(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十五章 お引っ越し 六

2011-12-26 20:54:42 | 新転地はお化け屋敷
 会話が済んだのならいざ出発、ということで歩き始めた僕達一行。しかしもちろん、その後も会話は発生するわけで、
「そういえば日向」
「なに?」
「なんですか?」
 同じ呼ばれ方をする二人、揃って成美さんへ返事を。ならば成美さんは「まあどっちでもいいのだがな」なんて言いながら軽く笑うわけですが、しかしそうした不都合と言えば不都合であるものを、特に気に掛けるふうではありませんでした。
「何か部屋でゴトゴト音がしていたが、あれは何をしていたのだ?……あ、まさかとは思うが、言い難いことだったら答えてもらわなくて結構だぞ?」
 今朝の、というか昨晩深夜の事件があってのことなのでしょう、後になって慌てて付け加える成美さんなのでした。
 ……いや成美さん、いくらなんでもあんな音は立てませんから。
 というわけで僕も栞も返事をする前に苦笑を挟んでしまうわけですが、するとそうしている間に。
「ゴトゴトってあれだよね。ダブルベッド作ってた音だよねナタリーさん」
「だと思います。他にそれらしい音がするようなことって、なかったですし」
「ワフッ」
 ジョンとその上の二人が、先に返事をしてしまわれるのでした。
「ダブル?」
 声が上がりました。が、それは質問者である成美さんの声ではなく、成美さんはむしろその声を上げた大吾に驚いたのか、見開いた目をそちらへ向けるのでした。
 ちなみにその時、清さんは二人の様子に「んっふっふ」と。一緒に行かなかっただけで知ってますもんね、僕達が何を買うために家守さん高次さんにまで声を掛けたのかは。
「えー、ダ、ダブルベッド? とは、なんだ一体?」
「二人分のおっきなベッドだよ。孝一くんと栞さん、今日からあの上で一緒に寝るんだよねー」
「あれだけふかふかなのに、そのうえ好きな人と一緒だったらもっと気持ちいいでしょうねえ」
 おふああああああ。
 というわけで。
 単にダブルベッドがどういうものであるかを説明するだけなら何でもないでしょうに、サンデーとナタリーさんによって何でもなくはなくなってしまいました。
 しかしどうやらこの話をそんなふうに捉えたのは初めに声を上げた大吾と清さんだけらしく、成美さんは「ほほう」と。どうやら、厭らしくない方向での感心をお持ちになられたようでした。
「なるほど、初めから二人で一つの布団に入る体のものというわけか。面白い発想だな」
「あー、成美。先に言っとくけど、あんま変な話には持ってかねえでくれよ?」
「ん?――はは、そういうことか。心配するな、そこら辺はもうきちんと弁えているぞ」
 大吾があわあわし始めますが、成美さんはこれを一蹴。人によってはそれが寝具であるという時点でもうアウトだったりするのかもしれませんが、成美さんにとってはそこまでではないようでした。布団は寝るためのもの。単純に、そういう認識なのでしょう。
 で、すると今度はその成美さんの足元から、
「俺にはよく分からんが、口を出さないほうが良さそうだということだけはなんとなく把握した」
 と猫さん。
「なに、それが把握できただけでも進歩したというものだ。――ふふ、今朝あれだけ怒られたものな、わたしに」
「ふん」
 それを笑顔で話せる成美さんと猫さんの関係にほっこりしておくべきなのか、猫さんが人間に対する理解を深めていることを嬉しく思うべきなのか、はたまたその「あれだけ怒られた」の原因であることを申し訳なく思うべきなのか。
 少し考えましたがしかし、少なくともどれ一つとして間違いではないので、全部いっぺんに思っておくことにしました。
「それで哀沢さん」
「おっ。お、おお。なんだ楽?」
「哀沢さんとしてはどうですか? ダブルベッドというものは」
 何か突っ掛かるような反応をした成美さんでしたが、清さんが特にそれを気に留めなかったので、話はそのまま続きます。……笑顔に隠れて気に留めたふうに見えなかっただけ、ということも考えられますけどね、清さんの場合。
「うーむ、そうだなあ。そのダブルベッドを否定するわけではないが、『一緒に寝たいと思った時に初めてそうする』というのもなかなかいいものだと思うのだ。『常に一緒』よりはそっちのほうが性に合っているかなあ、わたしは」
 そのダブルベッドを買った身ながら、なるほどそれはあるかもな、とも。かといってもちろん、じゃあそっちでいいや、ということになるわけではありませんが。
 ちなみにその後、「このあいだ買った抱き枕はかなりいい感じだしな」とも。でも成美さん、それってつまり、常に一緒に寝ていたら抱き枕の出番がなくなってしまうってことなんじゃないでしょうか?
