日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

歴女と行く沖田総司の墓&東京国立博物館

2015-06-21 19:27:46 | 歴史探訪
 娘はチビチビの頃から大河ドラマが好きで、4歳から5歳にかけて「新選組!」が放送されましたが、それ以来沖田総司ファンです。

 三谷幸喜さんの脚本は面白いので、「新選組!」は私も好きな大河の一つです。

 娘はそれ以降、私が強要したわけでもなく自主的に「歴女化」していき、現在でも沖田総司を追いかけています。

 新選組も好きなのですが、とくに沖田総司が好きという、女子にありそうな展開になっているわけです。

 そして六本木の専称寺にある沖田の墓には何度も訪れているのですが、一般の檀家さんの墓の中にあって、通常は墓域に入ることはできません。

 ところが、本日(6月21日)は「沖田総司忌」ということで、年に1度の墓参ができます。

 別に今日が命日ではないのですが、命日に近くて専称寺の都合の良い日曜日を選んで行われたようです。

 さて、六本木で下車して専称寺へ到着すると、想像通り結構たくさんの方々が来ています。



 スタッフの方に指示された通り、行列に並びます。



 200人くらいはいそうです。

 休日朝の高尾駅北口のバス乗り場に近いような賑わいですね。

 そしてほぼ全員女性、高校生っぽい人は他に見かけませんでした。

 墓地はご覧の通りとても小さい。



 30分くらい並んで、ようやく墓参ができ、娘は「痺れて倒れるかと思った!」と興奮していました。



 娘にとっては念願の沖田の墓参りができて、それはそれは感無量だったようです。

 さてそんなわけで、せっかく都心に来ているわけですから、ついでに上野の東京国立博物館へ向かうことにしました。

 六本木から帝都高速度交通営団(じゃ今はないけど)日比谷線に乗って上野へ向かいます。

 上野駅で降りて上野公園の方に行くと、なんだか数年前に来た時と光景が違っています。

 もうお昼なので、何か食べたいと思っていると、牛タンのねぎしが見つかりました。

 おーっ、ねぎし!

 娘に同意を求めることもなく、ねぎしへ入ります。

 私はねぎしが大好きなのですが、多摩地域ではまず見かけないので、都心に来るとよく食べるのです。

 私はいつもの「がんこちゃんセット」。



 見た目は牛タンが少なさそうに見えますが、重なって配置されているので、意外と量はあるのです。

 娘はオーソドックスなねぎしセット。

 娘は牛タンを食べたことが無い(もしくは記憶が無い)ので、「食べれるかなー?」と心配を口にしていましたが、一口食べると「美味しい!」と笑みをもらし、嬉しそうに食べていました。



 最後の1枚は、味わって食べるそうです。

 ちなみに、私はご飯2杯目は大盛にしてもらいましたよ。

 それでは、美味しい牛タン定食を食べてお腹一杯幸せ気分になった後は、博物館へ向かいましょう。

 上野公園内には猫がいました。



 餌付けされていたので、栄養は良いみたいです。

 そして博物館の前ではイヴェントをやっていました。



 博物館の入場料は大人620円ですが、高校生は無料なんですね。

 さすが国立、太っ腹!

 建物も立派です。



 中の展示は、基本的に歴史関係の美術館のような感じで、考古関係は平成館に展示されているのですが、そちらは現在は休館中で、私的には「なーんだー」という感じです。

 まずは2階へ行きます。

 2階は原始時代から近代までの遺物(美術品)が展示されています。

 埴輪や銅鐸・仏像などは、選りすぐった逸品が展示され、歴史系の他の博物館と比べるとかなり散漫です。

 一点豪華主義という感じですね。

 中世のコーナーには刀剣や甲冑が展示されており、娘が現在部活でやっている薙刀も展示してありました。



 「長船盛景」という銘で、南北朝時代の薙刀です。

 戦国期以降になると、薙刀は女子の武器というイメージが付きますが、もっと古い時代には武士も持っていますし、有名なところでは武蔵坊弁慶に代表されるような僧兵の武器ですね。

 中世に描かれた絵を見ると、僧兵などが持っている薙刀はかなり反りがきつくて変な感じがしていたのですが、本物は上の写真の通りで、ごくごく常識の範囲でした。

 そして一通り2階を見学した後、1階に降ります。

 1階は、各ジャンルの品ごとに個別の部屋で展示しており、刀剣コーナーは凄い人気でした。



 他の部屋は、もちろん私がよく行くような博物館に比べたらかなりのお客さんが入っていますが、それでもやっぱり閑散な感じがするのにも関わらず、刀剣コーナーは異様に人口密度が高い。

 国宝「三条宗近」(平安後期)などは、並ばないと見れませんでした。



 国宝っすよ!

