(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第四十六章 日向家 六

2012-03-02 20:44:59 | 新転地はお化け屋敷
「あとは机の本棚を戻して、私の棚を動かして、テーブル出して……掃除機もかけたほうがいいかもね」
「それが済んだら残しといたケーキ?」
「うん。えへへ」
「じゃあこっちで食べようか、せっかくだし」
「そうだね」
 今までテーブルがなかった私室ですが、栞が203号室の居間で使っていたものが余るので、今日からはそれをこちらに出せることになります。そのことも含めて考えれば、家具をベッド側に寄せてスペースを広く取るという栞の案は大正解なのでしょう。なんせそれ抜きで考えても素直に良い案だと思え、つまりは正解だったわけですし。
 となると、ベッドに対する栞ではありませんが、作業完了が待ち遠しく感じられたりも。
「ベッドの側っていうのは決まってるとして、どのへんがいい? 棚」
「そうだねえ」
 机の本棚を机上部に戻しつつ、そんな相談を持ち掛けてみます。棚は栞のコレクションである陶器の置物を配置する場所でもあるので、ならば栞には拘りの一つでもあるかもしれませんしね。
「このへんかな?」
 というわけで栞が指し示したのは、僕の机の隣。特に迷いもなく決めたからには、何か理由があるのでしょう。
 そしてそれは、こちらから尋ねるまでもなく説明され始めます。
「勉強で疲れた時、可愛い動物達に癒されてくれればなーって」
「…………」
 癒されるか癒されないかと言えば、癒されるのでしょう。栞のコレクションではあるものの、僕の中でもそれらへの評価は結構高いのです。
 高いのですが、そういう話ではなく。
「疲れる以前に机で勉強しないって?」
「…………」
「まあ、私もしろとは言わないけどねー」
 ……しましょう、少しぐらいは。夫という立場を「妻という人一人に対して責任を持つもの」と解釈するなら、学生なのに不勉強なんてのは、随分と頼りない話ですしね。
 しかも僕達の場合なら「お互いそれぞれ一人に対して」で済むわけですが、一般的にはいずれ子どもだって産まれて一人では済まなくなるわけですし。自分達がそうでないからといって、それに合わせて自分の程度まで低くすることはないでしょう。
 素敵な旦那さん。よさげじゃないですか、自発的にそういうものを目指すのも。
「よし、栞。じゃあ早速動かそう」
「おっ、急にえらく真面目な顔」
 ただ棚を動かすだけのことに気張り過ぎなのかもしれませんが、出だしはそれくらいが丁度いいのでしょう。というわけで今まさにこの瞬間、「自己素敵な旦那さん化計画」がスタートされたのでした。
 ……ただし、それを栞に伝えたりはしませんが。栞から見て「知らず知らずのうちにそうなってた」というほうがスマートというか、素敵な旦那さんを目指すと宣言するのはなんだか間が抜けているというか、まあそんな具合で。
「そんな顔するってことは、また何かいろいろ考えてたね?」
「えっ」
「うん、その反応は訊いて欲しくなさそうだね。じゃあ訊かないよ」
 速攻でバレたかと思いました。
 ……いや、「知らず知らずのうちに」を目標としたことを考えると、もうバレたも同然なのかもしれませんが。何かあると意識して観察されたら、いろいろと綻びを突っつかれそうですし。
 でもまあ、それはともかく。
「ありがとう。敵わないよ、栞には」
「どういたしまして。私だって孝さんには敵わないけどね」
 僕が頭の中で思っただけなので栞が知っているわけもなく、ならば話が繋がるのは偶然なのでしょうが、お互いはお互いに敵わないという話。それは、「お互いそれぞれ一人に対して責任を持つ」という話の一つの性質なのかもしれません。
 敵わないと笑って言い合えるというのはある意味、お互いに敬い合っているということで、そしてそんな感情を持っているからこそ、責任を持とうと思えるんでしょうし。
 ――なんてことを考えてみると、それに付随して「そうしてでも一緒に暮らしたいと見るべきか、そうするために一緒に暮らしたいと見るべきか」という疑問が頭に浮かんだりも。しかしそれについては、今は明確にこうだとは言えないのでした。
「そういえば孝さん、今ふと思ったんだけど」
「ん?」
「患者服の話の時、話すのが遅かったって言ったでしょ?」
「ああ、言ってたね」
 結婚後に初めてするような話じゃなかった、という話。確かにそう言ってはいましたが、しかしなぜ、それが今このタイミングで?
