桜並木の昨日の状態

 昨日は4月19日。
 山形地方気象台によれば、山形市での桜の開花予想は20日頃のこと。
 つまりは、写真の桜並木の桜たちはすぐ明日にでも開花しようとしているはずなのだ。
 確かに数日前よりは赤らんできたような気もする。
 この桜並木の先には桜の名所の山形城跡がある。
 だが、山形城跡の毎年恒例の「観桜会」のイベントは一昨年は「想定外」の激しい俄か雪と低温のために完全中止となり、昨年は東日本大震災のために被災地のすぐ隣県のにある山形市では桜祭りなどとてもやれない状況だったので、2年連続「観桜会」は開催されなかったことになる。
 でも、この桜並木と山形城跡の桜たちは「今年こそ!!」と、桜祭りの実施により更に彩りを増したいとうずうずしているようだ。
 ブログ主は今日から数日間山形を離れるが、帰った頃には開花していることだろう。
 むろん、満開には至っていないと思うのだが。頑張れサクラ!
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古志びとの面影の丘と芭蕉句碑


 前回記事の写真により紹介した沼の東南部を縁取る丘陵沿いに西北方向に廻ると今度は田園風景の中にこの丘陵が浮かび上がる。
 この丘陵の名は「越王山」。頂上には越王神を祀る小祠がある。
 越王とは「越の国」を築いたとされる「越族」リーダーの祖が神格化されたものである。
 その「越の国」とは現在の福井県東北部から新潟県にかけての地域一帯で、出羽国、特に庄内地方や秋田県西南部も越の国の影響が及ぶ地域であり、越の国の「でっぱ」つまり「はずれ」でもあった。  
 この「越」は「古志」とか「腰」「古四」などとも記され、越王は「小塩」とか「小姓」などと記されることもある。
 新潟県中部には近年まで「古志郡山古志村」という自治体があり、中越地震で甚大な被害を蒙ったが、その後長岡市に吸収合併されて、唯一の「コシ」を名称とする郡と自治体は消滅してしまった。
 古代の越の勢力は山形県内の内陸部にも及び、「コシ」と称する地名や山の名、神社や小祠が確知に散在しているが、この越王山はそれらの典型であろう。
 この越王山と沼を挟んで西側の八幡山、そしてさらに西北方の舞鶴山の三つの丘陵を総称して「◎◎三森」と言うが、つまり大和三山(畝傍山、耳成山、天香久山)と同じような「◎◎三山」とも言いかえることができる。
 大和三山が眺められる大和盆地南部は「まほろばの里」とも言われているが、ここ◎◎三森の周囲の景観もきわめて「まほろばの里」的であり、大和三山を彷彿とさせられる。
 だが、大和三山と大きく異なるのは盆地の周囲には冠雪を頂く高い峰々が張り巡らされていることである。果樹園を手前にした越王山の西北方面にはやはり雪をかぶった二つの霊峰が聳えており、まことに神々しい眺めである。[↓ 下の写真]

 このちに進出した古志びとたちも東西の気高い霊峰群に包まれた豊穣が約束できる盆地に立ち、同じく神々しい気分に浸り、丘の頂に祠を建てたのではないか。

 ブログ主が古志びとの面影を偲んでいた地点のすぐそばの果樹園地帯の中に「紅花に女性の眉掃きの面影を感じた」芭蕉の句碑があった(↓ 下の写真)。

 さて、◎◎は地名であるが、漢字を当て嵌めてほしい。また、写真の冠雪を頂いた二つの霊峰の名称は何か? さらに前回記事の写真の沼の名称は如何に? →◆回答は次回記事の下部
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春らしい水辺の風景


 四月になっても何度も雪降りが繰り返された山形でもようやく春らしい陽気になったので、つい先日しばらくぶりで自転車で少し遠くまででかけた。
 自宅から一時間ほど自転車を走らせたところで、二つのなだらかな独立丘陵が目の前に迫り、その二つの丘陵の間を進んだら初めて目にする広々とした沼が現れた。

 さて、この沼はどこの沼であろうか?
 そして、この沼の名は何というのだろうか?

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いったい何に視線が注がれたのか?


