「まあ、うん。どっちの意味だったとしても喜んでくれてるようで何より」
「孝さんもね」
それはキスで喜んでるんじゃないかなあ、とは、言わないでおきまして。
しかしそれにしてもキスといえば――と、結局はすっかりしっかりそちらに意識を奪われてしまっているわけですが――こんなふうにも。
「でも栞、今キスしちゃってよかった?」
「ん? どういう意味?」
「ほら、式の本番まで取っておくとか」
「あっ」
ああ。
「い、いやいや、別に今日のうちで何回目だろうとそれは関係なく特別なキスってことになるわけだしね? それこそ、結婚式の本番っていう特別な場面でするキスなんだから」
「まあ、これ以上追い詰めるようなことは言わないでおくけど……」
気にしないというのであればそれは僕と同意見ということになるわけですが、しかしこれはもう、誰が見たって気にしないわけにはいかない様子の栞なのでした。それこそキス好きである以上は、ってことにもなるんでしょうしね。
というわけで、優しさを見せたというよりは同情の心で以って話題から身を引いた僕だったのですが、するとそんな僕に対して栞は、眉を情けなく八の字にし、これまた同情心をくすぐられるような声色で呼び掛けてくるのでした。
「孝さん」
「はい」
「慰めてください」
「はいはい」
本気で慰めて欲しかったのか、それともそれを口実に甘えに来ただけなのかはついぞ確認することはなかったのですが、ともあれそういうわけでベタベタしていたところ。
コンコン。
と、部屋のドアがノックされたのでした。
「お、とうとうかな」
「こうなったらすっごいキスしてやる。長く深く力強く」
凄まじい意気込みを語る栞に戦慄しつつ、しかしドアの外で待っている人をそのまま放置しているわけにもいかないので、心を切り替えて玄関へと。
「あれ、高次さん」
「はい、俺です」
てっきり四方院の人が呼びに来たのかと思っていましたが――この人も四方院の人ではありますけど、なんてことはいちいち言わないでおきまして――やってきたのは高次さん。僕達と同じく、今日この四方院さん宅で結婚式をあげる三組六名のうちのお一人です。
想定と違う人が現れたにはせよ、タイミングがタイミングです。何か動きがありましたか、とで訊いておくべきなのでしょう……が、しかしまずは。
「何か聞こえました?」
「ん? いや、何も聞こえないけど?」
言いつつ、きょろきょろと周囲を窺う高次さん。どうやら今現在の話と受け取ってくれたようで、ならばこれは一安心ということにしておいて間違いはないでしょう。
何の話かと言いますと、そりゃあ栞の話です。すっごいキスとか何とか、聞かれていたとしたら恥ずかしいでは済まない気がしますしね。たとえ言った本人でなくとも。
「あ、もしかしてお取り込み中だったってことかな?」
「いえいえいえ」
聞かれてはいなかったようですがしかし、見事な推理力を披露してもくださる高次さん。その奥さんを連装させる種類の笑みからして、そりゃあそういう意味で言ってらっしゃるのでしょう。
実行はしていません、していませんよまだ。
「ところで、家守さんは一緒じゃないんですか?」
もちろん話題を変えるためでもあったわけですが、それを抜きにしても気になるところではあるのでした。そりゃあ常にくっ付いて行動しろというわけではないのですが、しかし普段からそんな感じでもあったりするので、ついつい一人でいることが特別に思えてしまうわけです。それに加えて今日はこういう日でもあるわけですしね。
「ああ、その件でみんなの部屋を回らせてもらってるんだけど」
「みんなの? 何かあったんですか?」
「楓が準備に手間取っちゃっててね。会場側の準備はついさっき終わったらしいんだけど――なので申し訳ない、もう少しだけお時間を下さい」
「いやいや、それくらいこっちは全然」
頭を下げてきた高次さんに、僕はついつい返事を慌てさせてしまうのでした。ううむ、なんで謝られてる側のこっちが格好悪いことになっちゃってるんでしょうか。
「ごめんね、こんな日に」
「こんな日だからこそじゃないんですか? こっちだっていろいろありましたし」
栞がキス魔になりつつあったり、というのは冗談としても、アルバムとかお母さんとか。時間をどうこうという話だったら、そのアルバムの件で僕達だけ式の予行で余計な時間を取ってしまったりもしたわけですし。と言っても、他二組がどんな様子だったか知っているわけではないんですけど。
「ありがとう。はっは、そっか。そっちもいろいろあったのか」
「お取り込み中とかそういうんじゃないですよ? くれぐれも」
「失礼しました」
しつこく言い過ぎると却って怪しまれかねなくもあるのでしょうが、しかしそれを踏まえたうえでも二度くらいは言っておきたいのでした。こんな時にそんなことしませんよ、という思いについてはもちろんとして――実行してはいないだけ、かもしれませんが――もう一つ、それ以上の理由として場所が挙げられます。
なんせこの四方院さん宅、今現在顔を突き合わせている高次さんのご実家なのです。まさか人様の家に上がりこんでまでそんなこと、と、そう主張しておきたくなるのが僕だけということはありますまい。
「何の話? お取り込み中って」
噂をすれば何とやら、ということにしてしまうとまるで栞がそうしようとしていたふうになってしまうので、ならばそういうことにはしないでおきまして。
というわけで、栞が現れました。
「あれ、楓さんは一緒じゃないんですね」
現れついでについさっきの僕と同じ質問をしたりもする栞でした。が、僕の場合は話題を逸らすために持ち出した質問でもあったので、それに比べれば栞の質問の方が純粋なものだと言えましょう。言ってどうなるんだという話ではありますが。
「はっは、やっぱり人気者だなあいつは」