「さっきの本の話だってそうだったよね、多分」
 ……本の話。
 エロ本の話。
「ま、まあ、言われてみればそうだろうね」
 患者服の話とは随分とベクトルが違いますが、結婚後じゃあ遅いと言われれば、遅いのでしょう。だがしかし。
「なんで今それを?」
 数瞬前に思い浮かべた疑問ではありますが、エロ本が話題に出たことでますます疑問度合いが強くなり、とうとう口から出てしまうのでした。
 すると栞、自信満々に胸を張ってこう答えます。
「真面目な孝さんには敵わないから、悔し紛れに困らせちゃおうかと」
「…………」
 呆れ可愛い、という表現は世間的にありなのでしょうか。
 そんなことを考えてしまうばかりな僕なのでしたが、よくよく考えれば「呆れるほど可愛い」という表現が既にあったような気もします。それはそれでちょっとニュアンスが違ってくるような気はしますが、まあいいでしょうそんな細かいことは。
「不真面目になれってこと?」
「それはやだ。悔しいのは敵わないからで、敵わないのは好きだからだし」
「まあ、分かってて訊いたんだけどね」
「分かってて訊いたことを分かってたけどね」
 ……はてさて、これは敵わないのか敵われていないのか。
 それ以上の言葉が出ないまま棚の上に置いてあるものを下ろし、それ以上の言葉が出ないまま棚を運び始め、そしてそれ以上の言葉が出ないまま棚を運び終えて、その後。
 やっぱりそれ以上の言葉は出ないまま、二人揃ってくすくすと思い出し笑いをすることになるのでした。なんと馬鹿らしい。
 さてしかし、そろそろ言葉を出していきましょう。棚から下ろしたものを戻す作業中、僕は思い出し笑いの余韻で歪んでいる口を一旦引き締め、そうして落ち付いたところで、
「で、栞。敢えて今まで触れてこなかったけど」
「ん?」
「そっちの熊の置物、どうしようか。今のまま机の上に置いとくか、こっちに戻すか」
 こっち。それはつまり今下ろしたものを戻している棚の上なのですが、戻しているものというのは栞のコレクションである陶器の置物です。これ見て癒されて勉強に励め――いや、それだと順序が逆ですが――と、さっき話していたばかりの。
「ああそれね。私も考えてたんだけど……」
 そりゃあ熊の置物だってもとは栞の所有物であって、ならばそれについて僕が思い付くようなことは栞だって同様に思い付くことでしょう。
 ところでそんな栞の様子ですが、どことなく照れた様子。しかも前もって考えていたと言う割には言葉尻を濁したりもしているのですが、はてそれは考えはしたけど何も思い付かなかったということなのか、それともそれとはまた別の?
