日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

由井正雪の乱:江戸人物伝

2013-04-30 21:25:56 | 歴史探訪
 徳川家光が48歳で没し、11歳の家綱が将軍宣下を待っていたころ、江戸で軍学者として名を馳せていた男がいた。その男は名を由井正雪といい、駿河由比の紺屋のせがれといわれ、楠木流軍学を修めていた。

 正雪は背丈は小さく中肉だったが、昔の孫子呉氏を想像させられる、非常にカリスマ性のある人物だった。

 そんな現代の新興宗教の教祖のような雰囲気を持っていた正雪は、とんでもない事を考えていた。江戸城を乗っ取って、天下を争乱に巻き込もうというのだ。

 正雪の計画では、小石川の焔硝蔵(火薬庫)の番人河原十郎兵衛に蔵を爆破させ、それと同時に各所を放火し、驚いて登城する老中らを鉄砲で討ちとり、槍の名手の丸橋忠弥を先頭に立てて、紀州様(徳川御三家)御登城と称して江戸城を乗っ取るというものだった。

 それと同時に、正雪自身は駿府城を占領し、久能山の金銀を奪い、さらに大坂でも金井半兵衛を使って騒動を起こす予定であった。

 職を失った浪人が日本全国にあふれているので、それら不平分子も正雪に味方するだろうという予測も成り立つ。ただし、江戸城を乗っ取ったあとの計画は特に決まっていない。

 スケールは大きいが、作戦の具体策は稚拙だった。

 慶安4年(1651)7月23日の夜、老中松平信綱のもとに、江戸在住の丸橋忠弥が謀反を企てているという通報が入った。

 事は簡単に漏れてしまったのだ。

 忠弥はあっけなく逮捕され、捜索の手は西にも及んだ。

 その頃、正雪は部下9名とともに駿河にいた。総勢10名でどうやって久能山を制圧するのか。他に味方がいたのかはわからない。

 正雪らが休んでいる宿屋にも捜索隊はやってきた。

 正雪らは、紀伊大納言家の家臣と偽り、捜索隊はもしそれが本当だった場合のことを考えて、外から包囲するだけで部屋に踏み込むのを躊躇した。しかしいつまで経っても出てこないので、思い切って部屋に踏み込んだ。

 しかしそこで捜索隊が見たものは、切腹して果てた正雪ら一味の死骸であった。

 正雪の謀反の企ては、簡単に潰えたのだ。

 正雪の本当の狙いは何だったのか。本人が死んでしまった以上はわからないが、正雪は自らのカリスマ性に溺れ、とんでもないことを実行するに至ったと考えられる。しかし、当時の一部の浪人たちにとっては、国中が騒乱になることを望んでいたことは確かであるから、もし江戸市中が炎で包まれたら、大変な騒ぎになったと想像できる。もう少し計画を綿密にして、上手に進めていったら、万が一ということもあったかもしれない。しかしその可能性は、限りなく小さかっただろう。

 すでに完成されていた徳川の天下は、正雪の挑戦にもまったく動じた素振りを見せなかった。

艦隊これくしょん

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高校時代の思い出の音楽:日本ファルコムの「イースⅡ」ほか

2013-04-27 15:54:23 | 音楽
学校も行かずに音楽を作ったりゲームをしたりして引きこもっていた時期もありました。

そんな懐かしい時代のゲームミュージックを集めてみました。

まずは、ゲームアーツの「シルフィード」。



PC88SRのシューティングゲームの最高傑作です。

オープニング画面のワイヤーフレームのCGもカッコ良かった。

つづいて、日本ファルコムの「イース」。



実は私は「イース」はプレイしたことが無いのですが、日本ファルコムの音楽(とくに古代祐三さん)は大好きです。

上の動画の画面の絵は88じゃないですね。MSX2のようです。

つぎに、「イースⅡ」のオープニングデモです。



「イースⅡ」は高校1年のときに父親に半分お金を出してもらって88(当時17万くらい)を買い、最初に買ったゲームです。

「イース」シリーズは、「ハイドライド」シリーズと並んで、アクションRPGの傑作と言われました。

ついで、そのイースⅡのオープニングデモを、何とPC-6001で作ってしまった人がいます!