 娘は今、刀剣がマイブームになっており、とてもご満悦の様子でした。

 何だかんだ言って、1時間半くらい見学して、最後にミュージアムショップに行きました。

 私がもっとも興奮する場所です。

 ミュージアムショップもさすが国立です。

 欲しいモノが沢山あります。

 外国人もたくさん訪れていますが、日本的なモノを眺めたり手に取ったりして、皆さん非常に興味津々な様子です。

 そしてこのショップで私が嬉しかったのは、その書籍販売の豊富さです。

 何と、全国各地の博物館で発行された図録もたくさん並んでいるのです。

 うわー、どれをチョイスするか悩む。

 結局私は、

 ・山形県米沢市上杉博物館開館10周年記念特別展「上杉氏のルーツ ~関東管領上杉家~」図録

 ・島根県安来市観光協会の「月山富田城尼子物語 尼子ハンドブック」

 ・大阪府立近つ飛鳥博物館平成25年度秋季特別展「考古学からみた推古朝」図録

 を買ってしまいました。

 そして娘には、岐阜県のほうの博物館の図録で、刀の鍔について書かれた本を買ってあげました。

 さきほど言ったように娘は刀が好きなので、本をめくりながら鍔の写真を楽しそうに眺めていました。

 あと彼女は家紋が好きなのですが、最近は花押にも興味を持ち始めています。

 そんなわけで「歴女」と言ってもやや特殊な娘を連れて、少し休憩した後家路に付きました。

 途中、立川で中央線を乗り替えるためにホームに降りると、ちょうど目の前に立ち食いそば屋がありました。

 立川の中央線ホームの立ち食いそば屋は「おでんそば」が名物で、その写真がデカデカと掲示してあります。

 それを見た娘が、「美味しそう」と言ったので、ママの作る夕飯は遅くなる傾向があるので、それまでのつなぎとして、食べてみることにしました。

 実は「おでんそば」の存在は私も昔から知ってはいたものの、一度も食べたことがなかったのでちょうど良かったです。

 「おでんそば」はでっかいさつま揚げが乗っかったそばです。



 食べてみると、さつま揚げはかなりヴォリュームがあります。

 スープはもちろん関東ならではのかなりの濃い目。

 ここの立ち食いそばは美味しいね!

 娘は立ち食いそば屋に入ったことがないそうなので、「えー、立って食べるのー?」と不思議そうに店内を見渡して、「だから立ち食いそばって言うんだー」と納得し、普通は女子が一人では入れないような空間に入れて何だか楽しそうでした。

 あ、ちなみにママは普通に一人で立ち食いそば屋でも牛丼チェーンでも平気で入る女傑です。

 そんなわけで今日は久し振りに娘と出かけてとても楽しい一日でした。

 考えてみれば今日は「父の日」ですが、これはとても嬉しいプレゼントになりました。

 あとは、新選組関連で懸案になっている場所もまだ残っているので、また時間が取れたら一緒に探訪しようと思います。

 明日からは、8日連続出勤頑張ります。

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異様に気分が上がる秘密の本を入手しました

2015-06-14 16:25:17 | 歴史探訪
 惰弱な私は、結局昨日と今日は家に引き籠って完全休養日としました。

 といっても今日の昼は香味屋に行ってらあめん(八王子ラーメン)を食べてきましたが。

 さて、昨日と今日はほぼずっと、

 

 を作っていて、人知れず確実に西関東・北東北の歴史のパワーサイトができつつあります。

 そして今日は楽しみにしていた本が届きました。

 先日、『地図でたどる多摩の街道』という本を読んでいたら、『地図でみる東日本の古代』という本が古代の道を調べるのに便利だと書かれていたのでAmazonで確認してみました。

