代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

憲法と赤松小三郎としんぶん赤旗

2017年01月09日 | 赤松小三郎
 先月上梓した拙著『赤松小三郎ともう一つの明治維新 ーテロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)の反響が徐々に出始めています。手前ミソで恐縮ですが、いくつかの反響を紹介させていただきます。
 12月31日の大晦日には、『東京新聞』(特報面)、『信濃毎日新聞』(文化面)、『中日新聞』(長野版)がそれぞれ紹介記事を書いてくださいました。三紙に感謝申し上げます。インターネット書店にもすばらしい読者書評が投稿されています。ありがたいことでした。感謝申し上げます。
 驚きであったのが『しんぶん赤旗』が1月6日の一面のコラム「潮流」で、赤松小三郎と拙著とを紹介してくださったことです。私にとって、たとえ『聖教新聞』が拙著を評価することはあったとしても(それも普通にはありそうもないことですが・・・)、『しんぶん赤旗』が評価してくれるということは全くの想定外でした。
 というのも、拙著において、日本共産党公認の「講座派マルクス主義」による明治維新の解釈を、「皇国史観」と何ら変わらないドグマであると批判しているからです。『しんぶん赤旗』を講読する知人からの連絡でコラムの内容を知った時、純粋に驚きました。また、コラムの内容もすばらしいです。『しんぶん赤旗』に、心より感謝申し上げます。全文は以下のリンク先にあります。一部、引用させていただきます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-01-06/2017010601_06_0.html

「真田丸ブームにわく信州・上田城を訪ねたときのことです。城址(じょうし)公園の一角に、幕末の洋学者、赤松小三郎を紹介する小さな展示館がありました▼何気なく入って驚きました。上田藩の下級武士だったこの人物が、いかに先駆的な考えの持ち主だったか。(中略)
37歳で京都で暗殺された赤松はこれまで歴史の表舞台から隠れてきました。しかし近年、その業績が掘り起こされ、現行憲法の理念を先取りし、立憲主義を説いた人物として光があてられています(中略)
憲法施行70年の今年は赤松の死から150年の節目にあたります。国家が国民を縛る改憲に執着する安倍首相。それがいかに時代の歩みを後戻りさせるものか。歴史の足跡が教えてくれます。」




2017年1月6日の「しんぶん赤旗」1面コラム「潮流」

 お堅いイメージの共産党の幹部の方が、「真田丸」ブームに乗って上田城に観光に来ていたというのも微笑ましいエピソードですし、そのついでにフラッと城址にある赤松小三郎記念館に何気なく入って、小三郎の思想の先駆性を知って驚いたというのも大変興味深い事実です。
 というのも、インテリ左派政党の幹部ともなれば、日本でも有数の知識人ですが、それだけの知識人であっても、真田丸ブームで上田城に来るまでは赤松小三郎の建白書を知らなかったようなのです。まあ、通常の明治維新関係のどの本を見ても普通は出てこないのですから、日本有数の知識人であっても知らなくて当然ではあるのですが・・・。

 拙著の中では、赤松小三郎の存在が維新史において無視されてきたのは、戦前の「皇国史観」も、戦後の歴史研究をリードしてきた共産党系の「講座派マルクス主義史観」も、ともに薩長中心の歪んだ明治維新神話を信仰してきたからだと批判しています。つまり明治維新の解釈が歪められてきた、その責任の一端は共産党にもあるのだと書いたのでした。

 拙著では、自民党の清和会を「長州右派」、共産党を「長州左派」と呼んで、両者とも根は同じとまで批判させていただきました。自民党も共産党も、幕末長州の吉田松陰と松下村塾の政治運動のエートスを継承しているということは、本書を読んでいただければ納得していただけると思います。自民党員にとっても共産党員にとっても、もっとも一緒にされたくないであろう相手と思想的な「根は同じ」と言われるのは心外であったろうと思います。
 
