日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

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【東国を歩く会】第11回歩く日 立川~国立~府中 その1【多摩川崖線<ハケ>めぐり】

2017-06-14 12:32:36 | 東国を歩く会
 先日の土曜日(6月10日)は、西新宿のクラブツーリズムで毎月やっている「さかのぼって学ぼう 東北の古代史・中世史」の第6回目として「奥州平泉藤原氏100年の栄華」というタイトルでお話ししてきました。



 今回はシリーズ最多の15名様のご参加!



 皆さん、どうもありがとうございました!

 東京は梅雨に入りましたが、幸いなことにお天気で、そのために出席率がとてもよくなったのかなと思います。

 今回で中世史はおわり、次回からは古代史に入りますよ。

 さて、当日参加された方から別の階でナワバリストの西股総生先生が講座をやってると聞いたので、カタログで確認してみると、いなもとかおりさんとのトークイベントをやっているようでした(後で見たら上の講座一覧の表示にも載っていました)。

 なので、自分の講座が終わった後、それを聴きに行き、最後の15分くらいでしたが聴講することができました。

 会場には半年ほど前に近ツー八王子営業所で主催した滝山城ツアーと八王子城ツアーにいらしてくれた方もいらっしゃり、西股先生といなもとさんと会うのも久しぶりだったので、皆さんとお会いできて嬉しかったです。

 ところで、以前からお伝えしている通り、その西股先生と私が8月11日にクラツーで対バン(?)します。

 「歴史への旅」の裏表紙に書かれていますよ。



 西股先生からは「あなたも出るんだね?」と言われ、私とは開催時間が被っていないので「ライバルじゃないのね」と言われましたが、西股先生の講座は宮田太郎先生と被ってるんですよねえ。

 宮田先生の講座も聴きたいので非常に迷いましたが、宮田先生、今回はごめんなさーい!

 今回は西股先生の講座を聴きに行きます。

 それともう一つお知らせで、来月催行される以下のツアーについてです。



 右側の群馬の古墳ツアーはありがたいことに24名様満席となりました。

 お申込みありがとうございました!

 もしかすると、中型バスを大型バスに変更して追加募集をするかもしれないとのことでしたが、現段階では何とも言えません。

 その代わりと言ったらなんですが、秋以降も古墳のツアーを開催する予定ですので、そちらの方もよろしくお願いいたします。

 ちなみに上の左側のツアーに関係する仕事で今週末の土日は福岡へ行って参りまーす。

 生まれて初めて一人で飛行機に乗まーす。

 間違ってウラジオストックとかに行かないように気をつけまーす。

 というわけで話は変わりますが、講座の翌日は東国を歩く会の「第11回 歩く日」を無事に催行することができました。

 前回の第10回は、なんと共同主催者の一人である私がまさかの欠席ということで、ついに私はS源寺さんよりも参加回数が少なくなってしまいました。

 まあ、それは仕方がないとして、当日は見事に晴れましたね!

 梅雨時なので雨を覚悟していましたが、暑くもなく寒くもなく、歩くのにちょうどよい日和でした。

 今日はそのときのレポートを簡単に、まずは午前中の探訪の模様をご報告します。

*     *     *


 朝8時半に立川駅に集合!

 今日はここを起点に立川市内を多摩川近くまで歩き、国立市内をめぐって最終的には府中市の西府駅を目指しますよ。

 ルート的には「ハケ(崖線)」がテーマですね。

 では、いつもの気心の知れた仲間たちと早速出発です。

 ほどなくして到着したのは諏訪神社。



 ここの社叢は完全に市街化された立川駅近辺において独特な雰囲気を醸し出しており、遠くの少し高い場所から見ると目立っていますね。

 お、弓道場ですか。



 境内は結構広くて拝殿も立派です。



 でもこの社殿は、中央に諏訪神社、向かって左に八幡神社、右手に稲荷神社というスタイルを取っています。

 境内神社はまとめられていますね。



 境内には玉砂利が敷き詰められてあって、なかなか風格のある神社です。

 南側に随身門があります。



 そこから参道が伸びていますね。



 道路に出ました。



 住宅街をニョロニョロ歩くと、江戸期の常夜灯が現れました。



 今日のルートを作成したのは高橋さんですが、高橋さんは道標とか石仏とかが好きで、こういったものにも興味があるようです。

 常夜灯があるということは、この前の道は江戸期には人がたくさん通ったということになります。

 常夜灯は「講」のメンバーで出資して造ることが多かったようです。

 あ、この常夜灯には電気が内蔵されている!