PC-6001は、NECのホビーユースのパソコンの元祖で、確か私が小学3年か4年の時に発売されたパソコンだと思います。

当時は「パソコン」という言葉はなく、「マイコン」と呼んでいました。

PC-6001は「P6」とか「パピコン」と呼ばれていました。

そして、そのオープニング曲をギターで弾いた方の演奏です。



難しい曲ですが、カッコ良く弾けています。

最後に、イースⅡの各曲を集めた動画です。



それと、http://www.youtube.com/user/littletreeでは、これまた日本ファルコムの傑作ゲーム「ソーサリアン」のオリジナル音楽が聴けます。

まあ、親に高い学費を出してもらって、しかもせっかく学校で人間的に成長できるチャンスを与えてもらっていたのにも関わらず、家に引きこもってゲームをやっていたというのは我ながらもったいないことをしたと思っています。

親の身になって考えると、学費を稼ぐのがどれだけ大変だか・・・。

しかしお金よりももっと大事な経験値を子供に積ませてあげたいと親は願っているのです。

だいたい学生時代ゲームばっかりやっていた人は大人になっても大成していません(笑)。

外に出て人と触れ合わないと人間的に成長できず、またビジネスを行うこともできません。

現役の高校生の諸君は要注意ですぞ!

艦隊これくしょん

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八戸政栄の攻勢:戦国南部興亡記-青森県東部~岩手県中南部の戦国時代-:第36回

2013-04-21 17:34:14 | 戦国南部興亡記
 前回の記事はこちらです。

 九戸勢の攻勢に対して、信直は再仕置軍の到着まで身動きが取れなくなりましたが、信直にとって比較的動きが自由な味方がいました。根城の八戸政栄です。

 八戸政栄は、島守館の館主島守安芸が九戸城に入城すると、その留守を狙って島守館を攻撃しました。島守氏は四戸氏の一族で、安芸は四戸太郎左衛門と称しました。

 八戸氏の本当の狙いは櫛引城でしたが、まずは支城の島守館を落としてから本城の櫛引城を攻める手筈でした。

 『九戸陣の研究』によると、天正19年5月5日(7日説もあり)早朝、八戸勢は隊を二つに分けて侵攻を開始します。

 本隊は、直栄を総大将に、沢田・中館・三上を先鋒にし、侍大将は中館勝之助でした。

 根城で隊伍を整えると、笹子・十文字・頃巻沢と進軍します。支隊は、筆頭家老の新田小十郎政盛を大将として新田を出発、是川を通り島守を目指しました。

 本隊が上頃巻沢に着いた頃、支隊は江花沢に到着します。大将直栄は、政盛率いる支隊を島守館攻撃に向かわせ、自身は高山にて戦況を見守ることにしました(『九戸陣の研究』には書かれていませんが、この時、頃巻沢館は本隊によって落城させられたのかもしれません)。

 島守館は青森県八戸市南郷区(旧南郷村)島守にあり、東南側を湿地で護られ、残りの一部は三重の空堀で防御された大きく分けると二郭からなる館です。

 政盛勢は、島守館の大手門を攻撃。留守の部隊は混乱し、長く支えることはできず、政盛勢が大手を破り本郭に突入すると、守備部隊は自ら城に火をかけ搦手から逃走しました。脱出した守備部隊は、虚空蔵山の北側の中の沢、馬場に出てから、羽黒、椛木方面に逃走したといいます。そして、彼らの多くは、現在の南部町(旧福地村)の麦沢に落ち着きました。現在でも麦沢の人の大半は島守姓を名乗っています。

 『南部諸城の研究』によると、島守館攻撃に先立って、八戸勢と新田勢は高山を落としました。高山は島守館の北西にあるほぼ独立した山で、現在は高山神社があります。

 島守を落とし士気を高めた八戸勢は、続けさまに櫛引城を落城させました。

 なお既述した通り、この戦いより以前に、島守館は種市勢の来攻を受け、矢戦をしたことがあったといいます。

 それに引き続き、5月7日、政栄は法師岡館(青森県南部町(旧福地村)法師岡)も攻めました。法師岡館は馬淵側の右岸に位置し、北側は川に面して断崖を呈し、東側は急崖で谷底は一部水田で、かつては水堀であったと推定されます。西および南側には三重の堀がめぐらされており、館南端から西南約800メートルの谷頭から水を引き入れて、水堀にしていたといわれています。

 法師岡館が攻められたとき、館主小笠原兵部(一説には櫛引清長の弟清政)は九戸城に籠城中でした。八戸政栄は、中野館の中野氏に協力を仰ぎ攻めたて、法師岡館を落としたといいますが、中野館は九戸側勢力のはずなので、この点は不審です。

