「よし、では実際に訊いてみるとするか」
残念がっている気分を吹き飛ばすかのように、声と表情をぱっと明るくさせる成美さんでした。が、それはともかく、実際に訊いてみるっていうのは、誰に何を?
「誰に何をだよ」
さすがは血を分けた兄、というほどのことではないのかもしれませんが、思った通りのことをそのまま尋ねてくれる兄ちゃんなのでした。うーん、これを嬉しがるっていうのは我ながらちょっとどうかとは思うけど。
で、それはともかく成美さんなのですが、
「誰にって、そんなもの一人しかおらんではないか。他は皆外出中だぞ?」
とのことでした。
というわけで、
「訊いてきたぞ」
成美さん、204号室からご帰還です。家守さん達は仕事中、清さんはいつも通り外出中となったらそりゃあまあ、栞さん達しか残ってませんもんねもう。ああ、でも日向さんはもしかしたらまだ大学――
「あと、二人とも一緒に来てしまったぞ」
『お邪魔しまーす』
あ、夫婦お揃いだったようで。
「今日明日くらいは夫婦水入らずで、みたいなこと言ってなかったっけかオマエ。朝お邪魔した時に」
「もちろんわたしもそうは言ったのだが……」
今だけでなくどうやら朝方にもお邪魔していたようです。今日明日くらいは、というのはやっぱり、明後日の結婚式を踏まえてのことなんでしょう。私なんかはその「今日明日」の間に手紙まで貰ってご招待されちゃいましたけどね――なんて、誰に対しての自慢なんだか。
それはともかく成美さん、兄ちゃんにそう言われて立つ瀬無さそうにするのですが、しかしその背後のお二人はにこにこしたもの。
「いいよいいよ大吾くん、私達からお願いしたんだし」
「今更ああだこうだ言うようなことでもないしね、ここでみんなが集まるのなんて。というわけで庄子ちゃん、今日は」
「あ、今日は」
日向さんがふんわりした笑みと共に挨拶をしてくると、そんな旦那さんに倣って栞さんもにっこりと首を傾けてきます。
うーん、兄ちゃんと成美さんみたいにべたべたいちゃいちゃしてるのもいいけど、栞さんと日向さんみたいにのほほんとしてるのもいいもんだなあ。いやそりゃあ、常にこんな感じってわけでもないんだろうけど。
あたしはどうなんだろうか。実際、誰かと付き合うようなことがあったりしたら。
「要するに、そっちもコイツ目当てってことか」
「誰かのお客さんはみんなのお客さんだしね、ここじゃあ」
「まあな」
というここの風潮はあたしも把握しているところではありますが、しかし客の立場でそれを言われるというのは、割と気恥ずかしかったりするものなのです。例えば今この場合であれば、栞さんと日向さんがここに来た目的があたしであるというのは、風潮がどうあれそういうことで間違いないわけですし。
「で、どういう時にキスするかって話だったよね?」
これまでと何ら変わりのない笑みを浮かべたままそう言いつつ、栞さんはその場に座り込みました。となれば、日向さんもその隣へ。
――ええと、そんなさらっと話しちゃうような感じでいいんですかね?
と驚きを禁じ得ないあたしは救いを求めて兄ちゃんの方を向いてみたりするわけですが、しかし兄ちゃんはそんなあたしに気付くことなく成美さんへじっとりした視線を向けていました。
「訊いてきたってオマエ、本当に訊いただけで返事まだだったのか」
「それについてもわたしの裁量ではないのだが……」
「どうせ恥ずかしい話するんだったらせめて自分の口でってね。勘違いがあったりしたらそれこそ恥ずかしいし」
確かにそのほうがいろいろ都合がよくはあるんでしょうけど、そもそも恥ずかしがっているように見えないのはあたしの目が悪いんでしょうか栞さん。
「あー、僕はそこまで言ってないからね? 一応ね?」
うんうん、普通はそれくらいだと思いますよ日向さん。
「で、孝さんどう? どういう時かな?」
「僕に言わせるの!?」
なんかもうあからさまに日向さんの今の台詞を聞いてからの押し付けなのでした。栞さん、これは恥ずかしがってないどころじゃないですね。楽しんでますね間違いなく。
「そ、そりゃあまあ、いい雰囲気になった時とか……」
あ、答えるんですか日向さん。
「そんな当たり前な答えを誰が期待するのかなあ」
栞さんそういうキャラでしたっけ!?