 しばらくぶりで某高層ビルの展望室から北の方向を眺めようとした。
 でも、残念ながら山形市街地が途切れた先にある天童市のシンボルの舞鶴山の姿は生憎の雪模様のために霞んで見えなかった。
 少し残念に思っていたところに“ナイスショット”になるものが目に入ったので、思わずカメラのシャッターをきった。
 それは何だろうか?[回答]は一番下の写真を見ていただければお分かりになろう。

 その翌日は同じ山形市内の松尾芭蕉で有名な山寺の某氏のお宅を訪れた。
 懇談しているうちに窓に吹雪が激しく打ち付ける様子が目に映しだされたので、前日に引き続いての断続的な俄か雪という異常気象の様相をカメラに収めたいと思い、玄関を出た。

 しかしあまりにも細かな吹雪なので写真の画面では雪粒が捉えられなかったが、立石寺境内を内包している宝珠山が吹雪のため霞んでいる様子は捉えることができた。

 さらに翌日のことである。山形市中心市街地の裏小路を歩いていたら、またもや激しい俄か雪に見舞われた。昨日の俄か雪とはまた違ったかなりの「ぼた雪」のため、はっきりとレンズで捉えることができた。
 
 それにしても四月に入ったのに、連日の雪模様の日々。しかも僅か2〜3時間のうちに「晴れ、時々雪、雪、時々晴れ」の状態が繰り返される。
 こんな中でかつて子どもたちに人気のあった「晴れ、時々ブタ」という児童書を思い出した。
 これでは雪だけでなく、ブタが降ってもおかしくない異常気象である。

 あっ! 高層ビルの下に“へび”が現れた!
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豪雪の中の山形老舗料亭群を訪ね歩く

 
 前回の記事の二つの写真の場所の回答は下記の通りである。

 上の写真については、霞城セントラル・ビルの展望室から眺めた長谷堂城跡と白鷹丘陵方面である。むろん、手前は山形市の市街地西南部である。
 下の写真は山形駅前大通りであり、右手のビルは十字屋デパートである。

 さて、前回の記事の以前は一か月ほど駒ケ根市や海野宿などの長野県の探訪記となったが、その前後の一月から三月にかけて毎月一回ずつ山形市内の老舗料亭を順次探訪した。
 こんなことを申すと、自他共に「貧乏性」を認めるブログ主が珍しくも豪遊を繰り返したと思われそうであるが、いずれの場合も昼食の時間帯であったので、さほど「すっからかん」になったわけではない。
 山形は明治以降料亭文化が花開いた土地柄であり、それゆえ建造物や庭園などに格式の高さが偲ばれる。しかし、この三軒の老舗料亭はいずれも互いに近距離にあり、近い将来に道路の拡幅計画により風雅な建物や樹木を大きく削り取られることが懸念されている。
 そこで貴重な山形の歴史的遺産を愛するグループの仲間たちにより昼食会を兼ねた老舗料亭の見学会を3回に分けて実施した次第である。
 ところがブログ主は3回ともカメラ持参を怠り、解像度の低い携帯電話機による撮影しかできなかった。冒頭の雪景色の写真(千歳館)と下の同じく雪景色の写真(四山楼)がそれである。二月の「のゝ村」での撮影は失敗であった。

 それぞれの料亭の写真と解説についてはグループの下記ホームページによりご覧いただきたい。
http://www.retorokan.org/contents/history20120115.htm
 ↑ 1月15日 千歳館
http://www.retorokan.org/contents/history20120219.htm
 ↑ 2月19日 のゝ村
http://www.retorokan.org/contents/history20120311.htm
 ↑ 3月11日 四山楼
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しばらくぶりの山形




 信州旅行から帰ってからほぼ一か月になるが、当ブログは信州シリーズが続き、山形の写真が登場するのはまことにしばらくぶりのこととなった。
 それにしても上の2枚の写真を見てどこを写したか即座に言い当てられる山形人はどの程度存在するであろうか。
 山形は文字通りの「山の形」の地帯だから、上の写真が山形市街の周辺の山並みと郊外部であることまではお分かりいただけるとは思うが、方角的に東西南北のいずれの方角なのか、言い当てられるだろうか。
 次の市街地の写真についてなら、かなりの山形人は市街地のどの辺りかは見当がつくのではないか。
 でも、県外の人たちなら、山形にもこんなビル街があるなんて信じられないと言う人もあるかもしれない。
 この写真ではクルマの数が少ないが、クルマの姿が多いと撮影しにくいので、できるだけクルマが少ない瞬間をねらってシャッターをきっているからである。
 ともかく、ヤマガダって、ほっだいザイゴでもないどごなんだズ〜。
  ↑ こんじゃ、ザイゴ弁、まるだすだべず〜。
[通訳]山形って、そんなに田舎でもない所ですよ。これでは、田舎弁丸出しですなあ。

