山形の過去、現在、未来

写真入りで山形の歴史、建物、風景を紹介し、併せて社会への提言も行う

寒河江美人を求めて街歩き(1)

2006-10-25 21:13:14 | Weblog
 昔、村山地方では「寒河江女に谷地男」という諺みたいなものが言いふらされていた。
 寒河江の女性は美しく、谷地の男性はハンサムだということらしいし、あるいは寒河江の女性は優しく気だてが良く、谷地の男性は頼もしいという意味もあるようだ。いずれにせよ、現代でも寒河江には美人が多いことは間違いがあるまい。
 その寒河江に有妻の身でありながら、私は今日「寒河江美人」を多数求めて寒河江市にでかけた。今まで寒河江市は通りぬけするか、歩いても表通りだけで、裏通りまで歩いたのは初めてである。なるほど寒河江にはやはり美人が多い。それも裏通りで出逢うことが多かった。裏通りの“美女”は一層奥床しい。
 それらの“美女”たちを今日と明日の2回にわたり紹介しよう。(最初の写真だけは単独で探索。他の写真は県主催の街歩き事業に同行で撮影)

 ↑ 明治11年建造の西村山郡役所と郡会議事堂 以前は中心市街にあったのだが、今は「郷土館」として普段は恐ろしく静かな丘陵の中に立つ。

 ↑ 二の堰親水空間 堰なのに幅が広いのは冷たい水流を暖めるためらしい。このような「せせらぎ」が寒河江市の“ブランド商品”になっている。並木もだいぶ紅葉していた。

 ↑ 昭和41年、田園地帯の中に突如現れた超モダンガールの寒河江市役所も既に中年オバン。かつては超売れっ子だったが、今ではしみや皺が気になるらしい。“父親”は建築界の鬼才、黒川紀章氏
★追記★ 黒川氏は「文化功労者」に選ばれました。(10月27日のニュース)

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