(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十二章 前夜 五

2011-08-02 20:55:38 | 新転地はお化け屋敷
 冗談じみた話だったということは僕も理解はしていますが、しかし一から十まで冗談だということでないのも分かっています。だったらば――ううむ、照れなくてもいいじゃないですか、的なことを言っておいた方がいいのでしょうか。
 けれどそうした真面目な話然とした対応というのも、それはそれで栞さんを追い詰めてしまいそうな気がします。追い詰めると言ってもじゃれ合いみたいなものですけど。
「ふあ」
 何を言ったらいいのか分からなかったので、代わりに栞さんの頭を撫でてみました。すると栞さん、間の抜けた顔で間の抜けた声を。
「何ですかその反応」
「いや、予想外過ぎて」
 まあ分からないでもありません。僕からしたっていま頭を撫でたのは「代わり」でしかなく、つまりは正当なリアクションではなかったんですし。
「そこはもう自分でも擁護のしようがないですけど、でももう僕に頭撫でられて驚かれるってこともないんじゃないですか?」
「いきなりでなければね、そりゃあね? 今だってほら、続けて触られることは別になんともないわけだし」
 そのようで。
「じゃあ例えば――こうくん、朝起きたら私がいきなり逆立ちしてたりしたら、驚かない?」
 なんかいろいろ違いませんかそれ、今起こったこととは。驚くかどうか……うーむ、ぎりぎり驚くでしょうか?
「栞さん、逆立ちなんてしたらスカートひっくり返りますよ?」
「起きた直後だから私だってパジャマだよ!」
 間違いなく問題にすべきはそこじゃないわけですが、反応はしてくれるのでした。
「ていうか栞さん、逆立ちできるんですか?」
「ちょっとくらいは」
「おお、見たいです見たいです」
「今スカートだよ!」
 うむ。
 頭を撫でられ続けながらもスカートを力強く抑えた栞さんは、しかしある瞬間、すっと顔色を落ち着かせるのでした。
「……なんでむしろ私のほうが驚かされてるんだろう」
「そもそも驚かすとか驚かされるとかの話になってること自体が変な気もしますけどね」
「それについてもこうくんのせいなんだけどね」
「そうなんですけどね」
「…………」
「…………」
 すると栞さん、僕の膝の上へ腰を下ろしてきました。
 それ自体はままあることなのですが、しかし「お前のせいだ」という意思の表れなのでしょう、その移動はまるで椅子取りゲームでもしているかのように高速なのでした。なので正直、ちょっぴり驚いてしまいました。
「どうしたの?」
「いえ」
 今の今まで意地の悪い態度だったというのにあっさり意趣返しされてしまった、というのが何だか気恥ずかしかったので、強がっておきました。まあ意趣返しと言っても、栞さんにそのつもりがあったかどうかは定かでないのですが。
 何を言われたわけでもありませんが、その際になんとなく、栞さんの頭を撫でる手を下ろしておきました。
「それにしても栞さん、今更ですけど、割と運動神経いいんですね」
「え、なんで?……もしかして、逆立ちが出来るってだけで?」
「あと泳ぎも上手いですし」
 これまた気恥ずかしいので言わないでおきましたが、僕は逆立ちができません。正確には、壁に足を掛けたりせずに逆立ちの姿勢で静止することができない、ですけど。
「泳ぎのほうは、まあね。自分でも自信がある部類に入るよ」
「清さんに勝っちゃってたくらいですもんねえ」
「あはは、速さだけだけど」
「前に行った室内プールもいいですけど、やっぱり海とか行ってみたいですねえ。ちゃんと、そういう季節に」
 それはもちろん遊びたいという願望が主題ですが、しかし副題に「栞さんの水着姿がまた見たい」なんてのも、やっぱり入っています。男ですもの、そりゃそうです。
 しかし僕がそんなふうだったというのに、
「……そうだね」
 栞さんのその返事はどこか、静かなような重苦しいような、そんな雰囲気を孕んでいました。
 もちろん、今は本来であればそういった装いで話をする時間です。明日のことや、少し前に101号室で家守さん高次さんと話したことを思えば。なので、そのことに驚きはしませんでしたが――。
 ついさっきまで栞さんの頭を撫でていた手。それを栞さんは掴み上げ、いつもの傷跡の跡へ触れさせました。
「明日で一区切りだって考えたら、これが区切る前の最後。海でもどこでも、それにいつでも一緒にいられるように、明日は頑張らなきゃだから――」
 驚きはしませんでしたが、しかし僕はその栞さんの弱った様子に、強く心を揺さぶられてしまいました。
 そりゃあ、揺さぶられもするでしょう。僕はそのために今ここにいて、そのために栞さんを膝の上に座らせています。そのためだけに存在している僕がそれに揺さぶられないでどうするんだ、という話です。
「いつもみたいに、頼らせてもらっていい?」
 言われるまでもありませんし、言うまでもありません。
 なので僕は何も言わず、ちょっと痛いかもしれないくらい、強く栞さんを抱き締めました。
「今ちょっと思ったんだけど」
 痛いかもしれない、という部分については全く触れることなく、栞さんが話しかけてきました。そしてその後、傷跡の跡に重ねられた僕の手に自分の手を重ねつつ、こう尋ねてきます。
「こんなふうにここを触ってもらうのって、そのうち頼まなくなっちゃったりするのかな」
「僕に頼らないって意味でですか?」
「ううん、頼る必要がなくなるって意味で。必要だったら我慢はしないよ、もう。約束する」
 今だって我慢はしなかったわけですし、それについてはもう心配する必要はないようでした。
 で、本来の質問内容についてです。そりゃあずっとこれが続くなんてふうには僕だって思っておらず、いずれはしなくなるのでしょう、こういうことは。
 けれどそれは自明なこと。わざわざ尋ねるようなことではない気がします。と、いうことは?
