性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【旧北国街道・海野宿の「家守」設計者訪問】

2017年05月16日 07時07分09秒 | Weblog


情報は自ら発信しないと、面白い受信にも繋がらない。
そんなことを心がけていると興味深い出会いに繋がってくる瞬間がある。
ご存知のように、わたしは北海道出自の住宅雑誌発行者ではありますが、
同時に古民家のような伝統的建築文化にも関心を持っています。
古民家関係のブログに対してこの海野宿の古民家設計者・茂木香織さんから
投稿コメントをいただいた。以来折節、何度もコメントが寄せられた。
彼女は北海道北見市の出身で建築を京都の大学で学び、古民家再生で知られた
同じ長野県松本の「降幡設計事務所」で修行を積まれ、独立した。
ご主人も降幡設計事務所出身で、いっしょになられたということ。
北海道出身者で、こういった古民家再生のような方向に向かった設計者は
あんまり知らなかったので、興味を持った次第。
やはり北海道出身者なので、生活可能なように温熱環境はなるべく現代化させ、
断熱化気密化は図っていきたいという志向性を持っている設計者です。
ことしの2月にはテレビ東京の時代劇番組でこの建物が使われたとのこと。
っていうようなことから、なんとか時間を調整して今回の出張で訪問しました。

この「旧北国街道・海野宿」というのは、重要伝統的建造物群保存地区。
Wikipediaの記述は以下の通り。
〜1625年(寛永2年)に、北国街道の宿場として、江戸幕府によって設置された。
宿場町開設以前は、海野郷や海野庄などと呼ばれ
東信濃の豪族滋野氏やその嫡流に当たる海野氏の領地として栄え、
宿場町開設以前から集落が形成されていた。木曾義仲が挙兵した地や
海野氏の子である真田幸隆やその兄弟の出身地とも言われている。
海野宿には、約6町(約 650 m)にわたり街並みが続き、
本陣1軒と脇本陣2軒が設けられ、佐渡の金の江戸までの輸送、
善光寺までの参拝客や、北陸諸大名の参勤交代などで利用され、
非常に賑わいをみせていた。現在でも本陣、脇本陣、問屋、旅籠などの
跡が残っており、明治時代の養蚕業に用いられた伝統的建造物も残っている。
1986年(昭和61年)には「北国街道」が日本の道100選に。<要旨抜粋>〜

ほとんど土地代だけくらいの費用で、
以前は「旅籠」として使われていた、崩落寸前の建物付き不動産を入手。
まず基本的な延命工事を施して現在は設計事務所として使っている。
基礎を部分的にジャッキアップしながら、コンクリート基礎を打ち込んでいったとか。
屋根も以前の茅葺き形状のままに金属被覆させています。
やわらかいウェーブが、独特の優美さを見せてくれている。
広大な敷地内には、この本屋のほかに現在住宅として使われている建物、
土蔵、作業小屋のような建物と4棟の建物がある。
まぁ、この建物の詳細については以下の記録をごらんください。
海野宿民家再生日記

北海道の高断熱を体感している設計者の古民家への挑戦といえるでしょうね。
茂木香織さんの設計事務所「栖風采プランニング」は
この海野宿の「家守」的設計事務所であり、情報発信にも積極的なので、
今後ともその動向を遠くからですが(笑)チェックしていきたいと思っております。
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