 それにも関わらず、しんぶん赤旗の一面のコラムで拙著が紹介されているのですから、書いた本人としては驚かないはずがありません。
 共産党系の歴史学者の中には、拙著を読めば怒る方も多かろうと思います。その拙著を評価した「しんぶん赤旗」には抗議が寄せられるかも知れません。
 これを機に共産党としても、従来の講座派理論に対する本格的見なおしの動きを活発化させて下さることを、外野の人間として期待させていただきます。



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未完の近代か、近代の終焉か (renqing)
2017-01-13 12:18:19
マルキストであるハーバーマスは、「ポストモダン」はあり得ない、「啓蒙(=近代)」とは「未完のプロジェクト」だと発言しています。

マルクスのビジョンは、資本主義的「近代」を徹底的に推し進めることが、黄昏の資本主義の胎内からそれを克服して登場する新たなる「(マルクスの)社会主義」の歴史的登場を促すことになる、というものです。

それは同時に、誰でもない当の「私」がそれを認識できていること、すなわち「私」が前衛であることそのものがその正しさを保証する。

ヘーゲリアンではない私には不可解なものの考え方ですが、マルクスおよびマルクス主義者の思考回路(=イデオロギー)がこうである以上、資本主義パラノイアのホットな「長州右派」と、クールな「長州左派」であるマルキストたちに事実上の区別はなくなりますね。
新自由主義とマルクスの親和性 (関)
2017-01-15 09:09:14
>マルクスのビジョンは、資本主義的「近代」を徹底的に推し進めることが、黄昏の資本主義の胎内からそれを克服して登場する新たなる「(マルクスの)社会主義」の歴史的登場を促す

 マルクスのこのロジックからいくと、WTOでもTPPでも、市場原理主義を徹底的に推し進めて、我慢の限界を超えたプロレタリア階級が革命に決起するのを待つのがよいということになります。すると、共産党としては下手にTPPを押しとどめるよりも、放置した方が革命的
状況をつくりやすくなるという・・・。
 やはりマルクスって、根本的なところで大きく間違っていると言わざるを得ないです。
長州ルーツとは、なるほど松陰パラノイアック・ミームすなわち前衛性偏執的自己愛症候群なのでしょうか。 ( 睡り葦 )
2017-01-15 18:31:34

 長州藩正義派を受け継ぐ一翼の長州左派たる講座派は明治維新を王政復古の絶対主義革命とし、かたや無宿系の労農派は、いやブルジョア革命であるとして、そこに長州右派を含めて文字どおり全員が、明治維新を「封建社会を打倒し変革した半革命または革命だ」と言っていることになります。

 気の毒にロシア革命のミメーシスとしての二段階革命論をモスクワから押しつけられた尻ぬぐいの理論的カバーを担った講座派による戦前日本社会論の縫い目には、見ますと二つのほころびが出てしまうようです。
 一つは、あの怖ろしい「天皇制」支配のトップに座らされているのは力を一身にそなえた偉大な皇帝ではなく、成人して大元帥の軍服を着せられたお稚児さんであることです。
 二つ目は、社会の基幹階級であるとされる寄生地主層は、農民と封建的関係にあるのではなく、土地を私的所有する地主と農業労働者としての小作人、という近代的関係にあることです。

 重大なことは、土地という生産手段を私的所有する寄生地主が明治維新によって突然発生したわけではなく、江戸時代後期に彼らはすでに事実上重要な社会階層となっていたと思えることです。
 明治維新とは、彼らが封建制という社会の外皮を内から食い破って、戦前社会の公然たる経済的主人公になるためのものであった、とすら言うことができる可能性があると思います。

 明治維新の結果、寄生地主層が議会開設後の衆議院議員の大半を占め、さらに彼らは株式に厖大な投資をして企業の大株主となって金融収入が地代収入をはるかに上回るようになっていたとのこと、また地代や金利借金支払いに行き詰まった小作農民を大量に都市工場労働者として送り出す役割を果たしたわけです。