「近々の話ですか? それ」
「そうなるかもしれないってだけだけどね」
 積極的な肯定ではありませんでしたし、近々というのが具体的にどれくらいの期間を指しているのかもはっきりとはしていませんが、しかし少なくとも、否定はされませんでした。
「生活自体もそうだけど――もし結婚を許してもらえたら、意識面のほうでもいろいろ変わってくるだろうからさ」
 意識面。変わりはするだろうけど具体的にどう変わるのかまでは分からない、というのが僕の素直な意見です。けれどこう言ってくる以上、栞さんには何かしらあるのでしょう。結婚後、自分はこうなるだろうという予想が。
 もちろん、今の時点ではそれも予想でしかないわけですが。
「ほら、『病める時も健やかなる時も』ってやつ、あるでしょ? こうくんがああいう人になってくれるんだなって。こんなふうに触ってもらわなくていいくらいに近い関係の人っていうか」
 今の僕は、傷跡の跡に触れて勇気付けたり慰めたりしてあげられる存在、といったところでしょうか。それが結婚後は、傷跡の跡に触れるまでもなく勇気付けたり慰めたりしてあげられる存在になる、とのこと。近々という話でしたから、結婚したらすぐにというわけでもないんでしょうけど。
 傷跡の跡に触れるまでもない。そりゃあちょっとくらいは寂しい気分になったりはしますが、けれどやっぱり、それよりは嬉しい気持ちのほうが大きいのでした。
「それにもしかしたら、私自身が今よりしっかりするっていうか、こう、強くなって、そもそもこんなふうに優しくしてもらう必要がなくなるとか」
 今度は勇気付けたり慰めたり自体が必要なくなる、という話。そこまで来てようやく、寂しさと嬉しさが半々くらいなのでした。
「うーん、それはさすがに素直には喜べないというか。申し訳ないうえに恥ずかしい話ですけど、ちょっと寂しいです」
「大丈夫だと思うよ、自分でもそこまでになるとは思ってないから。それにもしそうなっても、寂しいなんて絶対に思わせないし」
「おお、言い切りますね」
「今までのこと考えるとやっぱり、ねえ? 今みたいに甘えさせてもらうのだってしょっちゅうだし、だから私、多分そこは変わらないと思う。――あはは、どっちかっていうと短所なんだろうけどね、甘えたがりって」
 笑いながら、そして楽しげに身体を揺らしながら、栞さんはそう言いました。
 …………。
「お互い様ですから気にしないでください、そこは」
 それは、栞さんと同じく笑い話として言うつもりの台詞でした。でもそのつもりで発した筈の自分の声色に、あれ? と。
 そしてそれは、栞さんにも伝わってしまったのでしょう。
「うん」
 直前までの笑い話に則した雰囲気は完全に引っ込み、僕の手に重ねた自分の手へきゅっと力を込めさえしながら、静かにかつゆっくり、栞さんは頷きました。そして身体を横に向け、そこから更に顔を横に向けることで、真っ直ぐにこちらを見詰めてきます。
「こうくんのそういうところ、大好き」
 ――よくもまあ、こんな自分勝手で強引な部分なんかを。
 少しの間だけそのまま見詰め合った僕と栞さんはその後、どちらからともなく、唇を寄せ合いました。
 唇が離れた後、その直前に思ったことをそのまま伝えてみたところ、「そこを好きになれない人はこうくんのこと自体、好きになれないと思うよ」と笑われてしまいました。
 確かにそうだろうな、なんて自分でも思ってしまうのでした。

 それから少し経って、各々が風呂に入り終えた後。
 あとはすることも特になく、なのでもう寝てしまうだけです。普段よりちょっと早い時間なのは否めませんが、明日のことを考えれば、ちょっとでも早く寝ておいて損はないのでしょう。
 けれどそうして明日のことを考えれば考えるほど眠れなくなるというのも、また事実。
 そして眠れなくなるという事実を体感しているということは、僕は既に布団の中で横になっているわけです。電気も消し、隣の布団では栞さんも同じく。
「もう寝た?」
 小さな声が、すぐ隣から。
「いえ」
 二人揃って起きているなら僕まで小さな声になる必要はないのでしょうが、しかしなんとなく、同じくらいの声で返事をしておきました。
 繰り返しますが、寝るにはまだちょっと早い時間です。普段通りの声を出したとして、近所迷惑になるということもありません。周囲が真っ暗なので、そうと錯覚してしまいそうにはなりますが。
「よかった」
 引き続き小さな声で、栞さんは言いました。