 今でも夜点灯するのかなあ?

 さきほど、諏訪神社の社殿に八幡神社が合祀されていましたが、その八幡神社が元々あった場所へ来ました。



 まず目につくのはこの立派なケヤキですね。



 ケヤキの下には社があります。



 ふみこさんが屋根の形状から「お稲荷さんでは?」と推測しましたが、私は判断できませんでした。

 ご神木のケヤキの木から少し離れた場所に本殿があったようです。





 少し歩くと、こちらにも古そうな木が。



 傍に社がありますし、完全に取り除かないということは何か謂われがあるのでしょうか。

 この辺にはかつて、満願寺というお寺があったんですね。



 明治時代になって国家が神道を重視して廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を行ったため、そのときに廃寺になったお寺は多いです。

 つづいて、中央線の線路まで出てきました。



 中央線は日野方面から多摩川を渡って立川市内に入るとき、切通状に線路が引かれていますが、これは後世に工事した結果こうなったものです。

 線路脇の小路に沿って玉川上水から分かれた柴崎分水が流れていますが、これは線路ができる前はこの場所を西へ向かっており、現在は管によって中央線の対岸へ伸びています。



 こういった用水は場所によっては縦横無尽に張り巡らされていたわけですが、少し歩くと説明板が立っていました。



 でもこの通り。



 これじゃ読めないですね。

 すると、遠藤さんたちがアジサイを除けてくれて、説明板が読めるようにしてくれました。



 ナイス!

 そしてやってきたのは、普済寺。



 立派なお寺ですね。

 楼門もいい感じ。



 楼門の2階に見える木造は聖徳太子のようです。

 普済寺の説明板を読むとこのお寺の歴史的重要度の高さが分かりますね。



 楼門をくぐると左手には閻魔堂が。



 右手には普済寺の塔頭(たっちゅう)である心源庵が。



 塔頭があるって凄くないですか!

 立派な本堂ですねえ。



 常照殿とありますよ。



 普済寺の境内にはかつて、武蔵七党の一つ日奉党(西党)に属する立川氏の居館がありました。

 土塁が当時の唯一の名残かな。





 土塁の手前のコンクリには礎石のようなものが4つ見えますが、大きさからして鐘楼が元々ここにあったのでしょうか。

 昔の武士はお父さんが亡くなると息子が父の菩提を弔うために館を寺にしてしまうことがありました。

 西側は残堀川の崖となっており、眺望に優れています。

 お、中央線。





 境内にある国宝の「六面石幢(ろくめんせきどう)」が収蔵されている覆屋を見ますが、ガラスが反射してうまう写真に撮れませんね。

 レプリカが立川市歴史民俗資料館にあるので、そこでじっくり見ることができますよ。



 ※↑これです。

 境内には「首塚」と呼ばれるものがあります。



 立川宮内少輔宗恒の供養碑です。



 中世の柴崎村は、立川氏の本拠地であった普済寺を中心として発展したと思われます。

 原始時代まで遡ると、この辺りはハケがあるため人が住みやすい場所だったはずですが、明治の初めのころの地図を見ると、柴崎村はそれほど栄えているようには見えず、現在の立川市内でいえば、むしろ五日市街道沿いの砂川村が人口も多かったようです。