 そんなこと言っちゃって大丈夫なのかなあ、というこちらの心配を余所に、成美さんは話を続けます。
「大吾はどうだ?」
「え、オレ?」
「そりゃあそうなるだろう、順当に考えれば」
「あ、あー、まあ、そうだよな」
 というわけで今度は大吾の番なのだそうでした。頑張れ、大吾。
「うーん」
 腕を組み、唸る大吾。
 ちらっと成美さんのほうを見て、
「うーん」
 また唸ります。さて、そこにはどんな思惑が隠れているのでしょうか。
「おいおい大吾、ご機嫌取りなんかは結構だぞ」
「いや、そういうわけじゃねえんだけどな」
 成美さんの意見に合わせる、というような話なのでしょう。笑いはしつつも不審がる成美さんですが、しかしそれだけは否定する大吾なのでした。
 とはいえ、「そういうわけではない」というのなら他に何かわけがあるわけでして。
「うーん、でもやっぱオレもオマエと同じだろかなあ」
 その他の何かを隠したまま、大吾はそう言いました。が、もちろん、聞く側としてはそれだけじゃあ物足りません。言わずもがな、成美さんは特に。
「同じというのは、ダブルベッドより別々の布団というところか? それともその理由もか?」
「理由は違うけど――あー、その理由を言うか言わねえかでこんな悩んでんだよな」
「ううむ、ご機嫌取りでないなら是非聞いておきたいところだが」
 わざわざ「ご機嫌取りでないなら」なんて言ったところを見るに、同じ意見であることが嬉しい、ということなのでしょう。そしてだからこそ、残念そうな不安そうな、そんな顔を。
 で、ならばこれまただからこそ、大吾がそんな表情の成美さんを無下に扱ったりできるわけもなく。
「……分かった分かった、言うよ。そんな顔すんなって」
「そうか? ふふ、ありがとう大吾」
 ぱっと顔を明るくする成美さんに、「ったくよぉ」などと悪態を吐く大吾。でもそれは当然――まあ、言うまでもないでしょうが。
 ともかく、理由の発表です。
 しかし大吾はその前に、念入りに、と言ってもいいくらい周囲のみんなへじっくりと視線を送っていました。多分、何も言ってくれるなということなのでしょう。ええ、こっちだってどんな感じの発表になるのかは見当をつけていますとも。
「オマエ、さっき『一緒に寝たいと思った時に初めてそうする』って言っただろ?」
「む? ああ、言ったな」
「そうなった時の、そう頼んでくるオマエが――なんだ、すげえ可愛いから」
 ああ。
 ああ、なるほどね。
「なっ!? きゅ、急に何を言い出すんだお前は。可愛いだなんてそんな、皆の前で」
「今ならもうそれくらいはいいかなって思ったんだよ。……思っただけでオレ自身、なんか駄目っぽいんだけどな」
 身体と声を強張らせる成美さんに対し、大吾はへなへなと肩を落としていました。状況は対照的でしたがしかし、内情は似たようなものなのでしょう。
 ちなみにこれは無粋な補足ということになるのでしょうが、その「一緒に寝たいと思った時に初めてそうする」という言葉を口にした際の成美さんの様子からして、それは本当に一緒に寝る、つまり添い寝することだけを指しているのでしょう。でなければその時の成美さんはもちろん今の大吾だって、この程度の動揺では済んでないんでしょうし。
 添い寝以外に何を指しているんだと言われたらそれは黙秘させてもらいますが、それはともかく。
「でも本当に、それくらいだったらいいと思うよ?」
 揃って照れている大吾と成美さんへそう言ったのは、栞でした。
「例えば――孝さんだって、甘えてくる時はすっごい可愛いし」
「成美さんとは違う意味で恥ずかしいんだけど」
 僕が可愛い側なの? なんて、どちらか一方が担当するようなものでもないのに、ついついそう思ってしまうのでした。