回答の代わりにそう言って笑う高次さん。それだけで「あ、孝さんと同じこと言っちゃいました?」と状況を把握できてしまう栞を見るに、改めて「僕達から見て高次さんと家守さんは二人一緒にいるのが前提になっちゃってるんだな」と。
で、という話であるからには、
「いや、逆に家守さんだけが来てたとしても同じこと気にしたと思いますけどね。高次さんいないなって」
という返事をすることにもなるわけですがしかし、高次さんは笑みを浮かべたまま首を傾げてみせるのでした。
「ん、嫁自慢失敗かな?」
「ああ、すいませんそういう魂胆でしたか」
家守さんへの褒め殺し以外でも言っちゃえるんですねそういうこと。と、珍しく一緒にいないことによる発見があったりも。
「はっは、でもまあ今更自慢するまでもないかもしれないけどね。相手が日向くんと栞さんじゃあ」
それこそ最上級の自慢だったりするような気もしますが、ともあれ高次さん、ここいらで話を元へ戻しに掛かるのでした。
「栞さんも出てきてくれたことだし、もう一回謝っとこうかな」
「なんだろね、準備に手間取ってるって」
「うーん……」
言葉の通りにもう一度謝ってきた高次さんが次の部屋へと向かった後、僕と栞は室内に戻って頭を捻っていました。
いや、そんなに気にするようなことじゃないというのはもちろん承知のうえです。さっき高次さんへ言ったように、こんな日だからこそ、というのはあるわけですしね。
とはいえしかし、他にすることもないとなるとそりゃあ、その話が頭の中を占めてもしまうわけで。
「化粧のノリが悪いとか」
「楓さんが準備に手間取ってるって話でそれだとしたら、楓さんは自分でお化粧してることになるね? ウェディングドレスの着付けも自分でやるのかな?」
「ってことになっちゃうか」
軽く流してはみたものの、なんだか微妙に機嫌を損ねたようにも見える栞。はて、深く考えずにポンと出した意見ではあったにせよ、そんなふうにさせてしまうような内容だったでしょうか?
「怖いこと言わないでよう。もしそうだったとしたら私どうしたらいいのさ、お化粧なんてしたことないのに」
「ああ、ごめんごめん」
そういえばそうだったね、なんて言ってしまうとまるで「普段ノーメイクだってことを忘れてしまうほど元がいい」と言っているように聞こえてしまいかねませんし、逆に「普段ノーメイクだってことを忘れてしまうほど栞の顔に興味がない」と言っているようにも聞こえてしまいかねませんし――これはちょっと無理があるような気もしますが――どうしたもんでしょうか僕は。
「大丈夫だよ。そんなこと有り得ないし、そうなったとしてもお母さんに頼めばいいんだから」
結局のところ波風を立てなさそうな物言いに逃げた僕だったのですが、しかし。
「あ、そっか。お義母さんに教えてもらえばいいんだ、お化粧」
「ん? ああ、うん」
というのはまあ、今日に限った話をしているわけではないのでしょう。想定外の展開ではありましたが、いいことに気付いた、と言わんばかりに嬉しそうにしている栞を見てしまうと、話の流れがどうのこうのなんてことは気にならなくなってきます。
「誰かさんのおかげで私も年を取っちゃうわけだし、そうなってから慌てるよりはね」
「コメントし辛いよ栞」
なんせ僕達にとっての「年を取る」というのは特別な現象であって、その特別性を思えば、そのことを後ろ向きに捉えているなんてことはないのでしょうが――というようなことを考えるまでもなく、栞は悪戯っぽい笑みを浮かべ始めているのでした。
「おばさんになっちゃっても一緒にいてくれる?」
「というのを、この後みんなの前で誓うことになるわけでね」
さっきキスの件で嘆く羽目になったばかりでしょうに、と、これもまた冗談ではあったようで、引き続き笑みを浮かべ続けている栞。どうせ甘えてくるならもうちょっとストレートな表現をして欲しいところではありますが、でもまあ、たまにはこういうのも。
そうしてひとしきりにこにこし終えた栞は、その後数秒ほどじっと僕の顔を見詰めた後、「話を戻すけど」と。
「で、どうしたんだろうね? 楓さん」
「うーん……」
深く考えずポンと出した意見であっても、怖いこと言わないでくれと怒られてしまった先程の案以外のものというは、残念ながら僕にはなかなか思い付けないのでした。
「家族かなあ、やっぱり」
僕が何も思い付けないでいることを確認するや、ということなのかどうかは分かりませんが、栞はそう言いました。
しかしそれは家守さんのことだけを考えての発言というわけでもないようで、というのは栞、そう言いながら意地の悪そうな視線をこちらへ投げ掛けていたのです。分かってますよ忘れてませんよ、うちのお母さんの話ですよね。
分かってはいるのですがしかし、分かったうえで相手の誘いに応じるほど器が大きい僕ではありません。
「家族といえば、結局まだ一度も顔合わせてないよね。家守さんと孝治さんのところのご両親」
「あ、そういえば」
ちらっと見る程度であればここへの到着直後、後から来た来賓の皆様を除く全員が集合していた駐車場で見てはいたのですが、その程度のことを顔合わせとはそりゃあ言わないわけで。
その時それだけで済ませてしまったのはうちのお父さんがいろいろと大変だったからで、ならばそれについてはもう解決しているのですが、
「時間があるんだったらご挨拶にでも……と思ったけど、家守さんが忙しいってことならご両親の方もお邪魔はしない方がいいのかな」
その忙しいというのがご両親に関係する話かどうかは分からないわけですが、だからといって直接会ってそれを確かめるというのは、やっぱり避けた方がいいのでしょう。関係していた時どうするんだって話ですしね。
「かもね。部屋自体は多分、私達と同じで別々なんだろうけど」
ふうむ。家守さんの準備が完了したらそのまま式本番だろうし、じゃあ結局はその時になって初めて顔を合わせることになるわけか。それが問題かと言われれば特にそんなこともないような気はしますが、しかしこう、しっくりこないというか何と言うか。