とは思う一方で、でもまあ確かに当たり前ではあるよね、とも。この件の質問者は成美さんなわけですが、その成美さんだってそりゃあ兄ちゃんといい雰囲気になればキスはするわけで。……いや別にそんな、いくらそうに違いないにしたって、あたしが断定するようなことではないんでしょうけど。
で、日向さんだって当然それくらいは分かっているわけです。元から渋い顔を更に渋くさせつつも、次なる回答を口にし始めるのでした。いい人だなあ。
ああ見えて実は一緒になって楽しんでる、という可能性も無きにしも非ずではありますけど。
「……寝る前とか? 毎回ではないけど」
最早成美さんではなく栞さんの方を向いて答えている日向さんでしたが、しかしそれでも質問者が成美さんであることには変わりないので、
「それは『いい雰囲気』の内には含まれないのか?」
と質問が。詳しく語るのは心苦しいでしょうけど頑張ってください日向さん。応援してます。
「毎晩いい雰囲気になるわけじゃないですしねえ。……なんて話、庄子ちゃん前でしちゃっていいものかどうか」
あたしを気に掛けてくれる日向さんでしたが、しかし栞さんの方を向いていたのと同様、今回もあたしのほうではなく別の人の方を向いていたのでした。
「別にいいだろそんくらい。むしろそっちが大丈夫なのかよ」
というわけで、日向さんがお伺いを立てた相手は兄ちゃんです。むーん、そういうことになりますかねえ。そりゃまあ、あたしの前でこんな話をしていいのかどうか、という質問の答えをあたしに求めたりしたら、本末転倒もいいところではあるんですけど。
ちなみに本末転倒をともかくとしてあたしが平気か否かと言われれば、なんとか平気ではあります。中学三年生ともなれば――なんて自分で言うのも変な感じですが――話くらいだったらクラスメイトの間でもされてたりしますし、それに、そりゃまあ、自分でそういうことを考える、なんてのも全くないわけではないですし。うん。
彼氏に胸触らせた、なんて話すらありましたしね最近。よく一緒にいる子から。
ともあれ。
「なんとかね。お相手はこの通りだし」
「んーふふー」
そろそろ楽しんでいることを隠そうとすらしなくなってきた栞さんなのでした。
といったところで、肩の辺りにもぞりとした感触が。もちろんのこと、それはナタリーに動きがあったということです。
「でもあれですよね? 日向さん達って、あの大きいベッドで二人一緒に寝てるんですよね?」
「そう! わたしもそれが疑問だったのだ。話には聞いていたが、いや、これだって話に聞くだけではあるのだが、本当にそういう気分にはならないものなのか? あるだろう、こう、体温とか息使いとか」
ギリギリです成美さん! あたしそれくらいでギリギリです! いつの間に「いい雰囲気」が「そういう気分」に置き換わっちゃってるんですか! 体温って! 息使いって!
頼みますから何かしら否定的な返事をしてください日向さん。さもないとあたし、妄想に出てくる相手がもう不特定ではないんですよう。
と、結構な必死さを発揮せざるを得なくなるあたしではあったのですが、しかし日向さんからは無事、「いえ、特にそういうわけでも」というお返事が。
「落ち付いちゃうんですよね、意外と。相手に釣られてってことではあるんでしょうけど、どっちか一人だけでも寝るモードに入っちゃったらもう、あと一人も釣られて寝るモードに入っちゃうんですよ。『そういう気分』っていうのはだから、たまたま二人ともそういう感じなった時だけってことになりますね。……ってことで大丈夫かな、栞」
「うん、いいと思うよ」
ははあ、成程。一緒にいて落ち付ける相手ってことでもあるんでしょうね、結婚する人ともなると。そうでもないと疲れちゃうでしょうしね。家に帰ればいつも一緒にいることになるのに、その間ずっと変に意識しっ放しっていうのは。
「それに成美さん」
どうやらまだ話に続きがあるらしい日向さんでしたが、ここでようやく、栞さんど同種の楽しそうな笑みを浮かべ始めたのでした。
「なんだ?」
「そもそも息使いとか体温とか言うんだったら、僕達なんかより成美さん達の方がよっぽどじゃないですか。いつも大体膝抱っこされてるんですから」
「はは、それを言われるともう何も言い返せなくなってしまうのだがな」
今はそうではなかったりしますけど、日向さん達を呼びに行く前はしっかり膝抱っこでしたもんね成美さん。
「というわけで大吾」
「このタイミングでかよ」
批判はしつつも抵抗はしない兄ちゃん、いつものように大人しくその膝を成美さんに明け渡します。ただなんとなく座っただけならともかく息使いやら体温やらの話の後ということで、それらを存分に堪能しているのでしょう、なんともまあほくほく顔の成美さんなのでした。
兄ちゃんの膝の上はそんなに居心地がいいんだろうか、なんて疑問は今更持つようなものではないのですが、しかし今回はその逆が気になったりも。
「ねえ兄ちゃん」
「ん?」
「成美さんが兄ちゃんの膝を気に入ってるのはいいとして、兄ちゃんの方はどうなの? やっぱり兄ちゃんも同じように気に入ってるの? 兄ちゃんのほうから座るように言ってるところって、全くないわけじゃないけど滅多にないし」
聞いてはみたものの、こっちについても今更疑問を持つようなものではないのでしょう。ただ成美さんのそれとは違って、証言を得たことがこれまでないのでした。
いえ、これまで一度も気にならなかったというわけではないのです。ただやっぱり、ちょっと前までの兄ちゃんはそういうことを質問してもどうせ逃げたり誤魔化したり下手したら怒ったり(もちろん本気ではないわけですが)、だったんでしょうしね。
で、ここ最近丸くなった兄ちゃんの返事はというと、
「そりゃまあ、そうでもなかったらこうも頻繁にっていうのはな」
目論見、いやいや見込み通り、素直なお返事なのでした。
「いくらちっこくて軽いからって、長いことこのままだとやっぱり足痛くなったりもするし。あとは――まあ庄子なら知ってると思うけどコイツ、ちょっと体温高めであったかかったりするし」
「ああ、うん、分かる」
分かってしまうと弄くりに行けなくなってしまうわけですがしかし、それを理由に否定なんかできようもないくらい、成美さんのあったかさは心地よいものなのです。もちろんのこと、そこにふわっふわの髪も相まってくるわけですし。
小さい子どもは体温が高かったりしますが――しかしそれは本当に小さな、もう赤ちゃんと言って差し支えないくらいの子に限る話ではあるんでしょうし、じゃあ成美さんのこれはやっぱり、猫であることが由来なんでしょうか? 同じくらい、なのかどうかは身体の大きさに差があり過ぎてよく分かりませんけど、旦那さんもあったかいですしね。
「でもそれだとさあ」
とここで、あたしの胸が喋りました。いやもちろんフライデーですけど。
そういえばこれって男に胸触られてるってことになるのかな……? なんて、いやいや。
「何?」
「成美君からすれば逆に、みんなはちょっと冷たいってことにならないかい? あ、態度の話じゃなくてね?」
むしろ言わないほうがよかったんじゃないかな最後のは。
と、それはともかく言われてみれば確かにそうです。どうなんでしょう、その辺り。
「冷たいというほどではないが、少々ひんやりとすることはあるな」
「することはあるって、じゃあいつもそうってわけじゃないのか?」
兄ちゃんも気になるのでしょう。というか兄ちゃんこそが一番気になっているのでしょう、成美さんが答えるとすぐさま質問を重ねていくのでした。
「そりゃあそうだとも。……ああ、しかし大吾、そもそもひんやりするのだって悪くはないのだぞ? なんだかそういうことになっている雰囲気だが」
「そうか」
と、あからさまにほっとしながら短く返す兄ちゃんなのでした。うーん、そこまで気にすることができるっていうのもそれはそれで特権だなあ。
「ひんやりしない時っていうのはどういう時?」
ほっとし過ぎたのか兄ちゃんからの質問はそこで途切れてしまいましたが、しかし入れ替わるようにして今度は栞さんが尋ねます。が、しかし、それって訊いちゃっていいようなことなんでしょうか?