「あと栞、甘える、だけだとどうとでも想像出来ちゃうからどうかなにか具体例を」
「そう? じゃあ、『髪触ってもいい?』って訊いてきた時とか」
 ……そうさせたのは僕なのですが、実際に具体例を出されるとそれはそれでかなりキツいのでした。
「おや。んっふっふ、ちょっと意外ですねえ。日向君がそんなことを?」
 キツい以上、中身以前にそうして話を続けられること自体が辛いわけですが、しかしへこたれてはいられません。これは想定外にダメージを受けてしまっただけであって、「それくらいだったらいいと思う」という栞の意見には賛成なのです。
「意外って清さん、僕だってまあそれくらいは」
「いえいえ、甘えること自体はそりゃあもちろん誰だって。なんせ新婚さんなんですしねえ」
 僕もそういう意味で抗議の声を上げたわけですが、しかしそう仰るからには他の何かがあるのでしょう。
 清さんはその何かを、こちらから尋ねるまでもなく説明し始めました。
「ただ、日向君はもっとストレートに甘える人だと思ってたんですよ。まさか髪を触るなんて変化球が出てくるとは」
「変化球? あれ、髪触るのってそんな変わったことですかね?」
「そうだぞ楽。膝の上に座らせてもらっている時、たまにだが大吾だってわたしの髪を触るぞ」
「オマっ……」
 というわけでなんだか意図せず大吾に傷を負わせてしまいましたが、ともあれ成美さんが僕に同意してくれました。変化球、なんて言われた瞬間には背筋を悪寒が走りましたが、どうやら安心してよさそうです。
「ええ、ただ触るだけならまあ、触れ合いの中でそうなることもあるでしょうが――」
「む?」
 安心していたら、清さんの話には続きがありました。それに対し、僕と似たような感想を持ったのでしょう。成美さん、僕の心の声と似たような声を発していました。
「髪を触ってもいいですか、とわざわざ日向さんに断りを入れるということは、初めからそれが目的ということになりますしねえ」
「む」
「それが甘える時の例として、しかも真っ先に出てきたということは、割と普段から――もっと言えば結構な頻度で、それが起こっているということですよね?」
「むむ!」
「なら日向君は、日向さんの髪が特別にお気に入りなんだろうなあと。哀沢さんが言っていたような『膝に座らせてもらっている時』、つまり『他のことのついでに髪も触る』でなく、『そこを触ってだけいたい』と思うほど」
「うむ。日向、やはりお前はちょっと変わっているな」
 清さんに楯突いた僕が愚かでした。なんせその言い分は完全に僕の行動、心情を言い当てているので、反論の余地すらありません。
 そこへ栞が「私は嫌じゃないですから」とフォローを入れてくれますが、しかし嫌がられてまで髪を触るなんてことがあるわけがなく、ならば逆に言ってそれは当たり前なことなので、フォローとしての効果はあまりなかったことでしょう。
「でも」
 僕は言いました。その一言を発した時点で清さんの言い分を認めていることにはなるのですが、けれど、どうしても言いたいことが。
「成美さんの髪だって目を惹くくらい特徴的というか――まあ言ってしまえばすっごい綺麗なのに、本当に大吾は『たまに』程度しか触ってこないんですか?」
 僕が栞の髪を気に入っているのは認めます。でも、それが変だというのはやっぱりまだちょっと納得がいきませんでした。特には、その綺麗な髪の持ち主である成美さんから変だと言われるのが。
 しかしその成美さん、「大吾とのことで嘘など言わんさ。たまにだぞ、本当に」とのこと。
 ううむ、疑ってかかったというわけではないのですが、しかし……。
「孝さんの気持ちも分からないではないけどね。私だって触らせて欲しいくらいだもん、成美ちゃんの髪って」