地図でみる東日本の古代: 律令制下の陸海交通・条里・史跡
 
平凡社


 すると、値段がちょっと・・・

 私の2日分の給料です。

 なので少しの間、画面の前で指をくわえていたのですが、古本で少し安いのが一冊出ていたので、「日本の古本屋」でも古本が出ていないことを確認して、思い切って購入しました。

 それがさっき届いたのです。

 この本は明治時代の地形図をベースにして、その上に官道を引き、国府・郡家・駅家などの役所や条里、それに東北の城柵や一部の古墳などの史跡がポイントされている本です。

 明治の地形図自体は、その一部がインターネットで見れたりしますが、紙になっている方が断然便利で、しかも上記のスポットが記入されているわけなので、これは本当に素晴らしい本です。

 収録範囲はこんな感じです。



 そして各ページはこんな感じです。



 もうこれは歴史地理学マニアや古代史マニアならヨダレものの本ですよ。

 私は子供のころから地図が大好きで、今でも仕事の合間にちょっと時間があるときなんかは車の中で道路地図を眺めています。

 地図を見ていると一日時間がつぶせるほど大好きなのです。

 まあ、「時間をつぶす」という表現は「命を無駄にしている」と同等なので好きな表現ではないですが、言いたいことはお分かり頂けると思います。

 そんなわけで本が届いてからしばらく眺めていたのですが、郡境が描かれているのでこれまた非常に便利です。

 例えば、多摩郡とその東側の都筑郡や橘樹郡などとの境界はどこなのか今まで知らなかったのですが、これを見れば一目瞭然です。

 現在の世田谷区民や中野区民の方は23区内にお住まいなのでピンとこないと思いますが、江戸時代まではその辺は「多摩地域」だったんですよ。

 世田谷区の奥沢や中野区の東中野駅あたりまでは多摩郡なんですよね。

 あなたたちは都心の住民ではなく、多摩の住民です!

 なんちゃって。

 そしてもう一点発見したのは、なんと延喜式記載の東海道(都内から千葉県に入り茨城県方面へ行く道)が、私が生まれてから小学校に入る前まで住んでいた家の至近を通っていたのです。

 あの道が東海道かーっ!!

 こういう発見って何だかエキサイティングですよね。

 そんなわけで今日も良い本が手に入って嬉しいの。

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【多摩市百草】7世紀前半における多摩川中流域南岸の王墓・稲荷塚古墳【八角墳】

2015-06-04 21:59:12 | 歴史探訪
 昨日の朝は6時に目覚めると珍しくすごく眠くて、そのせいか夜になると我慢できずに20時に寝てしまいました。

 そして今日は3時20分に起床、朝から歴史をやった後、6時半に家を出ました。

 なので今日もすでに眠いのですが、今日は念願の古墳を見ることができたので簡単にご紹介します。

 午後の現場からお店に帰るルート上の多摩市百草に稲荷塚古墳というのがあって、ずっと前から見たかったのですが、ようやく今日はチラッと寄ってみることができました。

 もちろん休憩の範囲なので、滞在時間は10分です。

 稲荷塚古墳は稲荷塚児童遊園の横にその墳丘を横たえていました。



 墳頂にはお稲荷さんが祀られているので稲荷塚古墳ということですね。

 写真で見るとチープな土盛りに見えますが、実はこれが物凄い古墳なのです。

 何が物凄いかというと、何といってもその形状。

 全国で十数例しかない八角墳なのです!

 築造年代は7世紀前半ということで古墳時代の終末期に当たるのですが、八角墳は中央では皇族が眠る墓に用いられる形状です。

 それがなぜこの辺鄙な東国にあるのか?

 関東には他に数例あり、関東では皇族はあり得ないと考えられますが、もしかして東国に派遣された皇子の墓か?