 すなわち、国内的かつ経済的には、明治維新をあえて革命とすれば「寄生地主革命」であり、これによって経済的支配階級となった寄生地主層が日本の産業近代化・工業化、すなわち大企業経済化、いわば「独占資本主義化」と帝国主義化の経済的金融的背景として存在し、その意味で社会的主人公であったと言えるのではないかと、そういう仮説をこれから追いかけるつもりです。

 このような目からあらためて見ますと、講座派と労農派の日本資本主義論争は本質的に、為にする論議であったような気がします。そこから明治維新を考える手がかりを得ることはできないだろうと。せいぜい、いずれにせよ「封建制打破のための上からの革命または半革命」であったということだけで。

 明治維新と言われるものは、国内政治的には長州アルカイダと薩摩ダーイッシュという職業的武闘派によるテロリズムと軍事クーデターであったわけで、それを成功させた国際的要因動機の存在から、今どきのアングロサクソンお得意のカラー革命の19世紀的嚆矢実験例であったと言うことができようかと思います。
 この政治理念と国家構想なき政変を「資本主義を生み出すためのブルジョア革命」にしたのは、すでに封建的経済関係を脱して私的所有者として近代化していた寄生地主であるということができるのではないでしょうか。

 じつはここで関さんが、今般ご著書の出版によってあらためて本格的に赤松小三郎の国家社会構想の画期的な意味内包をあきらかにされたこと、それが欧米のアイディアのコピー的ミメーシスではなく、真田上田由来の日本の民衆的生活感覚に根ざしたものであり、それが英国の思想との出会いによって洗練され構造化されたものとなっていたこと、さらに現在においてすらなお先進的なものを含む驚くべき創意性を持ったものであったこと、そして何より、当時の歴史的なダイナミズムのなかで広汎な人心をとらえつつあったこと、これを示されたことはきわめて大きな意義を持っています。

 すなわち、明治維新クーデターが赤松小三郎の暗殺によって始まったことがあきらかになったと考えています。
 赤松小三郎が渦の中心にいた公議政体論という政治思想、それを実現しようとする近代議会主義的立憲主義的変革の波を無惨に破壊する反民主主義的政治暴力が、明治維新であったわけです。すなわち「上からの半革命」ではなく「反動的反革命」そのものであったと。

 関さんのご本を読むにつけ、赤松小三郎が、その国家構想を有力諸侯と公議に対して提起するだけではなく、武士以外の広く深くさまざまな層につたえ、理解を得ることができていたら、とどうしても想像してしまいます。
 歴史のIFを考えて現実の本質に迫るべく、「150年」を期してアニメーションか実写映画を企画なさってみてはいかがでしょうか。

 打ち壊しの標的になることを恐れた富裕層(寄生大地主)の撒くお札と餅に酒食によって「ええじゃないか」に導かれてガス抜きされた民衆のエネルギーが、赤松小三郎の構想を政治綱領として体していたらどんなことが起きたでしょうか。
 全国を吹き荒れたという「ええじゃないか」が、じつは歴史を動かす民衆的大運動が発生しえた可能性を示していると思えます。

 赤松小三郎は暗殺されず、薩摩の小松帯刀、公儀の小栗上野介とともに、大商人・大地主を飛び越えて、民衆とともに、その国家構想をさらに進歩させたかたちで実現したのではないでしょうか。

 そして長州は英国在アジア勢力による補給支援のみによって戦うパラノイア・テロリストの本性を暴露したでしょう。彼らの挑発と破壊活動との戦いの中で、日本の政治的統合が、民衆を主要勢力として含むかたちで自然に形成され、真のナショナリズムが生まれたのではないでしょうか。

 国際的には、おりから英国はグラッドストーンの自由主義的政党政治の時期、米国は南北戦争のあとの民主化に向かう時期にあたります。
 最初の世界恐慌である19世紀末大不況(1873年〜 )と1871年のドイツ帝国の成立とパリコンミューンの敗北以降の、世界が帝国主義と戦争に傾斜してゆく前の、短くはあれ「平和的」国際的条件のもとに国内変革をスタートして、明治維新とはかけはなれた全国民的な政治変革と社会変革、同時に欧米のみならずアジアとの連帯協力による国際化をなしとげたはずです。