 そう。長くて真っ白、しかも癖っ毛がところどころでぴよんぴよんと撥ねているせいで手触りはもこもこふわふわ。同性からすらこうして――いや、もはや男女など関係なく綺麗としか言いようのない成美さんの髪を「たまに」しか触らないなんて、勿体無いにもほどがあり過ぎていっそ不自然な話なのです。
 そりゃあ長く付き合っていればそういう触れ合いの頻度も下がるでしょうが、付き合い始めたばかりかつ結婚したばかりなんですよ? 成美さんと大吾は。
「というわけで大吾くん、実際のところはどうなのでしょうか?」
「ま、またオレですか?」
 というわけでまた大吾に話が振られたわけですが、名前を呼ばれた瞬間にびくりとしたのを、僕は見逃していませんでした。つまり声を掛けられる前から何かしら思うところはあった、ということなのでしょう。
 しかし先にも似たような展開があったせいか、今度の大吾はあまり躊躇を見せませんでした。
「いや……だってみんな、考えてみてくださいよ。成美ってよくオレの膝の上に座ってますよね?」
「うん」
 返事をしたのは会話の引き続きから栞でしたが、しかしそれは誰もが容易に思い浮かべられる光景なのでしょう。定番に過ぎるくらい定番な、二人のいつもの体勢ですし。
 ならば、それがどうかしたのかという話なのですが、
「そんなん、常に髪に触ってるようなもんじゃないですか。手でじゃねえにしても」
「あ」
 大吾の膝の上に座り、大吾の胸にもたれている成美さん。ならばその髪は、大吾の胸から腹に掛けて押し付けられているわけです。
「そっかあ。――うーん、でもやっぱり、手で触りたくなる時ってない? それとも、それが成美ちゃんの言う『たまに』ってことなのかな」
 僕ならともかく何故か栞が食い下がります。もしかしたらにもしかしたらを重ねるに、栞自身も「髪を触る」という行為に肯定的なのかもしれません。僕が触っても嫌がらないのはもちろんですが、それを抜きにして考えても尚、というくらいに。
「それもありますけど……やっぱあれですかねえ。今も出てますけど、コレ」
 そう言って大吾が指差したのは、成美さんの頭。現在の成美さんは大人の身体であるわけで、ならばそこには猫耳が。外出中である以上それを隠すためのニット帽を被ってはいますが、いつも通りニット帽自体が猫耳の形に押し上げられてしまっています。
「猫耳?」
 栞が首を傾けると、大吾は「ええ」と。まあ、他に指すべきものはないわけですしね。
 で、ならばこれまた、それがどうかしたのかと言う話なのですが、
「これだって髪っちゃあ髪でしょ? 成美はよく『撫でてくれ』って言ってくるんで――」
「ぬわあああ! 変なこと言いふらすな馬鹿者ーっ!」
「モゴゴゴ」
 大人の身体でなければ届かなかったことでしょう。成美さん、大吾の口を両手で塞いでしまうのでした。
 結構な反発力があり、触ると気持ちいい成美さんの猫耳。しかしその反発による気持ちよさが成美さん自身にも届くもだというのは本人の口から語られたことがあり、ならば大吾にそれをねだるのも、まあ当然と言えば当然なのでしょう。だからといってその暴露に何の感情も抱かないかと言われれば、もちろんそんなことはないわけですが。
「成美ちゃん」
 栞が呼び掛け、ならば成美さんはそちらを振り向くわけですが、しかし。
「わわっ、おいこら」
 呼び掛けに対する返事を待たず、栞は成美さんの頭に手を伸ばしたのでした。今は成美さんのほうが背が高いわけで、ならばちょっと無理のある体勢でもあったのですが、そんなことには構わずニット帽の上からなでなでと。
 すると成美さん、抗議の声を上げた割にはすぐ大人しくなり、栞との身長差を思ってか頭を低くすら。