「ってことは私達、初対面の人達にいきなりキスを披露することになるわけだね?」
「なんで似たような発想から全然違う着眼点に行き着いてしまうのかなあ」
まあ土壇場でその事実に気付いてしまうくらいだったら今こうして知らされておいたほうがいい、という話ではあるんでしょうけど、どうもそれを指して「よくぞ言ってくれた栞」と褒める気にはなれないのでした。
「孝さんはどこに行き着いたの?」
「本番で初めて会うことになるのか、で止まっちゃってたよ発想が。その点栞はさすが、ちゃんとその先のことまで考えてるみたいで」
「どうせ褒めるなら褒める時の顔でして欲しかったなあ」
さて僕は今どんな顔をしていることやら。
とまあ、じゃれ合いは一旦これくらいにしておきまして。
「で、じゃあどうする? もう時間までじっとしとく?」
家守さん孝治さんのご両親への挨拶がなしになったからといって、他にすることが全くないというわけでもありません。しかしそもそも、主役があんまりうろうろ動きまわるのは宜しくなかろうという話もありはするわけですしね。
「んー、それもいいかもだけどねえ」
というわけで栞も同意はしてくれたのですがしかし、どうやら他にも思い付くことがあるご様子。
「どうせじっとしとくだけならお義父さんお義母さんのところで、とか、どうかな」
じっとしとくだけで済まなくなるのは間違いないだろうけどね、とは、言わないでおきますが。
「なんか、やっぱり会うのが照れ臭いんだよね。好き過ぎたとか言われた後だと」
「それを克服するためにも」
そりゃまあいずれはそうするべきなのでしょうが、だからといって今日いきなりというのは……ああ、いかんいかん。そう言ってずるずる先延ばしにするパターンだこれ。
「問題が発覚したら即座に解決を図らずにはいられないのだよ孝さん」
「だね。こっちも今そう思ったところだよ」
「あはは、さすが私達」
こういう時に意見が一致するというのは、実にありがたい話なのでした。
いやあ、つくづくいい人がお嫁さんになってくれたもので。
「あれ」
そうと決まれば出発を渋る理由もなく、さっさと両親の部屋へ移動を始める僕達だったのですが――と言っても勿論、照れ臭さから多少足取りが重くなりはするんですけど――そうして部屋を出、廊下に出た直後、栞が何やら発見したようでした。
「おや」
というわけでその栞が向いていた方向を僕も見てみたところ、小学生くらいでしょうか、そこにいたのは知らない子ども達の三人組なのでした。
が、まあしかし、それは別に不思議なことでも何でもないのです。なんせここは旅館ですし、今日ここで式を挙げるからと言って、貸し切りにしたという話も聞いていませんしね。
「他にも来てたんだね、お客さん」
「みたいだね」
まだ顔を合わせていない家守家か月見家の子達、ということもないでしょう。そうだったとしたら駐車場で見掛けている筈ですし、もし招待客の皆さんを乗せた第二便で来ていたとしたら、その第二便の皆さんが話題にしていたでしょうしね。
あの子達と自分達が無関係であると重ねて確認した僕は、ならばそれ以上気にすることもなくそのまま両親の部屋へ向かい始め、そして栞も足並みを揃えてくるわけですが。
「こんにちは」
と、声を掛けられました。他に候補になるような人がいるわけでもなし、ならば振り返るまでもなく、それはその子ども達のうち誰か一人が発したものだったのでしょう。
しかし、振り返るまでもなく、です。つまり僕達が向かっている両親の部屋は子ども達がいる場所と逆方向だったわけで、擦れ違ったというならまだしも、遠ざかろうとしている見知らぬ誰かにそうして声を掛けるものなのでしょうか?
……というようなことを考えている間に振り返る程度の動作は済んでしまうわけで、
「こんにちは」
今度はまっすぐ向かい合うことになったその三人の子ども達に、栞はにこやかに挨拶を返してみせるのでした。
まあ挨拶されただけのことを変に疑って掛かるというのも大人気ないでしょうし、ということで僕も栞に続こうとしたのですが、しかしその直前、ふと頭に浮かぶことがありました。
相手が小さな子どもということで、栞の「こんにちは」はそれに応じた発音――最後の「は」にアクセントを置いたような――だったのですが、それと比較するに、子ども達側の「こんにちは」が大人び過ぎていたような気が……。
というようなことを考えている間に僕も挨拶を返し終えていたわけですが、しかし考えている内容が内容だったので、発音がどっちつかずの不自然なものになってしまったのでした。
「どうかした?」
その妙な発音に対してなのか、それともどうせ僕のことですから戸惑いが表情に出てしまっているのでしょう、栞がそう尋ねてきます。
が、
「ああ、そちらの方はもう気が付かれましたか? もしかして」
と、今度は発音どころか言葉遣いそのものを大人びさせて、三人のうち髪が長めな女の子がそう言ってくるのでした。その声から判断するに、挨拶してきたのもこの子なのでしょう。
正直に言うと、何かに気付いたということはありません。ただ年齢と声色が、そして今それに言葉遣いも含まれることになったわけですが、それらの不一致に疑問を持ったというだけのことで。
「もしかして、大人の方でしたか?」
疑問を持っただけ、ということで栞と僕にそう大きな差があったわけではなく、なので先にそう言ったのは、僕ではなく栞なのでした。
「はい」
同じ子が答えました。ということはつまり、少なくともこの子は幽霊なのでしょう。他二人も同様と見てしまって問題ないようにも思いますが……と、それはともかく。
幽霊は基本的に年を取らない、ということは僕も栞もよく知っていますし、そしてそれとはやや事情が違うにはせよ、大人びた子どもというものには成美さんのおかげで慣れに慣れ切っているので、その返事に納得するに際して戸惑いや驚きは特になかったのでした。
