ちぎれ雲

熊野取材中民俗写真家/田舎医者 栂嶺レイのフォトエッセイや医療への思いなど

日本人の大好きな戦国時代や幕末はIS(イスラム国)の世界に似ているという矛盾

2015-02-08 | ニュース
 ISによる後藤氏殺害のニュースから1週間。実際に何がどう起きていたのかという検証が始まったようですが、それに対して、「もう終わったこと」「行かなければよかっただけのこと」という論調があることには驚かされます。まだ1週間、たった1週間。日本人が平和すぎて思考停止しているのか、それとも、そんな怖いor難しい世界のことは考えたくないという意思表示なのか……。

 池上彰氏が、ハフィントンポスト誌のインタビューで「(ニュースが)『とんでもなく過激で極端な連中がいて、怖い』だけになっている。けれども、それではいけない」と語っていたのには実に同感です。

 池上氏始め多くの知識人の主張は、歴史の流れをふまえた上でISを見なくてはいけないということですが、私はもう一つひっかかることがあるのです。

 現在、少なくともネット上で表示される日本語のIS関連のニュースは、ほとんどが、子供も無差別に無惨に殺戮し、志願兵さえ逃げ出す恐怖の狂った集団という内容ばかりになっています。実際そうなのだろうと思うのですが、それらのニュースを読む度に、私はどうしてもひっかかるものがある。

 それは、日本もまったく同じような時代があったということです。日本人はそれを忘れている。(というか、自分も含めて現代人はその何百年も後に生まれて知らないのだから、忘れているという表現はヘンではありますが)

 反抗する勢力は村ごと殲滅。ことごとく首を切り落とし、火をつける。
 女子供も関係なし。
 恐怖を植えつけるため、見せしめに梟首(きょうしゅ)(=晒し首、獄門)
 磷(はりつけ)(柱や板に縛り付けて掲げ、刺し殺すこと)も。
 男女問わず奴隷にして売買。
 恐怖と暴力による徹底支配。
 
 これ、戦国時代ですね。
 そして、恐怖支配で最も有名なのが織田信長。殺した相手の頭蓋骨を杯にして酒を飲むような人ですから。比叡山で僧だけでなく付近住民女子供関係なく数千人焼き殺し、一揆勢力を何万人単位で虐殺、謀反を企てた家臣の一族郎党女子供500人以上を見せしめに焼き殺し……と、枚挙にいとまがありません。

 でも、現在日本人が最も好きな歴史上の人物が織田信長です。
 戦国時代は、織田信長に限らず誰が武将でも…たぶん武将じゃなくても、上記のようなことは当たり前の世界だったわけですが、日本人、戦国時代も大好きです。

 イスラームの人々から見たら、日本人はISがやっているような世界が大好きで、バグダディみたいな指導者が大好きなんだと思われてしまうかもしれません。それは困る。でも何が違うんだと言われたら、すぐには言葉は出てこないんじゃないかと思います。

(この、日本人が戦国時代に憧れを持っているというのは、ISに志願する若者が少なからずいるという現実と関連すると思っています。後述します)

 日本人が大好きな時代がもう一つありますね。幕末です。
 幕末も梟首(きょうしゅ)の嵐が吹き荒れた時代でもありました。幕末はすでに写真があった時代ですから、検索をかければ、ISがやっているような写真がいくらでもヒットしてきます。敵勢力を梟首(きょうしゅ)で見せしめにすることが、その勢力の自己主張になる。お互い力で支配し合おうとする時代です。

 江戸時代にはキリスト教も弾圧しましたね。どれだけ残酷悲惨かは文献を読めばいくらでも出てくるかと思います。とにかく、為政者が「不適切」と判断を下した異教徒は皆殺し、女子供関係なく焼き殺し、見せしめ。
 ISがヤジディー教徒を弾圧するニュースを目にするたび、あれー日本と同じ……と思ってしまったりします。
 江戸時代の日本、「それではいけない!」と西欧の人々が宣教師を送り込んできます。西欧思想で「救おう」とします。……今のISを取り巻く西欧の状況と似てると思うのは、私だけでしょうか。

 ISとはちょっと離れますが、イスラームの国の中には「名誉殺人」というのがあってよく批判の対象になります。女性がレイプされると、レイプされた女性が100%悪いので罪をきせられる、親族は家の名誉を守るために(家から罪人を出さないために)レイプされた娘を殺す、という、現代日本から見るととても理解できないぶっとんだ悪習慣に見えます。もちろん私も怒りを覚えます。

 しかし考えても見て下さい。レイプされた女性が、操を立てるために自害する、というのは、時代劇の定番なんですよ。NHKの大河ドラマでもしょっちゅう出てきますよ、しかも感動シーン(!)です。陵辱されたのに自害しないと、なんで自害しないんだって責められるんですよ、自害しないのにちゃんとドラマが成り立っていたのって「たそがれ清兵衛」くらいじゃないでしょうか?? レイプされたことを女性の恥・罪として、名誉を守るために自害を迫るって、これ日本なんですよ。もちろん過去のことだけれど、みんなテレビで普通に、べつにおかしいと思わずに見ているんですよ。

 現代でも痴漢や強姦事件があった時に、何故か犯人の方ではなく、被害に遭った女性の方に焦点があり、女性が責められる、貞操を守らなかったことが罪とされる(犯人の方は「元気がある」とかまで言われるのに!)というのは、他国から見たら、イスラームの名誉殺人と何が違うんねん?ということになってしまうんじゃないでしょうか?

 何を言いたいかと言うと、他国のことだからまったく理解できない特殊なことが行われていると思いがちだけれど、実際には自分の国でも似たようなことがある、ということです。自分だけは違う!と思っていても、実は他人から見たら違わなかった、というような。だから、理解不能と断罪するだけでなくて、理解しようとする道はあるんじゃないかということです。「容認する」という意味ではなく、あくまで「理解」です。対抗するもしくは防御するための対策を導くための、理解、です。「こんなにぶっとんで残酷で理解不能です」というニュースばかりでは、日本を守れないんじゃないかと思うのです。

(戦国時代・幕末に憧れを感じる日本人と、IS志願の若者については、改めて続きます)
→続き

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