 『南部諸城の研究』によると、その時館主不在ながらも、城主の奥方を中心として団結し、3日間の攻撃に耐えたといいます。

 攻城の愚を悟った攻撃側は、館主の兵部が討死したという流言を流し、防衛側の戦意を挫き、落城に至らせたといいます。最終的に力で攻めきったのか、籠城側が降伏したのかは不明ですが、近所に城主夫人供養の石碑と伝わるものがあるので、力で落城させられ、奥方は自害した模様です。


法師岡館(青森県南部町(旧福地村)法師岡)


 次回の記事はこちらです。

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骨が語る奥州戦国九戸落城/百々幸雄他著:九戸城と九戸政実の乱について知りたい人に向けた最新の好著

2013-04-03 21:46:38 | 雑談
 『骨が語る奥州戦国九戸落城』は、天正19年(1591)の「九戸政実の乱」で落城した九戸城(岩手県二戸市)の最新の発掘結果と、九戸城跡で発掘された殺傷痕のある人骨についての分析、そして文献史学から見た九戸政実の乱と九戸城の攻防戦(歴史解説)についてまとめられた本です。

 「第一章 史跡九戸城跡の発掘調査」(関豊著)では、九戸城の立地や構造について概略され、平成元年(1989)から平成15年(2003)までの発掘結果の概要が記されています。

 内容は一般的な発掘調査報告書よりは易しく書かれていますが、やや専門的な記述も見られます(説明の都合上仕方がないことです)。しかし、九戸城跡の発掘調査結果については、おそらく一般に出回っている書籍の中では『骨が語る奥州戦国九戸落城』が一番詳しいと思われるので(43ページに渡って書かれている)、九戸城跡を考古学的に見たい人には「第一章 史跡九戸城跡の発掘調査」はとてもお勧めできます。

 「第二章 九戸城二ノ丸跡出土人骨の同位体分析」(米田穣著)では、九戸城二ノ丸跡の第一号墓坑より出土した、頭部がなく数多くの刀創が認められた人骨群について、九戸城落城の際の「撫切り」の犠牲者かどうかを化学的に分析した報告です。

 化学が苦手な人にはちょっと付いて行くのが大変だと思われる記述が続きますが、それでも米田氏は易しく書くことに務めています。

 「第三章 九戸城二ノ丸跡出土人骨」(百々幸雄著)は、『骨が語る奥州戦国九戸落城』のなかでも最強にマニアックな章です。九戸城二ノ丸跡で出土した首のない人骨群について、発掘された骨の部位ごとに個別に分析しています。

 椎骨、上肢骨、鎖骨、肩甲骨、上腕骨・・・などという言葉が好きな人にはたまらない章だと思います。「歴史学」というジャンルではないです。

 「第四章 文献史学的考察」(竹間芳明著)は、九戸政実の乱やその総決算である九戸城籠城戦について知りたい歴史ファンにとって本命の章です。

 分量的には74ページあって、この章を読むために『骨が語る奥州戦国九戸落城』を手に入れても十分元が取れます。

 というのも、九戸政実の乱について書かれた本は江戸時代以降、過去に何冊も出ているのですが、それらの本は九戸政実の乱の個別の合戦について記述した本が多く(本ブログの「中世南部興亡記・戦国時代編」もその一つ)、それに対して本章では、もっと大局に立って、九戸政実の乱の歴史的意味について記述されているからです。そしてその根拠には最新の研究成果が使われています。