「いやあ、それはもう、ふふふ」
ああ、訊いちゃ駄目なアレだコレ。いや成美さん自身はどう見ても答えることにやぶさかではなさそうですが、あたしが駄目ですこれ多分。
「わたしの体温が伝わって、ということなのかもしれんが、暫く触れたままでいれば誰であれだんだん温かくなっていくし――初めから温かい時だって、まあ、あるわけだ」
「そっちはそれ、兄ちゃんに限った話ですよねどうせ」
「ははは、どうせと来たか。うむ、その通り。どうやら察しはついているようだし聞きたくもないようだし、ならば皆までは言わないでおくがな」
「オレ、なんか悪いことしたっけなあ? 普段の様子だけで話進めても問題なかったと思うんだけどなあ……?」
どうやら兄ちゃんもダメージを負ったようでした。むう、なんであたしら兄妹だけこんな目に。
「まあ、でも分かるよね」
栞さんでした。
「何を言うつもりなのかなあ」
日向さんでした。どうぞどうぞあたし達とご一緒に。
「いやほら、最初からあったかい時っていうの。別にやらしい話じゃなくて――まあもちろんそれも含んではいるんだけど、孝さんはない? そういうの」
「僕も栞も成美さんみたいに体温高いわけじゃないしなあ」
「んー、それはそうなんだけど……」
当たり前だけど日向さんは栞さんの体温をご存じなんですね。と、そんな話はともかく。
栞さん、分かって欲しくて仕方がないと言わんばかりに焦れた表情をしてらっしゃるのでした。うーん、こう言っちゃなんですが非常に可愛いです。
と、あたしがそう思えるのであれば日向さんなんてもっとなわけで、
「いや、まあ、分かるけどね?」
見事にしてやられたようなのでした。優しいと見るかだらしないと見るかは人それぞれなんでしょうけどね。
「あっ、分からない振りしてやり過ごそうとしたってこと? 酷いなあ」
「やらしい話でないにしても恥ずかしいのには変わりなさそうだし……」
「それは否定できないけどね」
さっきまでの表情が一転、ニヤリと笑んでみせる栞さん。兄ちゃんだけかと思ってましたけど、どうやら同棲(というか結婚かな?)を機にちょっと物腰が変わるというのは、そんなに珍しいことでもないのかもしれません。四分の二ですしね、この部屋の中だけでも。
ちなみに兄ちゃんと同列扱いしている以上は、良い変化か悪い変化かと言われればそりゃあ良い変化なのでしょう。良い悪いは日向さんが判断するところでしょうし、日向さんが嫌がるんだったらそんな変化は起こりようがないんでしょうしね。
「でもまあ栞、こういう話になっちゃうんだったらもうこっちも乗っちゃうけど」
「おっ、いいよいいよ。うんうん、何かな?」
その返し方にはものすっごく胸がおっきい人を連想しないではありませんでしたが、まあそれはともかくとしておきまして。
「触れてる側が一方的にあったかいってこともないんじゃないかな。触れられる側の気分もあってそう感じる、みたいな」
「あー」
確かにそれなら自分の体温がどうあれあったかく感じますよね。なんて、そんな経験もなければそもそも相手がいない身で分かったふうな同意をしてみても、ただただ虚しいだけではあるのですが。
「確かに、私が想像してるのってあれの時だし」
「だと思ったけど、その言い方はどうかなあ」
な、なんでしょうかあれって。やっぱり……いや、でも、やらしい話は除外してたはずですし、そういうことではないんですよね? そうであって欲しいです、なんとなく。
「というわけなので、いま栞が言ったことは気にしないでください。あれとしか言いようがないんです」
はい。
「って言ってるけど、オマエどうだ?」
あちらの話が済んだところで今度はこちら、兄ちゃん達です。
「あれ?」
「じゃなくて、触れられる側もどうとかっていう」
「ああ、そっちか。ふうむ、そういうことにはなるのかもな。まあなんだ、わたしが言っていたのはずばりやらしい話なのだが、そういう時というのはもちろんこちらだってその気になっているわけだし」
「……いや、うん。訊いたのオレだしな。仕方ないよな」
さっきそれでダメージを受けたばかりだというのにこの馬鹿兄ちゃんはやっぱり馬鹿なのでした。ただ、今回はあたしにまで被害が及ぶので割と本気で勘弁してほしいところです。
「どうする? この話、どうやったって行き着くところはここだぞ?」
「そうだな、この辺で切り上げよう。切り上げさせてくれ」
どうやら勘弁してくれたらしい成美さんなのでした。さすがお優しい。
「そんな露骨に残念そうな顔しなくても」
「あれ、そうだった?」
一方、そうだったらしい栞さんなのでした。本当に変わったなあ、なんていちいちそんなふうに思ってしまったりもするのですがしかし、よくよく考えてみると、そんな栞さんと日向さんのやらしい話に対するスタンスは、成美さんと兄ちゃんのそれと見事に合致しているのでした。女の人が積極的で男の人が消極的、という。
果たしてこれはそのまんま男女の差ということになるのか、それとも四人それぞれがたまたまそういう人達だったというだけなのか、はたまたあたしがこの場にいるからなのか、さてどれが正解ということになるんでしょうね。場合によっては参考に――って、だからこっちはそれ以前の問題だって言ってるだろあたし。
