(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十二章 前夜 四

2011-07-21 20:41:27 | 新転地はお化け屋敷
「もちろん、絶対にアタシの言う通りにしろなんてことは言わないよ。今の話を聞いた上でもしぃちゃんとこーちゃんが『ベストな結果』を取りに行くならそうしてもらって構わないし、アタシと高次さんもそれに従う形で手伝う。でも」
 耳が痛い、どころか頭が聞くことを拒否したがっている話ではありましたが、しかし「でも」と続く以上、まだ話は続きます。僕は、そして栞さんも、それを聞かなくてはなりません。不可避であるという意味でも、必要であるという意味でも。
「失敗しても依頼料は変わらないからね?」
 それが、どういう意味で発せられた言葉であったか。
 僕でもさすがに、金銭面の問題でしかない、なんてふうには思えませんでした。これまでどれだけ認識が甘かったにしても、ここまで来れば。来てしまえば。
 どういうわけか家守さんと高次さんから目を逸らすのに強烈な抵抗を感じたのですが、しかしそれでも僕はなんとかかんとか、自分の首と目を栞さんのほうへ向かせました。
 すると栞さんもこちらを向いていたわけですが、その険しい視線に込められたものが不満なのか不安なのか、一目では判断できませんでした。
「どうする? 相談してもらっても構わないよ、当然」
 視界の外から家守さんの声が。たったいま目を逸らすことに抵抗があった筈なのに、今度はそちらを向くのに同等の抵抗を感じてしまいます。
 しかし、栞さんと相談してもいいという話。ならば栞さんのほうを向き続けていても不自然ではない――というのはもちろん逃げの口実なのですが、今見るべきが家守さんでなく栞さんであることは事実。僕はそのまま、栞さんの顔色を窺い続けました。
 栞さんも僕のほうを見続けていました。その目は変わらず険しいものを湛えたままでしたが、しかしある瞬間、それまでの険しさから別の険しさに移り変わったように思えました。
 そして栞さんは、家守さんと高次さんのほうを向き直りました。
「意見は変えません」
「いいんだね?」
「はい」
 それは、僕を無視して話を進めた、ということではないのでしょう。もしそうだとするなら僕のほうを向いた意味が全くなく、そして僕の意見も、栞さんが今言ったことと全く同じだったからです。つまり栞さんは僕も同じ意見であることを確信し、だから相談をしても結果は同じだと、そういう判断を下したのでしょう。
 ……とはいえ。家守さんへの反発からそうした、という面が全くなかったというわけでもないのだろうなと。こういう状況です、それが悪いと言うつもりはさらさらありませんけど。
「分かった。じゃあアタシ達もそのつもりで動くってことで」
「はい」
 答えたのは栞さんだけだったのに、家守さんも高次さんも、僕にまで確認を取るということをしてきませんでした。僕に声を掛けないまま返事をするという栞さんの行動を尊重した、ということになるのでしょう。良くも悪くも、ということではあるんでしょうけど。
「こんなことわざわざ言う必要もないんだろうけど、一個だけ言っとくね」
 改めて話し始めた家守さんは、少しだけ表情が和らいでいました。
「こーちゃんのご両親にケチをつけるってわけじゃなく――無理解なところからスタートだからね? 相当酷いことを言われたりするかもしれないけど、それは覚悟しておいたほうがいいよ。全部話すってことなら尚更」
 和らいだ表情の割には厳しい内容でしたが、しかし改めて窺ってみても、家守さんの表情が和らいでいるのは見間違いでも気のせいでもありませんでした。
『はい』
 僕と栞さんの返事は完全に同タイミングで、すると家守さん、今度は少しどころでなく表情が和らぎ、それは「にっこり微笑んでいる」と表現するに差し支えがないほどなのでした。
「……まだもうちょっとだけ訊いときたいことがあるんだけど、少し休憩にしよっか。お茶でも汲んでくるよ」
 確かにまだ急がなければならないほど夜遅いわけでもないけど、それにしたって急な提案だなあ。――こちらの返事を待たないまま台所へ向かってしまったところが、そんな感想をより強いものにさせてくるのでした。
「高次さん」
「いいのいいの」
 要件を伝える前から却下されてしまいましたが、高次さん、家守さんを追わなくてもいいんでしょうか? 考え過ぎかもしれませんけど、その、家守さん、もしかしたら。
「今はいいんだよ、日向くん」
 今は。……そういうことですか。ならばもう、しつこくは言いません。
 ――戻ってくるまで少し間があったりするんだろうか、なんて思っていたのですが、家守さんは無意識的に想像される「お茶を組んでから戻ってくるまでの時間」に適った時間で、戻ってきたのでした。
「こーちゃんの作戦を真似したみたいだねえ。お昼ご飯を挟んで一息っていう」
「真似って言われるほど高尚なものでもないですけどね。むしろちょっとずるいというか」
 そんなふうに言ってみたところ、家守さんはやや笑顔。やや、ということでなんだか半端な笑みだったのですが、はて、何か引っ掛かることでもあったでしょうか?
