性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【「古びてなお」 廃屋にも美観はあるか】

2016年10月25日 05時41分37秒 | Weblog
わたしたちはいま、21世紀初頭の時代を生きている。
この時代というのは、これが歴史時間にやがてなっていったとき、
どんな時代だというように規定されるのだろうかと、ときどき考えます。
20世紀は世界戦争の時代を経て、人類規模で経済が
資本主義に席巻されていった時代であり、日本においては、
戦争の惨禍から復興し、高度経済成長を遂げた時代。
そして21世紀は、その成長を支えた人口増大が急速に停止し、
人口減少時代の足音に不安を感じ続けている。
戦後からの建築への旺盛な需要が鈍化しつつあり、
街には「空き家」の存在が大きく目立ってくる時代になった。
街の表情も、かつての「駅前」などの中心市街地が空洞化して
クルマ交通を前提とした新「市街地」に、人々の行動が移っていっている。
住宅建築の世界でも
これまでの大量生産型の価値感が大きく変容し、個別少量生産の方に、
ビジネスチャンスはシフトチェンジしているように思われる。
今起こっている、街の中心ゾーンの移動、変容もまた、
クルマという「個別少量」の移動手段の方が優勢になって
大量輸送型の鉄道が相対的に役割が縮小化してきている表れなのかも。
これからの時代は、すでに見えてきているように
都市化と過疎化、そして中間的なものというように
3つに大きく街のありようが分かれていくのでしょう。
北海道のニセコ地区のように、北東アジアの世界リゾート化というような
そういった需要は今後とも日本ではあり得ると思います。
アジアが経済発展したいま、日本という四季変化が明瞭で
しかも治安と政治的安定性のある地域には、観光需要が起こる。
観光は結局最後はその地域が持つ「文化力」に収斂されていくと思う。
そういう「発展要素」を持った地域と、
人口流出が進行して過疎が深刻化して行く地域に分かれていく。
そして多くは、その2極の間でゆれ動く地域になっていく。
そのような変化の結果、過去の市街地の各所に
写真のような廃屋・廃墟が姿を露わにしてこざるを得ない。

この様子は、十和田の中心市街地のなかの光景。
一見すると、中途半端に建物が解体されて、その鉄骨の骨があらわれ、
なにやら無惨な表情になっていると思うけれど、
しかしその後、屋根付き駐車場としての生き残り機会を得たものか、
それなりの使用痕跡が見えていて「手入れ」されてあるようなたたずまい。
第一、この骨組みの表れたオブジェ感は、それなりの美観も生んでいる。
いま、建築でも「リノベ」ということが深耕されてきている。
これはどうも、「新築そっくり」という方向性では決してないように思う。
そうではなく、古びてなお美しいという方向性の
その発展形であるように思われてならない。
そんなイメージを持ちながら、この「廃屋」が醸し出している空気感に
錆びてはいるけれど、正直な素材感を感じていた次第です。
考えてみれば世界的な観光都市ローマは、廃墟見物をウリにしている。
みなさんは、ただの汚い廃屋とみられるでしょうか?
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