 九戸城籠城戦においても多くの人命が失われました。

 合戦とはいかに残酷なものであるか、極限の状態での人間の狂気とは何か、そういったことを『骨が語る奥州戦国九戸落城』を読んで考えてみることも必要ではないでしょうか。

<『骨が語る奥州戦国九戸落城』を読むとこんな疑問が解消できる!?>

・九戸城の地理と構造はどうなっているのか?→P.9

・九戸城と馬淵川の河岸段丘との関係は?→P.10

・九戸城の周辺にある城は?→P.12

・九戸城築城以前に現在の二戸市街地にはどんな遺跡があったのか?→P.12

・近世の在府小路遺跡は九戸城時代まで遡る?→P.16

・九戸城本丸跡からは主殿や櫓などの跡は発見されているのか?→P.19

・九戸城跡の毎年の発掘調査の結果分かったことは?→P.17~49

・九戸城二ノ丸跡の第一号墓坑出土の頭部がなく数多くの刀創が認められた人骨群は、果たして九戸城落城時の「撫切り」の犠牲者なのか?→P.51~65

・九戸城に籠った人びとは普段は何を食べていたのか?→P.60~65 P.196

・「撫切り」の犠牲者かもしれない人びとの骨にはどのような残酷な傷が付いているのか?→P.69~118

・降伏して鎧を外した兵士、あるいは一般の人も豊臣軍によって斬られた?→P.71 P.92 P.105 P.116~118

・鉄砲で人を狙う時にはどこを狙えば良いか?→P.91

・豊臣軍が九戸城籠城者に対して行った残虐行為とは?→P.118

・豊臣秀吉の天下統一の最後の戦いは何か?→P.121

・豊臣政権が令達した「関東・奥羽惣無事令」とはどのようなものか?→P.122

・南部宗家は糠部における「郡中」のリーダーだった。郡中とは何か?→P.123

・田子信直が南部宗家晴政に対して行った驚くべき行動とは?→P.124

・九戸城の規模は南部宗家の三戸城の規模を上回っていた?→P.126

・九戸氏と海との関わり合いは?→P.128

・南部信直は豊臣政権の惣無事令に違反していた?→P.130

・九戸政実と大浦(津軽)為信の連係プレーとは?→P.131

・糠部の諸将が豊臣政権に対して不信感を増幅させた理由とは?→P.135

・南部信直は豊臣政権と手を結ぶという先見の明があったのに対して九戸政実は時流が読めなかったという定説は事実か?→P.135

・秀吉の地方の勢力に対する恣意的な仕打ちにはどのようなものがあったのか?→P.140~143

・九戸政実の乱(九戸一揆)はいつ発生したのか?→P.147

・九戸政実の乱を引き起こした政実以下の糠部の諸将や住民が心の底から憎んでいたものとは?→P.149

・秀吉が新たに支配を及ぼそうとしていた奥州に対して考えていた恐ろしい政策とは?→P.154

・九戸城落城時に行われた豊臣側の残虐行為は実際どのようなものだったのか?→P.161~175

・信長配下の武将たちが残虐な行為を行ったのは何故か?→P.164

・九戸城落城を以って奥州の人びとは豊臣政権に服従したのか?→P.177

<データ>

『骨が語る奥州戦国九戸落城』

・百々幸雄・竹間芳明・関豊・米田穣著
・東北大学出版会
・2008年
・2000円(税別)

カバーしている時代:戦国時代最末期(※北奥に安土桃山時代はありません)
カバーしている地域:主として岩手県二戸市
ページ数:217ページ
難易度:章によってやさしい~難解

骨が語る奥州戦国九戸落城
百々 幸雄,竹間 芳明,関 豊,米田 譲
東北大学出版会

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小説・七戸家国の戦い(四):戦国南部興亡記-青森県東部~岩手県中南部の戦国時代-:番外編

2013-04-02 22:03:59 | 戦国南部興亡記
 翌天正十九年(一五九一)。家国が雪深い七戸城で春の訪れを待ち侘びていると、敬愛する九戸実親の兄政実からの使者がやって来た。使者の口上によると、来る三月十三日に、三戸側の拠点を一斉に攻撃するので、家国にも又重城を攻撃して欲しいとの依頼であった。

 去年の負け戦以来、家中の目は何となく冷たい。皆が陰口を叩いている。いや、実際には陰口を言う者は少ないのだが、家国は皆が悪口を囁いていると思っていた。現在のこの追い詰められた状況を打破するには、ここで大きな勝ちを収めなければならない。家国は去年の雪辱を晴らすため、又重城攻撃の依頼を受諾した。

 約束の日、家国は二千の軍勢を率いて出陣した。その一方で、弟慶高の挙動が何とも気になったので、留守には叔父の慶道を置いた。叔父が残ってくれていれば問題はないだろう。

 家国は馬に揺られているうちに、弟のことを忘れていた。そして、生き死にを賭けた戦場に向かうときに味わえる、痺れるような緊張感を楽しんでいた。

「この感じだ!」

 家国は馬上で何度も叫んだ。



 七戸勢出陣を知った奥入瀬川流域の諸将は、各々自分の館に立て籠もった。

 七戸勢が奥入瀬川を渡ってさらに南下し、目標は又重城だという情報が流れると、奥入瀬川流域の諸将は一安心した。しかし、ひとりだけそうは行かない武将がいた。切田館主の切田兵庫である。七戸勢が切田館の前面に現れたのである。

