(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第五十章 気になる話 五

2012-10-24 21:06:57 | 新転地はお化け屋敷
『それでこーちゃん、メールの件だけど』
「あ、はい」
 元々その話こそがメインになるわけですが、だというのにその話をされた瞬間、身体が強張るのが分かってしまうのでした。
 自分自身も仕事を頼んだことがあるという立場上、さすがにもうちょっと耐性を付けるべきなのかもしれません。
『その人に、今日の八時頃にうちに来てもらえるように伝えてもらえる? 時間の都合がつかないってことなら明日以降でも問題ないけど、まずは一応ってことで』
「分かりました。今日会う気満々みたいでしたし、大丈夫だとは思いますけど」
『おおう、モテモテだアタシ』
 そのモテてる相手みたいなことを言う家守さんなのでした。これは実際に会ったら気が合うかもしれないなあ――なんてのはまあ、どうでもいいことなんでしょうけどね。
「返事が来たら折り返し連絡します」
『お願いします。――あはは、なんかいいなあこういうの。こーちゃんがお手伝いさんになったみたいで』
「お手伝い……僕がですか?」
『ああ、大丈夫大丈夫。まさかこっちに引っ張りこもうなんてふうには思ってないからさ』
 即座にそう返してくる家守さんなのでした。が、僕が一番気になったのはその反応の速さではなく、その反応の内容なのでした。
 こっちに引っ張り込む、という言い方からは、その「こっち」を貶しているというか低く見ているというか、そんな印象を受けたのです。ではその「こっち」が何なのかと言えば、それはまあ話の流れからして霊能者という職業なのでしょう。
「……でも少なくとも、感謝はしてますよ。客の一人として」
『そう言って頂けるなら幸いだね。いや、本当に』
 わざと想像したことが合っていなければ伝わらない言い方をしてみたところ、すんなりと伝わってしまいました。――と、分かっているふうを装ってはいるもののしかし、「貶しているというか低く見ているというか」の内訳までは分かりません。どうしてそう思っているのか、という。
 もちろん、いくらか予想を立てるくらいのことは出来ます。なんせ幽霊相手の仕事なわけで、だったらもうその時点である意味「浮いた」ものではあるわけですしね。お嫁さんが幽霊だからといって、そこに目を瞑るというのはやっぱり無理がありましょう。
 でも結局のところいくら予想を立てたところで家守さんがどう思っているかが分かるわけではありませんし、そしてそれを尋ねようとも思いませんでした。言えることであるならあちらから言っているでしょうしね、この流れなら。
『キシシ、いやいや、これ見よがしについつい甘えちゃったかな』
「え? こっちとしては別に、そんなふうには」
『実家に行くってことだったら、その優しさはしぃちゃん向けに発揮してあげましょう』
「よく分かりませんけど分かりました」
 栞と一緒に実家に行く。家守さんが自分の仕事をどんなふうに捉えていようと、それですら家守さんの仕事の成果なのです。であるならば、仕事の客としても隣人としても、僕からはただ感謝するだけで充分なのでしょう。よく分からなかったにしても、どうやらそのことで家守さんをちょっといい気分にしてあげられたみたいでしたしね。
『そんじゃね。連絡の方、宜しく』
「はい。お疲れ様です」

 家守さんが仕事中であるなら一貴さんは講義中(かもしれない、ですが)なわけで、ならば今回の連絡もメールで済ませておくことに。
 というわけでそれの完了後コンビニを出発し、そして再び恐らくは高確率で実家へ続いている筈であろうと思われる道を自転車で走り始める僕なのでした。
 不安はないわけではないです、正直なところ。
「孝さん」
 一人で向かっているならまだしも自分以外にもう一人連れているわけで、じゃあこの不安は不安ってだけじゃあ済まなくなってくるよなあ、なんて思っていたところ、そのもう一人から声が掛かりました。
「ん?」
「楓さん、なんて言ってたの? 特に最後の方」
「うーん……いや、よく分からないんだけど、なんか僕に甘えちゃったとか何とか」
「いーなー」
「…………」
 僕としては「よく分からない」が主題のつもりだったのですが、最初の反応がそれということなら栞にとってはそうではなかったようでした。本当好きだよね、家守さんのこと。
「私も甘えたい」
「え? あ、そっちの意味だった?」
