ライン出版編集部

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ライン(rein)出版編集長の日常と雑感

NHK解説委員からのお知らせです

2011-03-30 21:25:59 | Weblog
NHK解説委員が
避難者が最も多い新潟県で避難所を回って聞きとり調査をし、
その結果を報告しています。

26日に放送されたものとほぼ同じ内容を
下記の解説委員室ホームページで見ることができます。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu/column/index.html

こうした情報を広く伝えることが社会的使命ということで知らせてきたものです。

ぜひとも周囲の方々にお知らせください。

添付資料は、リンクフリーです。

よろしくお願いいたします。


今年のお花見は?

2011-03-30 17:48:23 | Weblog
何とはなしに桜を待つ気分になれなくて。

そりゃそうです、
かかってくる電話やメールは
震災や放射能の話題ばかりですもん。
募金のこともある。
呼びかけ人になってください、とか。

そうしたことと真剣に取り組んでいると
桜のことはそっちのけ、となってしまうのも当然。
それにまだ心も痛めています。

久しぶりに樹林公園の桜並木を通り抜けたら
ポツポツと開花しているのに気づきました。
見る側が暗い気持ちでいたら桜に対して失礼かな
と思ったりしました。

三春の滝桜は地震にびくともせず、
1000年の風格を保っているそうです。
きっと今年も見事に咲くことでしょう。

そうだ!お花見はしよう。
誘いも来ているじゃない。
でもねえ、今週末はまだ寒いよね。

桜情報が入ったら
このブログでも順次お伝えしていこうと思います。

いざとなったら

2011-03-28 16:40:42 | Weblog
使おうと思っているのがこのろうそく。

計画停電はまだ一度も実施されていませんが、
備えに懐中電灯とろうそくを用意しています。

このろうそくを買ったときは
まさかこんなことで使うようになろうとは思ってもみなかった。

「和ろうそくは心にあかりを
金沢大学は科学にあかりをともします」
と印刷してあります。

福島原発のことを知るために

2011-03-28 08:59:30 | Weblog
『現代農業』(農文協刊 1988年9月増刊号)に掲載された記事のコピーを
恩師であるM先生が送ってくださいました。

原発の功罪について
地元密着取材をしたフリージャーナリストにより詳しく書かれています。

20年以上前から今日への危惧が高まっていたとも知らず
電気使い放題、の暮らしをしてきたことを深く反省させられます。

今からでも遅くはありません。
ご希望の方にこのコピーを回覧しますので
ぜひお読みください。


おばあちゃんは両手を膝にのせ、
チョコンと縁側にすわっていた。
「原発サ行くまでは、病気ひとつしたことねかったんだがなァ。
なんでガンなんかになっつまったんだか…」


慰問しました

2011-03-26 20:50:37 | Weblog
いわきからの避難家族が和光に来ていると聞き、
手作りのお菓子やパンを持って訪ねました。

実際会ってみると
いわきではなく浪江から避難してきた方でした。

親夫婦と実娘夫婦の二組ですが、
ご自宅のある浪江町は津波の被害を受けた上に
放射能汚染地区として立入り禁止となっているそうです。

具体的に報道されないけれど、浪江町も被害甚大とのことでした。

避難者のSさんの話によれば、
仕事で東京にいて、
地震直後から家族との連絡が途絶え、
安否がわからないまま陸路渋滞の中を必死で浪江にたどり着いたものの家族には会えないどころか
立ち入り禁止区域のため自宅内に入ることも許されず
和光に住む息子経由で妻と娘の無事と避難先をやっと知ることができ
福島市の信夫山へと向かった…。

運よく会えたのは3日後。
会えたときは言葉にならず号泣。

それから息子を頼って和光市へ。
この道中も大変な苦労が。
食事、トイレ、水…

息子さんの住まいは1Kで5人が暮らすにはとても狭く
妊婦もいるので市役所に相談したら
避難者は福祉センターで2週間だけ受け入れてもらえることがわかり
移動したとのこと。
お風呂も食事も寝る場所も確保できてやっと救われた、と。

そんなSさんを和光出版メディアの会代表のSさんとともに訪ねたのです。

私たちが到着したとき、
新たな住まいが決まって大家さんに挨拶に行っていたSさんが
戻って来て
質問に答えてくださいました。
地震や津波による現地の惨状をとつとつと。
直に聞くと震えがくるほどです。

Sさんの場合、家族と一緒に避難できた点では
幸運なケースといえるかもしれませんが、
お身内や知り合いの中には津波に巻き込まれた方も多く、
手放しでは喜べないご様子でした。

それでも前向きにこちらで再起を考えておられる姿勢に感動を覚えました。

Sさんの話が聞けたことで
これからの救援活動の展望が開けた気持ちです。

救援物資

2011-03-24 08:49:49 | Weblog
いわきの知人が困っているのを知り、
また宅急便が動き始めたこともわかって
食料や薬を送りました。

被災地だと救援物資は届くけれど、
いわきのような屋内待機くらいだと
実情はわかりにくいと思います。

震度5強の地震があった昨朝、
Yさんに電話して安否を確認したあと
食料を送りたいのだけれど県外避難のご予定は?と尋ねたら、
何があってもいわきに残留します、と。

そういう人たちは
身内には心配かけまいとして「大丈夫」と言い、
無理して外出したところで物流ストップのため食料不足、
不十分な暖房にも耐え、
放射能や余震に怯えながら
息を潜めて暮らしています。


こちらから
「送ります」と申し出なければ
「送ってください」とはとても言い出しにくいのでしょう。
そういう土地柄です。

押し付けがましいかもしれないけど食料を送ります、
と伝えると、
遠慮がちに「ひとつだけお願いしてもいいでしょうか」
と、薬を委ねられました。

そんなこと、お安い御用です!

で、ほかには?
切り干し大根を…。

スーパーをはしごして役立ちそうなものをあれこれ選び
好物の大吾のにいくらもちょっと入れ
ダンボールに詰めて
クロネコヤマトに持って行きました。

いわきの場合、集配所止めということで
連絡が来てから
車で小一時間もかかる場所まで取りに行かなくてはなりません。
しかも到着は何日後になるかわからないそうです。

それでもヤマト便の方々は懸命に調べてくれて
できる限りの応対をしてくれました。
この非常時にはとてもありがたく、
感謝の気持ちで一杯になりました。

救援物資が早く届いて
すこしでも現地の人たちの気持ちがほぐれることを願います。

避難退出者も多く、
ゴーストタウンのようになってしまったふるさと。

何かしなければ、
何ができるか、
と、毎日悶々としていたのですが、
わずかでも行動できてよかったです。

ほかに何ができるか模索中です。