日本史大戦略 Side-B 附 東国を歩く会 ~関東・東北の古代・中世史探訪~

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【相模古代史紀行 その1】おふねもじんじゃもおっきかったの【相模国一宮寒川神社】

2017-04-29 23:06:40 | 歴史探訪
 本日4月29日、ついに妻は大きなお船に乗って旅立ってしまいました。

 大きなお船に乗る妻を送るため、7時過ぎには雷電號のトランクにスーツケースを積んで横浜の大さん橋へ向かったのです。



 我が家から横浜へ行くには車の場合は下道も高速もそれほど良い道は無く、10時までに行けばいいということだったので下道を使って行きます。

 大さん橋にほど近いところには、昨年の12月24日に一緒に行ったシルク博物館があります。



 ↑シルク博物館(2016年12月24日撮影)



 ↑シルク博物館で富岡製糸場のジオラマを見る妻(2016年12月24日撮影)

 そして大さん橋に着いたのはちょうど9時です。

 まだ待ち合わせ時間まで少しあるので、駐車場に雷電號をとめて、二人でちょっとプラプラしてみます。

 駐車場からターミナルへのゲート。



 薄暗いターミナル。



 あ、この吊るしてあるお船が妻が8日間お仕事をする船だね。

 ターミナルの入口はこんなふう。



 さっき駐車場に入るときにお船が停泊しているのが見えたので、それを見に行こう。

 うわー、でかー。



 ヤバイっすね、このお船。



 Princess Princessの往年のヒット曲とは関係ありません。



 なんか、いろいろなところで見かける風景があるよ。



 おっと、ターミナルの屋根には芝生が張ってあるみたい。



 ところで、この歩く部分はこのように木の板が張ってあるのですが、これが問題なのです。



 ヒールだと隙間に挟まる!

 2度も挟まってしまったのできっとまたやるだろうと虎視眈々と撮影の機会をうかがっていたのですが、思った通りまたもや挟まり、まんまと撮影に成功しました。



 平均台の上を歩くように注意深く歩かないとダメですね。

 という感じでプラプラしていると、妻の同僚のMさんご家族と会いました。

 Mさん自身は乗船しないのですが、ご家族がお客さんとして乗船するということでお見送りに来たそうです。

 そのMさん家族が記念写真を撮ろうとしたところ、妻がすかさず「私がお撮りしましょうか?」と声を掛け、お船をバックにMさん家族の写真を撮ってあげました。

 妻は写真撮影ツアーの部署にもいたことがあり、私なんかよりカメラに詳しく、一緒に出掛けると妻は知らない人にでも声を掛けて撮影をしてあげるシーンをよく見ます。

 自身から買って出る人なんか稀ですから、人助けになって偉いなあと思います。

 まあ、そんなことを思いつつ、私は写真を撮っている妻を撮って喜んでます。


 あれ、何の話でしたっけ?

 そうそう、私はお船に乗る妻を見送りに来たんでしたね。

 ※今日から一週間くらい妻と会えないために寂しさの余りたくさん妻の写真を張り付けてしまった私は本当に心の弱いダメな男です。

 さて、9時45分になり、妻はそろそろ集合場所へ行くということで私は涙を流しながら(イメージ)見送りました。

 そんなわけで、船出する妻に陸に置いて行かれた私は、今日は雷電號を駆って一日歴史めぐりをしようと思っています。

 せっかく横浜まで来たわけですから、相模国方面の歴史めぐりをしますよ。

 と言っても、横浜市の大部分は武蔵国ですけどね。

 さてそれでは、本日の一発目として、相模国の一の宮である寒川町の寒川神社へ向かいます。

 今度も下道で行きますよ。

 走り出してほどなく、信号で止まると左前方に説明板のようなものが見えました。



 何だあれ!?

 本陣だと!