「そういえば一昨年の合戦で、伝法寺館を取り損なったのは気田兵庫のせいだったな」

 家国は側近の野辺地久兵衛に声をかけた。

「御意にござる」

「又重城を攻める前に、兵庫めを懲らしめてやるとするか」

「それは面白うござりますなあ」

 二千の兵に攻められた切田館はひとたまりもなく陥落した。いくら兵庫が勇猛であっても百五十の兵で守りきることは難しい。兵庫は、どこへともなく行方を晦ました。

 切田館はあっという間に陥落したが、それでも又重城にとってはいい時間稼ぎになった。その間に、五戸川流域の木村伊勢秀茂・戸来治部保秀・中市吉左衛門常之・石沢左近などが手勢を率いて又重城に入ることができた。浅水の南家からの援軍も迎え入れられた。南家は去年の戦で下田の直政を歩行不能にされて怒り心頭に発している。又重城に籠る兵は千を超えた。

 家国は五戸川を渡河し、背後から又重城を襲った。又重城は北側の五戸川方面の守りは堅いが、南側の台地続きの部分は弱いはずだ。

 先鋒の横浜慶房の部隊が城に取り掛かった。しかし城兵の凄まじい反撃にあい、慶房は手勢を引かせた。

 続いて、主郭南門を攻撃しに行った天間館源左衛門の軍勢もすぐに勢いが失せた。その西側で堀を越えようとしている野辺地久兵衛も立ち往生している。

「どうも今日の我が勢には粘りがない…」

 いくら攻めても勝てる気がしてこない。家国はどうしていいか解らなくなった。今日は軍師に比すべき叔父の慶道も側にはいない。ついに、家国は虎の子と称する旗本の槍隊を突撃させた。しかし、これも効果が無かった。

 家国が逡巡していると、城門が大きく開け放たれ、複数の騎馬武者が突出してきた。

「又重弥五郎秀俊、推参!」

 七戸勢組し易しとみた城主又重秀俊が、自ら槍を振るって城外に押し出して来たのだった。

 秀俊が槍を旋回させると、手向かった足軽三人が一度に薙ぎ倒された。

 それを見た戸来保秀、次いで中市常之・木村秀茂・石沢左近も又重殿に遅れじと、城から駆け出てきた。

 七戸勢は追い立てられ、戸来まで退いた。しかし退勢を挽回することはできず、七戸城に向けて逃げ去った。

 家国が北に向かって馬を走らせていると、散り散りになっていた慶房や源左衛門などが集まってきた。皆、一様に憔悴しきっている。一団はひたすら北を目指し、ようやく七戸城の城門の前までたどり着いた。

「御屋形様のご帰還である。ご開門!」

 久兵衛が叫んだ。

 すると、城塁の上に慶高がスーッと姿を現した。

 「兄上、まだ気づいておらなんだか!七戸城は三戸の信直様に付くことに相成り申した。お命は取らぬ故、早々に立ち去りなされ!」

 それは今まで聴いたことの無い、大地を揺るがすような大きな弟の声であった。

 良く見ると、弟の横には叔父の慶道が高手小手に縛られ首をうな垂れていた。

「嗚呼、万事休す!」

 家国は天を仰ぎ見ると、ついに観念した。

 しかし、まだ命だけは永らえていることを認識すると、周りに居る諸将に諮った。

「この先、どうするべきか…」

「かくなる上は、九戸殿を頼りましょうぞ」

 久兵衛が答えた。

 慶房は、主従の関係を絶って暇乞いすることを考え、源左衛門に目配せをした。

 源左衛門は首を横に振った。そして、

「久兵衛殿に賛成でござる」

 と、静かに言った。

 慶房は舌打ちしたが、家国の余りにも惨めな境遇が、急に不憫に思えてくるとともに、今まで主の家国に対して心から協力してこなかった自分の姿に気が付き、情けない気持ちにとらわれた。

「それがしもお供つかまつる」

 慶房が充血した目をしばだたせながら言った。

 家国は、皆の顔を眺めているうちに、何かが吹っ切れたような清々しい気持ちになった。それは今まで感じたことの無い不思議な感覚だった。

 そして、家臣たちは気づいていた。今回の戦で家国が一度も怒りを発しなかったことを。

 南に向かって駒を進める主従は、いま初めての一体感を味わっていた。

(了)

艦隊これくしょん

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