やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

ムラヴィンスキーのチャイコフスキー

2006-08-09 | 古きテープから


1980年.8.14
エウゲニ・ムラヴィンスキー指揮/レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
会場:レニングラード
ソ連テレビ・ラジオ国家委員会提供の録音。

プログラム:チャイコフスキー/交響曲第5番
                 /交響曲第6番


NHK-FMでの、ムラヴィンスキーの追悼番組でした。
26年前の夏の演奏会の模様です。

前年の来日公演の時、楽員の亡命事件が起こり、それかあらぬか、この圧倒的な演奏にしては、
聴衆の反応が冷ややかなのは、気のせいか、当時のソ連の聴衆はこんなものだったのかー。

勿論、ステージ上の指揮者や楽員も、聴衆も、11年後にはソビエト連邦が崩壊するなど、夢にも思はなかっただらうし、レーニンの名を冠したオーケストラの名が消えるなどとは思ってもゐなかったに違ひありません。

当時、既に77歳のムラヴィンスキーは、自らにも、社会的にも忍び寄ってきたそんな気配を跳ね返すやうに、圧倒的な躍動感と邁進力で二つの大曲を演奏してゐます。
(さういふ意味では、晩年、間延びした演奏に陥ったベームとは好対照です。ところが、何故か、ベームの演奏のテープは5~60本は残ってゐるのですがー)

この日の演奏会の演奏時間をみると、第5番が41’32”、第6番が43’46”
共に、その演奏時間はかなり短いし、実際の演奏も、止まることをしらないそれである。

二つの曲とも、楽章間の休みは殆んどなく、聴衆の咳が始まった途端に次の楽章が始まってゐるといったありさまです。


しかし、この演奏は素晴しい。
ムラヴィンスキーは、完璧にオーケストラをコントロール、ドライブし、有無を云はさせず突き進んでゆく。
如何に早くなっても、如何に強打が続いても、ほとんど、音の乱れはない。
(否、ムラヴィンスキーが楽員に対して、それを許さなかったのでせう!)

もったいぶった弱音から強打への移行なんて(カ○ヤンのやうなー)微塵も考えてゐない。
結果、特に5番の交響曲などは、チャイコフスキーが少し気にしてゐたといふ、全体のバランスや各章の有機的な結合の不備が、見事に白日のもとにさらされてしまふ。

しかし、それでも、それがこの曲なのだ、といふ逆説的な証明の、見事な演奏です。
第5番は、1楽章と終楽章が傑出した演奏です。
無慈悲なまでに、音は激しく、強く、そして、疾走してゐる。

第6番は、終楽章に求めるメランコリックなものは微塵もなく、乾いたラストになってゐます。
勿論、ムラヴィンスキーの指揮である以上、至極当り前の演奏ですが、
かういふ、”突き放した哀しみ”の演奏は、孤高ながら、長く残るやうな気がします。

 

 



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