「大吾くんだけがすることでもないんだし、そこまで恥ずかしがらなくても」
 撫でる手を止めることなく、栞は笑みを浮かべながら言いました。
 成美さんから返事はありませんでしたが、するとそのまま、もう一言。
「それともやっぱり、大吾くんだと他の人より気持ちいい?」
「そんなことは!――ない、とは言えないのが正直なところだが……」
 語気を強めて言い切ろうとした成美さんはしかし、流れた視線が大吾のほうを向いたところで、その勢いを失ってしまうのでした。
 大吾の口を塞いでいた成美さんの手は、そこで下ろされます。
「……まあ要はこの話、オレが成美の髪をどう思ってるかってことですよね? だったらそりゃあ、綺麗だなーくらいは思ってますよ。オレじゃなくてもそう思うくらいなんですし」
「そっかあ」
 大吾の答えにそれだけを返した栞は、嬉しそうにしていました。
 で、今度は成美さんへ。猫耳を撫でていた手を下ろしてから、「ごめんね、ちょっと意地悪だったよね」と。
 しかし成美さんは、ふるふると首を横に振ります。そして件の髪を自分で撫でつつ、同時に照れ臭そうにもしながら、こんなお返事を。
「なんだ、その、お前のおかげで綺麗だと言ってもらえたからな。当たり前だが嬉しいぞ、褒めてもらえるのは」
 そんな言葉に栞は更に嬉しそうにするわけですが、しかし一方僕はというと、大吾の傍に歩み寄り、そのまま集団からちょっと離れた位置へ。と言ってもリードを引っ張っているのが大吾である以上はジョンと、あとその背中に乗っているナタリーさんとサンデーも一緒についてくるわけですが。
 ……ともあれ声を落とし、耳打ちする形で、大吾にこう尋ねます。
「あんまり言ってあげてないの? 普段、綺麗だとか」
 大きなお世話かもしれませんがしかし、大吾がどれだけ成美さんの容姿をベタ褒めしているかは、同じ男である僕だからこそ知っているわけです。たまーにですが、二人だけで「そういう話」をしたりもしてますしね。
 というわけで大吾のほうも、特に不満を持ったような様子はないまま、耳打ちをし返してきます。
「割と言ってると思うけど、髪だけを指してってなると確かにそうだなあ」
 ああ。
 言ってる僕って変なのかなあ、やっぱり。
 ともあれ返事を終えた大吾が顔を離し始め、しかし何か思い付いたように途中で戻ってきて、再度耳打ちを。
「ああでも、一回もないってことはねえと思うぞ」
 ふむ。となれば少なくとも一、二回くらいは覚えがあると。
 僕はどうかなあ――などという悪あがきはもう止しておきまして――ならば成美さんはその一、二回を忘れているのか、それとももっと言って欲しいということなのか。
 そんな疑問からちらりと成美さんに目を向けてみたところ、成美さんは手で耳を塞いでいました。猫耳ではなく音を聞く方の耳を、です。
 僕の視線に気付いた成美さん、その手を下ろしながらこう言います。
「盗み聞きなどしたくないからこうしてはいたが、それでも一応訊いておくぞ。さっきから何をこそこそ話しているのだ?」
 というようなことを訊かれたならばもちろん、どう誤魔化したものかと考え始めるわけですが、けれどそこへ大吾がさらりとこう答えました。
「これからはもう少しオマエの期待に添えてやるようにしよう、っつう話だよ」
 そしてそのまま、さっきの栞と同じく手を成美さんの頭へ。
 すると成美さんは「むむう」と不満そうな声を上げるわけですが、だからといって大吾の手を振り払ったりするわけではなく、またそれ以上耳打ちの内容を訊き出そうとするわけでもなく、好きなようにさせているのでした。
 忘れているのか、もっと言って欲しいのか。大吾の意見は後者だったようです。
 だからといってこの場でいきなりそれを言うようなことはありませんでしたが、まあ、それくらいは。
