今日は、子供の事を 少し書きます。
私の愛息子 ぷうは、
不育症治療の末に授かった 待望の子供でした。
治療したから大丈夫なはずなのに、
妊娠初期から 切迫流産で大変でした。
今思うと、遺伝子異常のせいなのですが。。。
本来ならば淘汰されてしまうところ
強い生命力と 薬の力で。。。
でも、そんなの知るわけもなく、
赤ちゃんの無事を祈りながらの マタニティーライフ
そして 発育遅延により管理入院、
発育停止により 帝王切開にて出産しました。
未熟児だったので
1ヶ月ちょっと 保育器生活。
私は毎日、母乳を搾って冷凍したものを持って
せっせと病院に通いました。
吸ってもらえないから
乳腺炎になって大変だった。。。
そして
生後2ヶ月と10日で退院。
病気の事は、誰もわかっていませんでした。
退院後1ヶ月しても体重が増えず
心配しているところに、
やはり、何だかしんどそうにしていて、
病院に連れて行っても「異常なし」と言われ…
3つ目に連れて行った病院で
やっと、おかしいのに気付いてくれる先生に出逢え、
病院を紹介してもらい 即入院。
以後、ずっと病院で入院生活
私は付き添い生活を送っていました。
この時はまだ、
いつか治って
家に帰れる
家族揃って普通の生活ができる
そう思って
信じていました。
忘れもしない
3年前の12月7日
午前8時すぎ
入院中
当時 生後11ヵ月だった ぷうは
私と主治医の目の前で 呼吸困難の末に意識を失い 目が昇天
心肺停止状態になりました。
CPRコールが放送され
病院中の先生たちが駆けつけて…30人くらい いたかな…
皆が懸命に ぷうを助けようとしている…
とても辛い どん底の出来事でした。
ドラマや小説ではなく現実に…
わが子が… 私が…
この後、奇跡的に一命をとりとめ、
皆の愛情に包まれて
低酸素脳症や肺疾患の障害にも負けず、心身ともに回復・成長していきます。
そして2008年の年末、
再び、免疫異常による間質性肺炎の増悪
年明け2009年1月2日の朝
先生と主人と私の目の前で 再び呼吸困難状態に。
これまた
超奇跡的に助かり、
気管切開&人工呼吸器装着。
去年の夏に退院し、在宅生活にて
今年3月31日に天国へ逝くまで
おうちで家族揃って暮らし、
想い出をたくさん 作ってきました。
このように3年間、
とにかく ぷうの事では いろんな事がありすぎたのですが
3年前の今日の出来事が一番 辛かったですね。。。
12月7日は
忘れられない 恐怖の日です。。。
※
「不育症」
妊娠はするけど、流産・死産をくりかえしてしまう病気です。
2度の流産で不育症と診断された私は、専門のクリニックを紹介され
検査の結果、同種免疫異常と判明。
これは簡単に言うと「夫婦の抗体が似ていると、赤ちゃんを異物と勘違いしてしまう」事らしいです。
『他人を識別する遺伝子の指紋(6番染色体上部にあり、HLA抗原とよばれる)が似た夫婦が問題になる。哺乳類などの高等動物は遺伝子が似たものばかりの集団になると、種は絶滅してしまう。本症は、胎児を近親児として拒絶する流産と考えられている。』
『昔から、「仲の良い夫婦には子供ができない」「相性がよすぎる男女は結婚してはいけない」などと言い伝えられています。昔の人はこのような夫婦に子宝が授からない事を経験的に知っていたのでしょう。』
この文に慰められています。
※不育症治療と ぷうの難病に、関係があるかどうかは不明です。
(医学的には、関係ないとされているそうです。)
ぷうの事を想わない日はないし、
未だに、
逢いたくてたまらない時も
寂しくて悲しくてたまらない時もある
元気に生きていたら今頃は…って思う
玄関から元気に「ただいまー!」って 帰ってきたらいいのにって思う
きっと、死ぬまでずっと
そうだと思う。
親だから 当たり前。
でも、
私も主人も
決して 憐れなんかじゃないです。
精一杯 子育てしてきて 悔いないし
いっぱい 幸せもらってきたし
本当は 逢えるはずなかったのに逢えたし。。。
ぷう
目には見えないけれども、
私達が生きている限り 私達の心の中には
生き続けていますから
それに、
子供いなくたって 幸せにしている夫婦は
いっぱい いますから
言いたい奴には 言わせとけばいい。
去年のぷう
私の 幸せな想い出の1コマですよ