 昨日は僕ずっと寝てただけだったしね、という話を抜きにしても尚、本来なら今この時間はデートの時間だった筈なわけで、ならば栞がそんなふうに思うのもまあ唐突と言うほどのことでもないのでしょう。……いや、名目が何であれやってることは同じなんですけどね、今のところは。
 などと思っていたところ、栞はくすくすと。運転中なので確認できるのは残念ながら声だけなんですけどね。なんて、残念がるところでもないんでしょうけど。
「ああ、やっぱり逆の意味に取ってた?」
「うん」
「それもあるんだけどね、やっぱり」
「あるんだ……」
 というわけで、僕はそろそろ家守さんに嫉妬してみてもいいのではないでしょうか。そりゃまあ冗談半分ではありますが、ちょっとくらいなら。
「それはともかく孝さん、途中で『お手伝い』とか言ってたけど、あれってやっぱり霊能者の仕事の話だったの?」
「ああ、うん。そうだけど」
 そう尋ねてくるからには、栞が訊きたかったのは初めからそこだったのでしょう。つまりはまあ、甘えたいだ何だというのは、戯れの域を出ない話だったわけです。
「そっかー。いやね、でも……私からこんなこと言うのも何だけどさ」
 何やらここで言い難そうに切り出し始める栞。ですがしかし、これって別に声のトーンを落とすような話じゃなかったような、なんて感想から僕は内心首を傾げます。
 そうして傾げつつ次の言葉を待ってみたところ、
「孝さんって多分向いてないと思うよ、霊能者って。そりゃあ幽霊は見えるけど」
「…………ええと?」
 ますます首を傾げることになってしまいました。恐らくは栞が危惧したのであろう「気分を害した」というようなことはまるでなく、何がどうなって急にそんな話が、というか。
「私の場合は恋人とかお嫁さんだとか、そういう関係だからよかったけど――ほら、お客さんを怒鳴るって、それはやっぱり駄目だと思うし」
「ああ、そういう」
 お嫁さんになってから怒鳴ったことは今のところまだないけどね、なんて一言は恐らく余計な揚げ足取りでしかないので引っ込めておきまして。
「まあそうだね。自分で言うのもなんだけど、『それっぽいこと』があったら怒鳴っちゃうだろうし」
 何もなければ抑え込むこともできるのでしょうが、けれど僕には栞とのこれまでがあります。幽霊関連で「それっぽいこと」となればきっとそれを重ねてしまうことでしょうし、ならば怒鳴らずにはいられなくなる場面もいずれ出てくることになるのでしょう。
「うん」
 短く、けれどはっきりと同意の言葉を口にした栞は、頭を僕の背中に預けてきました。何を思ってそうしたか――は、まあしかし、わざわざ尋ねるでもないのでしょう。多分僕と全く同じことを考えただけなんでしょうしね。
 というわけで、それとはまた別の質問を。
「なんでまた急にそんな話を?」
「さっき言ったでしょ? 甘えたいって」
 ……つまり、初めから今のこの頭を僕の背中に預けた状態を目的とした話だったと。油断も隙もありませんが、油断や隙を突かれたところでデメリットがあるわけでもないので、あまり気にしないことにしておきました。
 それにやっぱり、甘えたかっただけってことはないんでしょうしね。霊能者が僕に向いてないって話は。
「向こうに着いちゃったら、ねえ? お義母さんの前でベタベタするわけにもいかないし。だから今のうちにってことで」
「いやまあ、問題ないとは思うけどね……」

 というわけで、
「はい、紙とペン」
 うっすらとやんわりと心の内を漂っていた不安を余所に無事実家に到着したところ、挨拶もそこそこにその二種類の道具を持ってくるお母さんなのでした。
「二回目にしてこの用意の良さ……」
 これも栞と仲良くなったおかげ、ということになるのではないでしょうか。相手のことをきちんと意識出来るというか何と言うか。
 というわけで紙とペンなのですが、言わずもがなそれらは筆談のために用意されたものです。今回は家守さんも高次さんも一緒ではないのでお母さんには栞が見えず、その声も聞こえないからです。
「当たり前でしょう、主賓は栞さんなんだから。あんたなんてオマケよオマケ」
「酷いなあ。そりゃそうなりはするんだろうけど」
 一人暮らしをしている息子が帰ってきたとは言っても、その一人暮らしを始めてからまだそんなに時間は経っていません。具体的には、ぎりぎり二月経っていない程度です。この程度で大層な扱われ方をしてもそれはそれで困っちゃいますしね、こっちとしても。
 隣でにこにこしている栞を見ながら、そんなふうに思う僕なのでした。