 二人の足元では、猫さんがくつくつと笑っていました。

「これと似たようなものなのだろうかなあ」
 散歩から帰ってきてもそのまま引っ越し作業に移るということはなく、先に大吾によるジョンのブラッシングを。というわけでみんな一緒に清さんの部屋にお邪魔しているわけですが、そのブラッシング作業を眺めながら成美さんがそう呟き、ならば大吾は「ん?」とそちらへ顔を向けます。
「わたしのこれを触るのとな」
 言いながら成美さん、猫耳を軽く触りました。そしてもう一言、「いや、毛並みを整えるとか、そういうちゃんとした意味があってのことなのは分かっているがな」とも。
 ならば大吾、ジョンのほうを向き直りつつこう返します。
「まあそうなんじゃねえか? 気持ち良さそうにしてるし、マンデーもそう言ってるし」
 言葉が通じないのに「なんとなく」で感情を察せられるって今思えば凄いことだよなあ、と今更ながら。なんせ「マンデーさんがそう言っている」という明確な情報と並べられるほどなのです、その「なんとなく」は。
 しかしまあ、今そんな話はともかく。
「で、それがどうかしたか?」
 至福の表情を浮かべるジョンに軽く笑い掛けたりしながら、今度は大吾から質問が。
「い、いや、大したことではないのだが」
 と言いつつ、しかしその割には言い難そうにそこで言葉を切ってしまう成美さん。そうして落とした視線の先、つまり自身の膝の上には現在、猫さんが腰を落ち着けています。
 しばしそのまま猫さんの背中を見下ろしていた成美さん、くっと顔を上げました。
「こいつにもしてやりたい。のと、耳を触るのと同じであるならその、よければわたしの髪にもだな」
 手を止めないながらも再度大吾が成美さんのほうを向きますが、先に口を開いたのは猫さんでした。
「なんだ、俺はダシに使われているのか?」
「わたしの髪のほうこそダシだ、どちらかといえば。お前のための――なんだ、照れ隠しなのに、お前に突っ込まれると立つ瀬がないではないか」
「……そうか。それはすまん」
 猫さんのための照れ隠し。はて、ということは猫さん、今のような話で照れてしまうということなのでしょうか? あまりそういうイメージはありませんでしたが。
「旦那サンはともかく、オマエの髪を梳くってなったら大変そうだなあ」
 撫でるだけならふわふわとして心地良い成美さんの髪。しかし梳くとなれば大吾の言う通りで、そう簡単にブラシを通してくれそうには思えないのでした。なんせ大量の癖っ毛なんですしね、ふわふわの元は。
「そ、そうか」
「そんなガッカリすんなよ、しねえって言ってるんじゃねえんだから。――あと、ほれ」
 もう一本のブラシを取り出した大吾は、それを成美さんに手渡しました。
「いつもはマンデーに使ってるやつだけど、綺麗にはしてあるから旦那サンに使っても大丈夫だぞ」
 そりゃブラシがけで他の毛が付いちゃったら意味がないしね。なんて思っていたところ、しかしここで成美さんが意外な反応。
「え? わたしがするのか?」
 どうやら大吾に任せるつもりだったようです。さっきは「こいつにもしてやりたい」とさも自分がそうするような言い方をしてはいましたがしかし、ブラシがけは大吾の仕事、ということなのでしょう。
 もちろんそれは面倒事の押し付けとかそういう意味ではなく、日頃からジョンとマンデーさんを満足させているその腕を見込んで、ということなのでしょうが。
「ん? そういう話じゃなかったのか? 何だったらオレがやってもいいけど」
「ああいやいや、やらせてもらおう。望むところだとも」


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