代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

憲法9条と赤松小三郎の軍事戦略

2013年07月14日 | 赤松小三郎
 今度の選挙が終われば(自民党大勝は確実である)、いよいよ改憲が政治日程にのぼる。もはや待ったなしである。その危機感から、この記事を書くことにした。この記事を書くにあたっては、松下伸幸著『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)に触発されるところも大きかったことを言及しておく。

このままでは九条は変えられる

 先日、大学1年生向けのゼミで、現行憲法の第9条と自民党の9条改憲草案を読み比べ、一人一人に考えさせた上でどちらが良いか聞いてみた。
 母集団は14人で、男子13人、女子1人。

    (1)9条は現在のままでよい・・・・2人
    (2)自民党の9条改憲草案を支持・・・・・10人
    (3)現在のままではよいとは思わないが自民党案もよくない・・・・2人

 
 いまどきの男子学生の意見はだいたいこんなものである。(女子がもう少し多ければ少し変わっただろう)
 学生たちに自民党案をなぜ支持するのか聞いてみた。自民党案の目玉である国防軍の創設を支持する理由に関しては「『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない』という憲法は現状と合致しないから」という意見が多数。

 もう一つの自民党改憲案の目玉である集団的自衛権に関しては学生はよくわかっていなかった。集団的自衛権を説明できず、自民党案の条文のどの部分が集団的自衛権の行使を規定するのかも理解しないまま、なんとなく自民党案を支持しているわけだ。
 「尖閣や竹島を防衛するためには米軍との協調が必要」という意見も出たが、その彼は、竹島や北方領土問題で米軍が日本に味方することは決してないことも理解していなかった。

 比較的よく考えている学生は(3)を選んだ。「現行憲法には自衛権が明記されていないので、自衛権は盛り込んだ方がよい。しかし、自民党の改憲案にあるような集団的自衛権が認められれば、海外での侵略行為まで可能になってしまう。それはいけない」といった意見だ。 

 憲法で集団的自衛権を規定することによって何が起こるか? イラクやアフガニスタン戦争のような米軍による海外侵略戦争に自衛隊も参戦を強いられ、その最前線で自衛隊が市民を殺戮するような行為に加担することを意味する。その結果、日本もテロの標的になり、日本国民の安全もますます脅かされる事態になるだろう。 ― こうしたことが起こり得ることまで話しが及ぶと、ようやく自民党改憲案の危うさに気付き、考えを変える学生も出てくる。

 しかしながら、このまま改憲の国民投票に持ち込まれれば、多くの人々が、上記学生たちと同じように、よく考えないままに自民党案にマルを付けてしまうだろう。選択肢が「現状のまま」と「自民党案」の二つしかなければ、「集団的自衛権ってよく分からないけど、とりあえず自衛のための軍隊は認めた方がいいよね」と安易に自民党案に賛成してしまう人が多いだろう。それだけは絶対に避けねばならない。ならば、「現状のまま」と「自民党案」以外の選択肢も提示して、複数案の中から国民が真剣に考えた方がよい。

赤松小三郎の軍事戦略

  
 日本最初の憲法構想といってよい慶応3年5月の赤松小三郎の建白書は、現代の視点でも、その理想の多くは達成されていない。ゆえに、小三郎の精神を活かす形で日本国憲法を改正すれば、決して「GHQの押し付け憲法」などと言わせない憲法を制定できると考えている。憲法9条にしてもそうなのだ。

 まずは赤松小三郎の軍事戦略を確認しておこう。赤松小三郎の「御改正口上書」の第5条が海陸軍の軍事に関する提案になる。

****************
 小三郎の「御改正口上書」第5条を下記サイトより引用。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/CH1.HTM

一、海陸軍御兵備之儀は、治世と乱世との法を別ち、国の貧富に応じて御算定之事。

 蓋(けだし)兵は数寡(すくな)くして利器を備へ熟練せるを上とす。方今の形勢に準じ候はゞ陸軍治平常備の兵数は都て凡二万八千許、内歩兵二万千許、砲兵四千許、騎兵二千許、他は築造運輸等之兵とすべし。右兵士は幕臣及諸藩より直に用立候熟兵を出し置四年毎に交代せしめ、其隊長及諸官吏は業と人望に応じて天朝より命ぜられ、望に応じて長く勤めしむ。其兵は三都其外要地に在て警衛を職とし、此常備兵之外、士は勿論、諸民皆其土地へ教師を出して平常操練せしめ、且有志之者は長官学校に入て学問せしめ、亦士にても望に応じて職業商売勝手次第行はしめて、往々士を減ずべし。海軍は速に開け難し。先海軍局へ洋人を数人御雇ひ、国中望之者其外合て三千人に命じて長官より水卒迄之業を学ばしめ、業の成立に準じて新に艦を造り亦は外国より買て備ふべし。即今常備之海軍は是迄御有合之御艦に人を撰て乗組を命じ、用立候程に修覆し、砲を増て備ふべし。尚国力之増すに従て兵制を改め、兵備も充分に相増し、殊に乱世には国中之男女尽く兵に用立候程に御備之御所置有之候儀、御兵制之本源に御座候。