「よし、ならば庄子」
「あ、はい?」
いかんいかん、妄想ばっかりお盛んになっちゃって現実が疎かになってたぞあたし。いやまあ、「それ以前の問題」っていう点については、重く受け止めるべき現実ではあるんだけど。はあ。
「早速だが買い物に付き合ってくれ」
「がっ」
あたしがその意味を理解するより、兄ちゃんが変な声を上げる方が早かったのでした。
で、それから数瞬送れて理解するところによれば、それというのはつまり、ちょっと前に話をしたアレなのでしょう。下着買いに行きましょうっていう。
「早速って、じゃあ私達が来る前からそういう話になってたってこと? うーん、だったらちょっとお邪魔だったかなあ、今更だけど」
と、栞さん。そういえばそうでした、栞さんと日向さんが来る前でしたねあの話したの。……まあ、栞さんはともかく日向さんの前で下着の話なんてしませんしねそりゃあ。
「いやいや、そうは言わんさ。むしろお前も一緒にどうだ? なあ庄子」
ええと、栞さんだけ、ですよねもちろん。日向さんも含んでたりはしませんよねそれ。
「ただし今回はちょっと事情があって、男、というか大吾と日向には留守番をしてもらう」
「あ、私は許された感じかな?」
許されないんだったらそんなとこにしがみついてることも許してないよフライデー。
「ねえ大吾、これどういう話?」
「話すにしてもみんなが出てった後な。どう考えてもオレ弄られるし」
日向さんの疑問はもっともなのですが、あたしとしても兄ちゃんの意見には賛成です。まず間違いなくあたしもその弄りに参加はするのでしょうが、どうせまたさっきみたいに聞いてるだけで辛い内容まで言及されちゃうことになるんですしね。
「もうその時点で大体把握できたような気もするけど、分かった。で、当然栞は行くんだよね?」
「当然」
当然と言われて当然と返すのもなかなかないような気はしますが、それほどまでに当然ということなのでしょう。ううむ、最初のうちはこっちの部屋に来てもらうことだけですら遠慮してたっていうのに。
「じゃあナタリーとフライデーもそのまま庄子にくっ付いていくとして、でもジョンはオレらと留守番だよな。向こう着いた後外で見とく奴いないし」
「うむ。頼んだぞ」
「へいへい」
というわけで、ちょっと残念ですがジョンは今回留守番です。そういうのが兄ちゃんの仕事なんだから仕方ないよね、という話には、微かに自慢げなところがあったりなかったり。
「ああ、今朝大学行く前にはちょっとしか触れなかったけどこれで!」
一方で日向さん、なんだか非常に嬉しそうにしているのでした。今朝何があったというのでしょうか。
「ふふっ。――うむ、で、そうとなったらその前に」
出発前に何かすることがあるらしい成美さん、すっと立ち上がって私室の方へ。何か、なんて言ってみてもそれはもちろん、耳を出して実体化するための着替えなんですけどね。
ただ出掛けるだけならともかく買い物をするとなったら実体化しなきゃどうしようもない、ということではあるのですが、しかし今回は下着を見に行くわけで、じゃあやっぱり大人の身体に合う方をということにもなるわけです。なんたって兄ちゃんの目を惹く目的なんですから。
…………。
いや、小さい身体に合う方で目を惹かれたとしても、そこについてあたしから文句を付けたりはしませんけどね? 社会的には問題なのかもしれませんけど、そこは身体がどうあれ夫婦なんですし。
なんてことを考えている間に成美さんの着替えが済んだようで、閉められていたふすまがすっと開かれるわけですが、
「おお!? どうしたんですか成美さんそれ! その服!」
下着とはいえ服を見に行こうという話だったにもかかわらず、出掛ける前から見たことのない服装で現れた成美さんなのでした。
すらっとした足を強調するタイトジーンズ! 肌と髪、そしていつものワンピースと成美さんを象徴する色である白はブラウスに乗せ、そしてその下の黒Tシャツでそれをより際立たせ! ついでにいつもはそんなに目立たせていない兄ちゃんが贈った婚約指輪代わりのネックレスもシャツの上に出して! 更についでにニット帽は手に持っているだけで猫耳を隠すことはなく!
なんだこれは、いつの間に成美さんがこんな!?
「あ、前に私が選んだやつ」
栞さんグッジョブ!
ですが!
「なんかハードル上がっちゃったような!」
下着と洋服。土俵からして違うとはいえ、そりゃあ負けるわけにはいかないわけです。
「ん? 何の話?」
「ふふふ、今日は宜しくな庄子」
「で、お買い物っていうのは何を?」
あまくに荘を出てすぐ、栞さんが成美さんに尋ねます。そりゃまあ、あの話の流れじゃあ何かしら明確な目的があるのは明白でしたしね。なんせ強制的に留守番させられた人達がいたわけですし。
「下着だ」
あっさり答える成美さんでした。機会があったら下着を見に行きましょう、なんて誘いを掛けたのはあたしなわけで、じゃあこんなことを言えた立場ではないんでしょうけど、恥じらいというものは一切ないようなのでした。まあ、そうじゃなかったら呼ばなかったでしょうしね栞さん。
残念がっている気分を吹き飛ばすかのように、声と表情をぱっと明るくさせる成美さんでした。が、それはともかく、実際に訊いてみるっていうのは、誰に何を?
