昔、村山地方では「寒河江女に谷地男」という諺みたいなものが言いふらされていた。
寒河江の女性は美しく、谷地の男性はハンサムだということらしいし、あるいは寒河江の女性は優しく気だてが良く、谷地の男性は頼もしいという意味もあるようだ。いずれにせよ、現代でも寒河江には美人が多いことは間違いがあるまい。
その寒河江に有妻の身でありながら、私は今日「寒河江美人」を多数求めて寒河江市にでかけた。今まで寒河江市は通りぬけするか、歩いても表通りだけで、裏通りまで歩いたのは初めてである。なるほど寒河江にはやはり美人が多い。それも裏通りで出逢うことが多かった。裏通りの“美女”は一層奥床しい。
それらの“美女”たちを今日と明日の2回にわたり紹介しよう。(最初の写真だけは単独で探索。他の写真は県主催の街歩き事業に同行で撮影)
↑ 明治11年建造の西村山郡役所と郡会議事堂 以前は中心市街にあったのだが、今は「郷土館」として普段は恐ろしく静かな丘陵の中に立つ。
↑ 二の堰親水空間 堰なのに幅が広いのは冷たい水流を暖めるためらしい。このような「せせらぎ」が寒河江市の“ブランド商品”になっている。並木もだいぶ紅葉していた。
↑ 昭和41年、田園地帯の中に突如現れた超モダンガールの寒河江市役所も既に中年オバン。かつては超売れっ子だったが、今ではしみや皺が気になるらしい。“父親”は建築界の鬼才、黒川紀章氏
★追記★ 黒川氏は「文化功労者」に選ばれました。(10月27日のニュース)
寒河江の女性は美しく、谷地の男性はハンサムだということらしいし、あるいは寒河江の女性は優しく気だてが良く、谷地の男性は頼もしいという意味もあるようだ。いずれにせよ、現代でも寒河江には美人が多いことは間違いがあるまい。
その寒河江に有妻の身でありながら、私は今日「寒河江美人」を多数求めて寒河江市にでかけた。今まで寒河江市は通りぬけするか、歩いても表通りだけで、裏通りまで歩いたのは初めてである。なるほど寒河江にはやはり美人が多い。それも裏通りで出逢うことが多かった。裏通りの“美女”は一層奥床しい。
それらの“美女”たちを今日と明日の2回にわたり紹介しよう。(最初の写真だけは単独で探索。他の写真は県主催の街歩き事業に同行で撮影)
↑ 明治11年建造の西村山郡役所と郡会議事堂 以前は中心市街にあったのだが、今は「郷土館」として普段は恐ろしく静かな丘陵の中に立つ。
↑ 二の堰親水空間 堰なのに幅が広いのは冷たい水流を暖めるためらしい。このような「せせらぎ」が寒河江市の“ブランド商品”になっている。並木もだいぶ紅葉していた。
↑ 昭和41年、田園地帯の中に突如現れた超モダンガールの寒河江市役所も既に中年オバン。かつては超売れっ子だったが、今ではしみや皺が気になるらしい。“父親”は建築界の鬼才、黒川紀章氏
★追記★ 黒川氏は「文化功労者」に選ばれました。(10月27日のニュース)