 サイズは38mですが、これも実はこの時代では最大規模なのです。

 ですので、この古墳の被葬者は7世紀前半の多摩地域の「王」とも言ってよい人物です。

 7世紀前半というと、大化改新の直前で中央では蘇我氏が政権を握り、地方には国造(くにのみやつこ)という地方官が置かれていました。

 国造は地方の有力者が任命され、まだまだ強い自治権を持っていました。

 それが大化改新以降、日本各地は60余の国に分割されていき、その長官には中央から派遣された下級貴族が国司として任命されるようになります。

 国司は国府という今で言う県庁で政務を執ったのですが、武蔵国の国府はその名もズバリ府中にありました。

 国府自体は8世紀になってから本格的に整備されて行くのですが、国府が武蔵国内では南に偏り過ぎている現在の府中の場所に作られたのは、この辺りに中央に従順な有力者が住んでいたからに違いありません。

 ということは、国府を府中に誘致した地元有力者の数代前の人物がこの古墳に葬られていた可能性が出てきます。

 しかしそう決めつけるのは早いです。

 というのも、この稲荷塚古墳と同時期に、府中市内には武蔵府中熊野神社古墳という、これまた上円下方墳という個性的な古墳があり、サイズもほぼ同じなのです。

 ということは、大化改新以前には、多摩川の北岸には熊野神社古墳の被葬者の勢力があり、南岸にはこの稲荷塚古墳の被葬者の勢力があったということになります。

 両勢力は拮抗していたと考えられます。

 ちなみにそれらより数十年前の多摩地域の王は、八王子市の北大谷古墳の被葬者です。

 結果的には、多摩川の北岸に国府が作られたので、北岸優位と考えることもできますが、その後の歴史を追って行くとまたまた面白い展開があります。

 国府がバリバリ機能していた時期を挟んで、4世紀から約1000年に渡って、聖蹟桜ヶ丘駅の近く、つまり多摩川南岸には多摩地域でも有数の巨大集落が繁栄します。

 それは落川遺跡と呼ばれ、その地には武蔵国の一宮もあり、小野郷と呼ばれていました。

 ですので、南岸地域も決して侮れない力を持っていたのです。

 そしてその南岸地域はに、大栗川沿いに小野牧という馬牧が作られ、その別当(長官)には小野諸興という人が任命されました。

 この小野諸興は、おそらく在地の有力者であり、もしかすると稲荷塚古墳の被葬者の子孫かもしれません。

 さらに歴史が展開し、いよいよ武士の世の中となると、八王子市を中心として横山党という人びとが活躍します。

 この横山党横山氏は、小野氏の末裔と自称しており、私も最近までそれを信じていて他のページでもそう書いています。

 しかしよくよく考えると、横山氏の活動地域と小野氏の活動地域は重なっておらず、小野氏の活躍した地域では小野氏の後に横山党ではなく西党が活躍します。

 もちろん、小野氏が拠点を移したと言ってしまえばそれまでですが、どうも怪しい。

 横山氏はおそらく八王子地域(もしかすると戦国時代の滝山城周辺)の土豪で、平将門の乱でも活躍した小野氏のネームバリューを利用するために先祖に持ってきたのかもしません。

 ただ不思議なのは、横山氏は諸興の名を系図に加えていないことです。

 なので、ここはちょっと遠慮して、諸興の一族の子孫のようなニュアンスにしたかったのかもしれません。

 おっと、稲荷塚古墳から話が飛んでしまいました。

 とにかく、府中からその対岸の大栗川流域地域は関東の古代史をやる上では、非常に注目ポイントです。

 9世紀にはエミシも移配されてきており、それらの俘囚が小野牧とどういう関係にあったのかも気になりますし、最近では日野市の西平山でやはりその時代の官衙的な遺構も見つかり、マニアの心を鷲掴みにしています。

 ちなみにその西平山の遺跡は、峰岸純夫さんは平将門の乱との関係を示唆されていました。

 ところで、稲荷塚古墳には横穴式石室の位置が色を変えて表示してあります。



 古墳自体のサイズは古墳全盛期の頃よりもはるかに小さくなっていますが、石室は羨道・前室・玄室の3部屋が連なる全長7.7mの巨大なものです。

 さてそんなわけで、明日から3日間は大変な現場3連チャンになりそうです。

 明日も7時から稼働しますが、16時から始まる現場がエグそうです。

 終わるのは多分夜中なので、確実に1日で2日分稼げますね。

 よっしゃ、寝るか!

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