「誰に何をだよ」
さすがは血を分けた兄、というほどのことではないのかもしれませんが、思った通りのことをそのまま尋ねてくれる兄ちゃんなのでした。うーん、これを嬉しがるっていうのは我ながらちょっとどうかとは思うけど。
で、それはともかく成美さんなのですが、
「誰にって、そんなもの一人しかおらんではないか。他は皆外出中だぞ?」
とのことでした。
というわけで、
「訊いてきたぞ」
成美さん、204号室からご帰還です。家守さん達は仕事中、清さんはいつも通り外出中となったらそりゃあまあ、栞さん達しか残ってませんもんねもう。ああ、でも日向さんはもしかしたらまだ大学――
「あと、二人とも一緒に来てしまったぞ」
『お邪魔しまーす』
あ、夫婦お揃いだったようで。
「今日明日くらいは夫婦水入らずで、みたいなこと言ってなかったっけかオマエ。朝お邪魔した時に」
「もちろんわたしもそうは言ったのだが……」
今だけでなくどうやら朝方にもお邪魔していたようです。今日明日くらいは、というのはやっぱり、明後日の結婚式を踏まえてのことなんでしょう。私なんかはその「今日明日」の間に手紙まで貰ってご招待されちゃいましたけどね――なんて、誰に対しての自慢なんだか。
それはともかく成美さん、兄ちゃんにそう言われて立つ瀬無さそうにするのですが、しかしその背後のお二人はにこにこしたもの。
「いいよいいよ大吾くん、私達からお願いしたんだし」
「今更ああだこうだ言うようなことでもないしね、ここでみんなが集まるのなんて。というわけで庄子ちゃん、今日は」
「あ、今日は」
日向さんがふんわりした笑みと共に挨拶をしてくると、そんな旦那さんに倣って栞さんもにっこりと首を傾けてきます。
うーん、兄ちゃんと成美さんみたいにべたべたいちゃいちゃしてるのもいいけど、栞さんと日向さんみたいにのほほんとしてるのもいいもんだなあ。いやそりゃあ、常にこんな感じってわけでもないんだろうけど。
あたしはどうなんだろうか。実際、誰かと付き合うようなことがあったりしたら。
「要するに、そっちもコイツ目当てってことか」
「誰かのお客さんはみんなのお客さんだしね、ここじゃあ」
「まあな」
というここの風潮はあたしも把握しているところではありますが、しかし客の立場でそれを言われるというのは、割と気恥ずかしかったりするものなのです。例えば今この場合であれば、栞さんと日向さんがここに来た目的があたしであるというのは、風潮がどうあれそういうことで間違いないわけですし。
「で、どういう時にキスするかって話だったよね?」
これまでと何ら変わりのない笑みを浮かべたままそう言いつつ、栞さんはその場に座り込みました。となれば、日向さんもその隣へ。
――ええと、そんなさらっと話しちゃうような感じでいいんですかね?
と驚きを禁じ得ないあたしは救いを求めて兄ちゃんの方を向いてみたりするわけですが、しかし兄ちゃんはそんなあたしに気付くことなく成美さんへじっとりした視線を向けていました。
「訊いてきたってオマエ、本当に訊いただけで返事まだだったのか」
「それについてもわたしの裁量ではないのだが……」
「どうせ恥ずかしい話するんだったらせめて自分の口でってね。勘違いがあったりしたらそれこそ恥ずかしいし」
確かにそのほうがいろいろ都合がよくはあるんでしょうけど、そもそも恥ずかしがっているように見えないのはあたしの目が悪いんでしょうか栞さん。
「あー、僕はそこまで言ってないからね? 一応ね?」
うんうん、普通はそれくらいだと思いますよ日向さん。
「で、孝さんどう? どういう時かな?」
「僕に言わせるの!?」
なんかもうあからさまに日向さんの今の台詞を聞いてからの押し付けなのでした。栞さん、これは恥ずかしがってないどころじゃないですね。楽しんでますね間違いなく。
「そ、そりゃあまあ、いい雰囲気になった時とか……」
あ、答えるんですか日向さん。
「そんな当たり前な答えを誰が期待するのかなあ」
栞さんそういうキャラでしたっけ!?
