復活日本 ~その日まで~

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大和心への回帰ブログより・・・・・にゅう様、神無月様、内記正時様のコメント抜粋

2017年07月17日 | 日記
185.嵐の前の静寂。

にゅう
(。´・ω・)?様、こんばんは。

空で送信してしまいました。<(_ _)>

内記先生、横山大観の富士山「正気放光」を観ることができました。...内記先生にご報告申し上げたかったのです。

つぶやかせて頂きました。<(_ _)>

(#^.^#)より



2017年07月15日 21:58




神無月
大和心様。
内記正時様。

『日月神示』の「身魂磨き」について、抜き出してみました。

『身魂とは臣民の申す身魂でないぞ身魂とは身(体)魂(心)と一つになっているもの言うぞ。神の臣民、身と魂の分け隔てないぞ。身魂の洗濯とは心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ』

『洗濯と申すのは何事によらん、人間心捨ててしもうて、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心のうぶ心になりて、神の道守ることぞ。身魂磨きと申すのは、神から授かっている御霊( )の命令に従うて、肉体心捨ててしもうて、神の申すことは背かんようにすることぞ。学や智を力と頼むうちは、身魂は磨けんのざ』

『何も難しいこと申すのではない。自分の内の自分を洗濯して明かに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものが変わってくる道理』

『身魂磨け出したら病神などドンドン逃げ出すぞ』

『そなたの心配一応は無理ないなれど、何処で、どんなことをしていても、身魂磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。心配は、磨けておらぬ証拠ぞ』

『滝に打たれ、断食するような行は幽界の行ぞ。神の国のお土踏み、神国から生まれる食べ物頂きて、神国の御仕事している臣民には、行は要らぬのざぞ。このことよく心得よ』

『改心と申すものは、何もかも神にお返しすることぞ。臣民のものと言うもの何一つあるまいがな。木の葉一枚でも神のものぞ』

『臣民に分かるように言うなれば、身も心も神のものざから毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ。それでその身体をどんなにしたら良いかということ分かるであろうが、夜になれば眠ったときは神にお返ししているのざと思へ。それでよく分かるであろうが、身魂磨くと申すことは、神の入れ物として神からお預かりしている神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ』

『行き詰まりが有り難いのぢゃ。進んでいるからこそ、行き当たり行きつまるのぢゃ。省みる時与えられるのぢゃ。さとりの時与えられるのぢゃ』

『一足飛びには行かん。一歩一歩と申してあろう。一度に神様を知りたいと申してもそうはいかん。一年生からぢゃ。出直し出直し。子供に大学のことは判らん。十貫の荷物はかつげん道理。進むには、それ相当の苦労と努力要るぞ。あぐらかいて、懐手していては出来ん。時も要るぞ。金も要るぞ。汗も要るぞ。血も要るぞ。涙も要るぞ。善いものほど値が高い』

『しくじりも人間にはあるぞ。しくじったらやり直せよ。しくじりは火と水の違いぞ。このことよく心得てなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。何も思案投首一番罪深い』

・・・・
以上を、抜き出してみましたが、神示の中に書かれています、「神の道守ることぞ」の部分が、今ひとつ解りません。

内記様に、ご教授頂ければ幸いです。


拙前コメント内の訂正です。
”大手新聞社の積み紙訴訟”
積み紙ではなく、「押し紙」又は「残紙」でした。
積み紙は、新聞店のチラシ水増し行為でした。

2017年07月16日 00:00




神無月
大和心様。
内記正時様。

「身魂磨き」とは

身魂は一体のものだから、身も心も綺麗にすること。

綺麗とは、欲、人知を捨て、赤子のような無垢な心を忘れず、自然の道理に生きること。

この世は、全て神の造りしもの故、感謝し大切にすること。

時はかかるが、その全ての体験経験が「身魂磨き」



以上のように、まとめてみました。

神示ですから、人知での勘違いも有るでしょう。
個人的には、受け入れやすい内容かと思います。

2017年07月16日 12:21




内記正時

大和心様
神無月様とにゅう様からコメント(質問含む)を頂きましたので、この場をお借りしての返信をお許し下さい。

神無月様
日々熱心に御神示を学び実践されているご様子、嬉しく思います。
神無月様から「神の道守ること」の意味についてお尋ねがありました。詰まる所「神の道」とは何か?ということでしょうが、私は「神の道」を人間の智や学で「こうである」と厳密に定義づけることは出来ないと考えています。と言うよりしてはなりません。