 取り敢えず黙って次の言葉を待っていたところ、これまた照れ臭そうに少し身を捩ってから、栞はこう言いました。
「好きな人にあげたプレゼントがその人と一緒に戻ってくるって、素敵だなあって」
 聞くにせよ思うにせよ、今日は素敵って言葉がよく出てくるなあ、などという感想はいいとして。
「状況的には、僕が戻ってきたっていうより栞のほうから来たんだけどね」
「へ、部屋で考えるとそうなんだけどね」
 よっぽどの照れ臭さなのでしょう、水を差すような僕の言葉にすらはにかんでみせる栞なのでした。ロマンチックというか何と言うか、まあそういった発想ではあるんでしょうしね。
「でも、判断は孝さんに任せるよ? だって、孝さんにあげたものなんだし」
「今の話を聞いちゃうとなあ」
「あ、あんまり気に留められるとそれはそれで辛いんだけど」
「じゃあ気に留めずにそうするってことで」
「もう。……えへへ、ありがとう」
 というわけなので、戻す作業の最後に熊の置物をコトンと。
 ……もともとはこうしてコレクションの一部であってプレゼントとして僕の手に渡ったのはその後のことだというのに、なんだか浮いている感じがするのは気のせいでしょうか。いや、でも、「リアル過ぎて怖い」という感覚に襲われるのは少なくともこれだけだしなあ。他のだって殆どリアルな作りだけど、威嚇するようなポーズではないし。
「おかえりー」
 栞、そんなリアル過ぎて怖い熊の置物へちょんちょんと指を触れさせていました。
 おかえり、か。まあ、そういうことになるんでしょう。状況的にも、馴染みの深さ的にも。
 その馴染みの深いものをくれていたんだな、と改めてほっこりしたりもするのですが、それとはまた別にこんなことも考えてみます。
「ふつつかものですが、これからも宜しくお願いします」
「え? どうしたの? 急に改まって」
「熊の置物が『おかえり』なら、僕はどうなるのかなって」
「ああ。――ふふ、孝さんも案外恥ずかしいこと考えるんだね」
 それはつまり、どうやら「好きな人にあげたプレゼントがその人と一緒に戻ってきた」という発想と同列に見られた、ということなのでしょうか。
 そう言われると何だか顔が熱くなってきましたが、けれど栞はそこを突いてくるような素振りもなく、にこにこと。
「こちらこそ。至らぬ点も多々ありますけど、これからも宜しくお願いします」

 様々な寄り道を経てようやく家具の配置が済み、ならば仕上げにと部屋の掃除を。
 仕事としての掃除ではなく単なる家事なので、これについては手伝わせてもらえました。といっても最後に配置したばかりのテーブルやゴミ箱なんかをどかす程度で、そう大してやることもなかったわけですが。
 それでもやっぱりほっこりするものがあったりなかったりする中、すると栞も僕と同じような気分をお持ちになったらしく、それを隠そうともしない表情を。掃除手伝ったくらいで大袈裟だよなあ、なんて思いもあって、僕は隠していたわけですが。
 掃除機の電源をオフにした栞、緩んだ声でこう言います。
「ついにケーキまで辿り着いたよ~」
「ああ、それでそんな顔」
「え? 分かるような顔してる?」
「え? してないつもりだったの?」
 ともあれ。
「じゃあ僕が取ってくるよ。掃除機片付けてて」
「あ、うん。ありがとう」
 栞からすれば自然な運びなのでしょうが、僕にとってはそうではなく。
 よしよし、上手い具合に僕が取りに行くことになったぞ、と。

 ――そんなわけで台所、冷蔵庫前。ケーキを取り出した僕はしかしそれだけでなく、こっそり用意していたもう一つの品が問題なく完成しているのを見て、「いろいろ寄り道して時間くったおかげかな」なんて。
 ……もちろんそれらの寄り道、特にエロ本については、意図して話題を出したわけではないわけですが。そりゃあ自分から切り出すような話でもないし、ということで、それについては完全に偶然なのでした。
 で。
「お待たせー」
 ただ冷蔵庫から取ってきただけなので待たせるほどの時間は経っていないわけですが、しかし栞がどれほどケーキを待ち遠しく思っていたか知っているつもりである僕は、そんな言葉を口にしながら私室へ踏み入るのでした。
「お待たされましたー。――って、あっ。どうしたのそれ?」
 予想以上に予想通りな対応をみせる栞でしたが、しかしケーキと一緒に運び込まれたものが視界に入った途端、そんな冗談はどうでもよくなったようです。
 ということで、ケーキの付け合わせにジェラートは如何でしょうか?
