猫に腕枕

腎不全の猫と暮らした日々+

思いいろいろ

2016年10月17日 | 猫の思い出話
すっかり涼しく秋らしくなりました。

ゆずが虹の橋に渡って11年が過ぎ、時間薬とはよく言ったもので
ゆずのことでは、後悔のような痛みを伴う思いはなくなりました。
できる治療は全てやって、やり残したことはない、と思えるからかもしれませんが
人間のその思いは、猫にとっては迷惑だったかもしれない…という反省は今もあります。
(病院が好きな猫なんていないのですから)
でも、通院しながらも、ゆずの望むだろう生活(好きな物を食べて毎日土手を散歩する)を
させてあげられた事が良かった思い出として残っているから
今、穏やかに思い出せるのだと思います。
大事なのはQOLだと、特に治らない病気の場合は思うのです。

ゆずは、最初の病院では、暴れてしまって治療を断られるような猫でした。
おまけに、そこの先生から「こういう気の強い子は下手に頑張っちゃって苦しい死に方をするんです」とまで言われて。
あ、なんか腹が立ってきましたよ(-゛-メ)
時を経て心穏やかになったはずなのに、この呪いのような言葉はやはり許せん!
・・・と今でも思ってしまいます。
そんなゆずも、転院先の病院では、先生と看護士さんの技術と優しさのおかげで
長らく暴れることなく治療ができました。
病院は選ばないとダメですね。

何年か前に、ゆずを診て下さった先生の一人、ロマノフ先生が猫友さんの主治医となった事で
先生がゆずのことを覚えて下さっているということを、猫友さんを通してうかがうことができました。
また最近、あるインタビューで、先生が勤務医時代に、
怖がりで入院も採血も出来ないほど暴れてしまって他の病院で診察を断られてきた猫を診た経験から
会話ができない動物達の治療は、それぞれの性格をよく見極めて対応を変えながら、
その子にとってベストとなる治療をする、思いやりを持って接する、を心がけている
と回答されているのを拝読し、何か少し報われたような気持になりました。
死は避けられないことだけど、転院して治療したことには意味があったのかもしれないと。
そして、改めて転院して良かったと思いました。
ゆずが転院した病院で、ゆずを診て下さった先生方はもう皆さん独立されています。
うちにはもう猫はいないのでお世話になることはないけれど
先生方のご活躍を陰ながら心よりお祈りしています。

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コブちゃんのことは、思い出す度に痛みが伴います。どうしても。
後悔がいっぱいあるから。
そして、もう1年も経ったということが信じられないでいます。


こうして写真を見返すと、コブちゃんの甘えん坊っぷりが半端ないこと、


猫大好き、人間大好きで、めちゃくちゃ性格が良かったことがいっぱい思い出されます。


人間の起こし方は、ももちゃんが北風(絶叫目覚まし)だとしたら、コブちゃんは太陽でした。
フワフワの肉球で優しく頬をつついて起こしてくれました。


腎不全対策の高濃度水素水も嫌がることもなくよく飲んでくれました。


可愛いコブちゃん。
良かったことがあるとするなら、もう痛いことも苦しいこともない世界にいるということ。
みんな虹の橋にいるから淋しくないだろうということ。