日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

『日本史大戦略』のB(Blog)面です。城・館・古墳・古道・官衙・国分寺・神社・寺院・民俗・エミシ・南部氏・後北条氏など

結局、白鳥信仰とは何か?【谷川健一著『白鳥伝説』を読む】

2011-07-14 16:13:42 | 民俗コラム
ここ何日か頻繁に参照している谷川健一著『白鳥伝説』ですが、そもそも読むきっかけになったのは、「白鳥信仰って何だろう?」という謎でした。

該書はそのタイトルとは裏腹に、なかなか白鳥伝説に関することが出て来ず、下巻の後半になって、ようやく主題に移ったかのように見えます。

先日、和賀郡(岩手県北上市周辺)の中世領主和賀氏に白鳥信仰があると書きましたが、和賀氏は和賀郡に下向する前は、刈田郡(宮城県南部の白石市近辺)にいました。

該書によると、刈田郡には熱狂的な白鳥信仰があり、蔵王町宮の刈田嶺神社は、俗に白鳥大明神と称しています。

刈田嶺神社はヤマトタケルを祀っていて、それはヤマトタケルが死後、白鳥になって空に飛び立ったことから白鳥信仰が発生したように思えますが、それなら全国の他の場所でも白鳥信仰が発生していてもおかしくありません。

しかし、該書を読む限りでは、刈田郡にしか「信仰」と呼べるものはないという印象を受けました。

ただし、該書では出てきませんが、既述した通り和賀郡にも白鳥信仰はあります。

和賀氏はもともと武蔵七党の横山氏で、現在の東京都八王子市近辺にいて、ついで埼玉県熊谷市に移り中条氏を名乗り、源頼朝の平泉攻略(文治5年(1189))のあと、刈田郡を賜りました。その後、和賀郡に移ったわけですが、和賀郡に所領を得た時期は史料上で確認することはできません。しかしそれは、仁治4年(1243)より前です。つまり刈田郡から和賀郡への移動は、半世紀ほどの時間しか経っておらず、和賀氏(苅田氏)が、白鳥信仰を奉ずるようになったのは、半世紀の期間の中です。

短期間で和賀氏(苅田氏)が信奉するようになった白鳥信仰ですが、そのルーツははっきりしません。谷川氏は縄文時代にさかのぼる「東」の白鳥信仰が、「西」から来た物部氏の白鳥信仰と合体したと自論を述べています。

谷川氏は、「白鳥」という地名については各地を調べたようですが、信仰に関する調査はそれほどできなかったようです。地名に関しては、物部氏との関連を執拗に迫ってきます。そして、物部氏は白鳥信仰があったと、以前は推測だったのが、該書の終わりの方では断定となっています。

物部氏が白鳥信仰を奉じていたという根拠については非常に散漫な関連性となっており、該書を良く読んでも納得できるものではありませんでした。

結局該書を読み終わっても、「白鳥信仰って何だろう?」という謎は深まる一方ということになってしまいました。

さて少しネガティヴな感想となってしまいましたが、該書はここ数日参照してきたとおり、総合するととても面白い本なので、上下巻の内容を別のテーマでまとめて、タイトルを変えて出せばもっと良かったのではないかと思いました。

(Amazonでお求めになれます↓)

白鳥伝説 (上) (集英社文庫)
谷川 健一
集英社


白鳥伝説〈下〉 (集英社文庫)
谷川 健一
集英社
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« アラハバキは蝦夷(エミシ)... | トップ | Y染色体と蝦夷(エミシ) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

民俗コラム」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事