代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

水戸学と吉田松陰とテロリズム 水戸学と横井小楠と教育勅語

2017年05月06日 | 長州史観から日本を取り戻す
 前の記事で紹介した吉田俊純著『水戸学の研究 ー明治維新史の再検討』(明石書店)、大変に興味深い内容である。若干の論点を紹介してみたい。

 著者は、水戸学が他藩にどのような影響を与えたのかを考証し、水戸学が明治維新に果たした役割が大きかった事実を論証していく。「水戸学と横井小楠」「水戸学と吉田松陰」「水戸学と長州奇兵隊」・・・・といった具合である。

 「幕末でもっとも開明的な思想家」とも評価される横井小楠と、長州尊攘派のイデオローグ吉田松陰の水戸学の受容の仕方は対照的なのが興味深い。横井小楠は若いころには水戸学に心酔したが、後にその危険性に気付き、それを徹底的に批判するようになる。逆に吉田松陰は、当初は水戸学に批判的であったが、密航に失敗して萩に幽閉されてから、徹底的に水戸学を受容したテロリストになっていくのである。

横井小楠の尊攘テロリスト批判・神道批判

 肥後の横井小楠は、若いころに藤田東湖と交流し、藤田の信奉者になる。しかし、水戸尊攘派が過激化するのを見るにつけ、尊王論と結びついた藤田の「誠」は、手段をわきまえない術策に陥ることは必然であると気づく。小楠は、水戸学の信奉者は「戦国の山師と同様」とまで述べ、尊王攘夷論を批判する。言い換えれば、藤田東湖の「尊王攘夷」とは、「誠」を大義に掲げつつ、そのためには、ありとあらゆる卑劣な手段を講じてもかまわないと考えるテロリズムに帰結することは必定であると批判するようになった。

 水戸学は、儒教道徳と神道を結び付けたところに特徴があるが、小楠その危険性を察知して、神道も徹底的に批判するようになる。1864年には井上毅に対して「神道の害は甚だしく、水戸や長州のような神道を奉じる輩は、君父に向かって弓を引くまでの不埒者となった」と述べている。(『沼山対話』。井上毅は、「神道」を伏字にして紹介しているが、著者によれば、伏字の中に「神道」が入ることは明白である)

 小楠は、『古事記』の神代神話も含めて全て真理と考えるようなカルト思想が、国際正義に背を向けた偏狭な国粋主義、さらに原理主義テロリズムに発展することを悟り、水戸と長州の過激派批判に転じた。そして、「儒教」の中から国際的に通用する普遍性を抽出し、儒教に基づいて西洋帝国主義も批判するという開明的思想家となった。

小楠と教育勅語

 しかしながら、『水戸学の研究』の著者の吉田俊純氏は、小楠の思想の限界性も指摘していて興味深い。すなわち、小楠が神道を批判したとして、水戸学全体を否定したとは言えないからだという。著者は、明治に小楠が生きていたとしても、開明的な方向にのみ進んだとは限らないという疑問を呈し、その根拠として、「教育勅語は、小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって作られたことも、思い起こすべきである」と述べている。

 安倍政権の思想のキーワードでもある「教育勅語」は、国家神道と儒教道徳の混成物で、どちらかというと神道色を薄めて、儒教道徳を前面に出したという点、水戸学的要素がみられる。教育勅語の精神が、軍部の玉砕精神にもつながっているという側面は濃厚である。この教育勅語が、開明的思想家・横井小楠の影響を強く受けた後輩の元田永孚と井上毅によって起草されたという事実は、意味深であると言わねばなるまい。何故そうなってしまったのであろうか? 

吉田松陰の水戸学受容とテロリズム
 
 つぎに吉田松陰を見てみよう。吉田松陰は、密航に失敗する前、佐久間象山門下である当時は、水戸学に批判的であった。ペリー来航時の嘉永6年(1853)には、兄宛ての手紙で、「水戸の老公(徳川斉昭)でも阿部閣老(阿部正弘)でも、海外事情を何も知らないのでは戦の仕様がない」と述べている。安政元年(1854)には、やはり兄宛ての手紙で、水戸の会沢正志斎を批判して、「会沢は『新論』で偉そうなことを述べているが、攘夷だなんだと言ってみても、軍艦の作り方一つ知らないではないか」という趣旨の批判をしている。

 吉田俊純氏の著作には書いていないが、この松陰の言葉は、佐久間象山の水戸学批判をそのまま展開したものであろう。西洋技術を何も知らない水戸学の学者たちが、「尊王だ攘夷だ」と叫んでみたところで、いざ西洋から侵略されれば、何の役にも立たない空言に過ぎないという批判である。
 松陰は象山からそう言われ続けて、オランダ語や物理学など勉強しようとしてみたが、彼は語学も数学も全くダメで、一向に身に付かなかった。彼は思想のセンス的には、完全に藤田東湖的であったのだ。
 松陰に、理系的な素養はなかった。頭では、象山の教えが分かっていても、西洋技術を学ぶセンスは自分にはない。それで悩んで、「ならばアメリカに渡ってしまえ」と考えたのかも知れない。(これも私の推測であるが)
 
 周知のように松陰は密航に失敗して萩に幽閉される。そこで佐久間象山のくびきから逃れることができた。やれ「オランダ語を学べ」、それ「物理学も勉強しろ」、「西洋を知らずして西洋に勝てるか」といった小言ばかり述べる口うるさい師匠が目の前からいなくなったのである。
 
