところ堪えて、愈々どうにもならんというところ堪えて、頑張りて下されよ」、「何処までも、死んでも頑張りて下されよ」、「堪え堪えてマコトどこまでも貫きてくれよ」と何度も何度もくどいほど仰ることの意味を、私たちはハラに落とし込まねばなりません。それほど厳しい道なのですが、安倍総理と余命爺様は共にこの道を、現在進行形で歩んでおられます。特に現在の安倍総理は、現象的には「死んでも頑張らねばならない瀬戸際」まで追い込まれています。それでも安倍総理が潰れないのは、日本再生のために腹を切り命を投げ出す覚悟があるからだと、私は思っています。これが安倍総理の「マコトを貫く」腹積もりでありましょう。

私たちもこれに続くことが望まれますが、まだまだ「体主」に色濃く染まっている私たちは、事象を見るのに極めて近視眼的です。短期間で望んだ(期待した)結果が出ないと不安になり、疑問を持ち、最後は真の愛国者にさえ疑いの念を持つ傾向があります。最近の主様ブログと余命ブログに投稿されるコメントにはその傾向がハッキリ窺われるようになりました。期待通りに事態が進まないことへの苛立ち、気持ちが落ち着かずもやもやしっ放しで、憤懣やる方なく、挙句、安倍総理や余命爺様にも疑念の目を向けたくなる・・。

形而上的にこの現象を見れば、愛国者や保守を自認される方々もまた、今試されている(問われている)のだと、私は思います。

>ひつく臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢してくれよ、その代わり御用つとめてくれたら、末代名を残して、神から御礼申すぞ。(第二巻「下つ巻」第三十七帖)

上記神示も最近取り上げたものの一つですが、要は「ひつく臣民(因縁の身魂)」たらんとする者は、神によってとことん試されるということですね。「そなたは日本復活ため、死んでも頑張る覚悟ありや?」、「そなたのマコトとは何ぞや?」と問われ、それに気付かせるための「試し」が必ず来るのが神仕組である訳です。非常に厳しいことを申せば、皆様のコメントの中には、時おり「(一人でも多くの)日本人を覚醒させる・・」のような表現が見られ、またその意気込みが感じられますが、この裏には「自分は(他人より)覚醒している」という優越的な意識が(大なり小なり)必ずあります。これを神の「試し」に照らせば、「ではそなたの覚醒がどのようなものか、自分でしかと見るがよい」となって、様々な試練に遭遇することになる訳です。この試し(試練)をもたらすものが「メグリ」ですが、それが生半可なものでないことは、前述した「死んでも頑張りて下されよ」の神示が述べているとおりです。

形而下において、日本のリーダーたる安倍総理の政治生命が危機に瀕している(ように見える)今こそ、私たち一人一人が日本という国をどう思い、どうしたいのか?根底から問われています。神国日本の神人に成り行くための、大きな大きな試し(メグリとの対決・対峙)の時だと言えましょう。外だけを見て不安になり、不満を持っていても何も変わりません。自分の不安・不満があなた自身に何を教え、何に気付けと誘っているのか、外ではなく内なる心と魂に問い掛けなければなりません。

他人の覚醒を心配するより、まずはあなた自身の覚醒(身魂磨き)を深めて下さいますように(勿論かく言う私も例外ではありません)。覚醒の道に上限はないのです。その途次、あなたに縁ある人々が集まり関わって、その人が覚醒の道を歩むようになるのが「神の糸」だと承知しています。遅いようでもそれが最も確実な道です。

次に皆様は、日本再生のため何かをしなければという強い思いを持たれながらも、自分一人で、或いは自分のような無力な者に一体何が出来るのか?とお思いではありませんか?これについて、日月神示の一節をご紹介しておきます。

>念入れ替えるぞ、念入れ替えるとは、新しき霊界つくることぞ。新しき霊界つくるとは、太神の真中に融け入ることぞ。(第二十七巻「春の巻」第四十四帖)

>今の武器は幽界の裏打ちあるぞ。神界の裏打ちある武器でなくてはならん。まことの武器ぞ。ビックリであるぞ。念からつくり出せよ。その念のモトをつくれば、神から力を与えるから、この世の力と現われるぞ。(同巻第四十六帖)

神は「念によって神界の裏打ちある武器をつくれ」と仰っていますが、勿論これは他人を殺傷するための武器ではなく、「想念によってまことの武器をつくれ」と解すべきものです。念とは人間の意志によって発せられるものですが、「まことの念のモトをつくれば、神が力を与えて、この世の力として現わす」と教えていることが重要です。要するに、まことの想念には(正神の)神力が働き、これによって「形而下の世界が動く」というのが神仕組だということになります。

念という武器は誰でも持っているのですから、これを使わない手はありません。マコトの心で強く強く「神国日本の復活」を念ずることと、もう一つ「自分自身の覚醒(身魂磨き)の深化」を念ずることが大切です。形而下の動きは、その結果として発現するのですから。正に継続は力なり、です。

そんなバカなと思われますか?では最後に次の神示を述べて終わることにします。

>念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど、物事には順と時があるぞ。元のキから改めて下されよ。尊き御役。(同巻第四十七帖)
2017年07月26日 23:07
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