が、しかしその子は――その子、なんて言い方はもうしないほうがいいのかもしれませんが――それに続けて、「私達三人とも」と。
「家守楓さんと同じくらい、ですね」
となるとやはり三人ともが幽霊で、ついでに僕達より年上ということになるわけですが、しかしもちろん注目すべきはそんなところではなく。
「楓さんのお知り合いなんですか?」
「はい。小さな頃からの……って、見た目がこれじゃあこの言い方も変ですけど」
実は大人だったということに戸惑いや驚きがなかったからといって、それでも今会ったばかりの他人であることに変わりはない以上、いきなり自然に接するというわけにもいかないものです。が、しかし栞については、家守さんの名前が出たことに随分と親しみを覚えたようでした。
「で、君らは? もしかして他二組の式を挙げるカップルっていう?」
ここで話者が入れ代わり、今度は男性がそう尋ねてきました。どうして僕達がそうだと思ったか、というのは恐らく若い男女が――と自分で言うのも何ですが――ペアで行動していたからなのでしょう。が、実のところ他の若い方々もほぼ二人一組だったりするので、もしそうだったとしたならその判断基準はあてにならないんですよね。なんだったら三人一組すら存在してますし、と、「なんだったら」で持ってくる例ではないような気もしますけど。
とはいえしかし、その判断基準があてになろうがなるまいが取り敢えずこの場では正解なわけでして、ならば「ああ、はい。そうです」と答えておく僕なのでした。
「となると日向さんか怒橋さんか……いやごめんね、僕ら楓ちゃんから名前しか聞いてなくてさ」
楓ちゃん。なるほどご友人で、と、別に疑っていたわけでもないのに妙に納得させられたりもしつつ、一方で本当に名前しか聞いてないんだな、とも。特には成美さんが、ということになるのでしょうが、話だけでも容易に判別できそうなほど特徴的ですもんね。髪の色やらなんやらで。
「日向のほうです。僕は孝一、こちらは栞」
「初めまして」
こんにちは、の後に持ってくる挨拶ではないような気もしますが、ともあれここで改めて初対面の挨拶を交わすことに。それに次いで結婚を祝福するお言葉も頂戴したところで、その直後。再び話者が入れ代わり、三人のうち最後の一人、最初の人に比べて髪が短い方の女性からこんなお言葉が。
「あの、どこかに向かわれるところだったんですよね? ごめんなさい、引き留めてしまって……」
そういえばそうでした。
と、特に用事があるわけでもなく「どうせすることがないなら」程度の考えで両親の部屋へ向かっていた僕としてはそんな扱いになってしまう話だったのですが、しかしその女性は、その表情からしてどうやら随分と申し訳なく思っているようでした。
「いえ、時間までの暇潰しがてら程度だったんでそう大したことでも」
となればそりゃあ僕からはそんなふうに言う他ないわけですが、しかしここであることに気が付いたのは栞でした。
「あ、そういえば楓さんの準備っていうのは」
「ああ、すいません。それも多分私達のことで」
なるほどそういうことでしたか、と一瞬は納得しそうになったのですが、しかし考えてみるとそれには少々疑問点が浮かびます。
「じゃあ、皆さんは今着いたばかりということで?」
他のお客さん方と同時に到着していたのであれば、こうして予定を遅らせるほど楓さんと会うのに時間を取りはしない――と、そりゃまあ僕が知らない事情なんかがあったりするのかもしれませんが、そう思うわけです。
そしてもう一つ、他のお客さんと同時に到着していたとするなら、異原さん達からその話が出なかったというのも腑に落ちないところではあります。なんせこの方達は幽霊、しかも外見と年齢に著しい差があるということで、失礼な話ではあるでしょうが、顔を合わせていたなら話題には上ると思うのです。
というわけであちらからの返事が気に掛かるところだったのですが、
「はい、ついさっき」
とのことでした。ということは遅れて戻ってきた車が更に一台あったということなのかな、とそんなふうに想像してみる僕だったのですが、しかし。
その辺りを説明してくれたのは、男性の方でした。
「あっちからな。楓ちゃんと旦那さんに迎えに来てもらって」
冗談めかした笑みを浮かべながらそう言いつつ、男性が指差していたのは廊下の天井。
……では、もちろんなくて。
「あ、もしかしてご存じなかった? 楓ちゃんがそういうこと出来るとかって」
「ああ、いえ、知ってます。見たこともありますし」
知ってはいますし見たこともありますが、平然とそれを受け止められるほどの回数ではありません。回数の問題なのか、という話なのかもしれませんが――しかしまあ、この場合比較として持ってこられるのが家守さん高次さんとなると、そこだって気にしないわけにはいかないのでしょう。
「でしたら、お気遣い頂くことはありませんよ。これで結構平和に暮らしてますから、私達」
髪の長い女性がそう言ってくれ、するとそれに続いて栞が、無言ながら肘で軽く小突いてきました。
そうですね、それだけを理由に悲観してみせるというのも失礼な話です。「あっち」側でないとはいえ、現に栞だってこうして――というわけで、
「それに幽霊ってことならお互い様なんだし」
と、男性からはそんなご指摘が。ご尤もで、とそう思わされざるを得ないわけですがしかし、その男性に今度は髪が短い方の女性からこんなご指摘が。
「あ、『日向さん』って確か、幽霊なのは女の人――ええと、栞さん、だけじゃあ……?」
「おっと、そうだったっけ。これは失礼」
すっかり僕自身を蚊帳の外にしてしまっていましたが、そうでした。まあだからこそ失礼を働きそうになってしまったわけで、だったら謝るべきはむしろこちらということになるんでしょうけどね。
「孝さんもね」
