山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

◆要介護老人は実は「小判」、否、「大判」◆

2016-12-26 09:01:33 | Weblog

 旧木村邸は小判どころか大判の価値があるのに、寄贈を受けた山形市職員にとっては「要介護老人」のようにしか思えず、しかも介護の仕方もわからず、7年間も「介護放棄」の状態を続け、ついには「死刑を宣告」に至っている。市役所の近所なのにほとんど訪れることもなく、雑草は伸び放題、屋内は塵埃まみれ、窓を開けて空気の入れ換えもやらず、ただでさえ“ご老体”は衰弱を加速させていた。
◆[0:05附記]むろん寄贈時にも決して頑健な青壮年であったわけではないが、精々後期高齢者前半の程度であった。でも7年後には80代。多少は要支援か要介護の症状が出てもおかしくない年齢。それでも親族や周囲との交流や見守りがあるだけでも、心身の衰えは鈍化する。要介護状態になっても丁寧な介護により寿命はかなり延びていたのだ。この場合は「計画的衰弱死」を狙っていたと思われても無理はあるまい。結果的には死亡の前の「処分」のようだが。
遠方に住む息子が一人暮らしの老親の死後に空き家化した実家の手入れや清掃に通うことは困難だが、この屋敷と市役所は徒歩でも五分以内の距離なのに、長年管理放棄の状態が続いていた。

写真は山形市に寄贈の前の撮影。ボランティア学生たちが清掃や除草をやって多くの市民に公開できる施設を目指していた。でも市の所有になってからは市民が立ち入る機会は失われた。市職員すら担当課以外は内部の良さを知らないまま七年間経過してしまった。
今後、他の残された歴史的建造物に対する多くの市民の関心、そして行政職員の価値の理解を高める方策を考えるべきかと思う。このままでは地元から貴重な歴史遺産が本当に多数失われてしまう。

そして、◆市民との「共創のまちづくり」???◆
山形市役所駐車ビル側面のウィンドウディスプレイで目についた山形市の広報記述。でも、旧木村邸に関しては「市民との共創」は成らず、むしろ拒絶され続けた感じ。ただし、特定企業との共創は好調だったようだ。母屋の解体開始は来週か、年明け後か。
「市民との共創」に関して言えば、母屋保存派は担当部課長、副市長、そして市長とも(こちらからの要求により)面談している。でも、いずれの場合にも彼らの個人的見解は聴けないで終り、とても市側から「忌憚のない」考え方を聴くことは叶わなかった。本来の「市民との共創」とは行政側から積極的に「公開」での意見交換会を重ねることである。事業者選定でのプレゼンテーション(某建設会社と個人からなるグループの2者がエントリー)も「非公開」だったため、多くの一般市民が2者の提案内容を知ることは不可能で、その後審査委員の「密室協議」で建設会社側の提案が採用されたという次第である。


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