 そしてその後、特権官僚による密室政治と一体化した利権支配が世を蔽うことはなく、「文明開化」という下卑た欧米化と文化破壊に陥ることなく、不断の侵略戦争のあげくに国土を焦土に化すことはなく、原爆と原発という核の悪魔に取り憑かれることはなく、多数の民衆が収奪と酷使にさらされることはなく、今日の日本とはまったく異なる国にすることができたのではないでしょうか。

「不在地主」とジェントルマン (renqing)
2017-01-16 01:01:02
上記、睡り葦さんがコメントの中で使われている「不在地主」という言葉に違和感が前々からありました。

高校日本史の教科書でも使用されている普通の講座派用語(?)なのですが、どうも私にはしっくりこない。なぜなら、日本史学での使用文脈ではネガティブなニュアンスなのに、イングランド社会の近世・近代を一貫して指導した身分はジェントルマン(貴族+ジェントリ)で、彼らの実態はとどのつまり、「不在地主」階級だからです。

現代のUKのでも、「ジェントルマン」への仄かな憧れは生き続けているのは、「ハリーポッター」の学生生活がパブリックスクールそのままであることにも滲み出ています。

近代日本人は、西欧の近代化、就中、英国の近代史に憧憬の眼差しで見つめ続け、自らのモデルとしてきました。その近代英国をリードしてきた人間が事実上「不在地主」であるのに、なんで自国の同じ階層・階級にこうまでネガティブなのか。

これは、英国近代を推し進めてきたのは「中間的生産者層」という人間類型だという大塚史学の誤解(虚妄?)が災いしているように感じます。

つまり、明治以降の大学アカデミズムで形成されてきたモデルとしての「西欧近代」像に深刻なエラーがありそうだということ。そして、それを思考枠組として、《自国史としての日本史》を裁断してきたことによる二重のエラーが在り、そのひとつの現われが「不在地主」である可能性を否定できないと思われます。

丸山真男の、前近代「である」価値から近代「する」価値へ、というシェーマも同様です。21世紀の現代でさえも、欧州(UKを含む)は社会の基本的価値観は身分の尊重・憧憬という「である」価値です。これが通じないのは、ふるい西欧へ反逆して形成された「する」価値社会の米国だけです。ちっとも西欧社会にフィットしない。

長州右派も長州左派も、重大なエラーを含む西欧像に基づいている訳で、その意味でも同根と言えるでしょう。
「不在地主」→「寄生地主」 (renqing)
2017-01-16 11:15:30
間違えました。

誤「不在地主」
正「寄生地主」

でした。
英国上層階級と江戸期から戦前日本の寄生地主の相違について。 ( 睡り葦 )
2017-01-17 00:55:48

 寄生地主を連呼いたしまして大変失礼をいたしました。
 手もとの世界史受験参考書の叙述にありますように独立自営農民(ヨーマンリー)の産業資本家化を中心に英国の近代化を見るパタンが邪魔をして、金融と貿易のいわゆる「ジェントルマン資本主義」が英国の強さの真の源泉であり、パックス・ブリタニカをもたらしたことを見失なわせるのかと、そのように理解いたしました。

 加えて、おそらく英国の貴族とジェントリに対して、徳川吉宗の時代に公認されて以降急速に増加した寄生地主(すみません)が大きく異なることが、江戸期及び戦前日本の寄生地主(不労地主)に対する偏見をもたらしているのではないかと思います。
 英国の上層階層とくにジェントリーは、地主であるだけではなく領主としての社会的機能、公正を旨とする行政機能を持ち、さらに献身的な戦士(騎士)であったのに対して、江戸期及び戦前の不労地主は、まさに小作料収得者であるのみ、であったからではないでしょうか。