それはキスで喜んでるんじゃないかなあ、とは、言わないでおきまして。
しかしそれにしてもキスといえば――と、結局はすっかりしっかりそちらに意識を奪われてしまっているわけですが――こんなふうにも。
「でも栞、今キスしちゃってよかった?」
「ん? どういう意味?」
「ほら、式の本番まで取っておくとか」
「あっ」
ああ。
「い、いやいや、別に今日のうちで何回目だろうとそれは関係なく特別なキスってことになるわけだしね? それこそ、結婚式の本番っていう特別な場面でするキスなんだから」
「まあ、これ以上追い詰めるようなことは言わないでおくけど……」
気にしないというのであればそれは僕と同意見ということになるわけですが、しかしこれはもう、誰が見たって気にしないわけにはいかない様子の栞なのでした。それこそキス好きである以上は、ってことにもなるんでしょうしね。
というわけで、優しさを見せたというよりは同情の心で以って話題から身を引いた僕だったのですが、するとそんな僕に対して栞は、眉を情けなく八の字にし、これまた同情心をくすぐられるような声色で呼び掛けてくるのでした。
「孝さん」
「はい」
「慰めてください」
「はいはい」
本気で慰めて欲しかったのか、それともそれを口実に甘えに来ただけなのかはついぞ確認することはなかったのですが、ともあれそういうわけでベタベタしていたところ。
コンコン。
と、部屋のドアがノックされたのでした。
「お、とうとうかな」
「こうなったらすっごいキスしてやる。長く深く力強く」
凄まじい意気込みを語る栞に戦慄しつつ、しかしドアの外で待っている人をそのまま放置しているわけにもいかないので、心を切り替えて玄関へと。
「あれ、高次さん」
「はい、俺です」
てっきり四方院の人が呼びに来たのかと思っていましたが――この人も四方院の人ではありますけど、なんてことはいちいち言わないでおきまして――やってきたのは高次さん。僕達と同じく、今日この四方院さん宅で結婚式をあげる三組六名のうちのお一人です。
想定と違う人が現れたにはせよ、タイミングがタイミングです。何か動きがありましたか、とで訊いておくべきなのでしょう……が、しかしまずは。
「何か聞こえました?」
「ん? いや、何も聞こえないけど?」
言いつつ、きょろきょろと周囲を窺う高次さん。どうやら今現在の話と受け取ってくれたようで、ならばこれは一安心ということにしておいて間違いはないでしょう。
何の話かと言いますと、そりゃあ栞の話です。すっごいキスとか何とか、聞かれていたとしたら恥ずかしいでは済まない気がしますしね。たとえ言った本人でなくとも。
「あ、もしかしてお取り込み中だったってことかな?」
「いえいえいえ」
聞かれてはいなかったようですがしかし、見事な推理力を披露してもくださる高次さん。その奥さんを連装させる種類の笑みからして、そりゃあそういう意味で言ってらっしゃるのでしょう。
実行はしていません、していませんよまだ。
「ところで、家守さんは一緒じゃないんですか?」
もちろん話題を変えるためでもあったわけですが、それを抜きにしても気になるところではあるのでした。そりゃあ常にくっ付いて行動しろというわけではないのですが、しかし普段からそんな感じでもあったりするので、ついつい一人でいることが特別に思えてしまうわけです。それに加えて今日はこういう日でもあるわけですしね。
「ああ、その件でみんなの部屋を回らせてもらってるんだけど」
「みんなの? 何かあったんですか?」
「楓が準備に手間取っちゃっててね。会場側の準備はついさっき終わったらしいんだけど――なので申し訳ない、もう少しだけお時間を下さい」
「いやいや、それくらいこっちは全然」
頭を下げてきた高次さんに、僕はついつい返事を慌てさせてしまうのでした。ううむ、なんで謝られてる側のこっちが格好悪いことになっちゃってるんでしょうか。
「ごめんね、こんな日に」
「こんな日だからこそじゃないんですか? こっちだっていろいろありましたし」
栞がキス魔になりつつあったり、というのは冗談としても、アルバムとかお母さんとか。時間をどうこうという話だったら、そのアルバムの件で僕達だけ式の予行で余計な時間を取ってしまったりもしたわけですし。と言っても、他二組がどんな様子だったか知っているわけではないんですけど。
「ありがとう。はっは、そっか。そっちもいろいろあったのか」
「お取り込み中とかそういうんじゃないですよ? くれぐれも」
「失礼しました」
しつこく言い過ぎると却って怪しまれかねなくもあるのでしょうが、しかしそれを踏まえたうえでも二度くらいは言っておきたいのでした。こんな時にそんなことしませんよ、という思いについてはもちろんとして――実行してはいないだけ、かもしれませんが――もう一つ、それ以上の理由として場所が挙げられます。
なんせこの四方院さん宅、今現在顔を突き合わせている高次さんのご実家なのです。まさか人様の家に上がりこんでまでそんなこと、と、そう主張しておきたくなるのが僕だけということはありますまい。
「何の話? お取り込み中って」
噂をすれば何とやら、ということにしてしまうとまるで栞がそうしようとしていたふうになってしまうので、ならばそういうことにはしないでおきまして。
というわけで、栞が現れました。
「あれ、楓さんは一緒じゃないんですね」
現れついでについさっきの僕と同じ質問をしたりもする栞でした。が、僕の場合は話題を逸らすために持ち出した質問でもあったので、それに比べれば栞の質問の方が純粋なものだと言えましょう。言ってどうなるんだという話ではありますが。
「はっは、やっぱり人気者だなあいつは」
回答の代わりにそう言って笑う高次さん。それだけで「あ、孝さんと同じこと言っちゃいました?」と状況を把握できてしまう栞を見るに、改めて「僕達から見て高次さんと家守さんは二人一緒にいるのが前提になっちゃってるんだな」と。