とは思う一方で、でもまあ確かに当たり前ではあるよね、とも。この件の質問者は成美さんなわけですが、その成美さんだってそりゃあ兄ちゃんといい雰囲気になればキスはするわけで。……いや別にそんな、いくらそうに違いないにしたって、あたしが断定するようなことではないんでしょうけど。
で、日向さんだって当然それくらいは分かっているわけです。元から渋い顔を更に渋くさせつつも、次なる回答を口にし始めるのでした。いい人だなあ。
ああ見えて実は一緒になって楽しんでる、という可能性も無きにしも非ずではありますけど。
「……寝る前とか? 毎回ではないけど」
最早成美さんではなく栞さんの方を向いて答えている日向さんでしたが、しかしそれでも質問者が成美さんであることには変わりないので、
「それは『いい雰囲気』の内には含まれないのか?」
と質問が。詳しく語るのは心苦しいでしょうけど頑張ってください日向さん。応援してます。
「毎晩いい雰囲気になるわけじゃないですしねえ。……なんて話、庄子ちゃん前でしちゃっていいものかどうか」
あたしを気に掛けてくれる日向さんでしたが、しかし栞さんの方を向いていたのと同様、今回もあたしのほうではなく別の人の方を向いていたのでした。
「別にいいだろそんくらい。むしろそっちが大丈夫なのかよ」
というわけで、日向さんがお伺いを立てた相手は兄ちゃんです。むーん、そういうことになりますかねえ。そりゃまあ、あたしの前でこんな話をしていいのかどうか、という質問の答えをあたしに求めたりしたら、本末転倒もいいところではあるんですけど。
ちなみに本末転倒をともかくとしてあたしが平気か否かと言われれば、なんとか平気ではあります。中学三年生ともなれば――なんて自分で言うのも変な感じですが――話くらいだったらクラスメイトの間でもされてたりしますし、それに、そりゃまあ、自分でそういうことを考える、なんてのも全くないわけではないですし。うん。
彼氏に胸触らせた、なんて話すらありましたしね最近。よく一緒にいる子から。
ともあれ。
「なんとかね。お相手はこの通りだし」
「んーふふー」
そろそろ楽しんでいることを隠そうとすらしなくなってきた栞さんなのでした。
といったところで、肩の辺りにもぞりとした感触が。もちろんのこと、それはナタリーに動きがあったということです。
「でもあれですよね? 日向さん達って、あの大きいベッドで二人一緒に寝てるんですよね?」
「そう! わたしもそれが疑問だったのだ。話には聞いていたが、いや、これだって話に聞くだけではあるのだが、本当にそういう気分にはならないものなのか? あるだろう、こう、体温とか息使いとか」
ギリギリです成美さん! あたしそれくらいでギリギリです! いつの間に「いい雰囲気」が「そういう気分」に置き換わっちゃってるんですか! 体温って! 息使いって!
頼みますから何かしら否定的な返事をしてください日向さん。さもないとあたし、妄想に出てくる相手がもう不特定ではないんですよう。
と、結構な必死さを発揮せざるを得なくなるあたしではあったのですが、しかし日向さんからは無事、「いえ、特にそういうわけでも」というお返事が。
「落ち付いちゃうんですよね、意外と。相手に釣られてってことではあるんでしょうけど、どっちか一人だけでも寝るモードに入っちゃったらもう、あと一人も釣られて寝るモードに入っちゃうんですよ。『そういう気分』っていうのはだから、たまたま二人ともそういう感じなった時だけってことになりますね。……ってことで大丈夫かな、栞」
「うん、いいと思うよ」
ははあ、成程。一緒にいて落ち付ける相手ってことでもあるんでしょうね、結婚する人ともなると。そうでもないと疲れちゃうでしょうしね。家に帰ればいつも一緒にいることになるのに、その間ずっと変に意識しっ放しっていうのは。
「それに成美さん」
どうやらまだ話に続きがあるらしい日向さんでしたが、ここでようやく、栞さんど同種の楽しそうな笑みを浮かべ始めたのでした。
「なんだ?」
「そもそも息使いとか体温とか言うんだったら、僕達なんかより成美さん達の方がよっぽどじゃないですか。いつも大体膝抱っこされてるんですから」
「はは、それを言われるともう何も言い返せなくなってしまうのだがな」
今はそうではなかったりしますけど、日向さん達を呼びに行く前はしっかり膝抱っこでしたもんね成美さん。
「というわけで大吾」
「このタイミングでかよ」
批判はしつつも抵抗はしない兄ちゃん、いつものように大人しくその膝を成美さんに明け渡します。ただなんとなく座っただけならともかく息使いやら体温やらの話の後ということで、それらを存分に堪能しているのでしょう、なんともまあほくほく顔の成美さんなのでした。
兄ちゃんの膝の上はそんなに居心地がいいんだろうか、なんて疑問は今更持つようなものではないのですが、しかし今回はその逆が気になったりも。
「ねえ兄ちゃん」
「ん?」
「成美さんが兄ちゃんの膝を気に入ってるのはいいとして、兄ちゃんの方はどうなの? やっぱり兄ちゃんも同じように気に入ってるの? 兄ちゃんのほうから座るように言ってるところって、全くないわけじゃないけど滅多にないし」
聞いてはみたものの、こっちについても今更疑問を持つようなものではないのでしょう。ただ成美さんのそれとは違って、証言を得たことがこれまでないのでした。
いえ、これまで一度も気にならなかったというわけではないのです。ただやっぱり、ちょっと前までの兄ちゃんはそういうことを質問してもどうせ逃げたり誤魔化したり下手したら怒ったり(もちろん本気ではないわけですが)、だったんでしょうしね。
で、ここ最近丸くなった兄ちゃんの返事はというと、
「そりゃまあ、そうでもなかったらこうも頻繁にっていうのはな」
目論見、いやいや見込み通り、素直なお返事なのでした。
「いくらちっこくて軽いからって、長いことこのままだとやっぱり足痛くなったりもするし。あとは――まあ庄子なら知ってると思うけどコイツ、ちょっと体温高めであったかかったりするし」
「ああ、うん、分かる」
分かってしまうと弄くりに行けなくなってしまうわけですがしかし、それを理由に否定なんかできようもないくらい、成美さんのあったかさは心地よいものなのです。もちろんのこと、そこにふわっふわの髪も相まってくるわけですし。
小さい子どもは体温が高かったりしますが――しかしそれは本当に小さな、もう赤ちゃんと言って差し支えないくらいの子に限る話ではあるんでしょうし、じゃあ成美さんのこれはやっぱり、猫であることが由来なんでしょうか? 同じくらい、なのかどうかは身体の大きさに差があり過ぎてよく分かりませんけど、旦那さんもあったかいですしね。
「でもそれだとさあ」
とここで、あたしの胸が喋りました。いやもちろんフライデーですけど。
そういえばこれって男に胸触られてるってことになるのかな……? なんて、いやいや。
「何?」
「成美君からすれば逆に、みんなはちょっと冷たいってことにならないかい? あ、態度の話じゃなくてね?」
むしろ言わないほうがよかったんじゃないかな最後のは。
と、それはともかく言われてみれば確かにそうです。どうなんでしょう、その辺り。
「冷たいというほどではないが、少々ひんやりとすることはあるな」
「することはあるって、じゃあいつもそうってわけじゃないのか?」
兄ちゃんも気になるのでしょう。というか兄ちゃんこそが一番気になっているのでしょう、成美さんが答えるとすぐさま質問を重ねていくのでした。
「そりゃあそうだとも。……ああ、しかし大吾、そもそもひんやりするのだって悪くはないのだぞ? なんだかそういうことになっている雰囲気だが」
「そうか」
と、あからさまにほっとしながら短く返す兄ちゃんなのでした。うーん、そこまで気にすることができるっていうのもそれはそれで特権だなあ。
「ひんやりしない時っていうのはどういう時?」
ほっとし過ぎたのか兄ちゃんからの質問はそこで途切れてしまいましたが、しかし入れ替わるようにして今度は栞さんが尋ねます。が、しかし、それって訊いちゃっていいようなことなんでしょうか?