「ずるい、ね」
 高次さんが復唱してきました。こちらは家守さんと違い、普段通りの笑みで。
 そりゃまあずるいと思ったからずるいと言ったのですが――ん? ずるい、ずるい……。
 あ。
 気付いたことがあり、その気付いた内容に応じて栞さんのほうを見てみると、こちらも家守さんと同じように半端な笑み。ただし家守さんより更に、「引っ掛かってる」感の強い笑みなのでした。半分以上笑っていないというか。
 家守さんの提案を断ってまで、両親には全て話すと決めた僕達でしたが、しかし結局、他のところで既にずるい手段を取るつもりだったのです。これを通しておきながら何故、家守さんの提案は断ってしまったのでしょう。実際に断った栞さんはもちろん、僕だって。
 ずるさの度合いの問題。唯一浮かんだ答えはそんなものでしたが、しかしそれは、思い付いたところでむしろ逆に後ろめたくなってしまうようなものなのでした。
 家守さんに対する返答が間違っていたと思ったわけではありません。具体的に説明したのは僕でも栞さんでもなく家守さんでしたが、僕も栞さんも、理由があってあの返事に決めたのです。ベストを求める、という。
 間違っていたと思うわけでないのなら、ではどういうふうに思うべきなのか?
 半端だなあ。
 そう思うべきなのでしょうし、実際にも、そう思ったのでした。こちらが半端だったから、笑うでも起こるでもなく、半端な笑みを浮かべられてしまったのでしょう。
「はい、お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
「しぃちゃんも」
「はい……」
 コップ一杯の冷たいお茶を渡され、僕と栞さんはほぼ同時にそれへ口を付けました。
 栞さんは少しだけ飲んだようでしたが、僕は一気に全部飲み干してしまいました。
「あらいい飲みっぷり。おかわりいる?」
「い、いえ、遠慮しておきます。思ったよりお腹に溜まっちゃったというか」
 別に格好をつけるために一気飲みしたわけではありませんでしたが、だからといってこれは、やっぱり格好悪いのでした。うっぷ。
 ええと……しかしとにかく、おかげで頭はすっきりしました。胃がもったりしてしまったので頭くらいはすっきりさせたい、という無意識の働きによるものなのかもしれませんが。
 答えはもう出していて、その答えを出したこと自体に後悔があるわけではないのですから、こうして後になってモヤモヤしていても仕方がありません。自分達が半端だったと思うなら、次から同じような思いをしないように気をつければいいのです。どんなにくよくよしたところで、今回の件が取り消しになるわけではないのですから。
「栞さん」
「ん?」
「栞さんもどうですか、一気飲み」
「…………」
 正直、唐突かつわけの分からない誘いではあったことでしょう。だからなのか返事はありませんでしたが、しかし栞さんはゆっくりと視線をコップへ戻し、そして暫く睨めっこ。
 そこまで状況が進んでしまえば、やっぱり止め、なんてことにはそうそうならないわけで――。
「……ぐ……」
 僕と同じ目に遭っているらしい栞さんなのでした。
「あはは、ちょっと気持ち悪くなっちゃった」
「実はそれが狙いです。――いやいや、冗談です冗談です」
 割と真剣にむっとされてしまい、なので慌てて訂正しておきましたが、その後は再び笑ってくれる栞さんなのでした。つまり、別に真剣でも何でもなかったということなのでしょう。
「しぃちゃんもおかわり、いらなそうだね。こーちゃんと同じく」
「あはは、はい」
「キシシ。でも今すぐ再開ってのはちょっと辛そうだし、もうちょっと時間置こうか」
 表情からして、僕よりよっぽど家守さんへの不満が強かったであろう栞さん。けれどその不満は既に、軽く笑い合えるほど小さく萎んでしまったようでした。
 しかしもちろん、小さくなりはしても、全く消え去ったということはないでしょう。ということは栞さん、今浮かべている笑顔は多少なりとも無理をして見せているものなのでしょう。
 けれどそれは、無理をする必要があると判断した証拠です。栞さん、特に意味もなくご機嫌取りをするような性格ではないですしね。それはそれで、良いと言い切れるばかりの性格ではないのでしょうが。
 というわけで、もうちょっと時間を置かれることに。それ以上お茶を注文することはなく、だからといって会話があったわけでもない静かな時間ではありましたが、しかし不思議と、居心地は悪くありませんでした。栞さんの胸の内にある不満を感じ取っていながらこんな感想、本当に不思議なのですが。