「栞が昼寝してる間に作ってみました」
「手作り!? 買ってきたんじゃなくて!?」
 色めき立つ栞。ううむ、嬉しい反応ではありますが、料理の時とは違って嬉しいばかりでもなかったり。
「買ってきたもののほうが上等だろうけどね、今回ばかりは」
「上とか下とかそういうことじゃないよ。お菓子の時まで先生扱いするつもりはないし」
 菓子作りの本ではもうちょっとトッピングやら何やら凝ってるけど僕のこれは牛乳と砂糖だけで作ったものだし、栞がいつ起きるか分からない以上時間内にちゃんと凍るかどうかも怪しいバクチみたいなものだったし、と謙遜と言い訳が混同したような台詞を頭に浮かべたものの、けれどそれらは「先生扱いをしない」という栞の言葉を前に、無為なものとして霧散してしまいました。
「だから、ありがとう孝さん。嬉しいよ」
 謙遜兼言い訳を挟んだことで言わせてしまった感がないではないですが、まあ、当然ながらそんなことに拘る場面でもなく。
「どういたしまして」
 出したばかりのテーブルに向かい合って座り、いざフォークを手にとってケーキを――の、その前に。
 栞が起きた時から出しっ放しだったジュース類をコップに注いで、
「御苦労さま」
「孝さんも」
 何か違うような気もしますが、そんな言葉で乾杯をするのでした。
 ちなみに、僕はジュースですが栞は酒です。このあとがちょっと不安ですが、ええ、最初からその予定でしたしね。ケーキ、ジェラートと一緒に自らきちんと運び込ませていただきましたとも。
 ともあれ、そうなったならばケーキより先にジュースもしくは酒に口を付けるわけですが、すると栞、ちびりとだけ飲んだのち、手を止めて思うところありげな視線をこちらへ。
「そっち行っていい?」
「え? ああ、いいけど」
「あはは、酔って変なことしだした時、すぐ止めてもらえるようにってね」
「なるほどね」
 テーブルを挟んだ反対側、という位置関係。それは咄嗟の事態にどうにかできそうでできないという、微妙な位置だったりするのです。慌てた拍子にテーブルをひっくり返したりなんかしたら、それはもう酔った栞以上に大変ですしね。
 それにしたって念入りな、とも思わないではないのですが、それについてはまあ、ガッツリ飲むつもりなんだろうなということで。

 ケーキをぱくり。
「美味しーい!」
 ジェラートもぱくり。
「美味しーい!」
 酒だってごくり。
「美味しーい!」
 というわけでそりゃもう全力で幸福そうだった栞なのですが、けれどケーキもジェラートもなくなりそうな頃になると、趣きが変わってくるのでした。
「こーおーさぁん?」
「な、なんでしょうか」
「えへへー、呼んでみただけー」
 普段ならそんなことをされても「はははお戯れを」で済むのでしょうが、しかしケーキやジェラートと一緒に酒が進み、明らかに酔いが回っている状態でされるとついつい、びくびくと身構えてしまうのでした。何も唐突に危害を加えてくるわけじゃないというのは、分かってはいるんですけどねえ。
 それに、そりゃまあ普段の笑顔が一番ではあるのですが、上とか下とかを考えなければ、この半分溶けたような笑顔もこれはこれで可愛いと思ってたりも。それより不安が勝っちゃってるだけの話で。
 ところで、上とか下とかを考えなければというのは、さっき僕が栞から言われたばかりのフレーズだったりします。無意識的に自分でも使っていたというのはつまり、よっぽど嬉しかったんだなと。
「栞」
「んー?」
「ジェラート、どうだった?」
 既に美味しいという感想を、しかも一度でなく頂いてはいるわけですが、それらは全て栞が自発的に口にしたものでした。というわけで、ここで初めてこちらから感想を求めてみることに。こちらから求めたということに加えて酔ってることもあり、違った返事が来るかもしれませんしね。
「甘くてえ、冷たくてえ、美味しかったよお」