「あんまり長居出来ないって話だったし、いきなりだけどお昼ご飯出しちゃうわね。そこらへんに座ってて頂戴。あ、栞さんもどうぞごゆっくり」
「ってことは、もうできてるの?」
「そうさせるために時間がないって言ったんじゃなかったの?」
 さすがにそんなつもりはなかったけど……と、まともに受け答えをする場面でもないのでしょう。皮肉っぽい笑みを浮かべつつ台所へ進み入るお母さんを見送って、僕は言われたままに栞と二人、居間で待つことにしました。
 ら、腰を下ろして十秒と経たないうちに、栞からこんな問い掛けが。
「手伝いに行ったほうがいいかな?」
「見えない人に手伝われても危ないだけなんじゃないかなあ」
 状況が状況なので手伝いたいという気持ちはよく分かりますし、自分の親に対してそういう気持ちを持ってくれるというのは僕としても大変嬉しいことなのですが、しかしだからといってその事実を曲げることはできないでしょう。
「あはは、そうなるよねやっぱり」
 力なく笑う栞でした。
「でもありがとうね、栞」
「あれ、孝さんからお礼言われちゃう?」
「そりゃ言うよ」
「……ふふ、そっか」
「あら何? お邪魔だった?」
 ご納得いただけて幸い、といったところで開けっ放しだった戸の向こうから登場したのはお母さん。配膳の時に戸を閉めちゃうとお盆で両手が塞がってるから開けられないんだよね、なんて家庭の豆知識はともかく。
「お邪魔って、普通に喋ってただけだよ。ねえ栞」
 同意を求めたところ、栞は口でなく手を動かし始めます。それはもちろん筆談のためということになるのですが、しかし栞、「うん」という返事はどうだろう。問い掛けたのは僕だけど筆談それ自体はお母さんに向けたものなわけで、じゃあここは「はい」のほうが相応しいんじゃあ――。
 などという些細かつ難しい話はしかし、直後にどうでもよくなってしまうのでした。
「あれ? 孝一あんた、前に来た時は呼び捨てじゃなかったわよね? 栞さんのこと」
「あっ」
 と声を上げ、しかもその口を手で押さえるというなんともありきたりな反応をしてしまう僕でした。
 がしかし、よく考えると別に冷や汗をかくような場面でもなく。
「えーと、まあ、親に紹介したのを機に、というか」
 他にもいろいろと考えてのことではありましたが、しかし大元はと言えばそこに間違いないので、ならばと一纏めにそれだけ言っておきました。匂いから判断されるお母さんが持ってきた料理を思うと、わざわざその「いろいろ」を説明して話を長引かせることも――いやいやそうでなくて、わざわざ親に話すようなことではないでしょうしね。
 などと座っている僕達に対してお母さんが立ったままなせいで未だ視界に入らないお盆の上の料理に想いを馳せつつそんなことを考えていたところ、どうやら栞の方もその間に手を動かしていたようで、
『私からは孝さんって呼ぶようになりました』
 と。
 …………やあん。
「あらあら~」
「い、いいからご飯。ずっと喋ってたら冷めちゃうよ?」
 明らかに何か言いたそうだったので、ぶった切っておくことにしました。とは言ってももちろんそれだけではなくて、匂いに釣られ過ぎてこれ以上待たされるのが辛くなってきたというのもあるんですけどね。
「さすが、ご飯にはうるさいねえ」
 そう言って溜息交じりの笑みを浮かべつつ、お盆をテーブルの高さにまで下げてくるお母さん。ならばお盆の上に乗っている料理が目に入ることになるわけですが、
「あっ」
 栞が声を上げました。それがお母さんの耳に届かないのは承知の上の筈なのに、です。
 そして栞はまた紙にペンを走らせ始めるわけですが、すると僕がそれを目にしたことに気が付いたのでしょう、してやったり感溢れる表情で僕の方を見ていたお母さんも栞が「いるべき」方へと目を向けるのでした。
『豆腐の肉乗せですね!』
 誰がどう見たって、たとえその料理名を知らない人でも知らないままそう答えかねない名称ではあるのですが、感嘆符まで付けてその料理名を言い当てる栞なのでした。
「この感じ、これが孝一の大好物だってことはご存じなのかしら?」
『はい!』
 そりゃ結婚までしてるんだから好きな料理が何かくらいは知ってるって――と当然のようにそう言ってしまいそうになりましたが、しかしどうなのでしょう。なまじ自分が人並み以上に料理というものに拘りを持っていることは自覚していたりするので、もしかしたら普通の人はそうでないのかもしれない、なんてそう思ってしまうのでした。
「よかったわねえ孝一、そういうところ気を回してくれる人で」
「むしろ僕なんかと付き合っててそうならない人はちょっと鈍感過ぎるかもね」