で、という話であるからには、
「いや、逆に家守さんだけが来てたとしても同じこと気にしたと思いますけどね。高次さんいないなって」
という返事をすることにもなるわけですがしかし、高次さんは笑みを浮かべたまま首を傾げてみせるのでした。
「ん、嫁自慢失敗かな?」
「ああ、すいませんそういう魂胆でしたか」
家守さんへの褒め殺し以外でも言っちゃえるんですねそういうこと。と、珍しく一緒にいないことによる発見があったりも。
「はっは、でもまあ今更自慢するまでもないかもしれないけどね。相手が日向くんと栞さんじゃあ」
それこそ最上級の自慢だったりするような気もしますが、ともあれ高次さん、ここいらで話を元へ戻しに掛かるのでした。
「栞さんも出てきてくれたことだし、もう一回謝っとこうかな」
「なんだろね、準備に手間取ってるって」
「うーん……」
言葉の通りにもう一度謝ってきた高次さんが次の部屋へと向かった後、僕と栞は室内に戻って頭を捻っていました。
いや、そんなに気にするようなことじゃないというのはもちろん承知のうえです。さっき高次さんへ言ったように、こんな日だからこそ、というのはあるわけですしね。
とはいえしかし、他にすることもないとなるとそりゃあ、その話が頭の中を占めてもしまうわけで。
「化粧のノリが悪いとか」
「楓さんが準備に手間取ってるって話でそれだとしたら、楓さんは自分でお化粧してることになるね? ウェディングドレスの着付けも自分でやるのかな?」
「ってことになっちゃうか」
軽く流してはみたものの、なんだか微妙に機嫌を損ねたようにも見える栞。はて、深く考えずにポンと出した意見ではあったにせよ、そんなふうにさせてしまうような内容だったでしょうか?
「怖いこと言わないでよう。もしそうだったとしたら私どうしたらいいのさ、お化粧なんてしたことないのに」
「ああ、ごめんごめん」
そういえばそうだったね、なんて言ってしまうとまるで「普段ノーメイクだってことを忘れてしまうほど元がいい」と言っているように聞こえてしまいかねませんし、逆に「普段ノーメイクだってことを忘れてしまうほど栞の顔に興味がない」と言っているようにも聞こえてしまいかねませんし――これはちょっと無理があるような気もしますが――どうしたもんでしょうか僕は。
「大丈夫だよ。そんなこと有り得ないし、そうなったとしてもお母さんに頼めばいいんだから」
結局のところ波風を立てなさそうな物言いに逃げた僕だったのですが、しかし。
「あ、そっか。お義母さんに教えてもらえばいいんだ、お化粧」
「ん? ああ、うん」
というのはまあ、今日に限った話をしているわけではないのでしょう。想定外の展開ではありましたが、いいことに気付いた、と言わんばかりに嬉しそうにしている栞を見てしまうと、話の流れがどうのこうのなんてことは気にならなくなってきます。
「誰かさんのおかげで私も年を取っちゃうわけだし、そうなってから慌てるよりはね」
「コメントし辛いよ栞」
なんせ僕達にとっての「年を取る」というのは特別な現象であって、その特別性を思えば、そのことを後ろ向きに捉えているなんてことはないのでしょうが――というようなことを考えるまでもなく、栞は悪戯っぽい笑みを浮かべ始めているのでした。
「おばさんになっちゃっても一緒にいてくれる?」
「というのを、この後みんなの前で誓うことになるわけでね」
さっきキスの件で嘆く羽目になったばかりでしょうに、と、これもまた冗談ではあったようで、引き続き笑みを浮かべ続けている栞。どうせ甘えてくるならもうちょっとストレートな表現をして欲しいところではありますが、でもまあ、たまにはこういうのも。
そうしてひとしきりにこにこし終えた栞は、その後数秒ほどじっと僕の顔を見詰めた後、「話を戻すけど」と。
「で、どうしたんだろうね? 楓さん」
「うーん……」
深く考えずポンと出した意見であっても、怖いこと言わないでくれと怒られてしまった先程の案以外のものというは、残念ながら僕にはなかなか思い付けないのでした。
「家族かなあ、やっぱり」
僕が何も思い付けないでいることを確認するや、ということなのかどうかは分かりませんが、栞はそう言いました。
しかしそれは家守さんのことだけを考えての発言というわけでもないようで、というのは栞、そう言いながら意地の悪そうな視線をこちらへ投げ掛けていたのです。分かってますよ忘れてませんよ、うちのお母さんの話ですよね。
分かってはいるのですがしかし、分かったうえで相手の誘いに応じるほど器が大きい僕ではありません。
「家族といえば、結局まだ一度も顔合わせてないよね。家守さんと孝治さんのところのご両親」
「あ、そういえば」
ちらっと見る程度であればここへの到着直後、後から来た来賓の皆様を除く全員が集合していた駐車場で見てはいたのですが、その程度のことを顔合わせとはそりゃあ言わないわけで。
その時それだけで済ませてしまったのはうちのお父さんがいろいろと大変だったからで、ならばそれについてはもう解決しているのですが、
「時間があるんだったらご挨拶にでも……と思ったけど、家守さんが忙しいってことならご両親の方もお邪魔はしない方がいいのかな」
その忙しいというのがご両親に関係する話かどうかは分からないわけですが、だからといって直接会ってそれを確かめるというのは、やっぱり避けた方がいいのでしょう。関係していた時どうするんだって話ですしね。
「かもね。部屋自体は多分、私達と同じで別々なんだろうけど」
ふうむ。家守さんの準備が完了したらそのまま式本番だろうし、じゃあ結局はその時になって初めて顔を合わせることになるわけか。それが問題かと言われれば特にそんなこともないような気はしますが、しかしこう、しっくりこないというか何と言うか。