*****引用終わり***********

 赤松小三郎は冒頭から、日本陸海軍の建設に際して、「兵士を熟練させ最新の兵器を備えれば、その兵力は極力少なくすることが上策である」と論じる。そして、専守防衛に特化した必要最小限の陸軍兵力はいかばかりかを試算している。その数は歩兵2万2000人、砲兵4000人、騎兵2000人のわずか2万8000人。今日の水準からみても驚くべき少なさである。まさに必要最小限の専守防衛のための軍隊である。小三郎は、平時であればこれで足りると考えていた。

 軍人は最初こそ幕臣や諸藩士より優れた者を選抜するとしているが、「有志之者は長官学校に入て学問せしめ」と有能な者を士官学校で育成する志願兵制度に切り替えるべきとしており、「士を減ずべし」、つまり軍人の中から士族出身者の割合を減らしていくべきだと論じる。

 小三郎は海外に派兵するような軍隊の存在は考えていない。
 小三郎は海軍はにわかには建設できず、「業の成立に準じて新に艦を造」る、つまり工業を振興し軍艦を国産できるようになって、はじめて本格的な海軍の建設が可能になると考えていた。この点、外国からの購入艦のみで連合艦隊を編成した明治政府の方針とは根本的に異なる。

 小三郎が国防支出をギリギリまで削減しようとした理由は、「口上書」の第6条を見れば分かる。第6条では、ヨーロッパから顧問を迎え入れ、諸国(藩)に工場を造り、産業を振興する必要性が論じられている。小三郎は、殖産興業こそが喫緊の課題であり、ここに国の財力を重点的に注がねばならないと考えていた。そのためには国防に多額を費やすことはできない。これは今日に至るまで普遍的な真理である。

 小三郎は、軍事の専門家でありながら、自分の専門分野に利権誘導しようとは全く考えていなかった。現在の日本に跋扈する、自分の専門分野にいかに利権誘導するかに腐心している御用学者たちには、ぜひ赤松小三郎の姿勢を見習ってほしいものである。

 しかし当時の世は帝国主義時代の真っただ中である。いざ戦乱が勃発した場合、小三郎も2万8000人の兵力で事足りるとは当然考えていなかった。戦時にはどうするのか? その回答は最後の行にある。

 「乱世には国中之男女尽く兵に用立候程に御備之御所置有之候儀、御兵制之本源に御座候」

 外国から攻められ戦時になった場合、国中の男女をことごとく徴兵して兵士とし、全国民が一丸となって祖国防衛の任に就くのだと。

 「国中の男女尽く兵に用い」という言葉の持つ意味を考えてほしい。小三郎は、ラディカルな平等主義者であった。身分差別のみならず男女差別も撤廃する。それゆえ、女も戦時となれば兵士となる。
 そのためには、「諸民皆其土地へ教師を出して平常操練せしめ」、つまり一般国民も、在地の藩において、軍事的訓練を行わねばならない。徴兵制ではなく、住民が在地で定期的に軍事訓練を受けることを構想していたわけだ。

 これは真田昌幸の上田領の防衛戦略といってよい。そして真田の防衛戦略は無敵であった。上田藩士・赤松小三郎は、初代上田藩主の真田昌幸の軍事戦略を継承している。

 この赤松小三郎の軍事戦略を、憲法9条に反映させたらどうなるであろうか。
 現行憲法の第9条の1項と2項はそのままにして、3項を新設すればよい。以下の水色の部分のように。 

**************

第九条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

3 前項までの規定は自衛権の発動を妨げるものではない。専守防衛の自衛力は保持する。また、あらゆる平和への努力もむなしく、遺憾にも国土が侵略される事態が生じた場合、日本国民は男女ことごとく武器を取り、国土防衛の任に就く。  

**************
 
 最近、ノルウェー議会が、男女平等主義の立場から、2015年から女性にも一年の兵役義務を課すという、男女平等の徴兵制が布かれることにしたと話題になっている。平和立国ノルウェーにして、平和の維持のためには男女すべてに兵役を課すのだ。(下記記事)

 http://www.afpbb.com/article/politics/2950463/10910004

 赤松小三郎は146年前からこの構想だ。日本も、この点はノルウェーに学んでよいのではないか。

 自分が戦場に立つことなど想像もしないままに憎悪に満ちた差別発言を繰り返し、戦争を煽り立てるネトウヨなど、徴兵して軍事訓練を施した方がよいのではないかと思う。ほとんどのネトウヨは、戦争を煽る割には、いざ戦争が起こったら全く戦力として役に立ちそうにない。何せ、昼夜逆転した不健康な引きこもりが多いから・・・・。太陽の光にあてて訓練してやれば、逆説的だが、少しは心も入れ替わって、戦争を煽り立てることも少なくなるのではないかと思う。

 以上のような憲法「加筆」案によって、最終的に目指すのは日米安全保障条約の廃棄である。日米安保と在日米軍の存在を前提として、米軍の抑止力に期待しながら憲法9条をそのままにという意見は卑怯である。日米安保と在日米軍がある限り、日本は決して平和にはならない。アメリカからの要求は強まり、いずれは米軍の侵略戦争に自衛隊も加担させられていく事は明らかだ。現行憲法に規定する国際平和を希求するのであれば、日米安保条約は不要である。私たちは、日米安保条約が最高法規として憲法の上にも君臨するような状態を拒否せねばならない。


 
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9条 (かも)
2013-07-15 15:17:18
9条に加筆は要りません。
 「日本国民は・・」以下の文言は、自民党の言う国防軍と全くおなじ事になってしまいます。なっぜなら、国防軍とは、権力者が国民に対して、絶対義務として国防に参加することを強制することになってしまうからです。あなたの文言も同じですね。民主主義国家に置いて、国防に反対する自由も国民は保持すべきです。
 何故なら、国家の指導者による誤った戦争に荷担させられてしまう危険を排除できないからです。何故なら、歴史上の全ての侵略戦争は、国防の名の下に行われてきたからです。国を守るという「当然」を疑うことから政治は始められなければなりません。
かも様 (関)
2013-07-19 15:29:27
 ここに書いたのは、あくまでも一つの試案です。9条そのままという案ももちろん尊重します。

>自民党の言う国防軍と全くおなじ事

 これは違います。国防軍はいざとなれば、自国の民衆を抑圧・弾圧するための暴力装置としても機能しますが、赤松小三郎が提起したのは民衆自らが武装する民兵制度です。
 侵略軍に対してもっとも効果的に防衛できるのは、そして最強なのは、国民一人一人が訓練をつんだ民兵になることです。

 他国の制度と比較すれば、スイスの制度に近いものです。永世中立、平和主義を維持しようとすれば、スイスなみのことをしなければならないのかもしれません。

>絶対義務として国防に参加することを強制
 
 地域住民がいざというときに避難訓練、防災訓練をするような感覚です。町内会で防災訓練をしても出席しない住民は多いです。出席は強制されません。

>全ての侵略戦争は、国防の名の下に

 「国土が侵略される事態が生じた場合」と明記してあります。民兵は居住地域を防衛する組織ですから、海外侵略に使われることもあり得ません。

 
日本人の特質から考えて (りくにす)
2013-08-27 17:30:25
地域の人が訓練に参加できない人を非国民扱いしたりするかもしれない。「出席を強要しない」と法律に書いてあっても。
また、民兵組織が住民監視の役割を果たす懸念もあります。
どうしても第二次大戦末期の竹やり訓練、防火訓練のイメージが抜けないのです。
侵略戦争の報復としての空襲が激しかったときと、軍事的緊張が少ない今日とを同じに考えてはいけないのを分かってはいるのですが。
ご心配ごもっともです (関)
2013-08-30 00:23:30
 ご心配な点はごもっともです。

 しかし、対案がないと、「じゃあどうやって防衛するのだ」の一言に押されて、残念ながら自民党案で9条は変えられてしまいそうです。しかし実際には、「防衛」の名のもとに、米軍の侵略戦争に日本が協力するという泥沼の道へと進んでしまいます。
 それを阻止するためには、「護憲論者は防衛のことを何も考えていない」という批判に対抗しながら、対米自立の道を可能にする方策を考えねばなりません。
 自民党改憲案に対抗するためには、集団的自衛権抜きの対案を示す必要があろうと思います。
 これは一つの試案ですが、活発な議論が展開されることを望みます。  
  
近攻か交隣か (りくにす)
2013-09-03 23:08:03
同じような防衛論に、中山治『誇りを持って戦争から逃げろ』があります。この本では「他の国へ自衛隊(国防軍でもいいけど)を派遣せず、敵は自国領で迎え撃つ」べきだとはっきり書いています。いわく、自国で戦争をしたくないから防衛線が朝鮮へ、満州へと拡がってしまうのだ、そして他国の防衛線とぶつかるからどうしても戦争が避けられなくなるのだ、と。この本では日本は永世中立国を目指すべきで、戦争になりそうなら個人は国外に逃げるべきだ、と書いています。個人的には納得できるのですが、「自国で迎え撃つ」という発想が気に入らない人もいるでしょうし、国際貢献が先だという人もいるでしょう。
また、民衆が武装していると関東大震災のときの朝鮮人虐殺のようなことが起こりやすくなるし、アメリカのように銃犯罪が増えないとも限りません。
また、武力以外の戦略はどの程度有効なのか、これも論者によって重みがちがってくるので戸惑うばかりです。
明治の初めに近攻か交隣かで選択を間違えたような感じを私は持っているのですが、たとえば勝海舟の防衛プランがどうなっているか知りたいと思っています。

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