 呼吸が深くなっているのか、文節ごとに普段の一息以上の区切りを挟んできますが、感想それ自体は結局ほぼこれまで通り。深い息継ぎってじっくり見てると色っぽいなあ、というのもなくはないですが、今求めているのは僕でなく栞の、エロでなく味についての感想です。
「あとー」
「ん?」
 これまで通りかと思いきや、まだ続きがあったようで。
「ジャムとかあ、乗せてもいいんじゃないかなーって」
「ほう」
 菓子作りの本に載っていたトッピングはチョコチップやアーモンド、そしてそれらは今手元になく、だからこうして牛乳と砂糖だけのシンプル極まりないものを出すことになったわけですが、ジャムくらいなら用意できます。食パンだけで済ますこともありますしね、朝とかは。
「やってみようか。取ってくるよ、まだあったと思うし」
「ありがとー」
 ジェラートにジャムが乗っているところを想像し、そうして浮かんだ「ジャム乗せジェラート」という絵面はしかし、どこかで見たことがあるような気がするものなのでした。ということはつまり、これは栞独自の発想というわけではなく、むしろ一般的な味付け――いや、これもやっぱりトッピングと言ったほうが自然か――なのかもしれません。
 が、しかし。しかしです。酔っているのでそこまでの信憑性はありませんが、さっきの言い方からして、栞はそれを知らなかったのではないでしょうか? 一般的なトッピング(かもしれない、でしかありませんが)だとは知らずに、ただ自分の味覚センスのみでああ言ったのではないでしょうか?
 とすると、もしかして。
 菓子作りに関しては、僕よりも栞のほうが。
「――いやいや、悔しがるところじゃなくてね」
 冷蔵庫の扉に手を掛けながら、僕はそんな呟きを溢してみるのでした。

「もっと沢山作ればよかったかなあ」
「次はあ、私も手伝わせてねー」
 結論として、ジェラートにジャムを乗せるというのはアリでした。随分とアリでした。もともとの味的には牛乳に砂糖を加えただけのシンプルなものだったで、よっぽど変なものを入れない限りはそりゃそうだろう、ということだったりするのかもしれませんが。
 しかしともあれ、アリでした。でしたのですが、僕も栞もそれまでにジェラートを殆ど食べてしまっていたので、ジャム乗せで味わえたのはほんのちょっとだけだったのです。ううむ、勿体無い。
「凍らせる前から混ぜちゃってもお、いいかもねー」
「その場合は『味付け』でいいんだろうね」
「んん?」
「いやいや、こっちの話。で、栞。一つ訊いてみたいんだけど」
「なあに?」
「初めから知ってたとか? ジェラートにジャムが合うって」
 それが一般的という話は今のところ僕の想像でしかないので、質問としてはそんな形に。すると栞、ふるふると首を振ってみせます。
「んーん。だってそもそもジェラートってえ、食べたのはこれが初めてだと思うし」
「そっかあ」
 僕が作ったものの場合は、正直「アイスクリームと呼ぶかジェラートと呼ぶかの違いしかない」みたいなものだったりするので、完全に初めてとなるとそれはまた違うのかもしれません。
 が、それでもやはり、栞にとってはこれが初ジェラートだったと。
「凄いね、栞」
「ん? なんでえ?」
「初めて食べたものにピッタリ合う組み合わせをぽろっと出したわけだし」
 しかも酔った状態で、とは言いますまい。それがいい方向に働いたという可能性も無きにしも非ずですし、それに酔って気持ちよくなっている人に、まるで「酔っていることが宜しくない」みたいなことを言いたくはないですしね。そんな意図もありませんし。
 すると栞、元から赤い顔を更に赤くさせました。
「てへへ、褒められちゃったあ」
「これだって広く見れば料理のうちではあるからね。かなり真剣に褒めてるよ」
 思った以上に喜んでもらえたようなのでもうちょっと付け加えてみたところ、
「……やあ、もう」