「ってことは私達、初対面の人達にいきなりキスを披露することになるわけだね?」
「なんで似たような発想から全然違う着眼点に行き着いてしまうのかなあ」
まあ土壇場でその事実に気付いてしまうくらいだったら今こうして知らされておいたほうがいい、という話ではあるんでしょうけど、どうもそれを指して「よくぞ言ってくれた栞」と褒める気にはなれないのでした。
「孝さんはどこに行き着いたの?」
「本番で初めて会うことになるのか、で止まっちゃってたよ発想が。その点栞はさすが、ちゃんとその先のことまで考えてるみたいで」
「どうせ褒めるなら褒める時の顔でして欲しかったなあ」
さて僕は今どんな顔をしていることやら。
とまあ、じゃれ合いは一旦これくらいにしておきまして。
「で、じゃあどうする? もう時間までじっとしとく?」
家守さん孝治さんのご両親への挨拶がなしになったからといって、他にすることが全くないというわけでもありません。しかしそもそも、主役があんまりうろうろ動きまわるのは宜しくなかろうという話もありはするわけですしね。
「んー、それもいいかもだけどねえ」
というわけで栞も同意はしてくれたのですがしかし、どうやら他にも思い付くことがあるご様子。
「どうせじっとしとくだけならお義父さんお義母さんのところで、とか、どうかな」
じっとしとくだけで済まなくなるのは間違いないだろうけどね、とは、言わないでおきますが。
「なんか、やっぱり会うのが照れ臭いんだよね。好き過ぎたとか言われた後だと」
「それを克服するためにも」
そりゃまあいずれはそうするべきなのでしょうが、だからといって今日いきなりというのは……ああ、いかんいかん。そう言ってずるずる先延ばしにするパターンだこれ。
「問題が発覚したら即座に解決を図らずにはいられないのだよ孝さん」
「だね。こっちも今そう思ったところだよ」
「あはは、さすが私達」
こういう時に意見が一致するというのは、実にありがたい話なのでした。
いやあ、つくづくいい人がお嫁さんになってくれたもので。
「あれ」
そうと決まれば出発を渋る理由もなく、さっさと両親の部屋へ移動を始める僕達だったのですが――と言っても勿論、照れ臭さから多少足取りが重くなりはするんですけど――そうして部屋を出、廊下に出た直後、栞が何やら発見したようでした。
「おや」
というわけでその栞が向いていた方向を僕も見てみたところ、小学生くらいでしょうか、そこにいたのは知らない子ども達の三人組なのでした。
が、まあしかし、それは別に不思議なことでも何でもないのです。なんせここは旅館ですし、今日ここで式を挙げるからと言って、貸し切りにしたという話も聞いていませんしね。
「他にも来てたんだね、お客さん」
「みたいだね」
まだ顔を合わせていない家守家か月見家の子達、ということもないでしょう。そうだったとしたら駐車場で見掛けている筈ですし、もし招待客の皆さんを乗せた第二便で来ていたとしたら、その第二便の皆さんが話題にしていたでしょうしね。
あの子達と自分達が無関係であると重ねて確認した僕は、ならばそれ以上気にすることもなくそのまま両親の部屋へ向かい始め、そして栞も足並みを揃えてくるわけですが。
「こんにちは」
と、声を掛けられました。他に候補になるような人がいるわけでもなし、ならば振り返るまでもなく、それはその子ども達のうち誰か一人が発したものだったのでしょう。
しかし、振り返るまでもなく、です。つまり僕達が向かっている両親の部屋は子ども達がいる場所と逆方向だったわけで、擦れ違ったというならまだしも、遠ざかろうとしている見知らぬ誰かにそうして声を掛けるものなのでしょうか?
……というようなことを考えている間に振り返る程度の動作は済んでしまうわけで、
「こんにちは」
今度はまっすぐ向かい合うことになったその三人の子ども達に、栞はにこやかに挨拶を返してみせるのでした。
まあ挨拶されただけのことを変に疑って掛かるというのも大人気ないでしょうし、ということで僕も栞に続こうとしたのですが、しかしその直前、ふと頭に浮かぶことがありました。
相手が小さな子どもということで、栞の「こんにちは」はそれに応じた発音――最後の「は」にアクセントを置いたような――だったのですが、それと比較するに、子ども達側の「こんにちは」が大人び過ぎていたような気が……。
というようなことを考えている間に僕も挨拶を返し終えていたわけですが、しかし考えている内容が内容だったので、発音がどっちつかずの不自然なものになってしまったのでした。
「どうかした?」
その妙な発音に対してなのか、それともどうせ僕のことですから戸惑いが表情に出てしまっているのでしょう、栞がそう尋ねてきます。
が、
「ああ、そちらの方はもう気が付かれましたか? もしかして」
と、今度は発音どころか言葉遣いそのものを大人びさせて、三人のうち髪が長めな女の子がそう言ってくるのでした。その声から判断するに、挨拶してきたのもこの子なのでしょう。
正直に言うと、何かに気付いたということはありません。ただ年齢と声色が、そして今それに言葉遣いも含まれることになったわけですが、それらの不一致に疑問を持ったというだけのことで。
「もしかして、大人の方でしたか?」
疑問を持っただけ、ということで栞と僕にそう大きな差があったわけではなく、なので先にそう言ったのは、僕ではなく栞なのでした。
「はい」
同じ子が答えました。ということはつまり、少なくともこの子は幽霊なのでしょう。他二人も同様と見てしまって問題ないようにも思いますが……と、それはともかく。
幽霊は基本的に年を取らない、ということは僕も栞もよく知っていますし、そしてそれとはやや事情が違うにはせよ、大人びた子どもというものには成美さんのおかげで慣れに慣れ切っているので、その返事に納得するに際して戸惑いや驚きは特になかったのでした。