 大石慎三郎『江戸時代』(中公新書、1977年)だけが手もとの典拠なのですが(逆井孝仁氏の論考に触れることができればと思いつつ)、江戸期の不労大地主は飢饉のときには小作争議つまり打ち壊し略奪から領主(藩)の保護を受けられず、自力の財力で懐柔をはかるしかなかったとのことです。
 天明の浅間山爆発による飢饉の際、上州一宮に発した一揆は三塚から上田領に向かうころは三千人の規模になっており、領主の保護、すなわち武力鎮圧を求めた小諸の地主たちに対して小藩の小諸藩は「城を守るのに精一杯、あんたらにかまっておれない」と応じたとか。

 かようにまことに「不遇」だった江戸期の不労地主たちの領主不信は幕末にはピークに達しており、彼らの小作料収入がようやく安堵されたのは明治政府による地租改正において最優遇を受けてからであったとのことです。

 申しわけないことに、英国のジェントリー及び爵位貴族についてはイギリスの産業革命が完成する1820年代に在位した悪名高いジョージ四世が宮殿と離宮に一冊ずつ置いて愛読したというジェイン・オースティンの『高慢と偏見』で触れた以外にはまったく存じません(ローレンス・オリヴィエが出ている映画作品のDVDを持っています!)。NHKで『ダウントン・アビー』を見ればよかったでしょうか。
 『ハリー・ポッター』の原型と言われる、アーサー王伝説ベースの『魔術師マーリン』は全篇動画配信で見ましたけれど、アングロ・サクソンは敵性侵入者として描かれておりまして、英国についてはどうしても夏目漱石のメガネを通じて見てしまうのがつらいところです。

 思い出しますと、休日に遠出をして目にしたお城は無骨な石の城砦ばかりで荒涼としており、その流れのせいか高名な大学の地の建物の壁からは不思議に血の匂いがしました。
 ドリトル先生のモデルになったという美しい小さな村はアヒルがとても可愛らしくすべてが夢のようでしたけれど。

寄生地主とジェントリ (関)
2017-01-19 00:42:49
睡り葦さま、renqingさま

>近代英国をリードしてきた人間が事実上「不在地主」であるのに、なんで自国の同じ階層・階級にこうまでネガティブなのか。

 私は、英国史に詳しくないのですが、英国のジェントリ層って、日本でたとえれば旗本くらいに相当する階層のように思えます。だとすれば、両者、社会的に尊敬を集める知識層といえるように思えます。

 日本の寄生地主制は、江戸から存在したとはいえ、本格的に発達したのは地租改正以降の明治時代だと思えます。土地売買が自由化され、地租を払えなかったり借金を抱えた農民から土地を奪い取っていった、「強欲成金層」と考えてよいと思います。
 私利私欲にまみれた人々だったので、旗本と違って尊敬の対象にはなり得なかったのではないでしょうか。
 寄生地主階級は近代資本主義の産物で、封建的土地制度のもとでの近世期の旗本や諸侯とは全く異なる階層だと思います。

 講座派最大の間違いの一つは、本質的に資本主義的土地所有である寄生地主を「封建遺制」と解釈してしまったことだと思っています。
ありがとうございます。トランプが心配です。しかし、もし。 ( 睡り葦 )
2017-01-19 20:39:16

 気が急いて幼稚な拙考を的はずれに投擲しまして申しわけありませんでした。大石慎三郎氏によれば、寄生地主は「江戸時代後期である化政期にはかなり一般的にみられる存在になっている」とのことでしたので、自分で見たわけではないのにその気になりまして。

 井上勝生氏は『幕末・維新』(岩波新書、2006年)において、明治維新政府大蔵官僚が入会地という共同所有用益地(つまり社会的共通資本)を認めず、その結果、日本農業を停滞させその近代化を阻害したことについて触れています。彼らには入会地が封建的に見えたのでしょう。
 地租改正は租税を公定地価ベースの金納にしたため、その後の松方デフレで税滞納破産した農民の土地がみごとに大地主の手に落ちたとのこと。