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十二年ぶりの信州訪問(8) 海野宿


 美しい連子格子がついている窓だが、暑い夏の夜など部屋に灯りをつければ、部屋の様子は外から丸見えだからプライバシーも覗かれるなんぞと思うと、現代的発想になってしまう。
 二階の上の煙抜きの小屋根、和風の街灯柱、街路樹・・・いずれもこの街並みを美しくしている。

 海野宿の入口の白鳥神社の巨木がいよいよ近づいた。そろそろお別れ。

 白鳥神社の前から海野宿の優美で落ち着いた街並みを振り返って見つめる。さようなら。また訪れたいなあ。

 しなの鉄道から降りて軽井沢駅で東京行きの長野新幹線を待つ。軽井沢駅はさすがに高原の駅、海野宿の街路ではまったく見られなかった雪がここではびっしり。だが、これでも山形県内での駅構内ほどの積雪ではない。
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十二年ぶりの信州訪問(7) 海野宿

 海野宿のことを小生は「日本のローテンブルグ」と呼んだが(過去記事参照)、それでもここには人が住んでおり、「生きている街」である。ガラス貼りの窓や戸はむろん近代以降のものであり、この建物の場合はむしろ戦後にしつらえたもののようだ。それでも建物の構造自体は伝統型だから、これを「近代和風建築」というのであろう。

 むろん「人が住む街」であり「生きている街」はよいが、やはりこの上の写真のようにクルマの駐車スペースの確保のために街並みが「抜け歯が多い歯並び」のようになっては景観が低下してしまう。そしてクルマの疾走は「音景観」をも台無しにしてしまう。

 間口の広い町屋が多く、往時の繁栄ぶりが偲ばれる。

 海野宿の入口としての白鳥神社の巨木が見える。

 いよいよ次回が最終回になりそう。
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十二年ぶりの信州訪問(6) 海野宿


 山形が主題のブログのはずなのに、すっかり長野県、とりわけ海野宿の紹介のような内容のブログになってしまった。
 それだけ海野宿は魅力的であり、山形など東北地方には伝統的建造物群の地域が少ないので、少々羨ましく思えているということの裏返しと考えていただいてよい。
 ともかくも、もう2回ほどこのシリーズを続けてみたい。

 惚れ惚れするほどの美しい街並み。でも疾走するクルマには戸惑う。

 この水路がさらに潤い景観を向上させている。

 この連子格子の多い町屋の並びの美観にうっとり

 ここにも「卯達」が。「卯達」が上がっていない町屋でもちっぽけな建物は少ない。それだけ、この街は栄えたのであろう。

 またまた、うっとりさせられてしまった。
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十二年ぶりの信州訪問(5) 海野宿


 歴史的建造物が見事に連なっている景観により、まさしく「日本のローテンブルグ」といえそうだが、晩冬の雨模様ということもあり、まことに淋しい雰囲気であった。
 わずかにアメリカ人観光客を伴った3名の姿だけが視野に入った。

 このような建築様式でなければ、土地の人は「うだつが上がらない」人物と陰口されたのかもしれない。つまり、逆にこの建物の建て主は「うだつを上げられた」わけである。
 「うだつ」を漢字で記せば「卯達」となり、一階の屋根の両側の袖壁のことで、防火壁の役割を担っていた。それも次第に豪華な意匠を伴うようになり、富者の象徴と化していた。

 海野宿には個性的な建物が多く、どれ一つとして同じ様式と外観の建物はない。
 左の建物は資料館だが、やはりシーズンオフのためか休館中であった。
 右隣にはごく現代的な住宅があり、建物の前には駐車スペースまで設けられていた。景観阻害かどうかは議論が分かれるところであろう。

[左上]幸いにも開店していた蕎麦屋の座敷の格子窓から通りを眺めた[右上]ここにも現代的様相 侍が現れるような景観の中に真っ赤なクルマが疾走 いくらシーズンオフとはいえ徐行が望まれる[左下]伝統の連子格子を壊さずに窓は現代化[右下]ごく平凡な現代住宅と伝統的住宅が“共存” でも、ここでは圧倒的に伝統型が優勢
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