 で。
「そろそろ大丈夫です」
「右に同じく」
 黙り続けたままながら、栞さんから送られたアイコンタクト的なものの結果、そういうことになりました。もちろんそれは普通に喋って確認しても何ら問題ないわけで、だったらわざわざアイコンタクトなんてものを試みるのは無駄でしかないんですけどね、そりゃ。
 いいじゃないですか減るもんじゃなし、と考えるべきか、やっぱり栞さんとしては口を開き辛い状況だったのかな、と考えるべきかは――いやここは、僕にそんな余計なことを考えさせないためにこそのアイコンタクトだった、と考えておきましょう。
 僕がこれまで何度も言ってきた「僕を頼ってください」という言葉を栞さんが確認し直したのは、この101号室に来る直前。つまり、ついさっきのことです。もしも僕の心配が必要であるならそれを口で伝えてくれている筈だと、そう信じておきましょう。
「そう? うし、じゃあ再開だね、打ち合わせ」
「もうちょっとだけ訊きたいことがある、って……?」
 栞さんが休憩に入る際の家守さんの言葉を復唱すると、「そうそう、あとちょっとで終わるからね」と笑う家守さん。ほっとする場面ではないのでしょうが、それでもちょっとだけ、胸が軽くなるような気がしてしまうのでした。
 けれどもそれはともかく、訊きたいことの内容です。
「今まで話してきたことってさ、しぃちゃんが幽霊だってことについてだけだったでしょ?」
「え? ああ、そうですけど」
 そうですけど、他に何か話すようなことってありましたっけ?
 などという考えのせいで若干間抜けなトーンで返事をしてしまったのですが、すると家守さんに変わって、何やら楽しそうだか嬉しそうだかな高次さんが、こう付け加えてきました。
「日向くんと喜坂さんが一緒になるって話については、俺と楓は関わっていいのかなって。そういうことだろ? 楓」
「さっすが高次さん。分かってるねえ、アタシのこと」
 言われてみればそりゃそうで、栞さんが幽霊だからどうのこうのという話と、栞さんと一緒に住む、もっと言えば結婚を望んでいるという話は、別物なのでありました。もちろん、うちの両親からすればそんなこと言ってられない状況ではあるんでしょうけど。
「まあでも、もし関わっていいってことであっても、そう深々とは足突っ込めないけどね。基本的には日向くんと喜坂さん、あと日向くんのご両親だけでの話なんだし」
「『私達からもお願いします』の一言くらいかなあ、アタシらが言えることって」
 この話を振ってきたのは家守さんでしたが、しかし高次さんが今言ったようなことは、家守さん自身も初めから思っていたようです。その一言しか言えることはないと思っていながら、なのにその一言だけのために、関わっていいのか、と。
 関わるか関わらないかを僕と栞さんに決めさせるのとはわけが違います。高次さんの代弁ながら、「関わっていいのか」と、家守さんはそう尋ねてきたのです。
 しかし感激している場合ではなく、尋ねられたからには答えなくてはいけません。というわけで栞さんのほうを向いてみるのですが、しかし口を開くまでもなく、その目に返事の内容が表れていました。
 ついさっきもしたところですが、これもまたアイコンタクトということになりましょう。けれど今回のそれは前回と違い、した後になってあれこれ考えるまでもなく、確実に必要なものなのでした。それが言葉を介する必要もないほど明確な意思であるということを、瞬時に把握するために。
「是非お願いします」
「お願いします」
 僕が頭を下げ、するとそれに続いて栞さんも、頭を下げるのでした。
「承りました。これについては、霊能者じゃなくてお隣さんとしてね」
 頭を上げると、家守さんはとても優しい笑みを浮かべていました。
「ありがとう、二人とも」
 こちらが礼を言われるのはあべこべのような気がしますが、しかし、家守さんがそう言ってきた背景というものは、理解しているつもりです。何一つ言葉を発さずただ黙っている辺り、高次さんもそうなのでしょう。
 なのでそのお礼については、ありがたく受け取っておくことにしました。
 こちらこそありがとうございます、家守さん。

 もうちょっとだけ訊きたいことがある、というのはあの質問一つだけだったようで、その後僕達は、部屋に戻ることになりました。
 その戻った先の部屋は、二人揃って204号室。土曜日までは一緒に居ようという約束の、これが最後の回ということになります。明日の朝この部屋を出て、その後帰ってくる部屋が同じになるか別になるかは、明日の両親との面談次第なのです。
