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【雑感】 善も悪も共に抱き参らせる

2017年06月30日 | 日記
昨今の日本国内、海外の動きを遠目に眺めると、ふと気付くことがある。

日月神示にいうところの「善も悪も共に抱き参らせる」という言葉だ。

専門家でもないので正しい理解など及ばないけれども、ニュアンスとしてはすんなりと腹に落ちる。

世の中、善とか悪という概念・観念で仕訳しようという行為そのものが神意に反するのだということが何となくイメージできる。

この世界は自然現象の連鎖で成り立ち、その連鎖の中に人が生まれ、自然の中の部分として誕生しながら自然を支配しようとする生物種として存続している。
その中で人の都合によって善とか悪の区別が行われてきたに過ぎないのだろうと思う。
人の都合によって作り出された善と悪はこれら宗教の教義という体裁にまとめられ、理屈付けされ、真理として現在にまで継承されている。

キリスト教が唱える善と悪、ユダヤ教が唱える善と悪、仏教が唱える善と悪、ヒンドゥー教が唱える善と悪、イスラム教が唱える善と悪・・・これらの善は決して重なり合うことがなく、連綿と憎悪の衝突を繰り返してきているだろう。人が自分達の都合と思考で理屈付けした善と悪。決して神がそうせよと命じた訳でもなかろうに。否、原初の神の言葉は正しく唱えられていたのかもしれない。それを受けた人の側が人の都合と思考で少しづつ改変してきたのだろうと思える。まあ、そうした人の行動まで含めて神の意思だったのかもしれない。だとすれば、現在のこうした混沌、善と悪が入り乱れたような世界、対立する両者が双方共に「我々が正義であり善である」と主張して衝突しあう世界は、結局のところ、神の意思であったということになるだろう。これこそがまさに「善も悪も共に抱き参らせる」ということに繋がって行くものだと思えるのである。

この「善も悪も共に抱き参らせる」世界の中で、唯一、教義を持ったことがない信仰(道)がある。仏教伝来以前の縄文期から連綿と受け継がれている古神道。人を自然の一部と認識し、人に害を為す自然災害や毒蛇や猛獣などの類であろうとも神と崇め、畏れ、それらと人の調和を唯一の善と認識し、自然と共に謙虚に生きる道。恐らく、日本人に遺伝子の中に組み込まれ、無意識の中でそうした行動様式を取っていることも少なくないだろう。自然の中に神の存在を認識し、共感し、生活の知恵として取り込んでいる。こんなことができるのは、日月神示によれば、日の霊人(神の歓喜を内的に受け入れ、その生命に吸い取るから、そのまま神に抱かれ神にとけ入る)だけなのだそうだ。これに対置して月の霊人があり、「神の歓喜を外的に智の中に受け入れ、これを味わわんとして批判的となり、その歓喜は二義的となる」という。神を血肉肌で直接感じ受け容れる人と、神を脳味噌で理解しようとする(理屈で神を構成しようとする)人と言い換えることができるだろう。

善と悪という観念・概念は世界各地で発生した様々な宗教の教義から発展してきたものだろうと容易に推察できる。政治思想しかり、自然支配(制御)という自然哲学しかり。月の霊人の資質に合致する。イスラム・西欧文明、仏教伝来から始まった神仏習合(古代グローバリズム)・・・どれもが混沌を招き入れる動きに重なって行く。その時代毎に支配的優位を占めた勢力が己が都合で考えだした理屈を宗教教義に組み込み、これを絶対善として押し付ける。日月神示はこうも指摘する。「多数決が悪多数決になるわけが何故にわからんのぢゃ。投票で代表を出すとほとんどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂い、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶほど、ますます混乱してくるのであるぞ」民主主義の否定である。しかし、まさにこの通りに世界は進んでいるではないか。ジャーナリズムによる情報操作が横行し、一般民衆はどこで誰が何をやっているのか何も事実を知らされることなく政治が行われている実態を現代世界で目の当たりにしているではないか。社会主義や共産主義や(色んな意味での)独裁よりもましという程度なのだ。これが月の霊人が作り上げてきた世界の限界であり、早晩行き詰るという意味なのだろうと思う。

それでは善悪対立のメカニズムによって支えられた世界に代わる世界に行き着くことなどできるのだろうか?そこに「善も悪も共に抱き参らせる」という言葉が当てはまるのではと思ったりする。日の霊人の資質によって作られた世界、古神道の世界。しかし月の霊人の資質とはまったく相容れない世界。現在世界との連続性など望むことなどできない世界。日月神示も大本教も共に言う、建て替え・立て直しが起こるのだと。「今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あると、くどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。」日清・日露・第一次世界大戦により世界が地獄の一段目に落ち、第二次世界大戦を経て世界は地獄の二段目に落ちたのではないのだろうか。とすれば第三次世界大戦によって人の住めない地獄の三段目に落ちるのかもしれない。そして「地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に通ずること」に繋がる。

「善も悪も共に抱き参らせる」とは神の強い意思・・・・
ジャンル:
経済
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