 地主問題はそれとして、いわゆるマニュファクチュアが天保期にはじまり、同時に日本の人口が成長し始めたこと(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』講談社学術文庫、2000年)、そして以降商品経済が拡大を続け、特産品に力を入れた多くの藩が企業経営体のようになったこと、これからして、講座派が経済社会の近代化すなわち明治維新の開始を天保期においたということは至当に思えます。
 しかして、日本の近代化に、しかも半近代化のために、なおあのような「維新」を必要としたとは・・・

 「お手本イギリス」といえば、ロンドンに密航留学した長州ファイブは、一体何をイギリスで学んだのでしょうか。議会制民主主義はまったく目に入らなかったと? なにかべつの訓練を受けたのではないかと疑いたくなります。

 できれば、投稿を週末にあらためたいと思いますが、就任式を目前にしてなお信じられないほど手ひどい総攻撃を受けているトランプがひどく気になります。
 知的でお上品なはずのリベラルを先頭にまさに見境なく恥じることもなく、そこまでするというのは、彼の屈服を確信しているか、そうでなければJ.F. ケネディの二の舞に、と。あるいは関東軍まがいにNATOが一気に対ロ戦端を開いて足をすくうのか。

 トランプが斃れたら、そのときこそ、米国の民衆が真に立ち上がるときになること、それを祈ります。
 しかし、なにゆえ皆さん、これほど悪辣な存在が跋扈する惑星に生を受けなければならなかったのでしょう。こちらではいったいなぜ長州がこのように。

今日でも入会地は存在する? (りくにす)
2017-01-20 14:35:21
横からすみません。
2,3年前、たまたま見ていた国会中継で、「入会地」の所有権についての質問があったので驚いたことがあります。
そういう土地は山林として存在するそうですが、権利者が複数で、相続人が都会に出ていたりいなくなったりするので処分もままならないそうです。再開発するにしろ治山事業を行うにしろ権利者を捕まえるのが大変なので民法を変えて何とかしたいという質問でした。
さて、トランプ大統領ですが、就任前から引きずり下ろし運動が起こるなんてふつうではありませんね。
どこまでが良識派で、どこまでが「ソロスによるパープル革命」なのかはわかりません。富豪たちは「新大統領がサンダースでなくてよかった。穏健に下せる」とか思っているのではないでしょうか。
返信おくれてすいませんでした (関)
2017-01-27 17:07:40
睡り葦様、りくにす様

 返信遅れて申し訳ございませんでした。
 寄生地主は江戸期からあったとは思いますが、明治のように歯止めのない収奪ではなかったと思います。「封建制」の枠がかかっていた分、近代資本主義ほど無分別な暴走には至らなかったのでしょう。

>彼の屈服を確信しているか、そうでなければJ.F. ケネディの二の舞に

 CIAや軍産複合体にしてみれば、いまのところ屈服を信じて、トランプの「調略」を試みているという段階ではないでしょうか。調略で落ちなかった場合、その次の手は考えていると思います。恐ろしい・・・・・。
 トランプには、孫子の兵法を活用してほしいものです。CIAを分断して、一方を使って他方を叩き、うまく飼いならすとか・・・・。
 まあ、そのくらいの知恵は持っているだろうと信じたいものですが・・・・・。
 
りくにす様
 入会地はいまもあちこちに残っています。
 明治以来、入会地は個人分割されたり、国有林に編入されたり、市町村有林になったり、生産森林組合のものになったり、財産区所有になった・・・・さまざまな経過をたどりつつ、いまだに入会林のままというものも全国各地に相当あります。

 上関原発の裁判では、神社が中国電力に売却した土地に入会地が含まれていたので違法であるということが、裁判の一つの争点になっています。国会で取り上げられたのも、こういう事例が邪魔くさいと官僚が思っているからかも知れません。

>どこまでが良識派で、どこまでが「ソロスによるパープル革命」なのかはわかりません

 私もよくわかりません。そういえばオリバー・ストーンがトランプを評価していました。ソロスも、トランプ叩きに狂奔するより、もっと他にやるべきことあるでしょうに・・・・。
 

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