代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

改憲策動神社への賽銭拒否宣言 ―長州神道から神道を取り戻す

2016年01月23日 | 長州史観から日本を取り戻す
 本日(2016年1月23日)の東京新聞の特報面の特集は、「忍び寄る『国家神道』の足音」であった。国民を改憲モードに突入させようと、神社本庁や神道政治連盟の働きかけで、各地の神社の境内で改憲のための署名活動が繰り広げられている様子が詳述されている。

 子安宣邦氏(大阪大学名誉教授)は記事のなかでインタビューに答え、次のように述べている。

 「それまでの神道は、私生活の安寧などを願う素朴な信仰だったが、国家神道は天皇への忠誠を核に日本を神聖な国と規定し、国教化により戦前の全体主義を支える基盤になった」。「皇軍」を動員する装置であった。

 



 「国家」神道とは実質的に「長州神道」である。日本最大の右翼団体「日本会議」は、「長州会議」と呼ぶべきであろう。

 前回の記事でも紹介した、堀雅昭氏の『靖国誕生』(弦書房)は、「国家」神道(=長州神道)誕生のいきさつをつぎのように紹介する。
 
 文久3(1867)年7月、長州の神官である青山上総介、天野小太郎、世良孫槌ら5名(堀氏は彼らを「長州神官ファイブ」と呼ぶ)は、「神祇道建白書」を長州藩政府に提出。神仏を分離し、国家と一体になった神祇所の設置を訴えた。廃仏毀釈につながる運動も提案し、神道を国家と一体化させた社会革命を目指したのだと。
 同書によれば、その国家改造計画の具体的な実践が、元治元(1864)年5月25日に山口明倫館で斎行された楠公祭であった。この楠公祭は、「北朝末裔・孝明天皇の否定」を意図した。すなわち「吉田松陰の遺志を継いだ楠公主義者たちは、北朝体制を根底から否定する国家改造論者になっていった。・・・・国家転覆の神事だった」のだ。楠公祭に扇動された長州藩家老の福原越後らは、その直後、京都に進撃し、京都御所を武力で襲撃し、京都を火の海にするという禁門の変を引き起こした。

 「国家」神道を唱えた長州過激派の行為は、彼らの定義におけるもっとも重大な犯罪である「大逆罪」に他ならず、彼らの用語を用いれば正真正銘の「国賊」であった。(ついに孝明天皇はこの「国賊」たちに暗殺されてしまった可能性が高いのである)。

 このボルシェビキ顔負けの過激派たち、大逆罪を犯した連中が、天皇が「現人神」で、日本が「神国」であるなど、笑止千万でしかない。「現人神」だの「神国」だのといった虚妄を振りまいて戦争に突き進み、310万人もの犠牲を生んだのは彼らである。長州神道の改憲策動を放置すれば、ふたたび日本は滅亡の淵に叩きこまれることは明らかである。

 天皇を神格化する人々が、当の明仁天皇の護憲の意志にもっとも反する行為を行い、天皇を苦しめている。
 現在の世相は、長州の過激派連中が、彼らの意に従わない孝明天皇を排除しようとした幕末当時の状況とダブる。天皇の身の上が心配で仕方ない。
 
 私は、今後、改憲を策動する神社本庁に所属するあらゆる神社に賽銭を投じることを拒否する。いつまで? 日本の神道が、長州レジームのくびきから解放され、本来あった地域ごとに多様な信仰形態を取り戻すまでである。また、日光東照宮のような、神社本庁に所属しない神社には賽銭を投じ続ける。もちろんお寺にも賽銭を投じ続ける。
 

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3 コメント

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初めまして、かな。 (忠武飛龍)
2016-01-24 02:26:55
たびたび拝見させていただいてます。

日本会議には、天台宗と、キリスト教系・天台法華系・日蓮系の新興宗教も参加してます。。

http://hbol.jp/28320

http://hbol.jp/28320/日本会議における宗教関係者

ご留意ください。

失礼しました。

ありがとうございます (関)
2016-01-24 23:22:56
忠武飛龍さま

 わたしも度々貴ブログを拝読させていただいておりました。日本会議の情報ありがとうございます。
 日蓮宗は分かるけど、天台宗までは入るのって、びっくりです。日本会議に参加する寺院にも賽銭投じないようにします。
 ありがとうございました。
国家神道 (yamame)
2016-02-24 03:43:57
なにを今頃 気づいているのでしょうかね。このグループは敗戦直後から着々と国家神道でしたよ。呑気に本当の神様かも知れないとお賽銭を投じている人たちにあきれます。神社に行けばそれは分かった筈なのにです。仏教界でも戦争協力した団体がそのまま反省表明もせずに大人しくして居ただけのことです。彼らに本当の反省があれば戦後に別な仕事に変わっています。戦後には身内が戦死した家族が行かなくなり実入りが減った事を嘆いていただけです。国民はお人好しですから追及しなかったのです。

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