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国境の町に住んでいた時、毎年クリスマスになると、メキシコ系住民の住む通りでは、いつもLuminarias(あかり)を前庭に飾っていた。これはキリストの降誕を祝う、降誕を知らせるという意味があり、スペイン人(やスパンニッシュ系の人々)が行ってきたことである。 数百年ほど昔は、米国南西部産の低木松を十字に組んだ3フィートほどの篝火を焚いたそうだが、スペインの探検家たちが中国の紙提灯を見つけて以来、紙の袋を使うようになったそうである。 今は、ちいさなブラウンバッグに砂を入れ、そこに蝋燭を入れて点火している。 もっとも安全上の理由から、本物の蝋燭ではなく、フェイク蝋燭の小さなものを入れて使うことも多い。 それを道を照らすがごとくに、前庭の通路に置いていく。
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この習慣はニューメキシコ州、アリゾナ州、そしてカリフォルニア州(南部)では未だに盛んな行事で、クリスマスイルミネイションも美しいが、Luminarias(ルミナリアあるいはルミナリアス)は、情緒があり、心が安らぐ。 乾燥したカリフォルニア州の南部では今ワイルドファイアが猛威を振るい、先日の北加以上にひどい被害となっているので、火災を起こしかねない蝋燭と火を使うよりも、フェイク蝋燭を用いることを私はおすすめする。作り方は簡単。
https://www.almanac.com/content/how-make-luminarias
- サンドウィッチランチを入れるような小さめのブラウンの紙の袋
- フェイク蝋燭(コスコなどでは、多数がひと箱に入って安価で売られてたりする)
- 袋の中に入れる重しのための砂
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夕刻、先に砂を入れた袋を等間隔に通路に置いて、そこへあとからフェイク蝋燭を灯して袋の中に入れていく。 ルミナリアスは、お盆の迎え火を連想させる。国や宗教を違えても、暗闇の明かりは、誰の心も和やかにさせる。
さて今日12月13日のクリスマスカレンダーは、"Blessed are the merciful." —Matthew 5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである。
ルミナリアスは、自分の家の外に置いているので、クリスマスイルミネイションと同様、家の中からは、見えにくいものである。 自分以外の、行きゆく人々の目を楽しませるわけである。 大儀をかざさずに、もし闇夜のほのかな明かりのような、ちいさな親切を見かけると、この時期は特に、ホッとするものである。 たとえば、同僚が、多くの仕事を抱えて頭を抱えていたら、どのように彼・彼女を助けられるか、尋ねてみたりしたい。 横断歩道を一人で渡るのを躊躇している素振りのお年寄りに気が付くと、あなたはどうしますか?
良い風習ですね
灯りは人の畏敬の念もあります
宗教性も帯びてくるような 崇高なものさえ感じますね
神戸の大震災あと ルミナリエが光の芸術とて毎年多くの方が訪れていますが 観光の他に亡くなられた人々への鎮魂もあります この名前をイメージしてのルミナリエでしょうね
観光地では 京都の嵯峨野や浅草 その他多くの地でこれと同じような灯りを見ます
雪ばかりの土地でも道や雪あんどん 雪ダルマなどで
も灯しています
カリフォルニアの山火事 面積も広く影響はないかと心配していました
横断歩道での高齢者 周りに居たらいつも注意して見て居ます
安全に渡れるかが心配 そう言う私も高齢者ですが(笑)
確かに。仏教の灯籠流しは、いつも美しいと思います。お盆の頃つける綺麗な絵のついた提灯も好きです。そう考えると、光、あかり、はどこのお国でも、宗教でも大切な事ですね。