「ああ、確かに。でもそんな言い分に説得力があるってどうなのかしらねえ? うふふ」
 ほっといておくんなまし。

『いただきます』
「もちろんたまたまなんかじゃなくて、あんたが来るっていうから昼間っから豆腐の肉乗せなんか作ったわけだけど――ってまあ、そんな言うほど手の込んだ料理でもないけどね」
「わざわざどうももぐもぐ」
「ふふっ。……おほん。でもまあやっぱりあんたの話はおまけとして、じゃあ栞さんの好きな料理って何なのかしら。――あ、孝一に言ってくれればいいですよ。食べながら書くのは手間でしょうし」
「あはは、はい。――うーん、あのオムライスになるのかなあ? 今のところ」
「まあそうだろうね。というわけでお母さん、『お手製のオムライス』だって」
「お手製の? っていうのはあんたと栞さんとどっちの?」
「ああ、栞のだよ。得意料理を見付けようとしてるみたいでね、最近」
「得意料理? あれ、じゃあ、それまでは好きな料理とかって?」
「……どうする? 栞」
「そうだね。時間さえよければ、後でちょっとその辺の話も」
「分かった。――『食べ終わったら話す』ってさ」
「そう? まあ、せっかく紙とペン用意したことだしね。じゃあ孝一、話は変わるけど」
「ん?」
「今日って何か話があってきたんじゃないの? 平日に、しかも時間が押してるみたいなのにわざわざ自転車でこんなところまで来てるんだし」
「そうなんだけど、よく分かったね」
「当たってるかどうかはともかく、そりゃあいろいろ考えざるを得ないもの。親としては一大事なのよ? 息子がお嫁さん連れて来るなんて」
「……じゃあ、お母さん」
「はい」
「お父さんもだけど、次の日曜日、何か予定とかある? その……結婚式がさ、みんなの都合さえよければ開けるところまで来てるんだよ、もう」
「…………」
「…………」
「…………急な話ね?」
「ごめん」
「あら。つまり、謝るような話だってこと?」
「いや、まだ決定したってわけじゃなくて、みんなの都合がつく日を探してるって段階なんだけど……」
「じゃあ謝るのはそこら辺の説明をしてからにして頂戴。みっともないわよ、栞さんの前で。――はあ。本当、何かあったらすーぐ謝るんだからあんたは」
「栞にもよくそう言って怒られてるよ」
「そう。ますますいいお嫁さんね」
「僕もそう思う」

『ごちそうさまでした』
 せっかく大好物を食べていたのに、とは言いますまい。それが他の誰かの失態であるならまだしも、僕自身の失態からこうなったんですしね。
 というわけで多少――最後にお母さんが持ち直させてくれたおかげで本当にちょっとだけですが――空気を悪くしたまま食事を終えた僕達は、空の食器を台所に運んでからまた居間へ戻り、食事の時と同じ配置で再度座り直したのでした。
「じゃあ、結婚式の話からお願いしようかしらね。休日のお父さんなんて寝転がってるだけだから予定の方はどうとでもなるけど、なんでこんなに話が急なのかっていう」
 食事も終わったということで栞の筆談も復活するわけですがしかし、こういった話をしている時にどうしても間が空いてしまうというのはなんともかんとも、ということで説明の方は僕が引き受けさせてもらうことにしました。
「式場の方からの連絡が来たのが今日だったんだよ。でもそれは別にあっちの対応が遅かったってことじゃなくて、逆にいろいろ早過ぎてそうなったっていうか。こっちからあっちに結婚式の連絡をしたいって連絡を入れたのだって――ええと、四日前くらいだし」
 とまで言ったところで一旦お母さんの様子を窺ってみますが、聞きに徹しているようだったので引き続き。
「ほら、栞って幽霊でしょ? だからその式場も特殊っていうか……言っちゃったら、前にここに来てもらった霊能者さん達と同じ業種の人達なんだよ。だからなんていうか、いろんなところで常識が通用しないところもあるだろうけど」
「信用していいってこと?」
「うん」
 急に言葉を被せてきたので少々驚きはしましたが、けれど少なくとも表面上だけは平静を保って、手短にそう答えておきました。僕はともかく、あちらの面子に関わりかねないところでしたしね。
「それでなんで謝るのかねえあんたは」
「…………」
 あちらの面子がどうのこうのと勘違いをしていた気がしますが、主題は僕の話なのでした。
 ごめん、と言いたいところではありましたが、それを言ったら同じ話の繰り返しなので、何も言えなくなってしまいます。
「今後もビシバシ怒ってやってくださいね、栞さん」
『任せてください』
 小さくなるほかありませんでした。