 横がコインパだったので一瞬車を止めようか考えましたが、今日は素通りにします。

 今日は土曜日ということもあり、道路は結構混んでいて、なおかつ雷電號に搭載しているマツダの純正ナヴィは無難な大きい道を示して、近道とかを教えてくれないのです。

 ですから、地図を見て自力で探そうとするのですが、変に冒険して引っかかってしまっても嫌なので、大人しくナヴィの指示に従って走ります。

 結局、大さん橋から1時間45分もかかって、11時半に寒川神社に到着。

 しかも結構参拝客が多いようで、第1と第2の駐車場に入れず、第3駐車場へ誘われました。

 では、探訪開始!

 駐車場を出て横っちょから境内に入ると、いきなりでかい建物が現れました。



 でもこれは社務所なんですね。

 さっきのダイヤモンド・プリンセスもでかかったけど、寒川神社の社務所もでかい。

 左をみると門がありました。



 門をくぐると拝殿です。



 おー、広々としていますねー。

 一旦戻ります。

 門から参道を見ると遠くの方に鳥居が見えます。



 実は寒川神社の下調べはまったくしてきていないので、予備知識はゼロに近いのですが、この神社の参道は長そうな予感がします。

 あ、それはそうと、由緒書きを探そう。

 あった。



 相模国の一宮ですよ。

 と、それも重要ですが、祭神をご確認ください。

 祭神となっている寒川比古命と寒川比女命は、もしかするとヤマトの勢力がこの地に完全に定着する前に相模川流域を治めていた王とその妃かもしれませんよ。

 「さむかわ」と「さがみがわ」は何となく音が似ていて、「さがみ」は「さがむ」と呼んだかも知れず、そうすると、「さむかわ」というのは「さがむかわ」のことかなあなんて思います。

 ところで、古代国家の国司は赴任してくるとまっさきにその地域の神様にご挨拶をして回ります。

 私も今後相模国の歴史調査を本格的に実施するに当たり、一宮に詣でたのは至極自然なことなのです。

 おや、道路を挟んだ向こうには小さな神社がありますね。



 寒川神社の末社である宮山神社です。



 元々この辺りに合った神社を合祀したようですね。



 ではもう一度寒川神社の境内へ戻ります。

 鳥居まで来ました。



 まだまだ参道は続いていますね。



 もう少し境内を散策。









 気が済んだので次へ行きましょう。

 駐車場へ戻ると、大山がよく見えるじゃないですか。



 私が普段お掃除の仕事でグルグルと多摩地域を周っていると、西側に見える山並みの一番南側にある目立つ山が大山なので、私にとっても実は馴染みがある山なのですが、ここ相模ではさらにポピュラーな感じがします。

 では、雷電號のナヴィにはとりあえず平塚市博物館をセットして駆動開始。

 先ほどの参道を走っていると、もう一つ鳥居がありました。

 しかもでかい。



 そして参道はまだ続いている模様です。



 さらに進むと踏切で止まってしまいましたが、気付くとここにも鳥居が!



 鳥居のシーケンスの降り方には二通りあり、境内から遠い方から一の鳥居、二の鳥居、と呼ぶ場合と、反対に社殿に近い側から順番に呼ぶ場合があります。

 私的には、お城の場合は本丸・二の丸・三の丸とか、Ⅰ郭・Ⅱ郭・Ⅲ郭といったように、中心部に近い方から番号を付けてるので、神社の場合も同じように呼びたい気持ちです。

 寒川神社には長大な参道に3つの鳥居がありましたが、私の個人的な好みで呼ぶと、この鳥居は三の鳥居です。

 ところで交差点名は「大門踏切前」ですよ。



 ということは、踏切が「大門」と呼ばれているように思えますが、それが神社の参道入口にまつわる命名なのか、神社とは関係なく大きな門があったことによる命名なのか、今のところは分かりません。

 ちなみに八王子市下恩方の浄福寺の近くには「でーもん」という地名があり、最初「悪魔か!」と思ったのですが、「だいもん」が訛っただけでした。

 何だかんだでもう12時20分。

 急がなければ。

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