『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

龍神啓介出陣式Ⅴ

2018年01月23日 01時26分03秒 | ハレ

塾を始めて3年目に結婚した。式では仲人となった仲間さん、かつての俺の上司が奥さんに「三重県で塾をやってる奴がおってな、いい奴なんやけどいいかげんなとこがあって・・・」 ・・・これは俺の想像だが、そんな感じのことを言ったと思われる。俺には仲間さん、出張で松阪に来た時に呼び出され、「オマエ、付き合ってる人おる?」 「こんないいかげんな塾をやってるいいかげんな男に嫁ぐような物好きな女性はいませんよ」 「そうか・・・実はな、ウチの会社にいい子がおってさ。明るくてしっかり者でさ」 「じゃあ、その女性にしますよ」 「なんやオマエ、一度も会わずに決めるんか」 「仲間さんが勧めるのなら俺は『買い』ですよ」

そんなきっかけで知り合い、三重県に来てくれた奥さんだった。ちなみに上の話に嘘はない。ともあれ、結婚した年に中3だった生徒の家が美杉で旅館をしていると聞いて二人で泊まりにいった・・・『女神館』という名前だったと思う。奥さんと二人の美杉村の思い出はあの少々変わった旅館、それでも手厚くもてなしてくれた生徒のご両親、そして奥さんを「かわいい!」と言った千恵子・・・美杉の竹原から毎日のように今はない古い塾に通ってくれた3期生・・・そこから始まる。

南家城から竹原に入る。いつものことながら竹原の集落が見え始めると気温が2度ほど下がった気がする。君ケ野ダムへ行く道を左折、雲出川にかかる橋を渡ると・・・昔に二人で泊まった『女神館』があった山麓が広がる。ポスターの1枚目は竹原バイパス沿いでないほう、旧道沿いだ。まずは1枚目、そして旧道をさらに進むとバイパスと合流地点に2枚目。

昔は山沿いにうねうねと曲がりくねった道をなぞりながら八知にたどり着いたがトンネルができて恐ろしく速くなった。左手にアネックスホテルが見える。「久しぶりね」と助手席から奥さんの声・・・双子の娘が小さかった頃に家族で泊まった・・・初めての家族旅行のことを思い出したのだ。むろん俺もその時のことを思い出していた。できたばかりのプールがあった。怯える娘たちの手をとって水に入った。

市の美杉庁舎前にまた1枚、これまた旧道を進むと4年前に何度か入った蕎麦屋が左側・・・あの頃に映画『WOOD JOB』の撮影の最中だったはず。店の中には映画に出演している長澤まさみや伊藤英明などのサインが飾ってあった。龍神が市会議員に立候補するかどうか悩んでいた頃でもある。先乗りスコアラーで美杉に乗り込み、誰彼なしに繋ぎを付けようと模索してたのだ。店の大将と、ウチの生徒が26歳で立候補するかもしれないなどと話すなかで、大将が謙順(県会議員)の檀家だと知った。「やっぱり若い人が出てこなくっちゃね。県会議員じゃなかったら応援するからね」と言ってくれた大将。時間があれば蕎麦でも食べながら、「4年待たせたけど、立候補にこぎ着けたよ」と報告したかった・・・しかし時間がない。なにせ美杉37か所にポスターを貼るのだ。

旧道でもう1枚、そこから比津方面に曲がらず直進・・・だんだんと細くなるが、これは慣れた道。一時期、曽爾高原へ連日のように通った道なのだ。塾の生徒たち、そして末娘の様子を見にいったのだ。観光客を装い近づきながら娘を眺めた日々・・・。

逢坂峠を越えて奥津エリアに入る。旧伊勢本街道に出て西へ、途中で右折・・・三多気の桜で有名なエリア。双子の娘たちにとっては初めてのお花見だった。しかし雨・・・「あの時は車の中でお弁当を食べたわね」と再び助手席。しかしうねるような坂道、心細くなるような道幅、途中でやり過ごした黒い車、さらに視界は良くなり道幅は絶望的に細くなり停止。さっきの車が後から追いつき、車から出てきたおじちゃん、「ポスターの方ですか」 正確な言葉使いではないが意味は分かる。「そうですけど」 「実は道が分からなくなりまして・・・」 「いや、俺たちも」 横から奥さん、「地図には掲示板の近くにお寺の印がありますから、あそこじゃない」 指さす方に甍が見える。「じゃあ、後をついて行きますから」 おいおいおい・・・それでも細い道をよたよた進む。・・・あった! ここは最難関やで。

再び旧伊勢本街道に戻り、奈良県をまたいで太郎生を目指す。御杖村の道の駅を横目に・・・やはり俺たちと同じ、ポスター部隊、それも青いウインドブレーカーで統一しているから目立つ一群、それを横目に右折。しばらく北上すると奈良県から再び美杉・・・太郎生エリアに入る。ちなみに『WOOD JOB』でヨキが名張のキャバレーに通う道を走っているわけだが・・・右手には大洞山。

一挙に北上、太郎生のてっぺん、名張市との境目まで・・・ここで1枚。すかさず来た道を戻りながらまた1枚、そして中太郎生・・・旧太郎生き小学校近くに1枚。ここの小学校で教鞭を務めた謙順の話を聞いたのは近くの酒屋の大将だった・・・「青木先生、あの頃は若くてはち切れんばかり・・・元気一杯やったな、そうそう、相撲大会があってな、青木先生はうまかった。子どもたちもなついてて、人気者の先生やったな」 「そりゃ謙順は津高の相撲部で・・・」 「・・・あの頃は、毎日子供たちの歓声がこの辺りに響いてたな」

酒屋の大将に挨拶をと思ったが休みなようで残念。お腹がすいたので御杖村の道の駅へ・・・さっきの一群、まだいる。6人ほどだが弁当かなんかを食べてる。呉越同舟ができるほど大人ではなく・・・痩せ我慢は再びハンドルを握る。伊勢本街道を東へ、もと来た道を戻る。途中でメール・・・武大(26期生・三重大学工学部2年)の親父さんからだ・・・「お疲れ様です。8番とはまたなんとも縁起が良いですね!」 親父さん、近くの掲示板を見て8番だと知ったわけだ。あの地区のポスター担当、だれだっけ。

この辺りじゃ滅多にない信号のある四つ角を南下、川上山若宮神社方面へとプリウスを飛ばす。今回のポスター巡礼で最も南に位置する場所・・・三多気でも痛感したが、この地図がめっちゃ分かりにくい。道沿いではないらしく右往左往、たまたま『しゃくなげ会館』のほうを見た奥さんが叫ぶ、「あそこにある!」

ちなみに美杉町巡礼では、ポスター番号4と7は空いたまま・・・八田さんと長谷川さんね。

北上・・・再び来た道を戻る。なにせ、一筆書きが不可能なのが美杉の真骨頂だ。

 

この稿、続く。

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