「まだ何か話したいこととか?」
「ううん、そういうわけじゃないけどさ。一人だけ起きてるって、なんとなく不安になっちゃいそうだし」
「ああ」
 その気分は僕にも分かりました。真っ暗で何も見えない中にいると、自分の心がより一層強く自分を支配するというか――ああ、なんか大仰な言い方になっちゃいましたけど、結局はあれなんですよね。怖い映画を見た後に眠れなくなるっていう。
 まあしかし眠るためには目を閉じるわけで、だったら、どうやったって暫くは真っ暗な中にいなければならないわけです。もちろん今は電気を消しているわけですが、電気を消す消さないに関わらず。
「それで、そのー……」
 栞さん、何やら言い難いことがあるようでした。がしかし、繰り返しになりますが、僕は今の栞さんの気分が分かるのです。
「どうぞ」
 僕は掛け布団を持ち上げ、栞さんをこちらの布団へと招きました。真っ暗なので目には見えにくいでしょうが、音なりなんなりで栞さんもそれは理解できたことでしょう。
「お邪魔します……」
 未だ言い難そうにしていましたが、果たして栞さん、僕の招きに応じてくれたのでした。これで「そういうつもりじゃない」とか言われたらかなり恥ずかしかったところですが、一安心です。
「さっき『これが最後』とか言ってたのに、ちょっと後ろめたかったりもするんだけどね」
 こちらの布団、そして同時に僕の腕の中にも飛び込んできた栞さんは、そうするなりそんなことを言ってきました。
「いいじゃないですか。これ、傷跡の跡とは別件ですし」
「まあそうなんだけどね」
 というわけでそれは、さっき傷跡の跡を触った時の話でした。明日を一区切りとすればこれが区切る前の最後、という。
 この布団移動の件も元を辿れば傷跡の跡に行き着く話なのでしょうが、そこまで細かいことに拘ることもないでしょう。どのみち僕は、頼られればそれに応えるのみなんですし。
「あ、でももし僕の方から触りたいってことになったらどうしましょう?」
「え? あ、いや、そうなったらそれは全然問題ないよ?」
 僕が胸の傷跡の跡に触れるということ。それは栞さんが僕を頼った場合に起こることなのですが、しかし、その場合にしか起こらないということでもありません。栞さんから何を言われずとも僕の方から触りたい、と思うこともままあるのです。
「どうする?」
「いや、今はいいんですけどね」
「そっか」
 真っ暗ですが、この至近距離です。声色、雰囲気、そして息使いから、栞さんがふんわりと微笑んだことは感じ取れました。
 すると栞さん、続けて「じゃあ」ともう一言発したのち、もぞもぞと移動。それが終わるまで待ってみたところ、こちらの胸に顔をうずめていたのでした。
 ならばと僕はその頭を緩く抱き留め、そこへ自分の顔を押し付けたりも。風呂に入った後だからということもあるのでしょうが、その髪からはとてもいい匂いがしました。
「このまま時間が止まって明日が来なかったとしたら、こうくん、どう思う?」
「それもいいかもしれませんね」
 栞さんから質問が出ましたが、心地よさに気持ちが緩んでいるせいか、考える前に言葉が口から滑り出してしまいました。
「私もそう思う」
 緩み切った気持ちでは危機感すらまともに機能してくれなかったのですが、幸いにも、栞さんの答えも同じなのでした。
 けれど、
「でも、そうはならないんだよね」
 そう付け加える栞さんは、それまで以上にぎゅっと僕へ抱き付いてきました。
「このままずっとってわけにはいかないんだよね」
 言い切った言い回しではありましたが、しかし僕にはそれが、僕に同意を求めているように聞こえました。
 そしてどう聞こえようが、答えは決まっています。時間が止まるなんてことは有り得ないのですから。
「そうですね」
 明日のことは不安です。しかし時間が進む以上、時間が進めば進むだけ、僕と栞さんはより一層に強くお互いを必要とするでしょう。
 結婚。たとえ書類上の手続きが発生しない口約束でしかないものだとしても、だから僕と栞さんは、そうしなければならないのです。ならなくてはいられないのです、夫婦というものに。
 腕の中の栞さんの温かさ。それだけでも充分幸せだというのに、それだけではいられないっていうのも考えてみれば変な話だなあ、なんて思いながら、僕は栞さんと笑い合いました。


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