 照れが「喜び」で収まる範囲を越えてしまったのか、拒絶の意思が籠った視線をこちらへ送ると同時に、僅かながら距離を取るように身じろいでみせる栞なのでした。
 ちょっとその、いじらし過ぎたというか何と言うか、手が出そうになりました。
 出そうになっただけで、出しはしませんでしたが。
「ごめんごめん、意地悪のつもりじゃなくて」
「意地悪じゃないって分かってるからだよう。孝さんが料理のことでえ、意地悪なんか言うわけないもん」
 となると――恐れ多い、みたいな話なのでしょうか? 自分で思い付くなんてそれこそ恐れ多い発想ですが、しかしまあ、そんなところなのでしょう。料理について栞から、あと家守さんから見て僕がどういう立ち位置にいるのかは、きちんと把握しているつもりですし。
「髪だったらいいよお」
「ん? 髪?」
「言葉じゃなくてえ、髪撫でて褒めてくれるんだったらあ、多分大丈夫だよお」
「そっか」
 というわけで、結局手は出てしまうのでした。ええ、これだって手を出したってことにはなるんでしょうしね。本当に手だけとはいえ、しっかり文字通りなんですし。
「んふふー」
 それにしても、なんて、髪を撫でられてご満悦な栞と向き合いながら。
 酔っていても案外平和に話が進むもんだなあ、と。そりゃあしっかりと酔ったなりの様子ではあるわけですが、けれどそこから慌てさせられるような事態が起こるわけでもなく、一言で言うならただ菓子の味付けについて話をしただけですし。
「ねえ孝さん?」
「ん?」
「こんなに褒めてもらえるんだったらあ、これくらいはあ、許してもらえる?」
「これくらいって」
 なんのこと?――と尋ね終わるより先に、結構な勢いで唇を奪われてしまいました。
 ……いや、言ってみればこれはキスをされたというだけのことであって、ならば当然ながら、それくらいは普段からままあることです。するとされるで考えればされるほうが多いですし、とそれはまあ関係ないかもしれませんが。
 けれど、です。
 ケーキだかジェラートだか、もしくはその両方の甘さがほんのり程度に感じられるキスながら、しかしその他大部分は酒の味が占めていました。
 酒臭い、とまでは言いません。けれど僕は未成年です。ならばこれまた当然(でいいんですよね?)ながら、唐突に味わわされて平然としていられるほど、その味に親しみもないわけです。
 なんでケーキとジェラートに勝っちゃってるんだよう、アルコールめ。
 ……呼気にまで含まれてるからなんでしょうね。それで飲酒検査するくらいなんですし。
「…………!」
 なんせ愛する妻からもたらされたものなのであからさまに拒むわけにもいかず、けれど平気でもいられない僕は、そんな声なき叫びを上げながら、抱き締めるでもないのに半端に持ちあがった両腕をわなわなと震わせているのでした。
 よく酒のコマーシャルなんかで「喉越しスッキリ!」みたいな謳い文句が出てきますよね? でもその受容手段がキスである場合、喉越しなんてものが存在するわけもなく、なのでそこには味しかないわけです。
 不味い、とはっきり言ってしまうというのは、栞から一緒に酒が飲めるのを楽しみにされているという手前躊躇われるのですが、しかし少なくとも、キツい味なのでした。結婚までしたところで、やっぱり僕はまだまだ子どもなようです。
 と、そんなふうに考えて少々やるせなくなっていたところ、栞の唇が離れました。
「んー、孝さん、苦い顔してる」
「苦かったからね……」
「私は甘かったけどねー」
 酔ってるっていうのに歯が浮くようなこと言ってくれるなあ、なんて思ったりもしましたが、しかし本当に甘かったのかもしれないな、とも。栞が酒を飲んでいたところ僕はジュースを飲んでいたわけですし、ならばケーキとジェラートも含め、仔細は違えど「甘さ」しか口の中になかったわけですし。


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