「いやあ、それはもう、ふふふ」
ああ、訊いちゃ駄目なアレだコレ。いや成美さん自身はどう見ても答えることにやぶさかではなさそうですが、あたしが駄目ですこれ多分。
「わたしの体温が伝わって、ということなのかもしれんが、暫く触れたままでいれば誰であれだんだん温かくなっていくし――初めから温かい時だって、まあ、あるわけだ」
「そっちはそれ、兄ちゃんに限った話ですよねどうせ」
「ははは、どうせと来たか。うむ、その通り。どうやら察しはついているようだし聞きたくもないようだし、ならば皆までは言わないでおくがな」
「オレ、なんか悪いことしたっけなあ? 普段の様子だけで話進めても問題なかったと思うんだけどなあ……?」
どうやら兄ちゃんもダメージを負ったようでした。むう、なんであたしら兄妹だけこんな目に。
「まあ、でも分かるよね」
栞さんでした。
「何を言うつもりなのかなあ」
日向さんでした。どうぞどうぞあたし達とご一緒に。
「いやほら、最初からあったかい時っていうの。別にやらしい話じゃなくて――まあもちろんそれも含んではいるんだけど、孝さんはない? そういうの」
「僕も栞も成美さんみたいに体温高いわけじゃないしなあ」
「んー、それはそうなんだけど……」
当たり前だけど日向さんは栞さんの体温をご存じなんですね。と、そんな話はともかく。
栞さん、分かって欲しくて仕方がないと言わんばかりに焦れた表情をしてらっしゃるのでした。うーん、こう言っちゃなんですが非常に可愛いです。
と、あたしがそう思えるのであれば日向さんなんてもっとなわけで、
「いや、まあ、分かるけどね?」
見事にしてやられたようなのでした。優しいと見るかだらしないと見るかは人それぞれなんでしょうけどね。
「あっ、分からない振りしてやり過ごそうとしたってこと? 酷いなあ」
「やらしい話でないにしても恥ずかしいのには変わりなさそうだし……」
「それは否定できないけどね」
さっきまでの表情が一転、ニヤリと笑んでみせる栞さん。兄ちゃんだけかと思ってましたけど、どうやら同棲(というか結婚かな?)を機にちょっと物腰が変わるというのは、そんなに珍しいことでもないのかもしれません。四分の二ですしね、この部屋の中だけでも。
ちなみに兄ちゃんと同列扱いしている以上は、良い変化か悪い変化かと言われればそりゃあ良い変化なのでしょう。良い悪いは日向さんが判断するところでしょうし、日向さんが嫌がるんだったらそんな変化は起こりようがないんでしょうしね。
「でもまあ栞、こういう話になっちゃうんだったらもうこっちも乗っちゃうけど」
「おっ、いいよいいよ。うんうん、何かな?」
その返し方にはものすっごく胸がおっきい人を連想しないではありませんでしたが、まあそれはともかくとしておきまして。
「触れてる側が一方的にあったかいってこともないんじゃないかな。触れられる側の気分もあってそう感じる、みたいな」
「あー」
確かにそれなら自分の体温がどうあれあったかく感じますよね。なんて、そんな経験もなければそもそも相手がいない身で分かったふうな同意をしてみても、ただただ虚しいだけではあるのですが。
「確かに、私が想像してるのってあれの時だし」
「だと思ったけど、その言い方はどうかなあ」
な、なんでしょうかあれって。やっぱり……いや、でも、やらしい話は除外してたはずですし、そういうことではないんですよね? そうであって欲しいです、なんとなく。
「というわけなので、いま栞が言ったことは気にしないでください。あれとしか言いようがないんです」
はい。
「って言ってるけど、オマエどうだ?」
あちらの話が済んだところで今度はこちら、兄ちゃん達です。
「あれ?」
「じゃなくて、触れられる側もどうとかっていう」
「ああ、そっちか。ふうむ、そういうことにはなるのかもな。まあなんだ、わたしが言っていたのはずばりやらしい話なのだが、そういう時というのはもちろんこちらだってその気になっているわけだし」
「……いや、うん。訊いたのオレだしな。仕方ないよな」
さっきそれでダメージを受けたばかりだというのにこの馬鹿兄ちゃんはやっぱり馬鹿なのでした。ただ、今回はあたしにまで被害が及ぶので割と本気で勘弁してほしいところです。
「どうする? この話、どうやったって行き着くところはここだぞ?」
「そうだな、この辺で切り上げよう。切り上げさせてくれ」
どうやら勘弁してくれたらしい成美さんなのでした。さすがお優しい。
「そんな露骨に残念そうな顔しなくても」
「あれ、そうだった?」
一方、そうだったらしい栞さんなのでした。本当に変わったなあ、なんていちいちそんなふうに思ってしまったりもするのですがしかし、よくよく考えてみると、そんな栞さんと日向さんのやらしい話に対するスタンスは、成美さんと兄ちゃんのそれと見事に合致しているのでした。女の人が積極的で男の人が消極的、という。
果たしてこれはそのまんま男女の差ということになるのか、それとも四人それぞれがたまたまそういう人達だったというだけなのか、はたまたあたしがこの場にいるからなのか、さてどれが正解ということになるんでしょうね。場合によっては参考に――って、だからこっちはそれ以前の問題だって言ってるだろあたし。