「栞さんが怒ってくれるってことだから、お母さんからはこれくらいにしときましょうかね。じゃあ栞さん、食べ終わったらってことだったし、好きな料理の話をお願いします」
「え、もういいの?」
「なに? 続けて怒られたいの?」
 こちらとしては想定していないタイミングで話を終わらせに掛かったお母さんに、何も言えずに小さくなっていた筈の僕はついつい口を開いてしまいました。
 怒られ続けたいって、もちろんそんなことはないんだけど……。
「いや、そうじゃなくてほら、結婚式自体の話。予定は都合がつくって話だったけど、それにしたってこんなあっさりでいいの?」
 そりゃあ大学の友人達だってあっさりしたものでしたが、しかし親族となれば単なる招待客という立場ではなくなってくるわけで、だったらそれがこうもあっさり話が済んでしまうというのは、肩透かしでは済まないレベルなのでした。
 が、
「前にここに来た時もお父さんが言ってたと思うけど、あんたが決めたことに口出しする気はないからね。お父さんだけじゃなくて、お母さんだって」
「…………」
「要するに、何かあっても全部あんたの責任ってことよ。これも前に言ってたような気がするけど」
 それを甘いと見るべきか厳しいと見るべきかは僕には分かりませんでしたが、けれど少なくとも、その言い分には筋が通っている、と思うくらいのことはできました。
「それくらい許容できなきゃお嫁さんなんて貰ってられないだろうしね」
「あら、分かってるじゃないの。じゃあ今更つべこべ言わない」
「はい」
 という会話も大別すればやっぱり「怒られている」ということになるのでしょう。しかしそうして怒られている僕の隣では、栞が嬉しそうな笑みを浮かべているのでした。
 そして直後、お母さんもそんな栞と同じく。栞が見えてない以上は偶然なんでしょうけどね。
「じゃあ改めて栞さんの話、いいかしら」
『はい』
 短い返事を紙に書いて示した栞でしたが、しかしそれから少し考えるような仕草を見せたのち、続けて文章を書き始めます。
『全部書いてるとすごく時間が掛かっちゃうので、孝さんにお任せしていいですか?』
「ああ、そうですよね。構いませんよそういうことで。――孝一、責任重大よ?」
「プレッシャー掛けるような場面じゃないよ……」
 とは言ってみたものの、しかしある意味ではプレッシャーを感じるべき場面ではあったりします。お母さんから掛けられるのは違うよなあ、というだけで。
 まあ、ともかく。
「わざわざ食べ終わってからってことにした時点で察しがついてたりするかもしれないけど、軽い話じゃないよ。そこらへんは承知しといてね」
「分かりました」
 好きな食べ物の話。通常ならそんなもの、軽い話でないわけがないのですが、しかしそれが栞の話となるとそうではなくなってしまいます。
 好きな食べ物の話すら軽い話でなくなってしまう、なんてふうに考えると、今更ながら改めて栞が不憫に思えてしまうわけですが――しかし、だからこそここは気を落としたりせずに話し切ってしまうべきなのでしょう。自分で話すことができたなら、栞はそうしていた筈なのですから。
 そんなふうに気を引き締めてから、僕は話し始めました。好きな食べ物がなくなってしまうほど、栞が家庭の料理から離れていたことを。
 栞がどれだけの年月を、病院で過ごしていたのかを。
 そしてその年月の最後が、最期でもあったということを。

「……栞さん。どう言っていいのか……」
 軽い話でないということを本当に察していたのかどうかは結局のところ尋ねたりはしませんでしたが、しかし察していたにしても、それ以上の話だったということなのでしょう。言葉を探しているらしいお母さんはしかし、それなりの間を取っても探し切れない様子なのでした。
『はい』
 ある程度待ったところで、栞がそんな相槌を紙に書いてみせます。それはきっとお母さんを後押しするつもりでだしたものだったんでしょうし、そして実際に、それを見たお母さんは直後、口を開き始めたのでした。
「ありがとうございます、息子を選んでくださって。こんな――なんて、すみません、私がそんなこと言っちゃいけないんでしょうけど……人を好きになれるほど、強い人でいてくださって」
 その言葉を受けて、栞は紙にペンを走らせます。嬉しそうな悲しそうな、曖昧な表情を浮かべながら。
『そうしてくれたのは孝さんですから』
 それを見たお母さんは、目元を手で拭うのでした。


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