代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

多角・無差別のGATT時代の原則に立ち返れ

2017年03月17日 | 自由貿易批判
 トランプ政権は、WTO批判を強め、脱WTOを鮮明にし、貿易問題は、基本的に二国間交渉で個別撃破していこうという方向にシフトしている。トランプ政権にシッポを振ってやってきた安倍首相は、「カモがネギしょってやって来」ているようなものだから、次期USTR代表に指名されているライトハイザー氏が上院公聴会でいみじくも語ったように、「日本農業分野が第一の標的」と言われるまでにされてしまった。
 WTOは、設立から20年で完全な機能不全に陥ったわけだ。
 
 どうしてこんなひどい状況になったのだろう? 結論から言えば、WTOの発足後、国際協調を追求しすぎて、各国の経済主権が侵害されるようになったから、弁証法的に、国際協調そのものが崩壊せざるを得なくなったということだ。極端を志向して中庸の途を踏み外したからだ。国際貿易のシステムは、ウルグアイ・ラウンド以前のGATTのままでよかったのである。

 GATT時代、基本的に各加盟国の経済主権は尊重されていた。GATT時代は、関税自主権も存在したし、どの国にもあるセンシティブ品目(日本のコメのような)については、例外とすることも認められていた。何事も強制はしなかったのである。
 
 各国の経済主権を侵害してまでグローバルスタンダードに従うことを強要するようになったWTOの発足後、国際協調は損なわれていった。WTOこそが、「無差別」で「多角主義」という本来の理念を崩壊させた。その結果、二国間のFTAが横行するようになり、ついには排外主義も台頭するようになった。

 緩やかなGATT時代の貿易の枠組みで基本的に問題はなかった。関税は、国家の財源として、社会を安定化させるため、貿易不均衡を調整するため、必要なものであった。各国の関税自主権をはく奪し、例外なき関税化と関税率の削減を強要するようになったWTOの発足後、国際協調は損なわれた。中庸が失われたからである。

 排外主義が横行し、殺伐とした雰囲気の地獄のような現状から、ふたたび国際協調を取り戻すためには、米国も中国もEUも日本も協調して、行き過ぎたWTO協定そのものを見直していかねばならない。何事も無理強いはせず、各国の経済主権を尊重し、ある程度の関税も許容する、緩やかなGATT時代のルールに戻すことによってこそ、「無差別」で「多角主義」という国際協調の原則は回復されるであろう。

 GATTが掲げていた、「自由・多角・無差別」という三原則の中、関税引き下げや貿易障壁撤廃の「強制」を意味する「自由」は取り除き、「多角」「無差別」の二つを残し、それらの価値の実現を目指すべきなのである。 
ジャンル:
経済
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