「よし、ならば庄子」
「あ、はい?」
いかんいかん、妄想ばっかりお盛んになっちゃって現実が疎かになってたぞあたし。いやまあ、「それ以前の問題」っていう点については、重く受け止めるべき現実ではあるんだけど。はあ。
「早速だが買い物に付き合ってくれ」
「がっ」
あたしがその意味を理解するより、兄ちゃんが変な声を上げる方が早かったのでした。
で、それから数瞬送れて理解するところによれば、それというのはつまり、ちょっと前に話をしたアレなのでしょう。下着買いに行きましょうっていう。
「早速って、じゃあ私達が来る前からそういう話になってたってこと? うーん、だったらちょっとお邪魔だったかなあ、今更だけど」
と、栞さん。そういえばそうでした、栞さんと日向さんが来る前でしたねあの話したの。……まあ、栞さんはともかく日向さんの前で下着の話なんてしませんしねそりゃあ。
「いやいや、そうは言わんさ。むしろお前も一緒にどうだ? なあ庄子」
ええと、栞さんだけ、ですよねもちろん。日向さんも含んでたりはしませんよねそれ。
「ただし今回はちょっと事情があって、男、というか大吾と日向には留守番をしてもらう」
「あ、私は許された感じかな?」
許されないんだったらそんなとこにしがみついてることも許してないよフライデー。
「ねえ大吾、これどういう話?」
「話すにしてもみんなが出てった後な。どう考えてもオレ弄られるし」
日向さんの疑問はもっともなのですが、あたしとしても兄ちゃんの意見には賛成です。まず間違いなくあたしもその弄りに参加はするのでしょうが、どうせまたさっきみたいに聞いてるだけで辛い内容まで言及されちゃうことになるんですしね。
「もうその時点で大体把握できたような気もするけど、分かった。で、当然栞は行くんだよね?」
「当然」
当然と言われて当然と返すのもなかなかないような気はしますが、それほどまでに当然ということなのでしょう。ううむ、最初のうちはこっちの部屋に来てもらうことだけですら遠慮してたっていうのに。
「じゃあナタリーとフライデーもそのまま庄子にくっ付いていくとして、でもジョンはオレらと留守番だよな。向こう着いた後外で見とく奴いないし」
「うむ。頼んだぞ」
「へいへい」
というわけで、ちょっと残念ですがジョンは今回留守番です。そういうのが兄ちゃんの仕事なんだから仕方ないよね、という話には、微かに自慢げなところがあったりなかったり。
「ああ、今朝大学行く前にはちょっとしか触れなかったけどこれで!」
一方で日向さん、なんだか非常に嬉しそうにしているのでした。今朝何があったというのでしょうか。
「ふふっ。――うむ、で、そうとなったらその前に」
出発前に何かすることがあるらしい成美さん、すっと立ち上がって私室の方へ。何か、なんて言ってみてもそれはもちろん、耳を出して実体化するための着替えなんですけどね。
ただ出掛けるだけならともかく買い物をするとなったら実体化しなきゃどうしようもない、ということではあるのですが、しかし今回は下着を見に行くわけで、じゃあやっぱり大人の身体に合う方をということにもなるわけです。なんたって兄ちゃんの目を惹く目的なんですから。
…………。
いや、小さい身体に合う方で目を惹かれたとしても、そこについてあたしから文句を付けたりはしませんけどね? 社会的には問題なのかもしれませんけど、そこは身体がどうあれ夫婦なんですし。
なんてことを考えている間に成美さんの着替えが済んだようで、閉められていたふすまがすっと開かれるわけですが、
「おお!? どうしたんですか成美さんそれ! その服!」
下着とはいえ服を見に行こうという話だったにもかかわらず、出掛ける前から見たことのない服装で現れた成美さんなのでした。
すらっとした足を強調するタイトジーンズ! 肌と髪、そしていつものワンピースと成美さんを象徴する色である白はブラウスに乗せ、そしてその下の黒Tシャツでそれをより際立たせ! ついでにいつもはそんなに目立たせていない兄ちゃんが贈った婚約指輪代わりのネックレスもシャツの上に出して! 更についでにニット帽は手に持っているだけで猫耳を隠すことはなく!
なんだこれは、いつの間に成美さんがこんな!?
「あ、前に私が選んだやつ」
栞さんグッジョブ!
ですが!
「なんかハードル上がっちゃったような!」
下着と洋服。土俵からして違うとはいえ、そりゃあ負けるわけにはいかないわけです。
「ん? 何の話?」
「ふふふ、今日は宜しくな庄子」
「で、お買い物っていうのは何を?」
あまくに荘を出てすぐ、栞さんが成美さんに尋ねます。そりゃまあ、あの話の流れじゃあ何かしら明確な目的があるのは明白でしたしね。なんせ強制的に留守番させられた人達がいたわけですし。
「下着だ」
あっさり答える成美さんでした。機会があったら下着を見に行きましょう、なんて誘いを掛けたのはあたしなわけで、じゃあこんなことを言えた立場ではないんでしょうけど、恥じらいというものは一切ないようなのでした。まあ、そうじゃなかったら呼ばなかったでしょうしね栞さん。
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