 ⇒立川市の成り立ちに関しては本ブログ内のこちらで述べています

 普済寺を出て、残堀川沿いを歩きます。



 おや、あの鳥は何でしょう。



 私は鳥のことはほとんど分かりませんが、「アオサギ!」という声が聞こえてきました。



 みなさん、植物や野鳥に詳しいですねえ。

 ちなみに、いつもは私はプラプラと隊列の前に行ったり後ろに行ったりして、殿軍(しんがり)はヒラさんとS源寺さんが務めてくれることが多いのですが、今日は人数が多いことと、なるべく時間通りに歩きたいことがあって、できるだけ私が最後尾を歩くようにしています。



 今日はN島さんが私と高橋さん用にも無線機を用意してくださり、これがけっこう便利なのです。



 残堀川沿いって良い散歩道になってるんですね。

 知りませんでした。







 ここで途中参加のあゆみちゃんが合流。

 いつものように私たちの進行速度が遅かったので、当初の待ち合わせ場所からだいぶ遡っての参加となりました。

 あ、猫ちん!



 あなた、なかなかいい表情してるじゃない。



 ちょっと警戒しているようです。



 たまたまここにいたご婦人は「シロちゃん」と呼んでいるそうですよ。

 つづいて橋が現れました。



 ここも一時、甲州街道だったことがあるんです。



 甲州街道だけでなく、日本各地の道はその名前の付いた道が一本だけ通っていたわけではなく、時代によって通る場所が変わりますし、同時に2本以上存在することもあるのです。

 なので、「昔の甲州街道ってどこを通ってたんですか?」と聴かれると、説明が多くなって面倒くさい人だと思われてしまうのです。

 現代でさえ、バイパスが完成するとそこが街道となり、それまでの街道は「旧」を冠して呼ばれるようにりますよね。

 この営みは、未来永劫続くと思います。

 遠くで多摩モノレールがすれ違っています。



 貝殻橋を渡り、貝殻坂を登ります。





 ここはサイクリングコースになっていて、自転車がひっきりなしに通るのでちょっと危ないですね。

 これは何ですか?



 伊藤単朴の墓ですか。



 府中用水の取水口。





 青柳稲荷神社へ到着。







 つづいて、四軒在家(しけんざけ)公園に来ました。

 ここにはなんと、古墳があるんですよ!





 古墳はこうだけど、説明板は立派だぜ!







 こうやってしっかりと説明板を設置しているところに国立市の心意気を感じます。



 ママ下湧水。









 明治時代にできた知的障碍者施設である滝乃川学園。





 近くには矢川の流れがあります。



 矢川って地名や南武線の駅の名前になっていますが、小さな流れなんですね。

 でも水はきれいですよ。

 国立市はこんな説明板も建てています。







 さっきの矢川の合流地点です。

 3つの流れがここで合わさってるんですね。



 と、歩きだしたら「ピヨピヨ」とひよこの鳴き声なような声が聞こえてきました。

 流れを見ると赤ちゃんを引き連れたカルガモがいるじゃないですか!



 もう皆さん大喜び!



 カルガモ部隊が下流に向けて泳いでいくのに合わせて(流されて行ってるよう見えなくもないですが・・・)一緒に歩きます。



 お母さんは赤ちゃんたちのことをちゃんと把握してるんですね。

 ちゃんと泳ぎまわって子供たちを誘導しているのです。

 今まで見たどの史跡よりも反応が良いですね!

 しょっちゅう車で通る道に出ました。

 「石田街道」っていうんですね。



 さて、ここまで歩いてもう時刻は12時40分を過ぎています。

 ていうか、すでに4時間以上歩いていますが、私たちってほとんど休憩しないですよね。

 なのでそろそろ疲れてきました。

 というか、私の場合はお腹が空くと動けなくなるのでそろそろヤバいです。

 ということでセブンイレブンで昼飯を購入し、くにたち郷土文化館へ移動。

 お庭でランチです!



 昼からビール、美味いねえ。

 とくに歩いた後のビールは最高です。

 S源寺さんは皆で食べられるように、つまみと妻楊枝まで購ってきてくれました。

 私が一番つまんでると思う。

 暑くもなく寒くもなく、吹き抜ける風が心地よいですね。

 飲んじゃうとまったりしてしまいますが、まだ午後の歩きがあるんだよ!

 それでは一旦ここまで。
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