例えば日月神示の中には、「身魂磨き」と同義語と言えるものとして、「メグリ取り」、「掃除」、「洗濯」、「改心」、「借銭済まし」、「借銭返し」、「雑巾がけ」、「ハタキがけ」、「祓い」など多くの表現がありますが、神はなぜこれほど多様な表現をお使いになるのでしょうか?
同様に「神の道」に近い言葉を列挙すれば、「惟神(かんながら)の道」、「マコトの道」、「真実の道」「調和の道」、「和の道」、「平安の道」、「共存の道」、「自然法爾の道」、「愛の道」、「慈悲の道」等々、幾らでもありますが、どれか一つに限定することは出来ません。さりとて、これら全ての言葉の意味の集合体だと言ったのでは、全く焦点が定まらずぼやけてしまいます。とても「神の道」など守れません。

更に言えば、逆説的には「神の道」とは「悪の道」でもあると言うことさえ出来るのです。

これを考えるためのヒントは、日月神示に次のように示されています。

>この神示も身魂により、どんなにでも取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ。(第一巻「上つ巻」第二十七帖)

>この神示八通りに読めるのぢゃ、七通りまでは今の人民さんでも何とかわかるなれど、八通り目はなかなかぞ。一厘が隠してあるのぢゃ、隠したものは現われるのぢゃ、現われているのぢゃ。(第二十三巻「海の巻」第十五帖)

「どんなにでも取れる」、「八通りに読める」とは、発散的に様々な解釈が出来るという意味ではなく、神意の中心(=ゝ、一厘)に至るまでには、多面的、多層的な取り方・読み方があると解すべきものです。それ故、神示に書かれていることについて、「こうである」という万人共通の定義づけは出来ないということになる訳です。逆に言えば、一人一人の身魂たちが、その時点における身魂の状態によって、自分なりの判断と意義づけを求められているということになります。

一つの神理を最初は頭で理解し、やがて胸落ちし、最後に肚に入ったならば、必ず次のステップが控えていることを忘れてはなりません。この繰り返しを経て、少しずつ神意の中心「ゝ、一厘」に収斂収束して行くということだと心得ています。

ですから私は、御神意を理解しようとする時は、ハッキリとした意義づけに拘るのではなく、むしろ「・・のようなもの(こと)」と捉えるのがよいと思います。身魂磨きで言えば、身魂磨きとは身魂を掃除するようなもの(こと)、洗濯するようなもの(こと)、メグリという借銭を返すようなもの(こと)、などのようにです。多様な「のようなもの(こと)」の中に、その時の自分の霊線にピッタリ合うものが必ず出て来ると思いますし、身魂磨きの深化によって、「のようなもの(こと)」の内実は言葉では表現できないほどの広さと深さが備わって来るに違いありません。

以上のように回答させて頂きます。より詳しくは、拙著『日月神示は逆説に満ちている』第3章、第4章が参考になると思います。


にゅう様
お久しぶりです。
横山大観の富士山「正気放光」を観ることができたとのこと、お喜び申し上げます。また、わざわざお知らせ頂きありがとうございました。

にゅう様は、日月神示の神仕組における「富士」の重要性を直感されているのでしょうか。
日月神示の初発は「富士は晴れたり、日本晴れ」で始まり、ミロクの世が到来した情景は「富士は晴れたり岩戸あけたり」で完結しています。

日月神示において、「富士」に込められた意味を人間の言葉で表現すれば、「(根元的な)神」、「神の山」、「神国日本」、「国常立大神(=国祖様)の座」、「御神業の地」、「神仕組としての火の仕組」などがあります。

そのような「富士」から神の「正気」が「放光」しているのは、当然の道理ですね。
神国日本に「富士山」がある理由も理解できます。
私は「富士山」とは「神形象(かみかたち)」そのものであると考えています。

蛇足ながら、富士山が世界遺産に登録されてから、敬神の念もない物見遊山の観光客が多数押し寄せていますが、本来、神の山である富士山は禁足地として麓から遥拝すべきものです。新世界(=ミロクの世)ではそのようになると、日月神示が述べていることを付記致します。

大和心様。ありがとうございました。
2017年07月16日 22:49
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