が、しかしその子は――その子、なんて言い方はもうしないほうがいいのかもしれませんが――それに続けて、「私達三人とも」と。
「家守楓さんと同じくらい、ですね」
となるとやはり三人ともが幽霊で、ついでに僕達より年上ということになるわけですが、しかしもちろん注目すべきはそんなところではなく。
「楓さんのお知り合いなんですか?」
「はい。小さな頃からの……って、見た目がこれじゃあこの言い方も変ですけど」
実は大人だったということに戸惑いや驚きがなかったからといって、それでも今会ったばかりの他人であることに変わりはない以上、いきなり自然に接するというわけにもいかないものです。が、しかし栞については、家守さんの名前が出たことに随分と親しみを覚えたようでした。
「で、君らは? もしかして他二組の式を挙げるカップルっていう?」
ここで話者が入れ代わり、今度は男性がそう尋ねてきました。どうして僕達がそうだと思ったか、というのは恐らく若い男女が――と自分で言うのも何ですが――ペアで行動していたからなのでしょう。が、実のところ他の若い方々もほぼ二人一組だったりするので、もしそうだったとしたならその判断基準はあてにならないんですよね。なんだったら三人一組すら存在してますし、と、「なんだったら」で持ってくる例ではないような気もしますけど。
とはいえしかし、その判断基準があてになろうがなるまいが取り敢えずこの場では正解なわけでして、ならば「ああ、はい。そうです」と答えておく僕なのでした。
「となると日向さんか怒橋さんか……いやごめんね、僕ら楓ちゃんから名前しか聞いてなくてさ」
楓ちゃん。なるほどご友人で、と、別に疑っていたわけでもないのに妙に納得させられたりもしつつ、一方で本当に名前しか聞いてないんだな、とも。特には成美さんが、ということになるのでしょうが、話だけでも容易に判別できそうなほど特徴的ですもんね。髪の色やらなんやらで。
「日向のほうです。僕は孝一、こちらは栞」
「初めまして」
こんにちは、の後に持ってくる挨拶ではないような気もしますが、ともあれここで改めて初対面の挨拶を交わすことに。それに次いで結婚を祝福するお言葉も頂戴したところで、その直後。再び話者が入れ代わり、三人のうち最後の一人、最初の人に比べて髪が短い方の女性からこんなお言葉が。
「あの、どこかに向かわれるところだったんですよね? ごめんなさい、引き留めてしまって……」
そういえばそうでした。
と、特に用事があるわけでもなく「どうせすることがないなら」程度の考えで両親の部屋へ向かっていた僕としてはそんな扱いになってしまう話だったのですが、しかしその女性は、その表情からしてどうやら随分と申し訳なく思っているようでした。
「いえ、時間までの暇潰しがてら程度だったんでそう大したことでも」
となればそりゃあ僕からはそんなふうに言う他ないわけですが、しかしここであることに気が付いたのは栞でした。
「あ、そういえば楓さんの準備っていうのは」
「ああ、すいません。それも多分私達のことで」
なるほどそういうことでしたか、と一瞬は納得しそうになったのですが、しかし考えてみるとそれには少々疑問点が浮かびます。
「じゃあ、皆さんは今着いたばかりということで?」
他のお客さん方と同時に到着していたのであれば、こうして予定を遅らせるほど楓さんと会うのに時間を取りはしない――と、そりゃまあ僕が知らない事情なんかがあったりするのかもしれませんが、そう思うわけです。
そしてもう一つ、他のお客さんと同時に到着していたとするなら、異原さん達からその話が出なかったというのも腑に落ちないところではあります。なんせこの方達は幽霊、しかも外見と年齢に著しい差があるということで、失礼な話ではあるでしょうが、顔を合わせていたなら話題には上ると思うのです。
というわけであちらからの返事が気に掛かるところだったのですが、
「はい、ついさっき」
とのことでした。ということは遅れて戻ってきた車が更に一台あったということなのかな、とそんなふうに想像してみる僕だったのですが、しかし。
その辺りを説明してくれたのは、男性の方でした。
「あっちからな。楓ちゃんと旦那さんに迎えに来てもらって」
冗談めかした笑みを浮かべながらそう言いつつ、男性が指差していたのは廊下の天井。
……では、もちろんなくて。
「あ、もしかしてご存じなかった? 楓ちゃんがそういうこと出来るとかって」
「ああ、いえ、知ってます。見たこともありますし」
知ってはいますし見たこともありますが、平然とそれを受け止められるほどの回数ではありません。回数の問題なのか、という話なのかもしれませんが――しかしまあ、この場合比較として持ってこられるのが家守さん高次さんとなると、そこだって気にしないわけにはいかないのでしょう。
「でしたら、お気遣い頂くことはありませんよ。これで結構平和に暮らしてますから、私達」
髪の長い女性がそう言ってくれ、するとそれに続いて栞が、無言ながら肘で軽く小突いてきました。
そうですね、それだけを理由に悲観してみせるというのも失礼な話です。「あっち」側でないとはいえ、現に栞だってこうして――というわけで、
「それに幽霊ってことならお互い様なんだし」
と、男性からはそんなご指摘が。ご尤もで、とそう思わされざるを得ないわけですがしかし、その男性に今度は髪が短い方の女性からこんなご指摘が。
「あ、『日向さん』って確か、幽霊なのは女の人――ええと、栞さん、だけじゃあ……?」
「おっと、そうだったっけ。これは失礼」
すっかり僕自身を蚊帳の外にしてしまっていましたが、そうでした。まあだからこそ失礼を働きそうになってしまったわけで、だったら謝るべきはむしろこちらということになるんでしょうけどね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます