ソウルの街角に人待ち顔で佇む若い女。それに声をかけるかどうか相談する若いふたりの男。日常でもみかけるあやしげな勧誘に似た風景から物語は始まる。男たちは女が自分たちの知り合いではないか? と声をかける。長年所在が知れない娘で、彼女の父親が末期ガンで死の床にあるという。父親に一目、娘を合わせてやりたいためにソウルに探しに来て、いま偶然にも出会ったのだ、と彼らはいう。女は人違いだと否定する。男たちは人違いでもいい、もう時間がない、一緒にバイト感覚でいいから家出した娘に化けて親の死に目に会ってくれないか、と。女はこの胡散臭い話を新手のナンパか勧誘として拒否できただろう。しかし女はわりと簡単にこの強引ともいえる話に引き込まれてしまう。待ち合わせなどまるでなかったがのように彼女は男たちとソウルから旅立つのである。
『アドリブ・ナイト』の冒頭は、このいささか無理のあるナンパ話からスタートする、若い女のロードムービーである。女があまりにも簡単に男たちの話を引き受けている印象が観客側に残るだろう。それも物語の計算になっていて、話の最後までこの女が死んでいく父親の実の娘ではないのか? という疑念が続くように構成されている。一種のサスペンスの挿入だ。
臨終を看取るために集まった親族や知人といった利害関係者たちが、人の死に直面して日常から逸脱した「本音」を晒していくという集団劇が中心になっていくが、女の位置はその集団に巻き込まれるというよりはあくまで遠い位置にいる。彼女は早々とその失踪してしまった娘の部屋に引き上げてしまったり、夜中の散歩にでかけたり、犬をかまったりして、ほぼひとりですごす。この物語が、実は秘密を抱えた(ネタばれになるのでそこまでは書かない ただ冒頭でなぜ安易に女が見知らぬ男たちに付いて行ったのかがラスト近くで納得がいく)女が、彼女の日常から脱して再生する話としても成立したろう。もちろんそう解釈する人も多いのかもしれない。しかしラストで再び、女ははじめに現れたソウルの街角にひとりたたずむ姿を、不安を掻き立てる音楽が流れることで、そのような単純な再生のシナリオは崩れ去る。物語では彼女が秘密にしていた日常も、そしてアドリブで勤めた偽の娘としてのふるまいも、あたかも刹那的に消費されるものとして描かれているようだ。映像の質感とともに孤独だけが際立つ映画であった。
『アドリブ・ナイト』の冒頭は、このいささか無理のあるナンパ話からスタートする、若い女のロードムービーである。女があまりにも簡単に男たちの話を引き受けている印象が観客側に残るだろう。それも物語の計算になっていて、話の最後までこの女が死んでいく父親の実の娘ではないのか? という疑念が続くように構成されている。一種のサスペンスの挿入だ。
臨終を看取るために集まった親族や知人といった利害関係者たちが、人の死に直面して日常から逸脱した「本音」を晒していくという集団劇が中心になっていくが、女の位置はその集団に巻き込まれるというよりはあくまで遠い位置にいる。彼女は早々とその失踪してしまった娘の部屋に引き上げてしまったり、夜中の散歩にでかけたり、犬をかまったりして、ほぼひとりですごす。この物語が、実は秘密を抱えた(ネタばれになるのでそこまでは書かない ただ冒頭でなぜ安易に女が見知らぬ男たちに付いて行ったのかがラスト近くで納得がいく)女が、彼女の日常から脱して再生する話としても成立したろう。もちろんそう解釈する人も多いのかもしれない。しかしラストで再び、女ははじめに現れたソウルの街角にひとりたたずむ姿を、不安を掻き立てる音楽が流れることで、そのような単純な再生のシナリオは崩れ去る。物語では彼女が秘密にしていた日常も、そしてアドリブで勤めた偽の娘としてのふるまいも、あたかも刹那的に消費されるものとして描かれているようだ。映像の質感とともに孤独だけが際立つ映画であった。