 萩の獄中で、松陰は水戸学の著述をむさぼり読み、また本居宣長の『古事記伝』も読破して、『古事記』に書いてあることは神代の神話も含めて、すべて真理であり、疑うことは許されないと考える国家神道の原理主義者になった。佐久間象山がそれを知れば、唖然として松陰を叱ったであろうが、象山はいない。

 松陰は水戸学と本居学を折衷させて、自己の思想を確立する。そしてついには、「尊王攘夷」の四文字のお題目を唱えれば道は開ける、身は滅びても魂が残ればよいと、と宗教原理主義的な玉砕テロリズムを鼓舞するようになる。かくして、合理的な思考をしていた象山門下時代の吉田松陰とは全く別人のようになってしまった。
 水戸学の思想はテロにつながると危険視した横井小楠の危惧を、まさに体現したのが吉田松陰とその門下生たちであったといえるだろう。

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4 コメント

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吉田松陰の《転向》 (renqing)
2017-05-06 13:15:48
大変興味深い記事、ありがとうございました。

吉田俊純氏の著書は、
『水戸学と明治維新』(2003年、吉川弘文館)
を読んでいましたが、その集大成がご案内の大著なのですね。近々に入手して、私も考えてみたいと思います。

それにしても、松陰の《転向》は、戦時下、「科学的社会主義」の信奉者たちが陸続と《水戸学》に《転向》する姿とダブります。

思想史文脈というよりも、社会学的《幕末youth bulge》との関連を疑わせます。

とても触発される記事で、こちらの頭も動き出した気がします。
水戸は滅びて長州が残った皮肉 (関)
2017-05-06 20:02:35
 『水戸学と明治維新』(吉川弘文館)は、この記事で紹介した『水戸学の研究』を一般向けにコンパクトにまとめた内容のようです。あの本の元になった論文集といった感じだと思います。主張内容は同様と考えてよいかと思われます。

 玉砕主義の水戸が壊滅したように、長州も本来は同じ途をたどるのが必然だったように思えます。しかし、イギリスがテロリストたちに軍事支援してしまったことが日本の運命を狂わせたといえるでしょうか。
 西洋文明に背を向けた国粋主義者たちが、西洋文明の最新鋭の兵器を労せずして手にしてしまったという皮肉・・・・。
 決して彼らが正しかったから勝ち取った権力などではないのに、それを根本的に勘違いしているのが安倍政権と言えそうです。
 
原市之進のテロ未遂 (renqing)
2017-05-07 14:58:21
ブログ主 様
以下、国史大辞典の「原市之進」の項にこうあります。

「文久元年(一八六一)五月東禅寺事件が起って幕府の攘夷派への圧力が強まると、大橋訥庵らとともに老中安藤信正の要撃を謀議した。」

原は、昌平黌に留学した、水戸徳川家で嘱望されたエリートです。その一方で、会沢正志斎に学び、従兄の藤田東湖にも師事しました。後には、慶喜の懐刀として慶喜が徳川宗家を継ぐと「幕臣」目付となり、開国政策を推進しますが、その彼でさえ、テロリストになる寸前だった
過去を有してます。

水戸学の特質だけなのか、それともイスラム過激派テロを連想させるような(アルカイーダなどのテロ実行犯は欧米留学している知的エリートを含む)、社会学的(人口学的)文脈なのか。

攘夷派と公儀派のセクト間の暗闘は、水戸徳川家だけでなく、長州毛利家や薩摩島津家ででさえ(ご著書でご指摘頂いて蒙を開かれました)、この時期どこの家中でも噴出していました。またそれぞれに過激派と穏健派がいて、水戸徳川家など複雑怪奇です。原暗殺の下手人は水戸尊攘過激派でした。

西方キリスト教内部での最大のセクトは、ローマン教会と改革派諸教会ですが、ローマ教会の内部にも多様な会派はありつつ、教皇の下に統一性を保っています。一方、改革派諸教会は教義の微妙な違いで分裂し独立した教会組織になりました。

マルキシズムもその内部のセクト主義は満天下に明らかで、過激派の敵に対するその凄惨なテロリズムはブログ主様の近著でご指摘されているように19世紀の長州テロリズムと酷似しています。

テロリズムの思想というよりは、テロリズムのエートスの解明が必要だと感じます。
下部構造と上部構造 (関)
2017-05-10 23:42:12
>その彼でさえ、テロリストになる寸前だった

 そういえば、かの渋沢栄一でさえ、若いころは水戸学にかぶれて、高崎城襲撃や横浜焼き討ちを計画しています。後年の「日本資本主義の祖」としての渋沢の開明的事業の数々を想起すると、にわかに信じられない思いもしますが、事実です。
 開明的な原や渋沢や横井小楠ですら、若いころは水戸学の影響下のテロリスト予備軍だったわけですから、まさに水戸学恐るべしと言えるでしょう。
 しかし、その誤りに気付いて、そこから脱却した彼らはやはり偉かったと思います。

>社会学的(人口学的)文脈なのか

 長州や薩摩は人口増大地域でしたが、貧しかった水戸は人口それほど増えていないと思いますので、人口学のみでテロの原因を説明するのは難しいと思います。西日本の人口増大地域でもテロ思想に感染しなかった地域もあるわけですから。

 人口という下部構造の要因と、感染力の強い過激テロ思想という上部構造の要因と分けて考える必要があろうかと思います。

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