「びっくりしちゃった、いろいろ」
 当たり前のように寄り添って座った僕と栞さんですが、すると栞さん、嘆息とともにそう漏らすのでした。
「お疲れさまでした。――なんて、僕も同じだったんですけどね」
 一方的な労い労われというものが起こる状況でないのは、明白でした。同じ場所で、同じことをして、同じだけ疲れた筈なのですから。
「栞さん、明らかに怒った顔してましたよね。ずるい手だって使う、みたいに家守さんから言われた時」
「あ、やっぱり顔に出ちゃってた? うーん、駄目だなあ、私」
「駄目ってことはないと思いますけど」
「そう? でも自分では、楓さんの言い分も理解できたつもりだったんだよねえ。お仕事なんだもん、そりゃあ。それなのに顔が怒っちゃってるって、ねえ?」
 僕達のそういうところが好きだ、とあの時、家守さんは言ってくれました。だから栞さんが腹を立てたことだって、一概に悪いと言い切れるようなことではない筈なのです。
 けれどそれは僕や家守さんから栞さんへ向けられた意見であって、栞さん自身がどう思うかは、やっぱり別の話なのでしょう。
「すぐに自分を悪者にするのは良くない」という、僕が栞さんから何度も言われていた言葉を思い出しました。しかし今回のことについては、それを持ち出すのは違うような気がしました。
「僕はどうでしたか?」
「こうくん?」
「怒った顔、しちゃってませんでした?」
「ううん、全然。こんなふうに言ったら変なのかもしれないけど、格好良かったよ。落ち着いてて」
 自分ではまるでそんなふうには思えないのですが、しかし見た目の上では、どうやら落ち着いていたようなのでした。そりゃあ取り乱すような場面ではありませんでしたが、でもそれにしたって、胸中は結構めまぐるしかったように思うのですが。
 ううむ。そうなる理由を挙げるとするならば?
「そんなふうに思うのって、やっぱり自分が怒ってたからなのかな?……あれ? じゃあ私、やっぱり怒ってるって自覚があったってこと?」
 栞さんが怒っていたから知らず知らずのうちに釣り合いを取ろうとしていたとか、そういうことになるのでしょうか。
 ――なんてことを考えたところ、何やら栞さんも似たような考えを持っていたようです。
 僕を格好良いと思ったのはどうしてか。それは自分が怒っていたから。
 僕が落ち着いていたのはどうしてか。それは栞さんが怒っていたから。
「意外と余裕はあったんですね、僕も栞さんも」
 言いつつ、つい笑ってしまいます。けれどそれだけでは、栞さんに首を傾げられるばかり。
「家守さん高次さんと話をする場だったのに、お互いの顔色も結構見てたっていうか」
「私がそうだったっていうのは納得するしかないけど、こうくんもそうだった?」
「恥ずかしながら」
 すると栞さんは、こちらに釣られるようにして笑いながら、「そっか」と納得するのでした。
 恥ずかしながら、なんて言ってしまった手前、あっさり納得されるとそれはそれでむず痒かったりしないでもありません。しかしまあ笑っていられるならそれはそれで、ということにしておきましょう。
 さてそこへですが、栞さんがこんなことを言ってきました。
「なんか、あれだね。私とこうくんって、二人揃ってないと駄目な感じ?」
 中身だけなら真面目そうな話題でしたが、しかし栞さんのトーンも表情も笑っている場合のそれだったので、むしろなんだか気の抜けたような雰囲気が漂ってくるのでした。
「今してた話からすると、そういうことになっちゃいますかねえ」
「隣にこうくんがいなかったら私、もっと露骨に怒っちゃってた気がするし」
「僕だって、隣で栞さんが怒ってなかったら自分が怒ってたと思います」
 というのはもちろん、ついさっきの101号室での話。けれどそれ以外の場面についても、同じことが言えてしまうんだと思います。二人揃ってないと駄目、という。
 それは、惚気話としても真面目な話としても、です。
「……一人だけで完成しちゃってるんだったら、誰かと一緒になる必要なんてなくなっちゃいますしね」
「おお、それっぽい理屈」
 冗談じみた受け答えの栞さんですが、僕としても「そういうふうに返してくれた方が気楽でいい」というのが本音です。というのも、真面目に返された際、その後どうするかを全く考えていなかったのです。思い付いたことをそのまま口に出してしまった、というか。
「後付けなんですけどね。初めからそう考えて一緒になりたいって思ったわけじゃないですし」
「あはは、まあ、そうだよね。一緒になりたいと思ったから一緒になりたいって、そんな感じだよね」
 そう仰るからには、栞さんもそうだったのでしょう。栞さんもと思ったからには、僕だってそうなんですけど。
「でも、明日うちの親の前で話すのって、そういう後付けの部分なんですよねえ。『この人のことが好きで好きでたまらないから結婚を認めてくれ』なんて、その場の様子を想像するだけで鳥肌ものですし。怖いやら恥ずかしいやらで」
 などと言ってみたところ、本当に背中にぞくりと冷たいものが走りました。根本にある理由は間違いなくそれだというのに本当に鳥肌が立つ寸前じゃないか、と自分の感覚がちょっと残念に思えてしまいます。
「うーん、場合によってはそういう話をすることにもなるんじゃないかなあ」
 なんとかかんとか気を落ち着け、鳥肌の発生を抑えようと試みていたところ、栞さんは平然とした様子でそう言ってきました。言ってる内容もその様子も、僕とは正反対、ということになりましょうか。
「そうですかねえ? だって、この人と結婚したい、なんて言ってる時点で好きなのは確定してるようなものなんですし」
「そうとも限らないんじゃないかなあ。いや、私とこうくんの立場ではそうなのかもしれないけど、ご両親の立場からしたら『そうじゃないかもしれない』ってことになるんじゃない?」
「そうじゃないかもしれないって、他に何か思い浮かびます? 結婚したいと思う理由」
 話が意外な方向に進み、しかもそれが非常に興味を惹く内容だったので、背筋を走る冷たいものはすっかり消え失せてしまいました。
 その人のことが好きであること。後付けの理由に関しては様々なものがありましょうが、大元の理由に関して、それ以外の何かがあるのでしょうか?
「同情とか」
 栞さんがポロッと口にした言葉はしかし、僕の口を閉ざしてしまいました。どうしてこの場にそんな言葉が出てくるのか、即座に理解できてしまったからです。
「自分でそんなふうに思ってるってことはもちろんないけど、幽霊のことを初めて知った人だったら、そんなふうに思っちゃうのも充分考えられるんじゃない?」
 幽霊だから。死んでしまっているから、この人は可哀想だ。
 考えられる、のでしょう。栞さんの言う通り。
「もしそんなふうに思われちゃったら、私は全力で違いますって言うよ? こうくんがどういう気持ちから私と一緒になりたいって思ってくれたか、説明する。どんなに恥ずかしくたって」
 そういう状況が想定できるのであれば、
「僕だってそうします。そういうことになったら」
 そういう状況が想定できなかったことこそが、今最大に恥ずかしいわけですが。
「すいません。つくづく、考えが浅くて」
「あはは、狭く深くって感じだもんね、こうくんは。見えてない部分はそんなものだと思うよ」
 割と真剣に謝ったのですが、栞さんはそれを冗談に変換してしまうのでした。しかしその冗談が見事なほど的を射ていたので、こちらまで釣られて笑ってしまいました。
「これも、こうくんがさっき言ってたことなんだろうね。『一人で完成してるなら誰かと一緒になる必要がない』っていう」
「狭く深くって、栞さんもそれっぽくはありますけどね」
「こうくんほど極端じゃないから大丈夫。大船――は、言い過ぎかな。救命ボートに乗った程度のつもりでいてください」
「みっともないくらいしがみ付きますよ? そんなのに乗らなきゃいけない事態になったら」
「初めからそれを想定して設計されてるから大丈夫。しがみ付かれたくらいで駄目になっちゃうようじゃあ、救命ボートなんて名乗れないしね」
 ふむ、言われてみれば確かにその通り。その点を突き詰めるとむしろ大船より救命ボートのほうが頼りになっちゃうような気はしますが、まあ、例え話にそこまでは言いますまい。
「じゃあ僕も救命ボートってことでひとつ」
「有事の際は宜しくお願いします」
 男ならここで「自分は大船で」くらい言っておいた方が良かったのかもしれませんが、しかし男というカテゴリでなく僕個人で考えるなら、それはきっと似合わないのでしょう。
 しかしもちろん、救命ボートを選択したことに不満があるわけではありません。要は、栞さんを助けられさえすればそれでいいんですから。
「…………」
「…………」
「いやあ、思い付きで言っただけなのに案外上手く纏まるもんだね、船の話」
 平然を装ってはいますが、どう見ても照れている栞さんなのでした。


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